この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

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蒲生の人魚伝説
URL:
http://www.bcap.co.jp/ningyo/densetu.htm

 今から千四百有余年前、近江国蒲生寺村の観音草堂にそれはそれは美しい尼層様が住んでおられ尼僧様に三兄妹の小姓が寺村の小姓ヶ淵に住みながら仕えておったそうです。
 ある年いつもの年とは違い、日照りが続きどの田も地割れができ、、稲は立ち枯れ、他の作物にも影響がでて大干ばつになりました。
村人たちは困り果て寺村の側を流れる佐久良川(当時近江国蒲生河)の小姓ヶ淵より「はねぎ」を利用して水をかいだし田畑を潤すことにしましたが、それもすぐに底をつき困りはてていたある日、小姓ヶ淵に行ってみると冷たい清水で小姓ヶ淵
が満杯になっていました。喜んだ村人たちはその水に、手を合わせ拝みながら田畑に水を入れるのですがすぐに空になります。水がなくなって村人達が困るとまた水が淵に溜まる。
この事が繰り返し行われるようになりました。

不思議に思った村の若者が、夜こっそりと淵に行ってみるとそこには観音堂に仕えていた三兄妹の小姓が、その姿は人間ではなく『人か魚か』見分けがつかない姿で、奥より水を入り口の淵へ尾を利用して水を跳ね出している光景を目を目の当たりにしました。
若者は今見たふしぎな様を誰にも話さずにいたのですが、やがて村人達の間に
、小姓ヶ淵に「不思議な物がいる
」という噂が立ちました。その噂は村から村へ広がり話を聞いた心ならず者が、夜中にその淵に行き、投網により一物を捕まえてしまいました。

それはなんと人魚だったのです。

以来、不思議な物として豪商らにより人から人へ渡り歩きま したが、あるお方が観ずるところがあって、この奇物をいたず らに俗家に秘しても、益なしと、川合願成寺に納められ、この 人魚は立派なお厨子に安置され、観世音の御加護をうけ安らか に眠っています。

後の一体は、蒲生河をさかのぼり小野村までのぼりました が、ついに捕獲され死んでしまいました。村人は人魚塚を造り 手厚く葬ったと言われております。

また、残りの一体はたまたま近江国蒲生野へお布教をされて おりました弘法大師さまのお供をし、高野山魔萱堂仁徳寺観音 堂へあがったと言うことです。

─ 近江国蒲生寺村小姓ヶ淵人魚の由来より ─


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


本日、いてもたってもいられず

滋賀県近江八幡市安土町
観音正寺

人魚が祀られている願成寺

近江蒲生寺町

蒲生郡日野町の照光寺

蒲生郡日野町小野
人魚塚


まで 行ってきました。。。。。



もう、詳しくは言いませんが、


私はこの伝説の人魚の記憶があります。

正確には

弘法大使様には 直接 お供をさせていただいております。
私が いつも 弘法大使様とお話をさせていただけるのは そんな理由です。
あと、

人魚塚でのこと。。。

この地に降りた瞬間、 ここに居た ことを思い出しました。
記憶通りの池もあり 佐久良川を泳いで村に入っていったことも思い出しました。

私たち 人魚は琵琶湖で生まれました。
人間と交流したかった。 人間のお役に立ちたかった。

その想いだけでした。。。

お役に立てているだけでよかった。

だけど 心ない村人に捕らえられて、生き埋めにされた。。。

だから 私は 憎んだ。
人間は怖い。
恐ろしい。

私の人間嫌いはこの時生まれたんです。。。


でもね

そんな私を、聖徳太子様が見つけてくださった。


人魚塚でお逢いした村の方に 聖徳太子様がその時にお座りになっていた石に案内していただきました。

聖徳太子様はとても高貴な出で立ちでいらっしゃるけれど とても 気さくな方です。

『ここにお座りなさい』と 変わらぬお優しいお顔で 手招きをしてくださいました。

そこに その石に座った時に私は やっと 自分の心が解放されたのが わかりました。

だから そのあと 村の方とおしゃべりしちゃった。

嬉しくて、嬉しくてたまらなかった。

私は この地に帰ってきたかったんだ。


やはり 私は 人間が好きだったんだと 心から感じた。

沸き上がるこの想い。。。




人魚は3体あったと言われていますが 私は、その2体の記憶があります。

魂だから MIXされているんでしょうね。。。


私的には すっきりしましたが 村の方の〇藤さんを驚かせてしまいました。
ご免なさい。

伝説じゃなかったんですよ〜

本物ですよ〜

お金というのは、エネルギーであると同時に、物の価値を示すのにとても便利だと思います。


わたしが毎日させていただいているメールアドバイスやグラウディングワークは、その価値をわたしが認めているから有料にさせていただいています。
わたしの内側にいらっしゃる存在を信じているからに他ありません。


また、逆の立場からすると わたしのメールアドバイスやグラウディングワークの価値を認めていただいているから対価を支払っていただいていると思っています。


いつも、ありがとうございます。


わたしのその価値を認めてくださり大切に思ってくださったからご自分で働いたお金で支払ってくださっていますね。


有り難い限りです。


だから わたしは、クライアント様の貴重なお金を無駄にせず、生かせるようにと働かせていただいております。


また、わたしは、クライアント様が支払われるお金の価値がわかるから、しつこいのです。


わたしにお金を支払って、無駄だったと思われたくないのではなく 生かしたいのです。



しかし、クライアント様の中には 自分が支払ったのだから勝手でしょ という態度の方も見受けられます。


それは いかにも、自分の支払われたお金の価値を知らない行動だと思います。


ご自分の労力を考えない行動だと思います。


自分の労力を軽んじているかもしくは、パートナーが働いたお金ならば、パートナーを軽んじている、感謝のない行動だと思うので。


もしくは お金が余っていて大切じゃないんだと思います。


なぜなら、そのお金でなんとか立ち直りたい!と思わないのだから。


わたしのセッションを受けてダメだと感じたら、また よそに行くのは よっぽどお金が余っているんだろうなあと思うからです。


自分を何とかしたい!立ち直りたい!と真剣に考えている人なら、少しのお金も無駄にはしないと考えるからです。


真剣に考えないのは、余裕がある証拠です。




わたしは 誰に対しても誠心誠意、尽くします。


それは その方の価値を知ってるから。


お金の価値も人の価値も。


だから、しつこいのです。


誰もが価値があり、大切な存在です。


自分を軽んじている人には気づいてもらいたいと思っています。




わたしは誰もが 自分を他者を大切に敬い、価値を認めあい、高めあえる世の中になってほしいと願っています。



そのために、生かされていると感じています。





誰もが自分の価値に気づいて感謝できる世の中になりますように♪

想いに報いる。。。


人のために、と想いを込める。


人のために、と願う。


人のために、と祈る。



誰でも、願いを叶えるために、想いを込めて 祈ったことはあると思います。



だけど

逆の立場

想われて
願われて
祈られて


その想いに報いよう!と思ったことはありますか?




人から愛されたことがない、想われたことがないからわからない。。。と言われれば、それまでです。



愛される実感や信頼されている確信が起きますと、 その想いに報いようとする力がわき出てきます。



だから、愛されている感覚がある人は強いのです。
また、支えられていると人は強くなれるのです。



だけど、人は、発信者になりたがります。

自分が世界を変えたいとか世のため人のために動きたいとか考えます。


だけど、逆の立場になりたいとは、あまり思わないと思います。



それは

与えられる人というのは、とかく弱いと考えられがちです。



ご老人は、介護をされる側になりますし
病気になったら、治療を受けますし
障害者と呼ばれる方は人の助けを必要とされます。


人に迷惑をかける。。。との理由で、そうならないようにと思います。



だけど 実際は、そうならないと見えてこないこともあります。



そうなってこそ、人の想いを知るのではないでしょうか?


愛されている
支えられている


そう感じたら、人はどうなりたいと思うでしょうか?



そう感じたら、

そうそう、人の役に立ちたい!

とは、思わないと思います。



そう感じたら、


自分の行いを改めよう。
自分を律しよう。

規則正しい生活をしよう。

これ以上、人の迷惑にならないように努力しよう。
地道に、できることだけやろう。

身の回りのことをきちんとしよう。


と思うはずです。



その想いを感じたら

無茶はしない。

余計なことはしない。


感謝をするということは、基本 そういうことなんです。



自分の力を過信せずに、いただいた想いを大切に感じたら 心の底から 反省することができて
身を正すことができるのです。




人は 何者にもならなくてもいいんだ

ということがわかるのです。



それが

想いに報いる

ということなのです。




いただいた想いを感じたら それを無駄にはできないはずなのです。




だから、病気の人はしっかり治して、療養するのです。

病気が治るか治らないうちから働いて、命を無駄には使わないはずなのです。


ご老人は、その想いを感じたら、暴飲暴食を改め、少しでも長生きしようと努めます。


また、障害者と呼ばれる方は その想いを感じたら、生かされていることを無駄にしない生き方をされるでしょう。




生きていることがご恩返しです。



人に何かを与えることではないのです。



そういう人は、生きているだけで 人に与えられる人だから、それ以上しなくてもいいのです。



世の中って そのように回っているのです。




人はすぐに 自分を過信して、何者になりたがる。


それが 悪いとは言いませんが、わたしたちは 生きているだけで 人に与えられる存在だということを知って欲しいです。




わたしたちは 誰もが愛されている存在です。


それを感じようと、感じまいと、愛されている存在です。



生かされてありがたいと感じるなら、その想いに報いてください。




それが わたしたち人間の使命だとわたしは思っています。

軸を創るためには まずは、目の前に差し出された現実を生きることにほかならないのです。

現実を生きるということは、差し出された現実のスピードに乗るということでもあるのです。

スピードに乗るためには
求められたら、すぐにやる!

これだけです。

おはよう!と声をかけられたら、自分も声をかける。

目の前にゴミが落ちているのを見たら すぐに拾ってゴミ箱に入れる。

汗が出たら、拭く!

シャワーを浴びる!

時間を無駄遣いしないことです。

計画を立てて動けば、時間の無駄遣いはしないのです。

資格試験を受けるのも やみくもにガリガリ勉強をすればよいというものではなくて、計画を立てて勉強するのです。

スイッチの入り切りさえできればよいのです。

だらだらと主婦をしている人が一番、質が悪いです。

約束が守れない、時間にルーズです。

最近、スピリチュアルな人の中で 時間の感覚がないといっている人たちがいますが 地に足がついていない証拠です。

ダラダラ、ゆるゆるした生活をしているため 計画を立てて動くことができないのです。

それが、良い♪と言われている風潮もありますが、わたしからしたら トンデモ星人の見本です。

わたしも中身は宇宙人ですが あれが宇宙人だと言われたら、恥ずかしいです。

宇宙人の尊厳に関わります。

しかし 魂の成長は、自分が決めて生まれてきますので わたしからしたらトンデモ星人になるために生まれてきている方もいらっしゃいます。

しかし、それが宇宙人の見本ではありません。

まあ そこのところは、本当に、ご自身に繋がらないとわからないことでしょう。。。

誰もが 生まれてきた星があり その個性を引き継いでいるのです。

確かに わたしの愛する友は 何にもしなくてもいい人です。

生きているだけでいいよ♪

たまに お掃除して暮らしていれば、いいよ♪

とお姫様気質の方も存在します。

魂によって違うものです♪

しかし わたしが見る限りは、上がらなきゃいけない人がおサボりしている状態が見受けられます。

嘆かわしい限りです。

今、自分に起きていることって 自分にとってすべて必要なことだから起きているのです。

地震が起きて、家が流されてしまう現実も

人と競争して負けてしまう現実も

好きな人に愛されない現実も

すべてすべて、自分を創るために必要だから起きているのです。

でも そんな現実って受け入れられない人には受け入れられないものなのです。

だって 意識がそのようになっていないから。。。

だから 人への思いやり、
人の立場になって考えて行動しないと 自分が傷つけられるし、相手も傷つけるのです。

魂主動で生きていない人に
そんなことを言ったら、聞き入れてくれないばかりか刺されてしまいます。

まだまだ、意識が肉体主動で生きている人がほとんどなのです。

目覚めて、魂主動になったからといっても 自分の主観を押し付けては相手を思いやる行為とは言えません。

まだまだ、癒されない
まだまだ、甘えたい人たちがたくさんいるからです。

そんな人たちと交流するためには やはり、思いやり 相手の立場になって考えることを示していかないといけません。

目覚めなさい!
癒されなさい!

と言われてもできませんね。

人はひとりで生きているわけではないので、
人を思いやりながら、相手の立場になって生きていくのが 地球人なのです。

人を思いやる行為と 人を構う行為は違うのです。

人を思いやる行為というものは、お節介をすることではないのです。

人を思いやる前提にあるのは、自分自身に軸を持つことなのです。

いくら 人を思いやりたくても 自分がふにゃふにゃでは 思いやる行動は起こせないのです。

本当に 思いやりのある人は 自分を高めることを知っています。

確固とした軸を持っているものです。

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