この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

「因果関係」とは 「自分が発した感情や言動が巡り巡って自分に返ってくる」という法則
したがって 母親が愛を持って娘に接すれば 娘も愛を返してくれますが 母親が怒りを持って接すれば 娘も怒りを返してくることになる しかし 実際には「自分が愛を与えても、相手がますますいい気になって好き勝手に振る舞うようになったら、愛を与えた自分は大損をしてしまう」などと 思わず 「損得勘定」を行ってしまいがちです
そのため「損をしないように 最初から 愛なんか与えるのはやめておこう」と計算し 自分を守る方向へと進んでしまうものなのです
このような人間関係の上では むしろ かえって自分を苦しめてしまう「損得勘定」を 完全に放棄してしまう方が よほど楽になります
「この相手からは 何ももらわないでもかまわない あげるだけあげて あとは返してくれるかどうかなんて 全然気にしないでおこう それは 相手のためじゃなくて 自分のためにそうするのだ だって その方が ずっと気が楽なのだから」と 良い意味で割り切ってしまうのが得策だと言えるでしょう
そのうえで そう割り切った自分を大いに褒め 「ああ 愛情の等価交換を放棄した私って なんて素晴らしい人間なのかしら〜」と そんな自分を好きになればいいのです

親から可愛がられた人は親から離れていかれるが 親に気兼ねし 親の顔色をうかがいながら育った人はなかなか親から離れていくことはできない
親の欲求不満のはけ口となってしまったような子供は精神的に成長できない 親が子供に甘えるようなものだからである
子供の心は怖くてすくんでしまっている
すくんでしまっていて 一切の精神的活動が行われていないのである
したがって そのような人は豊かな心をもちえない
音楽を聴いても素晴らしい景色を見ても 何をしても感動するなどということがない
もちろん 趣味もない
恐怖ですくんでしまった精神に何ができるというのであろうか
子供のころ親への恐怖で精神がすくんでしまって動けなくなっている人は何をやってもそこに興味を見出すことはできない

人間は他人に何かしてあげることによって その人に好意や愛情を抱くようになる
その人のために世話をやくことが その人への愛情を生み出し 育てる
その人のための行動がその人への愛の感情をつくっていく
そう考えれるば 親は一方的に子供に何かをしてやる存在であってはならない ということになる
一方的に何かをしてあげることだけでは 相手からの愛情を期待することはできない
過保護の決定的な誤りはここにある
子供も家のなかのひとつの役割を担うことで 親への愛情を持つようになるのです
自分の誕生日に親から祝ってもらうだけでは 親への愛情は生まれない
自分が親に何かしてあげることで はじめて親と子供の相互交流ができる
親が子に一方的に何かしてくりものと思っていたら 徹底的に反省すべきである
最初は母親が子供と一緒に父親を喜ばせる また 父親が子供と一緒に母親を喜ばせる と愛情を学べるのではないか


親に甘えたくても甘えられず 恐怖することだけで成長してきた人はどうしても神経過敏になる
小さい子供が親に甘えるということは 何も気兼ねしないでとっぷりと情緒的一体感に浸れる ということである
ところが 親が情緒的に不安定な人だと たとえ表面上子供は甘えていても いつその一体感が壊れるかわからない
自分のちょっとした言葉遣いで急に親は不機嫌になるかもしれない
そこで行動としては 一見 甘えているようでも 子供はたえずびくびくと緊張していることになる
このような緊張のなかで 子供の側にどのような行動があってもそれは心から甘えていることにはならない
そのような子供は甘えたくても甘えられない緊張感と不安のなかで成長し 社会人となっても対人的に神経過敏になる
神経過敏な人間になっていくのは 反発することも 甘えて一体感にひたることもどちらもできない幼年時代 少年少女時代を送ってきた人だろう。
我々が自立するためには 一回とっぷりと甘えて一体感にひたり そこからひとり立ちしていくという過程が必要である
神経過敏な人はこのような過程をもてなかった人である
つまり この世のなかのどことも繋がっていない人である
神経過敏な人は根本的なところで人と離れている
幼児のころ 根本がしっかりと親に結び付き 成長してその根本が特定の場所から離れて一般的な世界そのものに結び付いていくとき 人は自立できたとか 精神的に成長したとかいうのである
神経過敏な人はその根をおろすべき共同体を持てないでいるのである



そしてこの地上に残された覚醒した人間たちは迷走の力を使い、ほかの平衡あ世界とつながりばしめるといいます。
資本主義などまったく価値を失い、誰もがひとりの如来のしたでひとつの宗教のもと、ひとつの科学としてその技術を使い、平衡宇宙の様々な世界に自由にいったりきたりするといいます。もう、死んでいる、生きているといった区別もなくなるといいます。
お釈迦様の観音経の中にこの世界の情景がきじつされています。
人間はもう性交によってうみだされることがなくなり、生命は突然空中からうまれ何万年でもいき、自由に他の宇宙へといき、そして自由にまたもといた世界にもどってくるようになるであろう。
そしてその世界には教えの喜び、と瞑想の喜びしかない。
これがこれからこの世界にくる新しい菩薩の国の情景です。
イエスと釈迦はこの文明からやがてはこうした世界か゛うみだされてくると予言し、みずからそうなる流れをこの文明にうえつけていきました。
その芽がいまでてこようとしています。逆に毒麦はひっこぬかれ、火でやかれ、こうした良い麦たちがこの世の支配権をとりもどし、人々を指導しはじめるというのでいす。平衡宇宙を自由にいきかいするということは実はあの世の世界にも自由にいったりきたりできるということです。そこにはイエスもいます。くもにものっているでしょう。天使の軍団もひきつれているでしょう。
このレベルの進化は実はこの文明のかつての聖者と呼ばれる人たちも体験しているもので実はそんなにむずかしいことではないのです。
ただ全体でより多くの人間がここまで覚醒するためにしばらくはこの世界はなすがままにされていましたが、いよいよこの二千年努力し学んでいた人たちとその逆の人とのすみわけがはじまってきたのです。
まだまだこの出来事はつづきます。
どんな人か゛のこれるかも聖書にはちゃんとかいてありますので読んでみてください。
右の人、左の人というたとえです。
右の人たちがつぎの時代をつくっていく人たちです。
あなたはどちらの側の人でしょうか。

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