この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

私がいつも言っているグラウディングとは 『目の前の現実を生きること』 ですが その意味には『愛と調和』が含まれています。
グラウディングというと 行動することと捉えがちですが 無鉄砲にただ 行動することはグラウディングとは言いません。
周りを見渡し 人との調和を持って行動すること これが大切です。
我が強くてもいけません。
自分勝手な生き方は グラウディングとは言いません。
魂の生きたいように生きる!と言われる人はみえますが それで 幸せなのかな?

調和するとは決して我慢することではありません。
自分の気持ちを正直に伝えて 相手を思いやり 歩み寄り話し合うことだと思うのです。

自分だけが 自分の思い通りに生きることなんてできないのです。


私はこの地球に『愛と調和』を学ぶために転生してきました。

そして この『愛と調和の花』を咲かせるという使命を思い出しました。

人を愛するってことは 相手が自分を想っていなくても 何をしていても どこにいても どんな存在でも 愛するってことなんだ。
例え 自分以外の人を愛していたとしても 愛しいと思う純粋な心でいられることが幸せだと感じるんだ。


心の中の潜在意識は物心つかないうちに作られるので本人には意識できません。
意識できないから「無意識」ともいうんですけどね。
(ここでは「集合無意識」は置いといてます)

 潜在意識が何をやってるかというと、 その人の人生・社会・他人・環境への取り組み方=「心の姿勢」を担当しているように思えます。

心の姿勢が悪い人がいます。
どういうのが悪いかといえば

 ○物事を悪く受け取る
 ○捻くれている
 ○覇気がない
 ○いつも疲れている
 ○悲観的
 ○憎しみ
 ○軽蔑
 ○怒り
 ○妬み
 ○恐れ
 ○不安
 ・・・・・・
私も欠点が多い人間です。 
「子供が家庭内暴力を起こして母親を殴る・蹴る」というのは「母親の性格が悪いから」。

性格は悪くてもいいんですよ、自覚していれば。
問題は「自分の感情に気付かない」ってことです。
大変、妬み深いのにそれを「自覚できずに」「普通だと思ってる」ことです。
人間は当たり前になっちゃってることは自覚できないのです。

同じことを目にしても人によって受け取り方が違うのは心の姿勢が仕業。
心の姿勢(心的態度)が悪いと一生を棒に振るかもしれません。
そんな大事な心の姿勢を母親によって作られたらたまったモンじゃありません。

なので・・・・・母親の心の姿勢が悪いと後で・・・子供に殴られたり殺されたり。
 これは「やったことは返って来る」という法則が働くからです。
母親が表面上、一生懸命子供の世話をして尽くそうと身を粉にして働こうと、 それは表面上のことなのです。
肝心なのは「見えない世界」「原因と理由の世界」「心の世界」だから。
子供の潜在意識は母親の潜在意識を見ていたのです。
だから表面を飾れば飾るほど反作用が生じます。

 あちこちで子供に尽くしてきた母親がヒドい目に会っていますが、 それも子供が母親に教えようとしているのです。
 「自分が思った想念の結果がコレである」と。

これだけでは無責任なので対策を教えます。

 それは 「それを当たり前と思ってはいけない」
「母親が自分の無意識を意識化すること」
「自分の本当の思いを点検すること」
「必要以上に善人にならないこと」
です。 

肉体を持った人間の特徴って

感情があって それは 欲でもあり煩悩でもあるんですよね

そして 人間として生きる上でのルールというのがあると思うんです

それが 般若心経の中での持戒だと思うんです
簡単に書くと『生き物を殺さない』『盗みをしない』『邪道のセックスをしない』という3つの行動の戒めと『嘘をつかない』『言葉を飾らない』『人の悪口をいわない』『二枚舌は使わない』という4つの言葉の戒めと『必要以上にケチケチ欲張ったりしない』『むやみに腹を立てない』『間違った物の見方をしない』という3つの心の持ち方の戒め 全部で10の戒めなんですよね

般若心経はこれだけではないですので 詳しくは書かないですが…

最近のスピでは よく 魂に従って生きる と聞くのですが

魂の生きたい方向なら 『動物を殺していいのか?』
魂の生きたい方向なら『人の物をとっていいのか?』
魂の生きたい方向なら『不倫してもいいのか?』
違うでしょ?

人間ならばやっていいことと悪いことの区別をつけるのは当たり前だと思うのですが この基本ができてこその 魂の生きたい方向に沿って生きるのではないか と思うんです

この地球に人間として肉体を纏っているならば 人間として生きなきゃ人間じゃないよね?

魂の生きたい方向なら肉体いらないでしょ

魂だけになったときに存分にやればいい


この地球に人間として生きている意味を考えて欲しい

何故 肉体を纏っているのかを…


それが分かれば アセンションの本当の意味がわかるのかと思うんです


前の記事とも合わせて考えると


人間として どう生きるべきかが見えてくると思うんです


これ以上 自分のカルマを増やして 生きにくくなるのは 自分のためにはならないんじゃないかな?


過去も現在も未来も繋がっている


今の行動で未来がつくられる


誰もが この人間のルールを前提に生きていけたら この地球は 満たされていけるのだと思います

誰かに幸せにしてもらうのではなく 自分で自分を幸せにする

その意思さえあれば いいのだと思います。


だからね

自分を抱き締めるって ホントに自分だけ抱き締めることじゃないんだよ

自分がつくられている総てを抱き締めることなんだ

最近 いろんな記事を読んで思うのは

『自分の身体をつくっているのはご先祖様だ』ってこと

魂的には 輪廻転生 生まれ変わりがあるけど この肉体 身体は ご先祖様から受け継がれているものだと思います

だって 親に似るとか あるしねぇ

私の場合だと 母親 父親がいて 母親の母親 お祖母ちゃんがお母さんを育てたときの子育てが影響して 私は母親に子育てされている〜

先天的な遺伝も後天的なものも 影響受けてます

そして 自分の身体が作られている

自分だけの身体じゃないね

ご先祖様からいただいた身体をもっともっと 大切にしなくちゃって思えてくる

また 身体にも意識がある
ご先祖様の意識が自分の身体に蓄積されている

カルマと呼ぶものかもしれない

今の自分にとって負になるものは 私で浄化させていきたい

それは 娘に受け継がれるものだから

ご先祖様の時代は 苦しいときだったんだと思う

だから 私にもそれが受け継がれている

それを浄化することによって 先祖供養にも繋がることだと思うし カルマが外れれば 自分の生き方も変わってくるんだと思うんだ

今の自分に何が作用しているかなんて わからないけど 負のものが 浮上してきたときに 浄化していくだけなんだ

すると だんだん 生きやすくなってくる

親との確執が 徐々に取れてきているよ

身内との関係も良くなってきているよ

人間関係もよくなるよ

すべては 自分だけを視るのではなく ご先祖様を含めた自分を視ての行動なんだと思う


自分を好きになるのは そういうことだと思うんだ


自分というのは ご先祖様をひっくるめたすべてを指すものだと 最近 気がついて来ました。

自分をつくるのはご先祖様なんだ。

グラウディングの元になるのは ご先祖様なんだと 附に落ちてきました。

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