この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2011年05月

愛しい光の子



愛しい我が子よ



わたしの愛は乳を飲ませる母のように



尽きることはない



あなたが乳房を吸うときに



あなたもわたしも



伴に愛で満たされる



ただ愛おしくて



とてもとても胸が痛くなる



わたしの乳房を吸う愛しい我が子よ



あなたが何かを求めて泣いていたのなら



わたしの胸で強く優しく抱きしめましょう



不安や恐怖に怯えずに



無限の安らぎを与えましょう



わたしを求めたなら



惜しみなく



見返りを求めずに



尽きることなく



愛を与えます



ただ



ただ愛おしいから



あなたが笑顔に満ちるなら



わたしも愛で満たされる



ただ愛しくて



ただ愛しくて



あなたの喜びは



わたしの喜び



あなたの至福は



わたしの幸福



ただ愛しくて



ただ



ただ愛しくて・・・・・・・・・・・・・



愛はここにあります



すべては愛で満ちています



愛しい光の子へ



愛しい我が子へ・・・・・・・・・・・・・・





大いなる慈悲と慈愛



グレードセントラルサンの無償の愛と真心に感謝いたします



ありがとうございます



永久に愛しています・・・・・・・・・・・・・

愚痴や悪口は波動が低いネガティブなものです。人に対して話をすることで、言霊や思念の力によりとても低い波動を発します。もちろん、言葉を発している本人もさらに波動が下がってしまいますが、それを聞いている人や周囲にいる人もその低い波動の影響を受けてしまいます。

さらに、そのような話を親身になって聞くことは愛ある行動ですが、話を聞きながら同情しすぎたり同じネガティブな感情を抱いたりすると、自分の波動が下がることで相手の低い波動と合ってしまい、相手の低い波動をもろに受け取ってしまいます。

つまり、邪気の横流しの状態になってしまうので、愚痴・悪口などのネガティブな言霊や思念を発した人はすっきりして楽になる反面、それに同調してしまった人はその低い波動を受け取ってしまうために、とてもきつい状態になってしまいます。よくある、愚痴を言ってすっきりした〜という人と愚痴を聞いて疲れた〜(憑かれた)という人は、そんな波動の影響が関係しているということになります。

それでは、身近に愚痴・悪口という思念や言霊を発する人がいた場合にどのように対処したら良いかという解決策を述べます。それは、「波動を合わせない(同調しない)こと」です。

感受性の強い人、優しすぎる人など、愛をめぐらせる素敵な人の中には、ついつい愚痴を聞きながら相手の情緒に自分の情緒を合わせたり引き込まれたり感化したりすることで、同じような情緒になってしまうことがあると思います。このように同調することで、波動が強く合うことで相手のネガティブな情緒と同じレベルになってしまうし、相手からすればわかってくれる存在と認め、さらなるネガティブな波動の話を続けたくなります。

ではどのように対処するのが良いのかを具体的に述べますと、相手のネガティブな話や思いに対して、常に感情レベルでは同調しないようにして聞いてあげて、「かわいそうに」とか「頑張ってね」とか「幸運を祈っているね」とかといった、ポジティブな思いから発した言葉や思念を常に相手に向けるようにすることです。それを繰り返していると、相手の方からすれば波動が合わないわけですから、話していてつまらなくなってきたり、ネガティブな自分に気づいて反省して解決策を見出そうとしたりするなど、話の内容や相手の気持ちがポジティブに変わってきたり、逆に嫌になって話をやめたりするはずです。

それでもさらに話を続けてくる相手に対してイライラしたり「いかげんにしてくれ!」というような怒りという大きなネガティブな波動を発してしまうと、さらに低い波動がめぐって増長してしまい、お互いがより苦しくなってしまいます。だから、そこまでがまんできなくなったらネガティブな情緒を抑えるように努めて「話を聞くのはもうおしまいにするけど、応援しているから頑張ってね〜」くらいの愛を向けてあげて、その場から立ち去ることを選択すると良いでしょう。

ちなみに、私がこれまでに何度もスピリチュアルアドバイスをする中で指摘することがあったことですが、愚痴や悪口というネガティブなものと「確認」や「相談」とはまったく違うということになります。

どのようなことかといいますと、話の内容がきついことや苦しいことなどのネガティブな状態であっても、相手に話すことにより物事が実際はどのような状態にあるのかとか、どのように解決したら良いかといったような確認をしたり相談したりすることは、解決に向けての前向きなことであるわけですから、とてもポジティブなことになります。

直接お話しするスピリチュアルカウンセリング(アドバイス)はそのような内容になることがほとんどですので、確認や相談を受けて、その解決策や解決するための方向性がわかることで、相談者はもちろんのこと、相談を受ける側も気づきや解決策を示してポジティブになっていく波動を受けるために、お互いの波動が高くなるということになり、愛のめぐりという素晴らしい結果となるわけです。

相手が愚痴のつもりで話してきても、いつのまにか相談者と回答者のようになっている場合もあります。この場合は結果としてとても高い波動が生じます。逆に、相談のつもりがネガティブな情緒が多くて愚痴になってしまい解決するための話にはならない低い波動をめぐらせるだけになってしまう場合もあります。

いずれにしても、話をする相手は、話すことや聞くことやどのように受容して今後の実生活に生かすか否かということは、すべてが本人の問題となるわけです。そして、話を聞く側や周囲に居合わせる側は、伝えたくなった話を伝えたり思念を送ったりするまでがお仕事(人のためにすること)。情緒レベルを合わせるか否かは自己責任の問題。そして、このようなご縁をいただいたことに感謝して、「がんばってね」とか「かわいそうに(慈悲)」とかといったポジティブな高い波動である愛の言葉や思念を送ってあげることと、自分自身はすべてをポジティブに受容することが大切になってきます。

◎ストレスは万病の元

今年(2011年)は周期的に天候不順になります。
今気温の上がり下がりが激しいから自律神経の調節が上手く行かない人が増えていますね。

自律神経が不調になると感情が乱れて情緒不安定になります。
人間は感情の動物です。
感情をうまくコントロールしないと仕事も人間関係も上手くいかなくなりますね。

特に組織のリーダの人が情緒不安になると参加の人は大変です。
感情は伝播するので参加の人も情緒不安になりやすくなります。

今年は変な事件があちこちで起こる可能性があります。

今はみんなが不安な時代に生きています。
不安になると被暗示性が高まり社会は集団のエネルギーで動くようになります。

良い動きなら心配要りませんが、悪い動きになると集団で暴動などなどが起こったりします。
ということで、今年は何事をするにも気をつけましょう。

特にストレスを抱え込まないように気をつけてください。

健康害したら大変ですから。

ストレスを受けると免疫力が下がります。

人間はこの免疫力が極端に落ちたときに病気になります。
よく風邪を曳く人は免疫力が落ちているためです。

またストレスは活性酸素をたくさん作り出し、遺伝子に傷をつけかねません。

風邪は万病の元と言いますが、ストレスが万病の元ですよ。

一口にストレスと言っても人によって違います。
それは、その人の感情や考え方の違いによって生じるためです。

考え方は学びによって修正できますが、感情は難しいですね。
自分に自信のない人は不安になり、自分を守るために無意識に人や社会に向かって攻撃的になり謙虚さをなくすのです。

傲慢で謙虚さがない人は、自分に自信があるのでなく、逆に自信がない人です。

だからそんな人は、いつもストレスを抱えている状態ですね。

ストレスを緩和するには自信を持てるような生き方が必要ですね。
それは自分にとって何でも良いのです。

趣味でも仕事でも何でもやっているうちに自信が持てるようになります。
自信と言うのは自分が自分を認めることです。


自信がなく自尊心の低い人は何事に付けてよく怒ります。
怒ることによってストレスを発散しているのです。

こんなストレスの発散の仕方ははた迷惑でよくないですね。

発行:ロストテクノロジー研究所
   URL: http://ilt.jp/

時間の話がわかってくると、西洋科学には落とし穴があるのがよくわかる。
 
それは、西洋科学は、静的なものと「結果」しか扱わないからだ。
 
静的な結果をみることで、「原因」を調べていく。
 
それは、「過去→未来」の時間のパラダイムから来るためだ。
 
 
 
たとえば、ある病気があったときに、その状態(=今)を調べると、○○という物質が多くある。
↓3
 
○○が原因なのではないだろうか?
○○を多くした
その病気になった!
○○=その病気
 
とするのがいわゆる「科学的手法」だ。
 
 
 
でもそれは、「未来→過去」という時間の流れがあると、前提が崩れてくる。
 
 
 
現象は「結果」からも起こる、とすると、
 
たとえば「ある病気」になると、特定の物質を引き寄せてくる、とは考えることができる。
 
なので、その病気のときの状態を調べると○○という物質が観測されるのだ。
 
 
 
分かりやすい例をあげよう。
 
たとえばお金もなく非常に人見知りする人が、あるときに「素晴らしい人生を歩みたい!」と強く願ったとする。
 
そして多くの人にとにかく話しかけ、素晴らしい友人に恵まれ、お金持ちにもなり、素晴らしい家族にも恵まれたとする。
そのときには、彼はとても人と話すのが好きでお金を稼ぐの得意になっている。
 
 
ある科学者が、その人を分析すると
 
「成功者はお金があり、素晴らしい家族と友人に囲まれているものだ。それは人を話すのが好きな性格と、お金を稼ぐ能力だ」
 
と判断するに違いない。
実際、西洋的な自己啓発・成功哲学はそういう風になっている。
 
でも、それは本当だったろうか?
 
はじめの「素晴らしい人生を歩みたい!」という意図が重要だったのではないのか?
 
 
 
これにもちろん答えがでるわけではないが(なぜなら意図をもったのも、未来から決まっているという考えもできるからだ)、
 
ようするに僕がいいたいのは、
 
「どっちが原因なんですか?」
 
ということ。
 
「現状」と「過去」をみるだけで、判断することは可能なのでしょうか?
 
ということです。
 
 
 
というのは、こういう自己啓発ばかりをやっていると、前例のないことはできないからだ。
 
たとえば「じゃあ、私は声が出せなくて話せないけど、どうなんの?」ということにもなってきてしまう。
 
でも、声がだせなくたって成功して幸せになる人はいる。
 
 
 
今、巷には「手段」や「原因」にこだわり、「結果」や「未来」をみていない人が非常に多い。
 
多くの人が体を壊したりしている。
 
それは「元気になる」という「未来」をみないで、悪い状況を「今」ばかりみて、また「過去」の遺物でしかない西洋医学に頼るからだ。
 
 
 
いつも「未来」と「夢」をもっていよう。
 
そして、見えない暗闇を、とにかく慎重にはなりながらも一歩一歩前に進んでいこう。
 
そうすると、何もないところから、「未来」が生まれてくるのだ。
 
そう、未来は生まれるもの。あなたの意志が創りだすものだ。
 
未来は、わたしたちの意図によって、まったく新しいものが出現してくるのです。
 
 
 


最近はまた朝にジョギングをしていました。
 
起きたときは、旅行の後ということもあり、体が重くだるかったのですが、走りはじめたら体が軽くなってドンドン走れました。
 
 
 
ここで、重要なことがあるのですが、
ほとんどの人は、
 
原因があって結果が起こる
 
と思っています。
 
ですがこれは、実は西洋的なものの見方でしかないのです。
 
 
 
本当は、
 
結果を決めると原因ができる、
 
という方が正しいんですね。
 
 
 
ジョギングの例でいくと、
 
体が動かないから走れない、
 
とほとんどの人は考えるのですが、そうではなく、
 
走らないから体が動かない、
 
のです。
 
つまり、
 
走れば体は動くようになる。走ると決めれば体は動くようになります。
 
 
 
東洋では昔から、
 
時間は未来から過去へ流れている、
 
と考えていたといいます。
 
 
 
ちなみにこのことは物理では正しいそうで、
 
アインシュタインはの相対性理論では、
 
時間は「-t」(=tは過去から未来への時間、つまり私たちが普通に思っている時間の流れ。なので-tは、未来から過去へと時間が流れていることをあらわす)としないと、計算の結果が合わないそうです。
 
 
 
目的の達成もこれと同じで、
 
まず「結果(=未来)」をおこなっていくことで、徐々に「手段(=今)」がついてくるのですね。
 
 
たとえば、お金持ちになる法則も、まったくこれを証明していて、
 
「お金持ちだったらどういう行動をするか」を考えて行動しろ、
 
といいます。
 
そうして、お金持ちが行動するようにしていると、あとから「お金」がついてくるのです。
 
 
 
具体的な話をしましょう。
 
たとえばサラリーマンが「お金持ちになりたい!」と思ったとしますね。
 
でも、サラリーマンをただやっていてお金持ちになれることなんてあるわけがありません。
 
 
 
ここでまず「結果」を考えます。
 
あなたが思うお金持ちは、どんなことをやっているでしょうか?
 
そこでそのときの状況ではどんなものがあり、何をやっているのか、どんな考えをもっているかを明確にします。
 
あとは、それをやっていくだけです。
 
 
 
ここで多くの人がメゲるのは、
 
なにかお金持ちがやることをやろうとしたときに、
 
「とはいっても、今お金ないじゃん!」
 
と考えることですが、これはすでに「原因」にフォーカスが向いているので、うまくいきません。
 
すぐに「原因→結果」のパラダイムに戻ってしまうからです。
 
それでは当然、できませんね。
 
 
 
また、今すぐにその「未来」の姿が明確に見えてこないときがあります。
 
でも、それはOK。曖昧な「未来」でも、「それを明確にしてかなえよう!」という意図さえもっていれば、
 
自然に「その未来では具体的に何をしているか?」を探すようになります。
 
このときの「自然に」というのが実は重要ですよ。(^^)
 
 
 
まず「未来」を決め、それを実行するためにはどうするかを明確にきめて行動する!
 
そうしていると、どんどんシンクロも起きてきますね。
 
 
こうやって書いていると、「原因と結果」「未来と過去」がよくわからなくなってくる。
 
というのは、私たちのほとんどは、「西洋的な時間」の旧パラダイムに捕らわれているからだ。
 
 
 
下では「結果→原因」「時間は未来から過去へと流れる」と書いたが、
 
おそらく実は違う。
 
というのは、おそらく未来と過去は、ある種の相互影響関係、または同じものなのだと思う。
 
 
量子の非局在性というのがあって、
 
どれだけ空間が離れていても、双子の量子は同時に変化する、という現象だけれども、
 
たぶん時間もそうなっている。(時間=空間なのだから当然といえば当然か・・・)
 
未来と今は同じものを、違うところから見つめているだけなのだ。
 
 
 
もうちょっとわかりやすくいえば、「スパイラル状」に影響しあっているのかもしれない。
 
「今」→「未来」→「(今からみるとちょっと先の)今」→未来→「今」、と。
 
このスパイラルを、ある断面でみると、時間は未来から過去のように見え、違う断面からみると、過去から未来が流れているように見えるのではないだろうか。
 
 
 
アナログ時計(針のついているやつ)を上下左右を変えてみてみると、針は左から右に動いたり、右から左に動いたり、下から上へ、上から下へ動いているように見える。
 
たぶんそれと同じ感じなのではないだろうか。
 
 
 
でもこれは、線形モデル(1次元)が2次元モデルになっただけだから、もっともっと実際は複雑なのだろう。
 
 
 
 
 
 


最近あらためて体を通してはっきりと分かったことは、

これは実はかなりかなり深い話なのだけれど・・・




私たちが何かをやる時、

「結果」を気にして、

それがうまくいかないとき、

焦って「結果」を出そうとすればするぼど、

力み、そして、自分の本来の力が出なくなっていく、

ってこと。




うまくいかない根本的な問題は、

「方法」や「技術」ではない。




自己啓発や教育、ビジネスでも、

たくさんの「ノウハウ」が溢れているが、

何かがうまくいかない根本的な問題はソレではない。




また、逆に「ノウハウ」は、

本来の道から反れていることを、

「ダマしてなんとか動かす」こと、に他ならない。




ようするに「対処療法的」ってことだ。

(もちろん、対処療法は絶対に必要だ。根本治療には時間がかかる。)







うまくいかなくなった時、

私たちがやるべきことは一つしかない。




それは、肩の力を抜くこと、

リラックスすること。

そしてじっくりと結果が「出る」のを、「待つ」こと。




リラックスして、自分がやるべきことをやっていれば、

種から芽が出るように、

つぼみがやがて花開くように、

ゆくっりと、しかし結局一番早く、結果は「生まれる」。




そう、「結果」は「つくる」ものじゃない。




「ノウハウ」は確かに必要。

「ノウハウ」を知らなければ・・・たとえば「絵を描く」ことはできない。

「ノウハウ=技術」は磨かなければいけない。




でも、

「『良い絵』を描けるか」どうかは、

「ノウハウ」が原因じゃない、

ってことだ。




コーチングの世界なんかでは、

うまくいかないのは「やり方」が間違っているからだ、

と教える。

それはある意味合っている、でも、

もっと「根底」がある、

ってことだ。




もしあなたが、今

「うまくいっていない!」

と感じているなら、

まず肩の力を抜いてみよう。

そしてゆっくりとリラックスしてみましょう。




「ノウハウ」の利用価値は、その時にはじめて出る。




とにかくリラックス、リラックス。

「自分はそれをできる能力がある」ってことをきちんと知り、

とにかく肩の力を抜いて、

焦らないように、

ゆったりとくつろぎながら・・・

「前に進むためにやらなければいけないこと」をきちんとやってみましょう。




すると気づかないうちに、

予想もしない方法で・・・

「結果」が生まれてくるのです。



昨日の「本当に人生を前にすすめる方法。」の記事を踏まえて、

やっぱりとりあえず、多くの人が一番気になる問題を解決していきましょう。




多くの人が一番気にある問題・・・

といったら、やっぱり「お金」の問題でしょう。




昨日、

「リラックスして、肩の力を抜いて、『やるべきこと』をやる。」

と書きましたが、

多くの方は、

この『やるべきこと』が分からないのではないでしょうか?




そこで、

とりあえず分かりやすい「年収の増やし方」から

具体例をお伝えしていきましょう。




正直、これは非常にカンタンであり、

また、ついつい忘れてしまうようなことです。




言われてみれば当たり前。

だけど、気がついたらやってない。




そんなもんなので、

言葉はカンタンですが、

しっかりと心に留めておいてください。




では、言いますよ・・・




年収を増やすために「やるべきこと」は、

「『お金を生む活動(Money Generating Acitivity)』に集中すること」

です。




「え?だって私、毎日働いているよ?」

そう思った方も多いかもしれません。

でも、あなたが毎日やっている仕事は、

実際に「お金を生み出している」でしょうか?




ここが問題なのです。

多くの人は、毎日たくさん働いていますが、

実際に「お金を生み出す」活動を意外としていない。




会社でも、

ついつい事務作業やクレーム処理、システム管理などに追われて、

「お金を生み出す活動」から力が抜けていたりするものです。




それぞれの環境や状況がありますから、

具体的に「これが『お金を生み出す活動』です。」とは、

例を挙げられませんが、

一度自分の毎日やっている仕事が、

本当に「まさにお金を生み出している」かどうかを考えてみましょう。






たとえば、私自身の話をしましょう。




数カ月前から、

「ワンちゃん用のヒーリングCD」という面白い商品を見つけて、

日本で唯一の正規販売代理店となりました。




それで、

「よーーし!これを日本に広めるぞっ!」

と思って活動していたのはいいけれど、

ホームページをつくったり、

登記をしたり、

ビジネスのプランを考えていたりで、

毎日忙しかったのですが、

どうにもお金だけ出て行く・・・。




ビジネスパートナーとも、

はじめはノリノリだったのに、

だんだんモチベーションが下がってきました。




「どうしてなんだろう?」

「何がうまくいってないんだろう?」

と考えていたら、

そうそう、「お金を生む活動(Money Generating Acitivity)」に「集中する」のを忘れていたんです。




ようするに、

私のケースでは、

「まず売れ!」

ってことです。

まず商品を売ることに集中する。




とにかく商品を売らなければ、お金は絶対に生まれないわけです。

どんなによく練られたビジネスプランがあっても

素晴らしいホームページがあっても

最高のパートナーに恵まれても

商品がものすごく魅力的であっても

どれだけたくさんの事務処理をしても

アフターフォローを綿密にできるように準備しても

商品を売らない限りは、お金は入ってこないんですね。




これは「当たり前」のことでしょうか?

「なんだそんなことか・・・」で済まされることでしょうか?

みなさん、ぜひ自分の仕事に当てはめて、よ〜く考えてみましょう。






これは、

とくに「自分らしく生きよう!」

としている方には、

思わぬ落とし穴であることが多いですね。




いろいろと「準備」しすぎて、

それだけで体力と精神力を使いきってしまう。

というのは、「お金を生み出すこと」をまず行っていないからなんです。




500円でも1000円でも、

とにかく「お金を生み出す活動」をする。

そこから、はじめて「仕事」が生まれます。

「自分のやりたいこと」が、「生活」を支える「仕事」になっていくんですね。






「私は『お金』には困っていません。

他のことを求めているんです。」




という方も、

上のことの「お金」の部分を、

「自分が求めるモノ」や「結果」に置き換えてください。




あなたは、「自分が求めるモノ」「結果」を「生み出す活動」をやっていますか?

その「周辺」のことや、「準備」ばっかりしていませんか?




これが「結果を生む」ために、

『あなたがやるべきこと』

なんですね。




今までずっと、

「自分には能力・魅力がない」

とか、

「自分のやり方の何がまずかったのか」

と悩んでいた「うまくいっていない」理由が、

「それを生み出す活動」に集中していなかった、という

『ただそれだけのことだった。』

ということもあり得ます。




「自分には夢があって、そのためにいろいろやってきたけど、どうにも叶わない。」

って人は、

まず自分が求める「結果を生み出す活動」をやってみましょうね。




「人を助けたい」なら、まず何はともあれ人を助けてみましょう。

「新商品をつくりたい」なら、まず何はともあれ商品をつくる活動をやってみましょう。

「恋人が欲しい」なら、まず何はともあれ好きな人に告白してみましょう。

「絵が描けるようになりたい」なら、まずは何はともあれ絵を描いてみましょう。

「人間関係をよくしたい」なら、まずゴチャゴチャと考える前に「人間関係が良くなること」をしてみましょう!




「やりたいこと」が「今」できることではない人でも、

その「夢に直結する活動」に集中してみましょう。




ぜひ今スグ☆

 
--------------
 
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すべては行動から生まれる。
 
 
 
とはいえ、
 
それはわかっていてもできないのが、みんなの悩みどころ。
 
それがなぜなのかを、今日は考えてみましょう。
 
 
 
多くの人がなにかをしようとするとき、
 
ついつい「構えて」しまいますね。
 
 
 
でも、
 
人は「構える」と動けなくなってしまうんです。
 
 
 
たとえば、走るために構えるとしましょう。
 
そうすると、動けなくなりますよね。
 
それを「動かす」ためには「合図」が必要なのです。
 
「バーン!」という、例のヤツですね。
 
 
 
でも、人生には大概そんなもんはありません。
 
合図なんて、だれも出してくれない。
 
だから、「構えた人」たちは固まったまま。
 
 
 
人生での合図は、
 
自分で出すものですが、
 
これを出すのが難しい。
 
 
 
というわけで、
 
「構えた人」は動けなくなってしまうのです。
 
 
 
じゃあ、どうすれば?
 
となりますが、
 
とりあえずまずテキトーにやってみりゃーいいんです。
 
 
 
「テキトー」がどうも日本では軽視されますが、
 
よく日本語的に考えれば
 
「テキトー」は「適当」。
 
「程度などが、ほどよいこと。」ですよ。
 
 
 
動けないのは、そもそも目的にかなっていませんから、論外。
 
ということは、
 
動けることが前提なら、
 
「テキトー」で動けるなら、それは「適当」ということです。
 
 
 
まずテキトーでやってみる。
 
構えずに、いい加減でやってみる。
 
 
 
これが実は、知恵なのです。
 
だから「適当」「いい加減」なのですね。
 
えへん。
 
マジメちゃんには、つらいね。 
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--------------
 
人生に迷っている人、
 
「私はどうしたらいいの?」と思っている人、
 
「人生ってむなしい・・・」と感じている人など、
 
ぜひ読んでみてください。
 
さて、
 
人は「自分」のために生きようとするのではなく、
 
『家』のために生きるべきである。
 
というのは、
 
私が日本の昔の考え方を学び、
 
自然を見ていると、そうである、と思えるものでしたが、
 
この言葉のもう1つ深いところの意味を今日、理解したように思います。
 
というのは、
 
『家』のために生きる、
 
というのは、
 
『子供』のために生きる、
 
のとは違う、
 
ということです。
 
というのは、
 
文字通り「子供のために生きる、」と、
 
子供のためにならないことがあるからです。
 
カンタンにいってしまうと、
 
子供を「甘やかし」すぎてしまうし、
親が「子供に依存」してしまう可能性が高くなってしまいます。
 
でも、ここで注意しないといけないのが、
 
「子供のため」と親が考え過ぎると、
 
『場』の中心が「子供」になってしまう。
 
つまり、それで何が起こるかというと、
 
『生意気な子供』、
 
『親よりも偉いと勘違いしている子供』
 
ができてしまう。
 
 
日本には今、
 
両極端の人が溢れている。
 
1つは、『自分大好き』の人。
 
「自己実現」のために、なるべくはやく子供を預け、
「自分の仕事」「自分の夢」のために生きようとする人。
 
これは西洋思想であり「自己」を大事にする「個人主義」が生んだ産物。
 
高度経済成長にともなって増えてきたタイプで、
「団塊の世代」から、バブル時代までに大人になった人、いわゆる「バブル世代」に多い。
 
彼らに待っているものは、
 
「人生の虚しさ」だ。
 
これは欧米でもだいぶテーマになってきているようだけど、
 
「自分中心」で生きていると、
 
『死んだら全て終わり』となってしまうから、とても苦しく、虚しい。
 
「老いる」ことは「怖い」ことになる。
 
子供も「自分のため」に生きるから、親は見捨てられるのだ。
 
こういう人は、そもそも子供や家庭を持たない人も多いから、
そして、人生の最後は孤独と恐怖のなかで過ごすことになる。
 
一方、こういう親を持った子供は、永遠の「寂しさ」におそわれる。
誰といても、いつまでも『孤独』を感じる。
 
とにかく「さびしい・・・さびしい」と、「人とのふれあい」を求め続けるが、もちろん満たされることはない。
 
もう1つは、「自分」を失い、「生きる理由」を見いだせない人。
自分の人生を、我が子に捧げてしまう。
 
「団塊の世代」以前と、「バブル崩壊後の世代」で増えつつある。
バブル崩壊後の世代で増えているのは、「自分の人生」を大事にする親に育てられたからだ。
 
ようするに上のタイプの親が増えたことによる自然な反動。
 
このタイプの人は、「自分探し」に奔走する。
 
一部の人は、「自分の夢」を見つける。
 
でも多くの人は、当然ながら見つけられない。
 
全ての人が「自分のやりたいこと」「自分の夢」なんてあるワケがないから、当然といえば当然のことなのだけど・・・
 
最終的に彼らが反応するのは「他人のために自分を犠牲にする」ということ。
 
人を癒すこと、
 
人が喜んでくれること、
 
人を助けること、
 
が嬉しい。
 
もちろんそれ自体は悪いことではないけれど、ときどきいろいろなトコロで話題になるように、「自分のため」に他人が必要なので、注意していないと、「搾取」というカタチになったり、「相互依存」というカタチになりやすい。
 
このタイプの親を持った子供は、人生でいつも重圧を感じ続ける。
というのは、自分に親の人生がのっかってくるからだ。
 
重圧で潰されてしまう子、
 
自分の夢を失ってしまう子。
 
また子供によっては、そんな親をバカにし、また「大人」をバカにするようになる。
 
だって、人生は自分を中心に回っている、と思ってしまうからだ。
 
でも、甘やかされて育ったので、社会に出ると容易に潰されるため、自立ができない。
 
これはどちらも問題で、
 
そして、どちらも日本にたくさんいる。
 
じゃあ、どうしたらいいの?
 
自分のために生きるべきか?
 
子供のために生きるべきか?
 
 
そう、そこで出てくるのが、
 
『家』のために生きる、
 
ということ。
 
 
『家』とはどういうことかというと、
「祖先」「自分」「子孫」
が全部大事にされている、ということだ。
 
 
自分は祖先(もちろん「親」も含め)のお陰で、
ここにこういう状態でいられる。
それに感謝し、
その恩に報いるため、自分は自分を大事にしつつ、子供のために生きる。
 
子供のために生きる、
 
といっても、
 
祖先の愛情を感じて、自分も大事にしなければいけない、
 
自分も素晴らしい人生を歩まないといけない。
 
そして、
 
祖先からの想いを繋げていくために、
子供が「立派な大人」になってもらわないといけない。
 
つまり、
『家のため』と判断基準を持つと、
「自分のため」と「子供のため」のバランスを取りやすくなるのだ。
自分も最高の人生を生きなければならない。
 
子供も最高の人生を歩んでもらわないといけない。
 
「自分のため」そして「他人のため」に生きる。
 
ちょっと難しい言葉を使うと、
 
ようするに『高い抽象度』をもって子育てができるようになる、
 
「高い抽象度」を持てば、
 
自分が今やっていることの意味・結果・状況を客観視できる。
 
カンタンに説明すると
 
子育てで悩んだときに、
 
「コレは、『家』が繁栄していくことに繋がるだろうか?」
 
と考えたらいい。
 
 
そう考えたとき、
 
あなたの判断には、
 
「あなた」と「子供」だけでなく、
ずーーーーーーーーっと繋がっていく祖先たちと、
ずーーーーーーーーっとつながっていく子孫たちが含まれていく。
これって、とても力強いことですよ。
 
だって、ものすごくたくさんの人と一緒に生きている、ってことなんですから。
 
 
 

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産まれて間もない赤ちゃんには まだ他者意識が産まれていない 泣けばだれかが自分の不安を察して それを解消してくれると信じているから お腹がすいたときや おしめを取り替えてほしいときなど その度に泣き声をあげる

他者を意識するとき 論理は自然発生的に生まれるといったが 成長し 幼稚園に通いだすころになると 早熟な子供は自然に他者を意識し始める
もちろん そこには自分の不満を知り それを解消してくれる人が絶えずそばにいるとは限らない さらに そこで出会う子供たちはお互いにその感情を理解できない他者である そうした子供たち同士がいやでもコミュニケーションをとりあわなければならないとき 子供はムイキにのうちにでも筋道を立てようとする
そのときに 論理が自然に発生するのだ

幼稚園児の論理など 幼稚なものにほかならない だが 子供が「そのおもちゃ 誰々さんが持っているよ(具体例)」「先生もいいねて言っていたよ(引用)」「だから お母さん そのおもちゃほしいんだ(因果)」などと言ったとき 確かに論理を駆使しているのである
だから 依存心が強い子供ほど感情的で 自立した子供ほど論理が発達する

一方 他者意識が希薄なとき 言葉は省略に向かっていく

初対面の人に対しては丁寧な言葉を使うが 次第に気心が知れていくと 言葉遣いはぞんざいになり どんどん省略されていく
今現代は 大人になりきれない若者 大人たちが 世の中に溢れ出している
彼等は何か不満があると「ムカツク」などの感情語を使用する
そこには他者意識も論理もない 世界がどうであろうと 真理がなんであろうと自分が「ムカツク」と言えば それは否定されるべきこととなる
「ムカツク」と言えば だれかが自分の不満を察してそれを解消してくれると心のどこかで思っているから 自分の不満を他者に向かって論理的に説明しようともしない

 
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昔は僕もそうなりそうな時代もあったが、
 
僕の世代より少し上から、今の世代によく見られることとして、
 
「人生をあきらめる」ということがある。
 
 
 
そういう人たちには、
 
『あきらめる前に、自分は何かしたのか?』
 
と自分に聞いてみて欲しい。
 
 
 
この『人生をあきらめる』という病は、
 
なぜかとても若いときにかかる。
 
主に思春期のころだ。
 
そして、それが人生の終わりまでずうっと続くのだ。
 
 
 
今考えてみても、なぜ若いときには、
 
『人生ってくだらないな。』
 
『この世界はもうどうしようもない。』
 
とあきらめてしまうのかは、分からない。
 
 
 
何を参考にして、判断を下すのだろうか?
 
 
 
ひょっとしたらこの時期は、
 
大人からの分離とともに、
 
やはり大人というものへの『信頼』がどこかにあるのだろうか?
 
だから、『大人ができない、ということは自分もできない。』と考えるのだろうか?
 
 
 
そういえば僕は、大人がいうことを信じない子供だった。
 
僕は、いつも自然を見つめていたから、
 
大人が『これはこうである。』といっていることが、
 
どうにも自然、つまり現実に起こっていることとは合致しない、ということに気づいていた。
 
 
 
だから、僕は、同世代がどんどん人生をあきらめていく中で、
 
人生をあきらめることができなかったのかもしれない。
 
『だって、そういう風になってないでしょ!』
 
「大人」から何かをいわれても、いつもそう思っていた。
 
だから、「大人」が言っていることが「正しくない」ということを証明するために学び、
 
そして、ついには、やっぱり「人々」が信じていることは全然間違いであった、ということを自分のなかで確信した。
 
 
 
でも、多くの人は、自分の「考え」を支えてくれる支柱がないから、
 
どこかで『大人がいっていることは正しいのかもしれない・・・』
 
と思い、ついにはあきらめてしまうのかもしれない。
 
僕が、自然という「揺るぎなきモノ」をみることになったのは本当にラッキーだったのかもしれない。
 
 
 
まあ、とはいえ、
 
やはり、思春期を抜け、いわゆる「大人」になったときには、
 
あらためて自分を見つめ直すことができる。
 
 
 
親から自立した、論理的な思考をもってすれば、
 
自分がいかになにもせずに人生や「夢」をあきらめてしまったのか分かるだろう。
 
 
 
さあ、ここでもう一度自分に問いかけてみて欲しい。
 
あなたは、なにかをあきらめてしまった前に、
 
一体何を実際にやっただろう?
 
どれくらいそれについて知り、どれくらいの期間をかけて、どれくらいのことをやったのだろうか?
 
 
 
それはひょっとしたら、できるものではないのだろうか?
 
自分はただ何もせずに、ビビってしまって、または面倒で、それをやめてしまっただけではないだろうか?
 
 
 
もしそうならば、ただちに「私には○○○なんてできない。」「私に○○な才能はない」という言い訳を捨て、
 
「私は、○○をしたくなかったので、することをやめました。」
 
と言い換えるようにしよう。
 
 
 
自分に正直になって、事実を受け入れるようにすれば、人生は好転する。
 
ぜひやってみて欲しい。
 
 
 
 
 


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