この世界にあるすべてのものは感謝するために存在する

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

2014年05月

ちまたで、『ツインの愛』って書くと、現実を見なよ!って思われてしまう昨今です。


でもね


『ツインの愛』を知ってしまうと、もう 知らなかった頃には戻れないのです。



なぜなら、

この『愛』は

無限であり、無条件であり、見返りもなく 永遠の愛だから。。。



そして それは

自分自身からわき上がるものなんです。




自分を愛する、自分を大切にすることを求められている昨今です。



ツインの愛は、魂が求めている愛であり、魂の記憶そのものなのです。



お母さんのお腹にいた時は、この『愛』に満たされていたのだと思うのです。



これが胎内記憶だと思います。



胎内記憶である愛を思い出したなら、もう、知らなかった頃には戻れないのです。



『ツインの愛』こそが、現実を歩むのに、必要なんだとわたしは思います。



あなたが居たから、生きてこられた。

あなたが居たから、頑張れた。

あなたはわたしの財産なのです。。。

頑張ってるのに!!!



って よく、聞きます。



そして、頑張ってるのに、変わらない!!!

とも よく、聞きますね。



現実を生きることを頑張っていたら、必ず 変わります!



現実逃避という選択をしていたら どれだけ頑張っても報われません。


そういうものです。




現実が変わらないなら、それは現実逃避だと言うことですね。


シンプルです。

物の時代から心の時代へ

というのは

欲を離れ、心のやすらぎに人生の真の価値を見出すことなのです。


心とは、お金によって代替されないものであり、求めようと思えば誰でも求められるものであり、求めても失うことのないものです。
奪いあうことも、ひけらかすこともありませんから、所有も比較も競争も生むことはありません。


その『心』のやすらぎが根底にある生き方をすることによって
奪い取られることもなく、得られたものだけで質素に生きていく、足るを知る生活の中に 喜びを見出していけるのです。

自分の心の中に

こだわり、トラウマ、闇

があるうちは

相手を思いやるよりも自分を思いやることを重要視してもいいけれど

心の中のこだわり、トラウマ、闇

がなくなったときには

相手優先で大切にするべきなんです。
それが、上にいる者の務めなのです。

なぜならば
もう心に障りがないからです。

相手に対して、自分の心に障り、引っ掛かりがない状態だから

相手と自分を区別することなく接することができるのです。

そのような状態になったときには

自分を優先するという行動はやめて

相手と自分の両方を思いやる行動をしていくのです。

それが 愛の実践になるのです。

わたしは『他者への奉仕は余録でいいのです』と書くのは、
自他の区別がまだあるうちは。。。という条件があるのです。

だから
自他の区別がなくなったときには

自分だけを大切にするという行為はやめて
自他共に大切にしていく、行為をしていく。。。

他者への奉仕のパーセンテージが高くなれば高くなるほど、周波数は上がります。

ライトワーカーは 地球の次元上昇とともに 周波数を上げていくのです。

自分がライトワーカーだと思うなら、実践してくださいね〜♪

周波数が上がっていても、我が道を行く という方もいらっしゃいますので たぶん そのような方は、地球に見学にしにきているだけなのかもしれません〜



追記


自他の区別があるから、奉仕をしている感があるんですね。

自他の区別がないから、ただ 楽しんでるだけ、ただ 光ってるだけで なぜか、目の前の人も笑顔になってる。。。


愛の実践って仲良くするってことだね

人助けをしたいって気持ちは誰にでもあると思うの。

困ってる人を助けたい気持ちは誰にでもあると思うの。

でも 相手が負担に感じるほどすることでもないんです。

重いのです。

過剰なのです。


それは、人助けじゃなくて、押し付けなんです。



やってあげた感があると、満足かわからないけど
相手は満足していないのかもしれない。


物事はほどほどが大切です。



相手が気を使わなきゃいけないくらいの過剰な人助けは、人助けではありません。


ただの押し付けです。



あなたのためにしてあげてるのよ
という言葉は
自分が満足したいがための言葉ではないですか?


「わたし」が今、なぜ、ここ で生きているのか。
その「根っ こ」を見極めるためにも、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解る と、大きな心のよりどころを得ることになるのです。


人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかしその姿を保つには相当の努力が必要です。

心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。
本来の人としての姿にもどることを願う。
これこそが神道の祈り です。

神道では、具体的な教えを言葉や文章として遺していませんが、 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきています。


「神のご意志のまま」に、「神の意に背かない」生活を常に心がけ ること。
「教えられたことを忠実に守る」のではなくて
「おのずから神の意志というものを推し量って生きる」信仰が「かんながら」なので す。


「かんながら」の信仰を持ち、信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。

どうして 人は、外に外にと意識を向けたがるのだろう。。。

内面を整えさえすれば、自ずと外が変わることがわからないのかなあ〜

愚かなことだ。。。

外を変えたければ、己れを変えることが、先です。



一旦、堕ちるとこまで堕ちないとわからないのですね。。。





仏教とは、仏陀のおしえという意味です。

従って 仏教は 仏陀が説かれたおしえに学び、そのおしえを自らの人生の支えとして生きる宗教です。

仏教では
悟りを得ることによって『仏陀』つまり 仏さまになるのです。

悟りとは
目先の欲による一時的な快楽に幸せの価値を求めることから脱却して、欲を離れ、永遠に失うことのない『心のやすらぎ』こそ 本当の幸せであると 180度の価値観の転換を計ることなのです。


お釈迦さまの教えは
人間の本当の幸せとは何か、どのようにすれば真実の幸せに至ることができるか、人間はどのように生きるべきか をと言うものです。

この教えを書き記したものが『お経』なのです。


でも 実際に、悟り。。。目先の欲による一時的な快楽に幸せの価値を求めることから脱却して、欲を離れ、永遠に失うことのない『心のやすらぎ』を得るまでは

仏教とは何なのかは、わからないと思います。


この仏の教えこそ
地球で生きていくことの大切さや宇宙的真理が含まれているものだからです。


宇宙ばかりに目を向けて、ご先祖さまがいらっしゃる仏壇や仏さまに手を合わせることもしない人々に この仏教の素晴らしさを教えてあげたいなあ と思うのです。



般若心経の教えの素晴らしさを伝えていきたいと思うのです。


実践こそすべてです。

子供が病気になるのは、親に現実に目を向かせるためです。


親の心の闇が、子供に顕れるのです。


そう考えると
子供は たくさんの気付きを親に与えてくれる存在です。


子供は 自分の身をかけて、親を成長させてくれるのです。



感謝しかありません。。。


どこまでも、どこまでも 子供は 親が大好きなんですね。。。

優しい言葉をかけてほしい。



わたしは
どこででも 自然に お声をかけてお話しします♪

スーパーの警備員さんに あいさつするのは、当たり前のことだし

お散歩していたら時のあいさつもします。

困っている人がいたら すぐに止まって声かけします。



今日 お買い物の時に 一人の男性が 店員さんに商品がどこにあるかを尋ねていましたが 新人さんのため わからずに右往左往していました。

わたし的には勝手知ったるお店屋さんなので 探して ここにあるよ♪と教えてあげます。


また、ある人は 猫ちゃんの缶詰の前でどれを買ったらいいかわからない様子でしたので 声かけして 教えてあげました。


またまた、あるおばあさんは 自動販売機の前で お金を入れすぎたため ジュースが溜まりすぎて 出せないでいました。

だから ひとつひとつ取ってあげたのです。


おばあさんはすごく喜んでくれましたし

レジでたち話していたら さっきのおじさんが わざわざ お礼を言いに戻ってみえました。


ごていねいにありがとうございます。



だから わたしの買い物は長いのです♪



ひとりと話し出すと長い^^




みんなみんな 寂しいのかなあ〜




わたしと話しをして、少しでも 寂しさが紛れるといいなあ〜


頼りないけど、少しは体力回復したから 抱っこはできるよ^^

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