この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2015年01月

人を思いやれる気持ちが持てるのは
自分が幸せを感じているから。



自分が不幸だと感じていたら、人を思いやることはできないんだ。



だから

今、自分が幸せでいられることに感謝しなきゃね。



本当に 寂しい時は 思いやりを示すことはできなくなるんだ


本当に 辛い時は 自分のことしか考えられないものなんだよ。。。

わたしは まったく持って 計画性のない人間だったんだ。


まさに その時ばったりを楽しむタイプ。


そして わたしは、それを押さえ付けられて生きてきたんだ。


だから
自由になりたい!自由になりたい!と生きてきた。


本当は やりたいことをやっていたにも関わらず、押さえ付けられていたから より自由を求めていたんだ。


その結果

自分を強制終了させられることになる。


今までの行いを改め、修業の道を歩むことになるんだ。




今でも わたしは その時ばったりで生きている人を見ると、うらやましく感じる。


いいなあ〜 と思うんだ。

でもね

その反面 戻りたいとは思わないんだ。



ただ、いいなあ〜って思うぐらいで

心底から思っていない。。。


心底から思っている時は、やはり できないことへの苛立ちがあったんだよ。

でもね

今は、ないなあ〜。



やり尽くした感があるから。。。



やっぱり

やりたいって思うことは、やっておくのもいいのかもしれない。


実際には
その欲求は、解放すべきものだけど

最初から 解放していたんでは、つまらないから。



だから

解放したり、進めたりしていけばいいんだと思うよ。


やり方を間違えると、

実際にやりたい方向と真逆にいくけどね。


その見極めが大切だね。



娘から『20歳の私から』とお手紙をもらったんだ。



その中にね


『わたしがめいっぱいやってきたように、お母さんも残りの人生やりたいように生きてください。それはわたしの幸せであります。』


と 書かれていました。



わたしは 本当に、娘には 娘のやりたいことをさせていました。


小さなうちから おしゃれは一生懸命、お勉強も一生懸命、遊びも一生懸命 習い事も一生懸命にさせていました。

だから 自分の保護下に置いていた時はそれでもいいけど 高校生になり、送り迎えがなくなり、友達と過ごす時間が多くなり始めてから、やり過ぎる傾向が強くなりました。


自分の欲求に際限がなくなり 友達ではストップをかけてくれなくて 自分の判断で行動することになりました。

わたしに聞いて判断することがなくなってきたんです。

いつも 一緒にいられるときは 会話の中で それがわかりますが

一緒にいる時間が少なくなると 会話そのものがなくなり 報告的なものに変わります。

お願いだけされるという関係にもなります。

親子間は、それでは良くないと思います。


一緒にいる時間が長いと 報告もお願いも会話の中に含まれるので なんでもわかりあうことができますが 短いと、そういうわけにはいきませんね。


だからね〜

会話は重要です。


主人との会話は十分すぎるくらいあるのに、娘との会話は少ないです。


だから 娘ともメールアドバイス?をするようになったんです。


娘は わたしを気遣って、残りの人生をやりたいように生きてください と書いてありましたが


わたしは やり尽くしました。



やり尽くした結果

次は

学んだことを、お伝えしていきたいなあ と思っているんです。




昨日は

感謝して生きることを書かせていただきましたが

やはり


人に対して

ありがたいなあ という気持ちは大切ですね。



娘に対しても

わたしの娘に生まれてきてくれてありがとう と感謝の気持ちでいっぱいです。



娘からの手紙に


『〜お母さんが育て上げたかった子とは全く違うように育ったと思います。 それだとしても わたしはお母さんを選んで生まれてきたので 許してください。お母さんはわたしの誇りだと思います。怒られた時、なんでこんなに怒られなきゃいけないんだと心の中で思う時があります。でも お母さんが怒った後に座って 二人で話し終わると お母さんがこの人でよかったと素直に感じます。その瞬間が 一番 わたしが素直な時です。』



わたしも 素直に、この娘でよかったと 心からそう思います。


そして

学ばせていただきありがとうございます と思えるのです。


そして また、 まだまだ この娘を育てていかなくては!とも思えるのです。



子育ては 永遠です。


ここまで がないです。


手がかからなくなったから、子育てが終了ではなく
手がかからなくなってから 本当の子育てが始まるのです。



それまでは 自分育てだったのでしょうね。



これから、二十歳からの子育ての始まりです。

人生を計画性を持って進めるならば 人との付き合いも、計画に基づいた付き合いになるだろう。



人生をその時ばったりで進めるならば 人との付き合いもその時、楽しむだけの付き合いになるだろう。


この世界は、
それに 良いも悪いもない世界なんだ。



自分さえ 納得していれば いいのだと思う。



計画性のない人というのは、その時ばったりのスリルを楽しみたいのかもしれない。


その時ばったりで生きて、その時ばったりで人と付き合い、基本 一人を好むんだ。


自分が一番、好きだから。


我、関せずで進むんだ。

そんな人生もいいものだと思う。。。


そして それをやり尽くした時に

人生を計画性を持って進めれるのかもしれない。


やり尽くした時に。。。

外を見れば、自分の内側が見える。


楽しい楽しいは、一見、よいことのように思えるが、

楽しいことしか見ていない、見えていない

ということなんだなあ と思う。


だから

楽しいの後には、辛いことがやってくる。



本当に 心がフラットになった時は

楽しいも辛いもないものなんだ。。。


暇だ〜って思うの。



そして

また、楽しい、辛い現実を味わいに行くのさ〜♪


それが

人生を愉しむ方法です。

悟りって ただ、物の見方が変わるだけです。

良いも悪いもない。

中立に見れるだけです。



と、書いてある記事を読みました。



わたし、これには???です。


確かに

良いも悪いもない世界ですが それだけじゃないです。


だって

感謝に溢れていますし、毎日、毎瞬 エクスタシーを感じる世界ですから。。。


物の見方が変わるというのは、通過点なのです。



その通過点を悟りをと勘違いされている方がいるのかもしれませんね。



そこを経て、恋愛じゃない愛



体感するのです。



この身をご法様に使わせてくださいと差し出すことが出来るのです。



でも これって

みな、どの辺りまで、覚醒してくるか決めて 転生をしてくるのです。


だから

まちまちなのです。



覚醒したからって

自我がまったくなくなってしまうわけではないですし


覚醒でも段階があって、悟りになるのです。



だから

物の見方が変わるだけでは、悟ったとは、言えないです。

また しつこく 書きます。


人は 人のためになりたいと生まれてきます。

そのためには、感謝をして生きるといいのです、と 書いています。



感謝をして生きるとどうしていいのかといいますと



器が出来てくるのです。

何物にもぶれなくなります。


どっしり、肝が据わってきます。


どんなことでも、受け入れることができるようになるのです。




どんなこと、

本当に、どんなことにもなのです。



でもね、わたしは どんなことも受け入れるようになったら 神様みたいになっちゃうと思うのです。

神様って叱らないじゃないですか。


人は、やはり叱られながら成長するんじゃないかな?って思うんです。


叱られながら、というよりも 関わりながら と 言ったほうがいいかもしれません。


だから

わたしは どんなことも受け入れるようには、ならないようにしています。


人と関わりながら、人を伸ばしていきたい と思うのです。




まあ、

自分で器が大きくなって、本当に 何事も受け入れるようになってしまうと 何も書かなくなると思います。


わたし、書きたいんです。

だから、すべては 受け入れません。


すべて、受け入れたら 人じゃなくなる。。。




その手前で、ストップしています^^





話しはそれました。




とまあ、感謝をして生きていくと

どっしり肝が据わって、それなりに いろんなことを受け入れることができるようになってきて

人のためにお役に立てるようになれるのです。


それまでは、半人前ですよ♪



こうなると やっと、自分のやりたいこと、使命が発揮できるのですよ〜 (*^O^*)



だから

感謝をして生きるって素晴らしいことなんですよ〜♪




また、人の役に立ちたいと 生まれてくると書きましたが


『人の役に立ちたいと生まれてきた!』と自覚することで 感謝をして生きることができるのかもしれません。



漠然と、何か、人のためになりたいと感じていても それが何なのかわからない人も少なくないと思います。


そういう方は

自分の使命を探すことよりも

まずは、己の身を正し、規則正しい生活をしていくことで 感謝することを覚えて、自分の使命を思い出していくのだと思います。

わたしは


ある一人の人との出逢いから

このように、毎日、感謝をして生きることができるようになりました。


その出逢いは、わたしにとって 辛いものではありましたが それによって、成長できました。

わたしを変えてくれた方に、 感謝以外なにものもありません。



感謝することを教えてくれました。


人を愛することの喜びを教えてくれました。


人を信じることの大切さを教えてくれました。


調和することの大切さも教えてくれました。



やはり、彼は わたしにとって 特別だと思うのです。


彼が わたしの道標なのです。



と ここで 彼が誰だかを発表したいのは、山々ですが やめておきます。


迷惑がかかるので。。。。

感謝をして生きる


というのは



自分は到らない人間だと反省できることが必要なのです。



意識が 反省できるレベルに到らないと 反省できないのです。



だから

意識レベルを上げることを叫ばれるのですね。



覚醒するために、意識レベルを上げるのではなく

反省できる人間になるために意識レベルを上げるのです。



意識レベルはキネシオロジーで図ることができます。


意識レベルが 600、700と超えていても、反省ができない人が多いです。



単なる甘えです。


意識レベルが反省できる意識レベルにあるならば このように、反省して 自分の行いを改めることができるはずです。


それができないのは、甘え、たるんでいる証拠です。



わたしは それに達して、実践しているからこそ 意識レベルの数値を公表しています。


しかし

実践できていないにも関わらず、 意識レベルが600超えていると 言われたところで 話しにならないです。


意識レベルは 自慢するためにあるものでなく

自分を戒めるためにあるものです。



一度 自分の心の在り方を考えてみてください。



わたしがお伝えしていますメールアドバイスでは、意識レベルを上げて、感謝をして生きるためのアドバイスをさせていただいております。



誰もが 尊敬、尊重される世の中に
していきたいと願っています。


心の底から、感謝ができる人がひとりでも 多く 育ってほしいと願っています。

このように

心底、
人に対してお役にたちたいと願うなら


謙虚な心になるものなのです。



謙虚な気持ちがないのに、
口先だけで

人の役にたちたいと言っていったって


それを信じることはできません。



潜在意識にあることは、現実に現れますよね?


そしたら 心にあることは、身体に現れるのです。


心に 感謝の気持ちがあるならば
身体が動くのです。


自分の家に住まわせていただけてありがとうと思ったら 身体が動いて、少しでもきれいに使わせていただこうとおそうじができるのです。


自分の身体に働いてくれてありがとうと思えるなら 体調管理をして、暴飲暴食を慎むことができるのです。


このように、
感謝の気持ちさえあれば、 おそうじすることも、身体を休めることも きれいにすることもできるのです。



身体は資本です。


身体が動かなくなったら、人のお役に立つことなどできません。



人のお役に立てるために 万全に整えておくことが 人として 生まれてきた務めなのではないでしょうか?


慰安婦問題だってそうです。


あの頃の日本女性は、意識が高かったはずです。

だから

自分の身を日本を守るために差し出したのです。
これは、特攻隊にも同じことが言えますね。


これは 女性よりも男性の方が気持ちはわかるはずです。


不安で怖い気持ちを包んでくれるのは 大きくて広い広い愛なのです。


自分のできることをさせていただく。

それで、満たされるならと自分の身体を差し出しているのです。


日本が良くなるために、自分の身体を差し出したのです。


誰を責めることはできない時代があり、今の日本があるのです。



そういう人たちの気持ちに感謝して、報いるためには 何をすべきか どう過ごすか考えるべきではないでしょうか?



ありのままの姿、自由を追い求めるのは 構いませんが


感謝をする心があってこそです。




自分の身の周りのそうじもできない、自分の体調管理もロクにできないのに、自由を求めるのはおかしいのですし、人のお役にもたてません。



人のお役にたちたいと 心から願うなら

自分の身を改めることは必須なのです。


これが、
感謝をして生きると言うことです。




女性の意識が低すぎる。

この地球に住まわせていただけるだけでもありがたいと思って生活したなら この世から病気はなくなります。


感謝することをおろそかにする者は、生きていけない


感謝することをおろそかにするから、病気になる。


それだけです。

わたしは


できない人がいることも知ってます。



だけど

できない、できないでは成長しません。



できなくても

やろうとする努力が必要なのです。



最初は 誰でも、無理してやるんです。


だけど 慣れてきたら、できるようになってくるのです。



たかが、おそうじ

されど、おそうじ

です。


自分の家のおそうじ、自分の心のおそうじ


できることから始めてください。



まずは、感謝が足りていないことを自覚することですね。


そうしたら 申し訳ありませんと 謙虚な気持ちがわいてきます。


謙虚な気持ちになったら、できるはずです。



やらなければいけない という投げやりな意識ではなく


させていただきます という謙虚な意識に


変わります。



そこからです。




人に対して お役にたちたいと願うなら


まずは、謙虚な気持ちになることが必要なのです。




それが


感謝をして生きるということに繋がります。

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