この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

2015年06月

昔のお医者さまは、のどがいたい、熱がある というと、風邪ですね と言ってお薬を出してくれて それを飲んで 休んでいれば 治っていました。


だけど 最近の患者さんは知恵?がついてきて 風邪ですね と言われても 信用しずに あちこち 医者を代わり 違う病を探します。



あれこれと 言う人が増えたので、患者さんは 素人判断をしたがります。



症状をネットで調べて、あーでもない、こーでもないと 要らない心配をします。



そうやって 病をつくっていきます。



素直じゃない人が増えたのです。


その道のプロでもないのに、知ったかぶりする人が増えたのです。



昨夜、娘がのどが痛いというので ずっと、ヒーリングをしていました。


足裏から流すのですが、何か感じる?と聞くと


手をそんだけ当てとれば、熱気で熱くなる。


そんなことをのたまう娘です。。。



寝る前には、のどは良くなったのですが、今朝はまだ痛いというので おにぎりを持たせました。


熱はないです。


駅まで送る途中、


情報♪と上から言われました。



そっかそっか


娘ののどが痛くなったのは、


今日は、喋りすぎるといけないよ との戒めのための喉痛だとわかりました。

口は災いのもと です。

今週の娘は 口は災いのもと で 人間関係が良くない方向にいきやすくなるというので 喉痛を起こした とのことでした。



娘、納得です。



喉が痛いからと 恐怖するのではなくて

喋りすぎるなってことね〜

と、わかったので 笑顔で学校に行きました。




みなさんも 情報に惑わされずに、過ごしてくださいね♪




恐れを呼ぶものは、選択しないで〜す♪



今、この地球に生きて どうやって日本に生きて、どうやって社会貢献をしていくかを知ることは大切なことだと思います。


自覚ができると、生きる目的ができます。


その時、偶然に病に侵されていたとしても
病との関係性がわかれば、恐れはなくなります。



人は病になるために生まれてくるのではなくて
社会に貢献するために生まれてくるのです。


すべては意味があることなんだ。

偶然はない、必然なんだと言われますが、 その言葉に踊らされていませんか?


必然だから、何を気付かせるために病になったのだろう? と考えるのは結構ですが 人それぞれ 意味が違うのです。



先日、視させていただいた方の病は 重しでした。

病がないと、どこまでも飛んでいってしまう習性の魂なので グラウディングとして病があるのでした。


彼女は それまで、いつ死ぬかの恐怖におののいた生活をしていたのですが 『いや、死なない』


それだけ、ご先祖様にも守られて、天使も周りに張り付いていて、死ぬわけがない。。。


病さんも恐れられたものです。。。



このように、病は重し、グラウディングさせるために つけられている方もみられます。


死なない です。


死なせない。


そこまで 立派な使命があり、ご先祖様にも守られて 死ぬわけがないのです。



だからね

病も生きるためのちょっとしたアイテム♪です。



病に怖がらなくてもいいです。



病があるから、向き合うべき感情があるのだ!
と、考えなくても結構です〜



いろんな理由で病になるものですね♪

どんな感情を向けられても

にっこり笑顔で返したら、それ以上は 何も言えなくなるし、何もできなくなるよ。



居てくれてありがとう

居てくれてありがとう

居てくれてありがとう




この世界にあるものはすべて感謝をするために在ると教えてくれたのは、あなたです。

昨日のフルネーム鑑定でお話しをさせていただいたことなのですが。。。


親の気持ちって子供は理解できませんね。


それは 親とて人間で 自分の気持ちをきちんと言語化できないから 伝わらないです。



叱られて、殴られた!


これだけでは、わかりません。

殴られた記憶しか残りません。

だけど、殴るには それなりの理由があるのです。

そこを推し量ることが必要なのです。



わたしの記事が読みやすいのは、言葉にならない想いを言語化しているからです。




親のお小言には、愛情が含まれているものです。


だけど、言葉にしないから 伝わらないのです。



わたしは娘を叱る時は、理由をきちんと話します。

そして 娘に対しての愛している想いを伝えます。

そして、謝り方を教えます。



謝るって、言葉だけ 『ごめんなさい』と言えばいいものではないのです。

本当に、ごめんなさいという気持ちがあるのなら
頭が下がる、うなだれるはずです。

ふんぞり返って『ごめんなさい』とは言えません。


次に 本当に『ごめんなさい』と感じているなら

申し訳ないという謙虚な気持ちになり行動にあらわれるはずなのです。


叱られた相手(親)の行動を見て、何か手伝えることはないのかと、考えるはずです。


叱られた相手(親)の立場になって考えると、わかることなのです。

叱られたあと、部屋に隠るなんて 反省していない証拠です。


叱られた相手(親)の立場になって考えてみると


それ以上、怒らせないようにしよう!


と思えてくるのです。



だから、自ずと 身体が動くものなのです。



いつもなら
やってもらうことでも、率先して お手伝いをして なんとか楽をさせようと思うものなのです。


それが 相手の立場になって考えるということなのです。


機嫌を取る。。。と思われたくない
というのは、反省していない証拠で

申し訳ないという気持ちになったら
機嫌を取るという邪な気持ちではなく
楽をさせてあげたいという愛情がわいてくるはずです。



怒りを鎮めさせたい。。。という気持ちになれば 身体は動くものなのです。



親は

子供にこうやって 人に対する謝り方を教えていくのです。


家庭内でできないことは社会に出てもできません。



誰にでも、失敗はあります。


だけど 家庭内で 親がいいよ♪いいよ♪と許していたら 社会に出た時に苦労します。


だから 親は あえて、叱って教えるのです。


親は自分の子供が仕出かしたことを許す度量は持っています。


親なのだから。


だけど、あえて 叱って教えるのです。


それが 親の務めです。



社会に出て、相手の立場になって考えられるようにするために、 親は 子供に教えていくのです。


自分勝手な人間でいさせては、子供がかわいそうです。


相手のことを常に気にかけることができる人に育てていくのが 親の務めです。



この世界は 自分と自分以外の人がいて 成り立っている世界です。


常に 人を気にかける人でありたいものです。



それが 奉仕の心です。


目の前にいる人をまたいで、ボランティアに出掛けるのが 奉仕ではありません。


それは、にわか奉仕です。


本当の奉仕というのは

目の前にいる人を大切にして 周りの人にも気を配れることをいうのです。



お祈りでもそうです。



お祈りします、お祈りしますと 告知しなくても、自分ひとりで世界平和を祈っていればいいのです。


わざわざ やらなければいけないことはありません。

いつも どこにいても するだけのことです。



それが 感謝して生きるということです。

人の立場になって考えることができない人がいます。


人の立場になって考えることがなぜできないかと言うと
おしゃべりしかできないからです。


伝える、報告ができないです。



おしゃべりは口さえ動いていればできますが

伝えることは、頭と口を使います。



おしゃべりは、相手が何をしていようがどこにいようが 自分だけがぴーちくぱーちく しゃべっていればいいですが

伝える は、相手の都合を聞いてからだったり、相手の立場になって考えることが必要です。

伝書鳩ではありません。


おしゃべりしかできない人は 人の立場になって考えることができません。

何故、できないかというと


頭の中が 自分のことでいっぱいだからです。


ゴミも入っているかもしれません。



頭の中とカバンの中は同じです。


カバンや財布が整理されている人は
頭の中も整理されています。



おしゃべりしかできない人は 頭の中もカバンの中もぐちゃぐちゃです。


そうじも苦手でしょう。




結局、整理整頓ができない人は おしゃべりしかできないのです。


伝える、報告はできないです。


人の立場になって考えることができないです。




そう考えると、
整理整頓、そうじをすることを毎日 一生懸命にすると

相手の立場になって考える人になるのです。



そうじをして
相手の立場になって考える人になりましょう!

わたしにも 『ない』ことはあります。



でも、『ない』に対して、不満を感じません。


そこに、意識を集中していないから?


そうではありません。


いつも意識は集中しているし、『ない』ことを見て、認識しています。


だけど、生死に関わることではないからです。


生死に関わることならいざ知らず、どっちでもいいんです。


『ない』と認識しても 楽しめちゃいます。


いと、楽し♪

だからね

お肉は食べない、魚も食べない という人の気がわからない。


わたしは 何でも、おいしくいただきます。


頂き物が多いです。


カップラーメンも食べるし、お肉もがっつりいただきます。



与えられてありがたいと感じます。



今日は お休みですが

ひとりの休日を与えられてありがたいと感じ、ダラダラ お化粧もしないでいられることにもありがたいと感じています。



猫がにゃい〜♪にゃい〜♪と巻き付きますが

にゃいにゃい 言ってると、お母さん←わたし から離れる生活になるよ と諭します。



猫も娘も同じです。



朝、起きたら

ま〜いちゃん♪と抱きつくと ケリを入れられますが それでも 幸せです♪

娘の姿を観ていられる目ん玉があることに感謝できるし、ケリを入れられた腕の痛みを感じることにも 感謝できます。



この肉体があることで 感謝倍増です♪



さっき ガラゲーで宇宙語動画を作成していました。



わたしの愛すべきガラゲーちゃんにも感謝で〜す♪




アホなこと、やってます〜

子供を3人抱えていて、年収100万円にも満たない生活をしていると
一般的に 幸せになりたい!と思うらしいです。


お金がないのに、子供がいる。


という価値観に縛られているからです。


でも、お金はないけど、子供がいる。


という価値観に変わると、


子供がいるだけで楽しくて笑顔になります。


笑顔を振りまくと、周りが陽気になります。


すると その笑顔に癒された人が 食料を与えてくれます。


すると ありがたいと感謝をします。


ここで、お金がないから恵んでもらっているんだ。。。という卑屈な気持ちにはなりません。


ありがたい、ありがたいと感謝を振りまきますから、もっともっと 物質的に豊かになります。


こうやって、お金がなくても お金に代わる何かが与えられて より、幸せを感じるようになります。


だから


『ない』 と感じるのではなくて

『ある』と感じるだけで 幸せを感じ続けます。



これが お金のいらない世界になる仕組みです。



簡単に書きましたが、こういうことです。


誰もが

『ない』と思い込むのではなくて
『ある』と気づくだけで 幸せになれるのです。




都会の生活に疲れて、田舎暮らしをしたいと都会を離れて、田舎に引越し 自給自足の生活をする人も増えてきているようですが
自分が自ら、場所を移動しなくても
自分の意識を変えるだけで、幸せになれるのです。



今居る場所で 幸せになろうとするほうがリスクは少なくてすみますね。



今居る場所を変えたとしても
意識を変えなければ、同じだと思います。




今居る現状に、満足できなければ 何をやってもどこに行っても同じです。



今居る現状に満足する

今の環境に感謝をする



それだけです。



今抱えている不満は何ですか?


何かがない、何かが足りない 不満ではないですか?



『ある』ことに満足する生活をするだけで、幸せに暮らせるのです。



この身があってありがたい。


誰とでもお話ができるし、抱きしめあえるし、キスもできる。

愛する人に駆け寄ることもできる。




この身体が愛しくて愛しくてたまらないです。




生かされていてありがたいと思います。




いつもありがとうございます。

これからのツインフレームは



これ以上、離れていたくない!


そんな想いで、現実を創造するのではないでしょうか?



ツインフレームならば
この世で添い遂げたい!

その想いで生き続けていくのではないでしょうか?



現実的に離される、 そんなツインも出てくると思います。



今は、現実的にらぶらぶしていたとしても

ツインフレームならば、未来を創造するという責務を負って生まれてきています。



どうしたら
一緒になれるのだろうか?
何をしたらいいのか?


は、自分の中心に意識を集中して 聞いてみてください。



わたしたちは未来を創造するために生まれてきているのであって

ただ、一緒になるために生まれてきているのではないのです。



目の前のことに意識を集中してください。



それが あなたの生きる目的です。

もうひとつ書かせていただきます。



最近の子供は 意識が高い子供が多いです。


子供が元気がいいのは、よいのです。


親として、喜ばしいですね。


でも、生意気な子供に育てることは その子にとってよくありません。


出る杭は打たれるのです。


親がしつけて直さないと、外で打ちのめされるのです。


生意気な物言いをして、泣くのは子供です。


それで、親として平気ですか?


自分の子供が目上の者に対して、生意気な物言いをして 喜んでいる親の気がしれないです。


子供の行いは、親の姿です。




子供は親の育てたようにしか育たないのです。



子供が大切ならば、きちんと育てましょうよ。

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