この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2015年09月

今まで 生きてきて思うのは、覚醒したとかしてないとか アレは、たいしたことじゃないなっ



また、ありのままの自分を見つめるってのもなんだかなあ〜



本当に生きていく上で大切なことは


思いやり


相手を想う心


相手を認めるだけではなくて、


相手を想う。。。


認めるだけ、違いを認識するだけなら、サルでもできる♪



人間なら 相手を認めたら思いやるんだよ。。。


自分と相手との違いを認識したなら 相手の立場になって考える、行動する。。。



それが 思いやり、


感謝を表すということ。



ありがたいと本気で思っているなら
身体が自然に動くものなんだ。



自然に、頭が下がるし 手も足も身体も頭も動くものなんだ。




人は そうなるために生まれてくると思うんだよ。。。



この世界に生かされて、ありがとうございます。

これも 今朝、ダウンロードされたものですが
言葉が繋がっていないですが そのまま、出しますね。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


深い、深いところの癒しが進まないと 目覚めてはいけないんだ


だから 目覚めよう!と無理矢理 目覚めさせるものではないんだ


しっかり癒されないと 人は上がれないのです



本来なら 癒やしがされれば 人は起き上がれるものだけど
癒やしが足りないから、そのままそこに留まってしまう。

それは、仕方がないことなの

でも 自分がわかっていること、
まだまだ 自分は癒しが足りないんだ とわかっていることが大事なの


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪




結局、わたしがいつも言っている 自分が居る位置が大切だということですね♪


しかし、先記事もこの記事も エネルギーを感じてください。


なんとも、もわわん としたイルカが寄り添ってくれているようなゆったりとしたエネルギーです〜

コメントにも 書きましたが、自分探しがいけないと言ってるわけではないのです。


自分探しと親業のバランスが悪いのです。



子供をほかっておいて、自分探しに没頭するのは、どうかと思います。


その人にはその人の器というものがあります。


その器を持ちながら、親業をおサボりしている人が多いのです。


ひとりひとりが出来る能力って 差があります。


皆、それぞれ 基準が違うのです。


違っていいのです。



自分の能力の出来る範囲で一生懸命になるのです。



わたしの記事を読んで、責められている気分になったり、わかっているのに できない人がいることも わたしは知っています。


責めなくていいの。



自分を責めるために書いているわけではないのよ。



自分を知ってほしいから 書いてるだけです。



自分が今、どこにいるか、どの位置にいるか。。。

それさえ分かれば、人は上がれるのです。




立ち止まっているなら、歩き出せばいいだけなのです。


足踏みしているなら、一歩 前に足を出すだけなのです。

不思議だなあ と思うことがあるのです。


わたしは 人とそんなにいさかいを起こしたことがないのです。


でも、周りの人の話を聞くと
裏切られたとか騙されたとか わたしからしたらあり得ない話を耳にします。


事実は小説より奇なり〜

びっくりしちゃいます。

どうしてそうなるの?


聞いてみると、大概が 皆、相手に対して礼儀がないのです。


相手を尊重しない。

最初から疑ってかかる。
わたしからしたらどうしてかわからないです。。。



わたしに対しては 大概の人は親切で優しいです。

あの人は怖い人だ と言われている人でもわたしにはそんなことないですし、他の人にはキツい言い方をされる人でもわたしには優しいです。



それは、わたしは人を疑ってかからないし、裏切らないし、礼儀を尽くすから なのだと思います。


相手の言い分ばかりをのんで我慢をするわけでもないです。

言いたいことはハッキリ言いますしね。



わたしは誰に対しても同じに接します。


誰の意見もきちんと聞きます。

そして、わからないことはきちんと聞いて あとは信用します。


自分が間違ったことはすぐに正して、謝ります。


相手が間違ったことは正します。


でも、相手に対してそうそう失礼なことはしないです。


人を不愉快にさせるって自分にも嫌な気分になることだから。。。


たまに、わざとすることはあるけどね(それは、別物)




礼儀って社会のルールなんですよ。


朝、起きたら おはようとあいさつするのは当たり前だし、人から何かいただいたら ありがとうは当たり前だし 人を傷付けたら、ごめんなさい というのも当たり前です。




礼儀って当たり前のことなんですよね。



それができない人がトラブルを起こすのかなあ と思います。



先日、娘が海外から帰ってくるので 空港の到着ロビーで待っていたら 学生が わたしの隣に座っているおばあさんに カメラを渡し、写真を撮ってくださいとお願いしていました。

ボタンを押すだけでいいから と言って カメラを渡して 撮ってもらったら、写真がぶれていたらしく

学生はおばあさんにお礼は言ったものの あり得ね〜 っていい放ったんです。

わたしは思わず、「失礼な人だなあ」と口にしました。

ありがとうございますなら、ありがとうございますだけでいいじゃないか!
笑って あり得ね〜 ってどういうしつけされたんだか(@_@)


これがわたしの娘なら、往復ビンタで済まないです。




嫌な世の中だわ



結局、自分に礼儀がないから、礼儀のない現実を引き寄せるのでしょうね。



人には丁寧に親切に接したいものです。


憧れが、憧れだけに終わらせないようにするためには、

何かを成し遂げるには、一足飛びに できるわけではなく、まずは できることから始めましょう。



努力をすれば必ず、叶います。


努力ができないのは意思が弱い証拠。
また、本当にやりたいことでは、ないのかもしれません。



人は 本当にやりたいことなら、努力はできるものなのですから。。。

ピンチはチャンスというけれど

ピンチはその方向が間違いだと知らせるために、ピンチになるのです。



そして、そこで 修正するから、チャンスに変わるのです。



だから
ピンチやトラブルは当たり前のことではなくて、

ピンチやトラブルが起こらないことが当たり前なのです。




ピンチ、トラブルに見舞われないためには、日頃から きちんとした生活を心がけることです。



あと 覚醒をしたとしても、このように 相手を思いやることができるわけではないようです。。。




見える世界でも このように、いろいろな次元に意識を起く(グラウディング)ことで、
見えない世界にでも意識を置くことができるようになります。



物事は何事も順序が必要です。



順序を飛ばして、見えない世界に意識を置くようになるから、現実が生きられない 慮ることが出来ない人間になるようです。


無理な覚醒は、現実を生きられない人間をつくります。



気をつけましょう。

目先のことばかりを追わずに、もっと 高い場所から観てみましょう。



すると 今まで、見えなかったものが観えてきます。


そうしたら、意識をそちらに向けましょう。


どんな感情がわいてきますか?


いろいろな場所に意識を置くことができると思います。


その中には、悲しいこと 楽しいこと、面白いこと さまざまなことがあるのだと思います。


笑ったり、泣いたり さまざまな感情を体験すると思います。



だけど、

ひとつの場所に意識を置いていると 泣いたり笑ったり忙しいですが


楽しい場所、悲しい場所、同時に意識を置くと、感情が表に現れなくなります。


それが 慮ることです。


両方に意識を置くから、できるのです。



相手の立場を考えて行動するとは、こういうことなのです。


慮ること。


それが 配慮というものです。


また、多次元に生きるとはこういうことです。



宇宙的になることではないのです。



配慮する、多次元に生きるには 常に、高い視点を持つ必要があるのです。


人から何かをしていただいて感謝できることは 基本ですが 心にわだかまりがあったら、素直に感謝できない人もいらっしゃいます。。

また、 ありがたいと、実感できないことがあると 感謝の気持ちは湧いてこないと思います。


それも これも すべては 学びの段階であり、感謝の段階なのです。


わざわざ 『ありがとう』と言いなさい、思いなさいと注意されたところで できるものではないのです。



『ありがとう』の言葉は素晴らしい言葉だから唱えるとよいと言われても 本心が乱れていたら、心を込めて 唱える、伝えることはできないのです。

心を込めて唱えるからこその言葉なんです。



『ありがとうございます』の言葉の意味、深さは計り知れないものです。

軽々しく、使えないくらいの尊いお言葉です。


だから
『ありがとうございます』と伝える、唱えるときには
『うまく伝えれなくてごめんなさい』との謙虚な気持ちで お唱え、お伝えしてください。


それが 本当の『感謝』なのです。



『ありがとうございます』

の尊い言葉を心の底から唱えることによって、身体全身が温かさに満たされ、この大地への感謝の気持ちが湧いてきたならば
それが 本当の『感謝』と言うものです。



あなたがいるから、わたしはわたしでいられる。


いつも、ありがとうございます。


生かされて、ありがとうございます。

とかく、波動が高いと言われるものは良いものだと言われますが、波動の低いものは悪いと言っているわけではないのです。


一般的に、波動が高いと言われるものは 人の意識を高めますし、癒します。

しかし、波動の低いと言われるものでも そのような効果はあるのです。


だから、やみくもに波動の低いものは良くないとは言えません。



波動の高いものって 人によっては 手が届かない場所にあるので
なかなか、その波動を感じたいと思っても そこまで行き着けないものなのです。


だから、波動を上げていくには まず 自分に身近なものを頼ることから始めていくのがよいのです。

自分の波動を少しずつ上げていくことによって 高波動と呼ばれるものに 辿り着いていくのです。



わたしがひとりひとりに言うことが違うのはそのためです。



その人にとって良いことが 違う人にとっては悪影響を及ぼすことがあります。


その人それぞれ、合うものが違うのです。



高波動のものが良くて、それを感じることができるのは選ばれた人。。。みたいなことが書いている記事を読んだので、書いてみました。



一般的に、高波動と言われるものだけが人を癒す効果があるとは限らなくて 娯楽と言われるものでも 十分に 人を癒すことはできるのです。


このような奢った考え方が 一番、危険です。


愛を気取った悪魔、または愛が99%、闇が1%と言われる闇です。



わたしも 人によっては〇〇〇は良いけど、〇◎〇は良くない と言う言い方をしますが それは、今のその人にとっての最善なことを言っているのであって 誰にでも言っているわけではないのです。



わたしから 何か言われたら それは、自分にだけ当てはまると思ってくださいね。


言葉は難しいです。


だから 書いてると、長くなるのよね〜

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