この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2015年10月

自分の中にある神性に気付くと

生かされているだけでありがたい

という感謝の気持ちがわいてきて、生きやすくなるように感じます。



自分の中の神性の気持ちになって考えてみると
肉体をまとうということは、とてもワクワクすることなんだろうなあ と思うのです。



だって、それまでは 泣いている人を見ても 直接、抱きしめることができなかったけど
肉体をまとって 手や足や目や口などを持つことができると

目で相手をしっかり観て、口で『愛している』と伝えることができて
手でしっかりと抱きしめることができるのです。


考えただけで感動します。



自分の内側に居られる神性は、それがしたいんだなあ と思えるのです。



人に暴言吐いたり、けんかなんてしたくないんだ ということがわかります。


少しだけでも、想像してみてください。



自分の内側に居られる神性の立場になって考えてみてください。



そんな時間を持つことが この世に生きる人たちにとって必要だと思います。

以前 魂と器の関係という記事を書いたかと思うのですが

魂が本能で器が人間力ですね。



覚醒して、魂が発動されて 本能むき出しになったとしても 魂の器である人間力がないと 動物としてしか生きられないのです。


パオ〜ンって狼になります♪



わたしは これを経験しているので 覚醒するのはお勧めしないのです。



本能むき出しでギラギラしたり 動物的勘が強いあまり、人を攻撃します。


周りに導いてくれる人がいればいいですが
単独行動をすると危ない人になります。


いくら勘が強くても人には受け入れられないでしょう。


また、見世物にされる危険もあります。


だから、覚醒した人はトンデモ人間と言われ厄介なのです。



わたしが昔、昔 人魚だった時には 見世物にされました。


辛い過去です。


あの時は聖徳大使様の優しさにふれ、心を取り戻しました。



よかよか(^^)v

人間力って大切です。



人として 何故、生きなければいけないか

と言うと


それが 地球のためだからです。




わたしたちは 大なり小なり、地球に貢献するために生まれてきているのですが
地球に貢献するためには、人間力が必要なのです。



だから、人間力が必要なのです。


でもね

わたしの優先順位は、第1位が命。


まず、生きてなきゃって思うのです。


命があれば何でもできる。


次が人間力です。



自分の命を保たせるためには、仕事をして食べることが必要だと考えます。


だから
仕事をしやすくするために
生きるための食糧を得るために人間力が大切だと考えます。



でもね


ここに、片寄り過ぎてもいけないのです。



わたしたちには 本能という危機管理能力が備わっています。



いざという時には
危機管理能力が発動されなければいけない。



それがないと、生き残れない。



内観浄化して
自我と向き合っていくと、自分の感性が研ぎ澄まされていきます。



自分本来の力、危機管理能力が発揮されるます。



人間力が強くなると、そこが隠れてしまいます。


本当に必要なものが見えてこなくなる。



それでは、ただの人間だ。

それでは、生き残れない。

生き残るためには、人間力と本能がないといけない。


人間も動物なのです。

『良い』は『悪い』があるから 判断できる。。。


だけど

『良い』も『悪い』もないということは

『良い』という自分は存在しないことになるから


もともと



『良い』は、なかったことに気付くのです。



自分自身は『良い』ではなくて

『あるがまま』なのです。。。

そりゃあ 確かに、人間力は大切です。


人間力がないから、皆さん つまづくし、悩み苦しむのです。



だけどね

人間力って

誰でも身に付くわけではないのです。


努力が必要なのです。


ど根性が必要なのです。



そして

誰もが人間力がある人ばかりでなくてもいいとわたしは思うのです。



人にはいろいろ役割があるからです。



生きるために人間力が必要な人は求められます。

だけど、求められない人には、そばに人間力のある人がついているのです。



割れなべに綴じ蓋です。


みんながみんな、人間力があって カンペキじゃなくて いいと思うのです。




歌を唄って、人を癒す役目がある人は 人間力はありません。

だけど、必ずそばに誰かいるものです。


それでいいと思うのです。



だから、生きていて 人間力を求められる人は ど根性出して 努力してくださいね。


人間力を求められない人は 違う努力が必要です。



芸術家のそばには、必ずスポンサーがいるものです。


スポンサーがいない芸術家は伸びていけないですね。


また、夫婦の関係も同じで 縁の下の力持ちになるのは、妻の役目です。

だから、妻の方が人間力は求められます。


補いあっていければいいとわたしは思います。



妻であるから、頑張れる。
夫を世に出すのは、妻の役目だと思っています。

妻が前に出れば、うまくいくものもうまくいかなくなる。


妻は一歩も二歩も控えるものです。。


妻が表に出たいと自己主張し出したから この世の中がおかしくなったのです。


人間力のない妻が表に出るからおかしな世の中になりました。



人間力は忍耐力とも言いますね。



女は子供を育てる役目、夫を支える役目があります。



求められることは出来ることです。



人は 求められないことは出来ません。


やらない といった方がいいでしょう。



先記事の『指摘』とは、『求められること』はなのですね♪


だから
求められることは出来る予備軍なのですよ〜


いつの日か 将来的には、出来るようになるということです。


また、魂的には それを望んでいて それを目標に生きている ということでもあります。



自信を持ってくださいね♪

昨日、ちと お話しをしていたのですが



出来ないことは出来ること♪

なのです。


出来ない!ってね

出来ないことに意識が向いてるってことなんですね。

意識が向いてるってことは、その対象物に関心があるということなのです〜

関心が向いてるってことはね

出来ない→出来る

に他ならないのです。



例えばです。


わたし、キャベツの千切り苦手ですが

苦手って思うだけで

意識してできるようになりたい!って思わないです。

そこに関心がないですもん。



でもね

人から忘れっぽい!と言われたとする。

すると、落ち込むわけです。

忘れっぽい自分が嫌だ〜って思うわけです。

だから、なんとか忘れないようにしたい!と考える。

これが意識をするということです。

つまり、これは 忘れっぽいという自分に意識を持つ、または 関心があるので 出来ない→出来るに変わるってことなのです。
努力は必要です。

でもね、努力をすると、忘れないようにするための案が頭に浮かんできたり 心の奥から そこ!忘れてるよ!って聴こえるようになってくるのです。



だから


出来ないことは出来るようになるのです。


また、関心がないことはできるようにはならないのです。



わたし、絵が下手で 冊子はつくったものの、絵が書けずにお渡しできずにおります。

結局、絵を書くことなく お渡ししているわけですが ソコ、気になりません♪


わたしは絵は下手でいいもん。

困ってないし〜


ってことで わたしの絵下手は直りません。



おそまつさまでした。




要は、自分が出来ないと悩むことは 出来ること予備軍なんですよ♪

ってことです。



あと、ひとつ

人から指摘されても 我れ関せずの方は 自分が意識しないからできないままですね。


人から指摘されたことができなくても困らないもん!というのは、かなりな困ったちゃんです。


魂的には、直したいから目の前の相手の口を借りて指摘させるのに、一向に気付かないのはアホ以外なにものもありません。



ちゃんちゃん♪




癒しは一時的には必要になるものだけど、永遠ではない。


癒しは、元来
前に進むために必要になるだけのものなのです。



だから、うまく使うことが大切です♪



どっぷりハマると中毒になる〜

人に指摘されないと気付かないのは、そこに意識がない証拠。


グラウディングできていない証拠。


人に指摘されても、気にしないふりしているのも意識を置いていない証拠。

人に指摘されても、気にしないことがいいことだと思い込んでいる人もグラウディングできていない証拠。




地に足をつけて生きていれば 人に何か指摘されたら反省ができるはずです。



気にしないことがいいことだ

と言われる世の中ですが、


そこに意識があっても許せることが


気にしないことがいいことだ


という意味です。



意識がありながらも、です。


許す心が大切ですね。。。

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