この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2016年03月

『自分に合わない生き方、我慢して生きることは良くない』



確かに、ちょっと意識が高くなると そういう思考になります。


ちょっと、意識が高くなると
頑張らなくても、できるようになるからです。

頑張り過ぎていたなあ、気張り過ぎていたなあ とわかるようになります。

だから、意識を変えたり、上げればいいんだな ということがわかるようになります。



たぶん、世間は そのように感じている人を意識が高い人と位置付けるのでしょう。


でもね、考えてみてください。


それならば

頑張らなくてもいい。

という言葉は、わかる人同士で言い合っていればいいはすです。



まだまだ わからない人に向けて 発信することではないのです。



わからない人がそれを聞くと やめてしまいます。
楽になった〜と、頑張りをやめてしまいます。


そしたら 忍耐力は育たないではないですか?


だったら

あと、一回だけ 頑張ってみようよ♪

とか

今、あなたはここら辺の位置にいるよ

って教えてあげればいいだけの話ではないですか?



一律に、やみくもに 頑張らなくてもいい って 言わなくてもいいじゃないですか?



そこが 思いやりではないですか?



意識が高いと思い上がっているから、そこを思い計れないのではないですか?




わたしたちは 与えられた仕事をきちんとすることで忍耐力をつけるようになっているのです。



流されていく中、石にしがみつく力がなかったら そのまま流されていくのです。


魂は自由です。

確かに、自由です。



それは 忍耐力が備わっている人に対して言う言葉です。


しがみつけない人ばかりを出してもいいのですか?


この地球で生き抜くために生まれてきているのに、忍耐力を育てなくていいのですか?



この地球で生き抜く力を育てるために 目の前にやるべきことが起こり、相手がいるのです。



結局 忍耐力が育たなかったら 流されていくのです。



何のための意識でしょうか?

『自分に合わない生き方、我慢して生きることは良くない』



確かにそうだが、思い込みもあります。


本当は、メッチャしごかれたい魂だが 心が弱っちいため 「この生き方は、本来のわたしの生き方じゃない」と宣うタイプ。


これ、わたしです♪


根性なしとは、わたしのことです。


しかし 逃げようとすると 結局、逃げれない現実がやってくるのです。。。


だから、『自分に合わない』と思っていても 魂さんは喜んでる〜♪



そんな人は、結構 多く居るものです。





『自分に合わない生き方、我慢して生きることは良くない』



我慢は良くないんだ〜 なんて、スピリチュアルな記事にはよく書いてありますけど その見極めをすることが大切です。


何がなんでも、我慢は良くない で済ませるのは忍耐力、責任感のない証拠です♪



我慢できないのは、意識が低いから。


意識を上げたら、我慢しなくてもスイスイこなせる♪


意識の低い言動に惑わされないこと。


楽をしたがる時は、よく考えてみよう!



その場の思い付きで行動していないだろうか?


考えなく、行動してしまうことを恥ずかしいと思うことが まず、大切です。



わたしが 話の骨を折るのは、そんな理由からです。


最近、意識の高い人が増えている人が多いらしいが
意識が高いと言われている人に限って こんな発言をします。



おかしくないかい?


どんどん 地球自体は次元上昇してきて 地球自体はもう、5次元世界にあるのね。


でも 各々人間は、その人の次元で生きているのです。


だから 低い次元で生きている人ほど 地球との差が激しいので グラウディングができないのです。


5次元世界にグラウディングをしないと 目の前に現実が起こらないようになっているのです。


だから、気にならなくなるのです。


気にならなくなることが良いことではないのね。

目の前に起きていることがはっきりわかることがグラウディングができているということになるのです。


だから、今 問題点がわかる人が現実を生きているということになります。

この時点で 楽しいことしかない♪というのは 5次元現実から、かけ離れた次元にいて 目の前がボヤけているということになります。


ボヤけているということは、5次元世界にグラウディングしていないということなんです。



だから 今、目の前に現実が見えることが大切です。



やるべき仕事がきちんとできているか

遊び呆けていないか



今、とても重要な時です。


気を引き締めてください。


掃除が出来ないとか勉強が出来ないなどと言っているのは論外で
やるべきことは、意地でもやることです。



やらなければいけない!と、気張ることです。


アホみたいにゲームしない。

目の前の仕事がなければ、探してやりなさい。


重要なことは 目の前にあることをきちんとやることですが
目の前になかったら探してでもやること。



想像してください。



今、津波が来て流されたら どうしますか?


流されていたら、どこかにしがみつくでしょう。

しがみつくものを見つけなさい。



今は そんな情況の世の中です。



あなたは流されていきますか?


それとも 何かにしがみ続けますか?

誰にでもカルマの相手がいて、魂の相手もいます。



カルマの相手とのカルマが解消されない限り魂の相手とは出逢えないようになっているみたいです。


魂の相手に出逢うと、一気に内側の魂が癒されて 目覚めが促進されるようです。



カルマの相手は両親、身内、職場の人であることが多いようです。



ツイン。。。を探し求める方がいらっしゃいますが カルマの相手との問題を取り組めないと いつまでたっても出逢えないことになります。


目の前に差し出されていることをよく目を凝らしてみてください。



好きな人と結ばれないとか出逢いがないというのは、カルマのお相手とのカルマの解消がされないからです。


目の前に居る相手は、カルマのお相手ですから 取り組むことで出逢いがやってきます。



魂のお相手、というのは 宇宙からのギフトです。


そのギフトを受け取る受け取らないのも自分次第です。



現実が動かないと嘆いている方は、一度 身の回りをよく、見渡すことをしてみてくださいね。

a696db4a.jpg今、この位置に立たないとわからないことがある。



それは、過去の出来事を乗り越えたからわかること。



乗り越えてみないと、わからないの。



乗り越える前は、とてつもなく大きな壁に見えているの。


どうやって、越えたらいいかわからないし

膝が震えるし

恐怖も感じるの。




だから、勇気がいるのよ。


希望と勇気と信じる心。



信じる心さえあれば、わたしがあなたを引き上げる。



あなたがわたしの手を離さない限り、わたしがあなたを守り続ける。



わたしの愛をあなたに。

さっきの記事は、アップしましたが 削除致しました。



あれからも わたしのお口が止まらなくて 書き続けていたのです。



わたし、気づいてしまったのです。



幸せって 信じられる人がいるかいないかで 決まるってことに。



誰かと別れて寂しいのは、信じられる人が身近にいなくなるからなんだね。

頼りになる人がいなくなるからなんだね。。。


人は 誰かに頼って生きたいものなんだね。




いくら 自分に繋がりなさいと言われても
信じられる人がいなかったら、できないんだ。


信じられる人に言われるから、出来るようになるけれど
信じられない人に言われたところで、やらないし やりたくないよね。




信じられる、頼れる人がいないって 寂しいことなんだね。。。




ごめんなさい。


わたしは、その気持ちがわからない。



ごめんなさい。


気持ちがわからなくて、ごめんなさい。



ごめんなさい。


ごめんなさい。


偉そうなことを書いている私ですが


わたしはかなり、ドジでミスの多い人間です。



つい、さきほども 紙を入れたまま洗濯機を回してしまいました〜


日常茶飯事です^^


すると、娘から

『洗濯物のなかにまた紙が入っていました。』

とメールが届いたので

『片付けてくれたんだよね?』と返信しました。
すると 娘から

『時間なかったand濡れてて片付けられなかったよ』

と返信がきたので

こう返しました。

『だったら 先に言いなさい 。
子供の分際で親に意見するな。
こうなっていたけどやっておいたよ という話ならわかるけど

それなら時間がなくてできなくてごめんなさい と言うものです。』




子供の分際で親に意見するとは何事ですか?



親だって間違えるしミスはします。


いちいち目くじらたてる前に自分が手直しすればよいことなのです。


親としても同じことですが 躾に関しては、その限りではありません。



それが 子育てというものです。


一般的に、仕事では与えられたことや決められたことをきちんとすることは当たり前で それが、仕事をする上での効率化にもなります。


だから、仕事では それを求められることは当たり前で それが プロというものです。


だけど


社会全体的にみたら
年齢差や立場もあるのです。



そこを一律、同じように求めることは無理があるのです。


『仕事』という点では、それを職業にして、価値を決めて料金をいただくのですから 完璧を求めて当然ですが

年齢や経験、立場に応じて ゆるいのは それも当たり前なのです。



それを『仕事』として、お金をいただく立場なら、プロとしての仕事を求められても当然ですが

たかだか、家で洗濯でのミスを子供に責められるのはおかしいのです。

しかし、親が子供に躾をする場合には、外でミスをしないように躾をすることが望ましいのです。


家の中で 外に出た時のことを想定して、躾をしていくのです。



わたしも もし、仕事で洗濯機の中に紙を入れて回してしまったら、
大目玉をくらい、減給されるでしょう。。。



それが 仕事というものです。



仕事と家庭は違います。





今しがた スーパーに行きましたら 老夫婦が食材を入れる段ボール箱を探していました。


積み上げてある段ボール箱から、その量に応じた箱を探してます。


わたしのほうが若いので見つけるのは早いです。

こんな簡単なことで 人に喜ばれます。


たくさんたくさん、ありがとうと言われて こそばゆいです^^



これは、仕事ではないですが

仕事に限らず、一生懸命に尽くせることが 幸せになれる秘訣かなあ と思います。



要は、自分(身内)には厳しく 他人には甘い が良いのです。


身内だと思うから、厳しく教えます。

最近 どのブログを読んでいても 違和感を感じていました。



その違和感がなんなのかがわからなくて モヤモヤしていたのですが やっと、わかったので 書いています。



それは


『歩み寄り』がないのです。



自分から不特定多数の人に向けて記事は書かれていますが

歩み寄りがなくて
一緒にという想いが伝わってこないのです。




確かに なるほどと思えることは書いてありますが
それをしたらこうなる。。。とも書いてありますが、連帯感がないというか

言い放っているだけで

やってもやらなくても知ったことない、わかる人だけわかってもらえればいい

そんな感情が伝わってきて、違和感があるのです。


わかってもらえる人だけわかってもらえればいい

確かに、そうかもしれないけど
わからない人はどうすればいいんですか?


切り捨てですか?

そこ、見えていないですよね?




きれいな言葉で書いてありますが、きれい過ぎて伝わらない。


想いが伝わらない。


人となりが伝わらない。

わたしが逢ってみたいと思えるような人はいない。


スピリチュアルなブログを書いている人で逢いたいと思わせる人がいないのは残念です。



良いことばかり書き連ねていても
いろんな情報提供ばかり書いていても
人の悪口を書いていなくても
わたしの知らない話を書かれていても



その人柄に感動しなければ わたしは 自ら逢い行ったりしないのです。



わたしは いわば、カモです。



わたしがネギを背負って行きます。



そんな役目のわたしだから、わかることたくさんあります。



歩み寄ることって 人間関係を築く上での基礎となるのです。

311〜あの日を忘れない



忘れないって


忘れないことを継続するということ。



毎年、311に忘れないって思うのではなくて


毎瞬、毎瞬 忘れないということ。




だから、311だからお祈りする。。。のではないと思う。



心に刻む。


あの時の想いを心に刻んで、生きることが わたしたちに出来ること。



生きているわたしたちに出来ること。

自分を許す。。。のは、難しいようで、簡単。


簡単だから、バランスを崩しかねません。



何故、自分を許すかというと、他者を許すためなのです。




他者を許すために、まずは自分を許すのです。

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