この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2016年03月

人としての道理 でも書いたように、返さなければいけないのに返さない とか謝るべきなのに謝らない ということを おろそかにすることは 進化の妨げになるのです。


目の前には、必要なことが必ず降りてきます。


だけど そこを取り組まない、見ないふりする、気がつかないのは、もったいない話です。


進化する、豊かになるために その出来事は起こるのです。


一見、悪いことに感じるようなことでも それに取り組めば、豊かさを手に入れるのです。



でも 人は、自分は豊かじゃないとかお金がないとか言いたがる。


必要なことは必ず起きていて、豊かになるためにすべきことも必ず、目の前に起きているはずなのです。


だけど 人は逆をやりたがる。


何故ですか?


わたしたちは神の元に平等に豊かさの種を受け取ります。


そこを見ないふり、気づかないふりをするから受け取れないのです。


神はいつも、平等に豊かさの種を蒔いてくださいます。


ありがたく受け取ってこそです。


それを足蹴にしたりまたいだりするのは、正直わたしには理解できません。


こうやって 豊かさの種を蒔いてくださるからこそ、わたしは自分の魂を信頼できるのです。


やったらやったぶんだけ豊かになります。


だから、自分の魂を信頼できるのです。




一見、悪いことに感じるようなことでも
それは 自分の魂からの豊かさの種なのです。


だから、目の前に差し出されるのです。



ありがたく受け取ってこそです。




わたしたちは平等に豊かさの種を受け取る権利があるのです。





だから、わたしは未来をお伝えするのです。。。




愛されている感覚がないと、反省はできないと思います。



今まで 反省をすることを書いてきましたが、根底に愛されている感覚がないと反省はできないような気がします。


反省しても、それを受け入れてくれる器や相手がいないと 反省した気持ちが持続しないのだと思うのです。


だから 今まで、わたしが首をもたげていると、魂が頭の上を旋回したのでしょう。


反省しなさ〜い と旋回したのです。



わたしは魂を感じるから反省できるのかもしれません。



このように、反省することと魂は密接な繋がりがあるのだと思います。



親が子供に『反省しなさい!』と叱ったところで そこに子供が愛情を感じないと反省はできないのだと思います。



そう考えると、


親は、真の愛情を持って子供に接することで 子供がまっすぐに育つのだと思います。



真の愛情を持つためには、自分自身に繋がること、自分の親との愛を深めることですね。

今まで 内観浄化をしてきて
人よりは世の中のことがわかったけど
求められることは変わらない。



どんな未来になるとか

自分の使命がどうだとかがわかっても

求められることは変わらない。



自分の出来ることしか求められないし
求められることをすることが自分本来の生きる道なのだと思うのです。




何かをやりたい!という想いはあっても良いと思う。


だけど、求められることをこなしてこそだと思うし、
きちんとこなせるようになったら
やりたい!と自ら、発信しなくても求められることなのだと思うのです。



だから、求められるまで待っているのも悪くないと思えます。




先ほど、FBでスピリチュアル指導者に対しての批判記事がありました。


正確に言えば、批判の批判?


それを引き寄せているのは自分です。


わざわざ、口を挟まなくてもよいことまで口を挟んで矯正したいのは、人間の常のようです。



その世界に身を投じている限り、ジャッジすることからは逃れられないのだと思います。



だから、自分が発信する方は

まずは相手を観て、自分が居る位置を知ってから発信すると良いのだと思います。



まずは、自分。


相手を観たら自分がわかる。


関心を持つ内容で自分というものがわかります。



今、自分が何に関心を持っているかを 常にわかって行動することが大切だと思います。


それは、反省できるから。

自分を見つめ直すことができるから。



結局、目の前に居る相手は、自分を見つめ直すためにいてくれるのです。



ありがたいことです。

スピリチュアルなことに興味がある人の共通点は、

自分もヒーリングやチャネリングをしてみたい!

という想いではないでしょうか?



また、自分の前世や使命を知りたい!


という想いもあるでしょう。




大概が それって遊びです。


現実は現実を生きていて、スピリチュアルは遊びです。



その遊びに没頭する人が増えています。


ゲーム感覚でヒーリングやチャネリングを楽しみます。





ちまたでは、ヒーリングやチャネリングが流行っていますが、それって現実的に使えばそこそこ良いですが、癒しにどっぷり使うとえらいこっちゃになります。


カードも同じくです。


カードは低級霊にアクセスしますから当てます。


当てる代わりに危険なお遊びです。



スピリチュアルなことに関わらず、遊ぶことに重きを置いている人を、最近はよく見かけます。



バランスが取れていればよいのですが、そのバランスがなかなか取れないのです。


何故でしょうか?



現実がイヤだからです。

向き合いたくない現実から逃げたいのです。



現実が辛いものだからです。


だから、遊びに没頭してしまうのです。




そんなスピリチュアルな世界ですが 現実逃避から立ち直るためにもスピリチュアルをうまく活用する方法があります。



それは

『ミラクルを体験する』

です。




結局、何が不満かと言ったら 現実が不満なのです。

だったら、不満解消するために実際に、動けばよいのです。


だけど、動けない。


だから、現実逃避をするのです。


現実を動かすだけの行動力がないのです。



現実を動かすだけの行動力がない人は、何もせずに終わりですか。。。?



そんな人のために、ミラクルを体験するツールがあるのです。




わたしがそれを知ったのは8年前のことでした。


毎日がイヤでイヤで仕方がなくて
でも 現実逃避できる現状でもなく、
我慢して毎日を過ごしていました。


そのため いつも、しかめっ面してイライラして、自分のことより人の世話をしていました。


そんな時にネットで観念浄化ワークを見付けました。


すぐに契約しましたが、半年ぐらい 進めることはできませんでした。



ある日のこと。

それは、娘の誕生日でした。

本来なら、ケーキを買ってお祝いをするのですが、その時は、心がポッキリ折れてしまって 何も手につかない状態でした。



もう、イヤだ。。。

仕事をやめたい。。。



そんな状態の時に、どこからか声がしました。



『そうか。。。わかった!』


その声を聴いたのは後にも先にもその時だけです。


その夜は眠れなくて 眠れないついでに、観念浄化ワークをわからないながらもやりました。



そして

次の日、あることが起こり、


わたしはあっさりと仕事をやめることができました。。。




それが わたしの初めてのミラクルの体験でした。

ここのところわたしは、役割の違いを見せられています。


情報はたくさん降りてくるけれど、それはもう、わたし個人のことであってシェアできる内容ではないので 記事にはしないです。


役割の違いって大きいです。


そして 最近のわたしは、ブログにコメントを残しますが承認されないことが多いです。


なぜ?

これも考えてみると、わたしの一種の干渉になるので承認されないのでしょう。



今のわたしは、もう 関わらないという時期に来ているようです。



メールアドバイスは続けていますが ごく数人です。


だから、全然 関わらないかというとそうでもないですが



全体的に観ると。。。


どんどんエネルギー上昇は激しくなってきていますので
感情とわざわざ向き合わなくても、必要に応じて 事が起きて外れていくでしょうね。


だから、これからは感情と向き合うことよりもいかに、現実を有意義に過ごすかだと思います。


前回も書きましたが

意識を切り替えて、ひとつひとつを集中すること

これかなあ、と思います。


やりたいことが見付からない と言ってダラダラ過ごすのではなくて

やりたいことがなくても、場面場面に集中すればいいのです。



料理していることに集中する

運転に集中する

食べることに集中する



そうやって 生きることがこれからの世の中を造る基礎になるのです。



だから、ふらふらダラダラ過ごしている人が一番、遅れていくのだと思いますよ。



ぼけ〜っと過ごす時間はあってもいいですが
そのあと、意識して集中することですね。


切り替えが上手な人ほど進んでいきます。



リズミカルに動きましょう♪



わたしはグラウディングができてきて根っこがしっかり生えているせいか 昔ほど、軽さがなくなりました。


昔のわたしは軽かった♪

これからは あの時の軽さを取り戻していこうかなあ とも思っています♪




話しは戻りますが


自分の役割。


自分の役割に応じて、これから求められることが変わってきますので、前を向いて進んでいただきたいです。



この地球を動かしていくのは、わたしたちですから。


現実的に、わたしたちがこの地球を動かしていきます。


そのための役割です。

だからね


何が必要かと言ったら



意識を向けること


すなわち、グラウディングなのです。


ON、OFFを切り替えた生活をすること。


仕事と育児と瞑想 といった部門別にスイッチを切り分けること。


ダラダラ生活しないこと。

ひとつに集中して、リラックスして
また ひとつに集中して、リラックスする。



そんな生活を送ってください。



規則正しい生活は鉄則です。



それをするだけで 人間関係のストレスは減ります。



あと、気にならな〜いといっているトンデモ星人。。。


目の前の人や出来事は意識を向けるために存在するのです♪


意識を飛ばして、遊んでいないで 向上してください。

ヒーリングやリーディングは危険なお遊びです♪



人間は揉まれてナンボ!

揉まれて、度量がデカくなるのです。


越えられない山など、存在しない。



気にならな〜いと言うトンデモ星人も違う星に沙汰されるでしょう〜


スピリチュアルを知らずに、汗水たらして家族のために働いているお父さんや家族のためにと働いているお母さんがアセンションに乗るのです。




わたしたちが テレパシーを得て、情報を宇宙から降ろして
この地球を新生地球に変えて行くのです。



核を無くし、違う安全なエネルギーを得て、技術も高めて 地球を造り上げていくのです。




そのために。。。。


人間関係を克服する必要があるのです。




まあ、そこを越えている子供は生まれてきています。


だから、うまくうまく、育てるのです。




そのために『かみさまのやくそく』という映画が上映されているということですわ。




ってことで よかったら、拡散してくださいね♪

わたしが何でもわかると言っても

たいして必要のないことや有象無象のことはわからないです。


生きていくためには、そんなに情報って必要ないです。



だから、わからないだけです。


必要のないものは受け取らないし、要らない。



この世には 有象無象が多すぎます。



わたしは魂のことや真実はわかるけど、エネルギーや感情には疎いです。


わかるのは霊能者。


管轄が違います。





アセンションを加速させるのは霊能者ではありません。



こうやって シンプルな人間になっていくのです。



この地球に生まれて、人間関係の学びを終えることで 初めて、自分の本来の目的に取り掛ることができます。



人間関係の学びを終えると、人は、周りと愛と調和の関係を結ぶことができます。


それによって 人はテレパシーが発達して、
信頼関係、絆が強くなると 言葉を介しなくても 互いのことがわかりあえるようになります。


そうすると 互いの情報のやり取りがテレパシーでできるようになります。



また、わたしたちは今、ネットを通じて、情報を得ることができますが

ネットを介することなくダイレクトに情報を得ることができるようになります。


意識をむけると、

スイッチを入れると 、


情報は入ってくるわけです。


そのため、雑誌やネットを見なくてもいろんなことがわかり、
自分の前世や宇宙時代の前世のことも必要に応じてわかるのです。



みんな、み〜んな こんな人間になっていくのです。




怖れるものは何もない。
出来ないことは何一つない。



って 人間関係のことにおいてだけじゃないのです。




すべてすべてです。




そして テレパシーが発達していって わたしたちは宇宙からの情報を得て この地球をつくっていくのです。



子供世代というのは、この地球をつくる先駆けの人間となります。



だから うまく、育てなければいけないのです。



そのために、
自分自身の人間関係を最大限良くすることは、最低限必要なことです。



それができないのは、話しにならないから沙汰されます。


もう、違うタイムラインに乗っているでしょう〜



このわたしのブログを読んでいらっしゃる方は、わたしの後についてきてくださる方です。



この先、アセンションは加速します。



わたしが牽引します。



しつこいままのままをよろしく☆


人間という外側の奥には、全知全能という魂部分が控えているから


『怖れるものは何もない。
出来ないことは何一つない。』

と、思えるのですが


この想いって、完全ではないのです。



できないことは何一つない。。。という想いは、

『すべてを受け入れます』
という意味でもあるのです。



だけどね


すべてを受け入れることができるから、全知全能なわけではなくて

引き受けない強さもないと全知全能ではないのです。



『すべてを受け入れる』って女性性で

『引き受けない』のは男性性

なのです。



『すべてを受け入れる』想いと
『引き受けない』想いの奥にあるのは、

『すべてを受け入れるから引き受けない』という想いで

『全知全能』というのは、『すべてを受け入れるから引き受けない』という意味なのですね。



『すべてを受け入れるから引き受けない』


だから、


見守れるし、待てるのです。



見守る愛です。


見守る愛って全知全能という意味なのです。





見守る愛って


継続して、相手を信じて待つことができる。




これが 神様の愛なのですね。


人間の愛ではないのです。



だから、


この見守る愛を目指そうということは、もう 肉体を脱がないとできないことじゃないのかなあ〜なんて わたしは思っています。


いくら わたしの魂が神様だとしても
肉体を着ている限りは、神にはなり得ないから。



だから、


人間においては


この『見守る愛』はできないけど


ギリギリまで待つ。

そして、いざというときは引き上げる。受け入れる。



これが

人の愛だとわたしは思うのです。



人は肉体を持つから、最終的には 腕で抱きしめるし足で駆けつけるのだと思います。

このページのトップヘ