この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2016年08月

自分に正直に生きていけれればいいのに。。。


心にもないことを言って、自己嫌悪になったり
人を否定することを つい、言ってしまったりする。


良くないことだとわかっている。


わかっているけど。。。



素直な人が羨ましい。


感謝ができる人が羨ましい。




そんな風に思っていませんか?






100%、良い人なんていない。


まだまだ わたし、毒を吐きます♪


でも 反省もします。


そうやって 生きてます。


自己主張と反省を繰り返せば良いのです。



その時に感じた想いを隠したり、押し込めたりしないことだよ。



苛立って、子供に張り手しました、わたし^^


暴力は決して良くないことだし 感情をぶつけるなんて最低だと思うけど、
そのときは必死でした。

自分の枠にはめたくて必死でした。


人から良い子だと言われたいがために、叩いてしつけもしました。


だけどね 今、娘は叩かれなきゃわからなかったから感謝をしている と言われます。


真剣に悩んで

真剣に考えて

真剣にぶつかることは 悪いことじゃない。



想いが伝わらないからと、言わずにいるのは 進んでいかないし


言葉が下手だから、うまく言えなくても 真剣さは伝わるのです。


要は 真剣に考えること!

そのことに集中すること!


人は突き詰めて考えれば考えるほど 分析力や判断力がついてくるものです。


問題なんてない!となきものにしない。




人に対して どこまで真剣になれるか!


自分に対して どこまで真剣になれるか!




目の前に起きていることに真剣に考えて行動するのです。


そこで集中力が身に付きます。



それがグラウディング力であり人間力です。




今は、人を羨ましく思っていていいのです。


今は、人に憎まれ口を叩いてもいいのです。



真剣に生きていれば 乗り越えられる。


反省できる。

さきほどの記事で

本来なら、実子がお世話をすると書きました。



ここを 詳しく説明をしたいと思います。



親が病気になったり年老いてきたり介護が必要となる場合は
子供の成長を促すためです。



親の介護を通して、親との絆を確認して、親に感謝をして、親から卒業することを学ぶのです。



しかし、最近では 親の介護が必要となると、自分では手に負えないと 介護施設に入所させる人が少なくありません。



それが 当たり前のような風潮もあります。



本当にそうでしょうか?



家族で介護をしていく。。。と考えられないのでしょうか?



他の家族とのことも考えて、最大限出来ることをして、出来ないことは 施設を利用する ことは必要ですが 最初から丸投げされる方もいらっしゃいます。



その場合、

待ちます。

お年寄りは、待つのです。


自分の子供が 向き合ってくれるまで
弱い身体にムチ打って、待つのです。



待って、待って、待ちくたびれて

それでも 親は 子供の幸せを願います。

成長を願います。



親が子供の幸せを願う心は とても尊いものです。


親は 子供のために死ねるのです。


子供の魂の成長を確認できたら、自ら 命を切ることをします。




親の愛って、すごいです。




そんな親の愛から、目を背けて 幸せと言えるでしょうか?


親の愛は あなたを強くたくましくしてくれるものであって、切り刻んだり、打ちのめすものではありません。




親からの愛を 優しくないと感じるのは あなたの心が 素直じゃないからです。



ただ、素直になってください。


初めて、抱かれたあの日のように 無防備な笑顔を見せてください。



それだけで
あなたの親は、生きる意欲を持つことができるのです。


そうして
あなたの成長を促す役目を果たせるのです。



あなたが、親から 目を背ければ背けるほど 苦しみます。



それが あなたの幸せですか?




あなたは幸せですか?

人は 「世の中の人のためになりたい!」と 願って生まれてくるといいます。


今日、次のような質問をされました。



『認知症になったり 年老いて歩けなくなったりして 人の役に立てなくなっても長生きをしているご老人がいらっしゃいますが その場合にはどのように考えたらいいですか?』



認知症になったり介護を必要とされている方は、人のお役に立てないと考えることは間違いです。


そのような方は、自分を介護してもらうことで 相手にお徳を積ませたり、成長させようとしているのです。



本来ならば 実子がお世話をすることが当たり前の話です。

自分を育ててくれたご両親なのですから。


だけど、実子が介護ができない事情が生じたり、放棄をした場合には 他の人の手に委ねることになります。


その時には、その方に委ねることになり、その方の成長を促す役目を負うことになります。



人は 役に立ちたいと考えるとき 自分の得意なことで役に立ちたいと思いますが
ご老人は、その身体で お役に立ちたいと考えます。


動かない身体、働かない思考で役に立ちたいと考えます。


それは、とても素晴らしい行為です。


尊い魂です。


その尊い魂をお持ちのご老人の介護やお世話をさせていただけるということは とても有り難いものなのです。


お徳を積まさせていただけるということをおろそかにしてはいけません。


ただ、自分からは何もできなくても 人の成長を願い、 その身を委ねることでその人の成長を促し、お徳を積まさせる行為は 頭が下がります。




お年寄りの方でね

自分はなんの役にも立てない!人から介護されるなんて口惜しい!


と、嘆かれる方がいらっしゃいましたら どうぞ、教えてあげてください。




あなたの魂は、
わたしを成長に導いてくれる、お得を積まさせていただける尊くて、勇敢な魂だと 教えてあげて、感謝してください。


ありがとうございます と、どれだけ深々と頭を下げてもあまりあるくらいのお徳を積まさせていただけて ありがとうございます と抱きしめてください。





人の役に立ちたいと実践している方にでも同じことが言えます。


人の役に立っていると思い上がること自体がごう慢な気持ちだと気付いてください。


人の役に立っていると思っていても、実際には お徳を積まさせていただいているのです。


育てていただいているのです。




世界中の方々に この世のからくりを知っていただきたいです。



誰もが 尊い魂を持っています。


誰一人、いらない魂はないのです。



人がひとり生きるということは、感謝すべきことなのですね。



生きていてくださり、ありがとうございます。


わたしたちにお徳を積ませていただき、ありがとうございます。


生かしていただき、ありがとうございます。



合掌

仏教とは、仏陀の教えという意味です。

従って 仏教は仏陀が説かれた教えに学び、その教えを自らの人生の支えとして生きる宗教です。

仏教では 悟りを得ることによって『仏陀』 つまり、仏様になるのです。

悟りとは 目先の欲による一時的な快楽に幸せの価値を求めることから脱却して 欲を離れ 永遠に失うことのない『心の安らぎ』こそ 本当の幸せであると 180度の価値観の転換を計ることなのです。

お釈迦様の教えは
人間の本当の幸せとな何か?
どのようにすれば真実の幸せに至ることが出来るか?
人間はどのように生きるべきか?
をと言うものです。

この教えを書き記したものが『お経』なのです。

反省のない人は素直さと謙虚さに欠けた人です。

しかも、本人はみずからの過ちに気付きませんから何度も同じ過ちに気付きませんから何度も同じ過ちを繰り返すのです。

このような人は 常に自分中心にものごとを見、考える人ですから智恵がわかないのです。

懸命な人は 謙虚に受け止め、反省をします。
そして つぎに行うときには 前の失敗を繰り返さないように 努力をしますから 何事も順調にいくのです。

失敗に気づき、反省をすることが智恵であり 悪因を消滅させ、業力がはびこることを防ぐことになります。

二度と同じ過ちを繰り返さないように努力していくことが大切であり それが 悟りに繋がります。

その根底になるものが瞑想です。

静かに瞑想をし、自己を見つめて内省するのです。
自己を静かに反省して 悪因の根を断ちます。

そして どのように行うことが善因の種を蒔くことになるか考え 善行を積んでいくのです。

☆八正道

『正見』とらわれの心を廃し、ものごとをありのままに正しく見ることです。

『正思』ものごとを正しく考えて判断することです。

『正語』嘘を言わないで、ものごとを正しく話すことです。

『正業』正しい行いをしなさいということです。

『正命』規則正しい生活をしなさいということです。

『正念』正しい目標を持ちなさいということです。

『正定』心を正しく安定させ、常に心を安らかにしなさいということです。

以上の八つの正しい教えこそが、釈尊の説かれた実践哲学であり、悟りを得るための具体的な方法です。

まず、『正見』がすべての基本になります。

偏見をまじえず、ものごとに執着せず、自我にとらわれない正しいものの見方が基本です。

あと、正しいものの見方、考え方の『正しい』とは?

自分と他人の区別がない、平等な観点に立つ ということです。 つまり、慈悲心に立脚したものと言えます。

☆六波羅密

六波羅密とは? 八正道を具体的な日常生活の指針としてまとめられたもの

1.布施波羅密
人は誰もがお互いに時分ができることを施しあって 心に安らぎを得ること。

2.持戒波羅密
人間として行ってはならない戒めを守り 心と身体を清く保つこと。

3.忍辱波羅密
忍辱とは、我慢してじっと耐えること。

4.精進波羅密
精進とは 一心に努力すること。

5.禅定波羅密
禅定とは 心を静かに安定させること。

6.智恵波羅密
智恵とは ものごとをありのままに見ること。

いくら 楽天家のわたしでも そこまで楽天家にはなれません。


人を思いやることは 際限はないけれど、
そこまではお人好しにはなれません。




その時、あなたはどうしますか? どう感じますか?
というお試しは数々、あります。



どこまで あなたは許せますか?

どこまで 広い心を持てますか?


とのお試しだったのかもしれません。



だけど 今のわたしが下した判断に間違いはありません。


わたしを裁きたければ裁けば良いのです。


今のわたしは 周りを見渡し生きています。


不思議な世界のこともわかるし、地につけて生きる意味もわかります。


だから、どんな生き方も自由ですが 正しい生き方はあるのです。



今は まだ、お金というエネルギーのある世界です。


自分が生きていくお金を生み出すためにすべきことは お金に関わる対象のすべての人、物を大切にすること 愛することです。

それができて 初めて、余裕が出来て 余裕を愛することができるのです。


人が生きていくためには優先順位があるのです。

誰もが最優先すべきは自分の命です。


自分の命を守るために、どう生きるか!どう感じるか!だと わたしは思うのです。




楽しむために生まれてきた とか 人に役に立つために生まれてきた という方も 自分の命がなかったら 楽しむことはできないし お役にも立てないのです。



わたしは自分の命を守るために、自分のすべきことをして過ごしています。



お金は天下の回りものです。


だから、愛するのです。

どうして こんな 『世の中 そんなに甘くない』ことをいちいち書いてるかといいますと

世の中 そんなに甘くない って思うことが悪いと思っているからです。



ちまたのスピリチュアリストさんたちが 真しやかに 間違った情報を流しているからです。



間違った情報は正さなくてはいけません。


ちなみに、正すとは


そのことを中立に見て、判断することです。



中立に見て判断する=正しい


だから、正しいことはあるのです。


間違っていることは 中立でない様を言います。
歪み、乱れがあるのです。


覚えておいてください。

結局

世の中 そんなに甘くないことない♪

と思っている人たちは 意識的にすっ飛んでいるのだと思います。



確かに 自分の潜在意識にないことは自分の現実をそのように作り出しますが わたしたちが生きている地球には まだまだ 潜在意識に負の感情を抱えている人たちが多く存在します。


その中で 自分の世界は、薔薇色よ〜♪とすっ飛んでいたら それは ただのアポ(小さい丸は取ってください)と言うものです。


自分の世界だけで生きているならそれでいい。


そんな人に限って 使命を口にする。


世のため人のための使命があるなら 自分の世界にひたっていることは 魂に背くことではないのでしょうか?



使命を口にするなら 周りを見渡してください。


意識を上げてください。

世の中、そんなに甘くない

と思っていたら


世の中、そんなに甘くない という現実を作り出すようです。



だから もっともっと 心を軽くして 負の感情を浄化することで


世の中、そんな甘くないことない 世界を作り出すことができるのです。



潜在意識にあることは現実を作り出します。


だから 潜在意識の書き換えをしましょう ということも言われる昨今です。


しかし

人には最低限のルールがあります。



そこから逸脱したものは それなりの宇宙の法則が働きます。



だから やはり、世の中 そんなに甘くないのかもしれません。

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