この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2016年08月

ご寄付について
される側も受け取る側も そのお金は 個人の大切なお金です。


受け取る者は その大切なお金をどのように使わせていただくかをじっくり考えてから使わせていただきたいものです。




大切で真心が込められたお金を ただ、ありがとうの言葉だけで良いのか
自分勝手な想いで使って良いものかをよく、考えてから使わせていただくべきだと思います。



どなたにとっても大切なお金です。



どのように使わせていただくか
どのように使わせていただいたか
その結果、どうだったかをお伝えすることは最低限のマナーだと言えます。



何に使ったかわからないのは、失礼なことです。



お礼の仕方で人間性がわかるものです。



社会に出て、それができないことは自分にとってマイナスになりますし それで人間性を判断されてしまいますね。



人からいただいたお金や品物を大切に扱うことは最低限のマナーです。



大切に扱うことの意味を知らない人が多いですね。

自分の投げたボールは相手の手中に入った時には 相手の物なのです。


それを他の人に投げようとしまいこもうと焼こうと関知しません。



思いやりって 相手に投げ掛けるだけのものなのです。


相手がどう受け取ろうと自由なのです。


だけど、自分が傷つけられないために 相手の立場を考えて 投げ掛け方を工夫する必要があるのです。



先ほど このように書きました。


ここの補足をしたいと思います。



思いやりというボールを投げ掛けて、見返りを期待する方がいらっしゃいます。


相手から感謝されたい、思いやりで返されたい。。。


見返りを期待することにより 相手が受け取ったボールの行き先が気になるのです。


気になるということは、意識を向けてしまうのです。



通常は 自分が放った思いやりというボールを思いやりで返してこないと、相手はバチが当たるものです^^


バチを当てるのは神様です。


しかし 相手が受け取ったボールの行き先に意識を向けることは 神様の領域に介入することになり、自分もバチが当たるハメになるのです。


意識を向けたばかりに神様からバチが当たるのです。。。チーン



だから、自分が放った思いやりというボールに執着をすると 痛い目に合うということなのです。



だから 執着し過ぎるほどのおもいやりは、自分を傷つける結果を引き起こします。


所詮、相手は自分とは別人です♪


相手が自分におもいやりのボールを投げてこなかったら バチは当たるのですから、わざわざ 自分が神様のようにバチを与えにいかなくてもよいのです。


おもいやりのない人は天が成敗していただけるものです。


天の采配を信じましょう。


おもいやりで返さない人はバチは当たります。


バチが当たらないとわからない人が多いのです。

相手にバチが当たるとわかってほくそえんでいてはいけません。



ただ ただ、手を合わせて祈るのです。


気づかない人がいてごめんなさいと祈るのです。


自分がおもいやりを示しても返さない相手を想い祈るのです。



なるべく、痛くないようにしてあげてください

とお祈りしてください。



大難が小難になりますようにと、お祈りしてください。



それが 人というものです。


それが お祈りというものです。

自己責任って とても重い言葉だと思います。



だけど 自分を守るのは、紛れもなく自分しかないのです。


誰かが自分を守ってくれるわけはなくて
でも、それをわかっていなくて進むと わからせてくれる何かが起きるものです。



それは 人との信用問題に発展するかもしれません。



今まで 培ってきた信頼をなくしてまで 魂は自身に教えようとします。


結果、
自分を守れるのは自分しかいないとわかるのですが わかった時には周りからの信頼は失います。





自己責任の重みをわかっている人は 信頼を失うことはしないものです。



魂的には 人との信頼よりも気付くことが重要なのです。


だから、人との信頼を失うことをわざとしたいのです。


わかっていないからしたいのです。



この地球で人間生活を営む上で信頼関係は大切です。


それを わかっていない人が多いですね。


それを わかっていないから気付かされるのですね。。。



覚醒する、悟りの人になっていくことは 人との信頼関係を築いていくことでもあるのです。

結局は そんな意識の自分を認めてもらいたい!ということなのでしょうが
自分が認めていないことを誰が認めてくれますか?



実際には 自分自身は、それが良くないことみっともないことだとわかっているのです。


でも 意思が弱いから認められなくて流されるのです。



それを認める強い意思が必要ですし
認めて改善する意思も必要です。


認めるだけなら、サルでもできる。


自分の言動がおかしいと感じているなら改善しましょう。


改善したい!という心の持ち主には、神様は手を差し伸べてくださいます。


そのような心持ちにならない方には 神様も手を差し伸べることはされないものです。

この世の中に 自分勝手に生きている人は、山ほど居て


自分勝手に生きる=魂に沿って生きる


と勘違いをしているのですね。



自分勝手に 離婚を繰り返したり、
やりたくないからと、育児放棄したり
好きな仕事しかしなかったり



好き勝手に生きてきたから、これからはツケが回ってきますよ ってことです。



帳尻は合わせるのです。




いかに自分は 自分勝手な人間かを想い知らされることになるのです。



人を思いやらなくていい
とわたしが言うときは

人のことばかり考えていて自分がおざなりになってしまっている時です。

自分のことしか考えない人には、思いやりを持ちなさい としか言えないものです。



今までのわたしは

比較的、人のために生きて自分がおざなりになっている人やそんな人が目覚めて、自分勝手な人に変わってしまった そんな人を対象にしていましたが


今回、目覚める以前に自分勝手に生きている人 というものを観てしまい
驚きを隠せません。




世の中には 未だに、そのような人がいるんだ。。。



わたしの周りにはいないタイプです。



そんな方からしたら わたしのことは異星人にしか映らないでしょう。。。



嘆かわしい限りです。




世間を見せられました。。。



だけど、わたしは 関わることができません。



そこに行けとの指令も出ていないのです。



そのような人に関わるのは、 わたしが日々、目覚めて自分勝手に生きている方でしょう。。。


意識を上げていただきたいです。

最近の人の傾向って変わっているな と思います。



すべて 自分本意なんだね。


自分勝手に自分の意思だけ主張して、我慢がない。

そして 自己主張しないから、わかっているかと思ったら 自己都合。


相手を想って自己主張しないと思っていたら
自分の不利になるから自己主張しないだけ。


ということが往々にしてあります。



相手を想う、思いやることがまったくない人が目立ちます。




結局は 豊かさがないのです。



心の豊かさがないのです。



心が渇れているのです。



人に思いやりも持てないから渇れるのです。



すべて、自分本意で生きているから渇れるのです。



そんな人が 日本を変えたいとやっきになっていますが

自分本意の世の中をつくりたくてやっきになっているだけなので

神様も味方はしてくれません。

相手にすらされません。

だから 神社でいくらお詣りをされても叶わないのです。


お願い事は献属が取り次いでいただけるものですが 自分勝手のお願い事は取り次ぎしないから 賽銭箱の周りに落ちていますね。


知らずにそこでお詣りをして、その念をもらってきます。。。




だから、わたしはめったに神社には行きません。


入れないです。。。





自分本意の人は自分本意の生き方があり、神様からご加護がいただけないという生き方です。


ご加護がいただきたいなら、自分本意をなくしましょう。




人を思いやる気持ちがない人は 神様が救いたくても 神様の目からは見れない人なのです。


神様の目から見れない人は救いあげることなど到底無理なことです。


せめて、神様から見える人になっておくことです。

愛する人と離れていることの意味



愛する人と離れていることの辛さは味わった者でしかわからない。



しかし その感情を味わいたいがために離れていると言えるのです。




離れてみたい。。。のです。



辛さを味わい、乗り越えることをしてみたいからです。



ただ、辛いわけではないの。


ただ、辛いだけなら 魂もやらない。


自分のため、しいては人のためになることだから、魂は挑戦するのです。




辛さを味わうことは、地球の次元上昇を助けます。



しっかり味わってください。



あなたが辛さを味わって居るときは わたしはそばにいます。


安心してください。


共に居ます。




ままのまま

結局のところは 本能を呼び覚ますと いろいろなことがわかってくるのです。

それを 言葉にすると


わたしが書いていることそのものですが

本来ならわざわざ 言葉にして、自分に落としこむことではなくて

本能に赴くまま生きることをすればよいのです。




本能に赴くまま生きるということは 無駄に人を傷つけることではないのです。



本能に赴くまま生きるということは いつも命と向き合い、生きるということなのです。



おちゃらけて遊ぶことではないですし、
バカ騒ぎをすることではないのです。



愛してると伝えることは命を生む行為です。



命を育む行為です。



命と向き合うということは 愛してると伝えることなのです。



愛してると伝えましょう。


命と向き合って生きましょう。

好きだと伝えること。


愛してると伝えること。

想いを伝えること。




武器を持たないと伝えることは、愛してると伝えることと同じです。



愛しています。

愛しています。



伝えましょう〜


1 天業雲剣、桃の実のひとつめ
断つ
クマコヤ、クカタカタ



2 鏡かがみ(ヤタの鏡)、桃の実の二つ目
明智(神様からいただく大きな智恵)
エレクヤ、マカタカタ




3曲玉まがたま、桃の実の三つ目
解く 、
レタマヤ(天の神様の大きな愛)、ラタカルタ






わたしたちは まず

天の神様からクマコヤ(クカタカタ、剣)を頂いて、たかるカルマを断ち、
真の道を示して地球と人類を救います。


そして、エレクヤ(マカタカタ、鏡)
つまり、神様の明智を頂いて『世の終わり』を行い、『新しい世』を創っていく働きを成します。


こうして、地球のカルマが良く解り ラカルタの地球になり 変わる湧玉を天の神様にお渡しできた時、天の神様は レタマヤ(曲玉)を地球に授けてくださるのです。





このように、草なぎの剣は、カルマを断つために必要なのです。

自分の心を切る。
精神を切るために必要なのです。


この草なぎの剣は人を切るためにあるのではありません。

暴言を吐くためにあるわけではありません。

人を傷つけるためにあるわけではありません。

人を殺めるためにあるわけではありません。



戦争が反対と言うのなら、 人を裁く心を切ってください。


戦争を起こさせたくないのなら 自分の内にある人を裁く心と向き合ってください。



武器を持たないとは、こういうことです。



武器を持たない!と宣言しているのなら
裁く心をなくしてください。


そうしたら、鏡かがみ(ヤタの鏡)を授かります。

鏡かがみ(ヤタの鏡)は、知恵です。


この世界を切り開く知恵を授かります。


そして、その知恵で曲玉まがたまを生み出すのです。



自分の心と向き合って、人と仲良くすると 平和が生まれます。


赤ちゃんは その象徴ですね♪



武器を持たないて平和を生み出します。

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