この世界にあるすべてのものは感謝するために存在する

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

2016年11月

『今、必要なこと』

というのは、人それぞれ違うことです。



癒しが必要だったり 支えが必要だったり 興味を持つことが必要だったり 厳しさが必要だったり皆、その時の段階、居る位置で違うものです。



わたしは常々、自分の位置を知ってください と伝えてきました。


自分の位置、がわからないと 何をしたらよいかがわからないからです。


癒しが必要な時に、厳しさを与えたら立ち直れなくなってしまいます。


それは 自立への道を潰すことにもなります。


依存は良くないと言います。


しかし、支えはあったほうがよいのです。


自分の足で立てないときは支えが必要なのです。


自分の足で歩む前に まず、立ち上がることです。


まだ 立てない人には立ち上がるための勇気が必要ですし、立ちあがった人には背中を押す風が必要になってくるのです。



人によって、何が必要かは違うのです。



しかし 他者を助けたいあまり 座り込んでいる人に癒しを与えてみたり、立ち上がっている人に対して寄りかかる先を与えたり 見当違いの手助けをしてしまう人が見受けられます。


いい迷惑です。

自分が良かれと思ってしていることでも相手にとって迷惑になることがあるのです。


癒されたい人は誰もが癒しを求めていると勘違いをしがちです。




自分自身に繋がるとそれがわかります。


だから まずは自分自身に繋がり 自立することが大切なのです。



自立していない人が癒しを与えたり依存させてしまうことは危険です。

立ち上がれなくさせてしまうからです。

依存というのは麻薬の一種です。

使い方を間違えると危険なのです。

麻薬なら麻薬らしくうまく使えばよいのですが使い方を間違えるから依存してしまうのです。


この世の中には、麻薬まがいのものがたくさん存在します。


使い方を間違えないように慎重にしていただきたいと思っています。


また 癒しを提供される方は 自分を律して、純粋さを高める努力が必要です。

常に 自分を見つめ、純粋さを高めていただきたいものです。


不純物があると 癒しにならず依存させてしまう傾向があります。


また、自己責任と言われますが、不純物を与えた場合には身に降りかかるものです。


それは自己責任の範疇ですが 与えた場合にはそれ相当のカルマ返しが働くようです。


不純物のなきようお願い申し上げます。

ここ最近、立て続けに娘の友達が家に遊びにきていて、なかなかと忙しくさせていただいております。


話をしていて感じることがあります。


それは 若冠、22歳でありながら人に気を使うなあということです。


「人に受け入れてもらえない」前提で、話をしてきます。

面食らいました。

わたしは「相手を受け入れる」前提で話をするからです。


若冠22歳ですよ。。。


わたしは「相手を受け入れる」し「人に受け入れてもらう」前提で話をします。

だから 最初は、???されます。
でも、気付くのでしょうね。わたしが受け入れていることに。
だから、何でも話をしてきます。



わたしになら、 とよく言われるのは そういうことなのかなあ と今さらわかりました。



わたしは 対相手しか相手を観ることができないので 世間的なことは疎いです。



「人に受け入れてもらえない」前提での会話というのは、話しづらいでしょうね。



小さい頃は親に受け入れられて育てられたと思うのですが 外の世界を知るうちに無意識にそのようになっていくのでしょう。



わたしは相手がわたしを受け入れる前提で話をしますが 相手から受け入れられなくても傷付きません。

それは、人に受け入れてもらえないことが悪いことだと思ってないからです。

でも 受け入れてもらえないことが悪いことだと思っている人は傷付いたり悲しんだりするのだと思います。

だから、防衛反応で「人に受け入れてもらえない」前提で話をするのでしょうね。



人は傷つきたくないのですね。


傷付くのを怖れているのです。



わたしは光りが強いため根性込めて、隠していないと火傷をさせてしまいます。


これからも、ど根性!で隠して、温かい光りを灯していけるように努力させていただきます。

わたしはライトワーカー意識がとても強くて、奉仕の精神が備わっています。


そのため どんな場面でもライトワーカー意識が働き、そのように身体が動きます。



これは わたしだけではなく、この世に生きている地球人でこの地球のために生まれてきた!という意識のある方なら誰もがあるものなのです。


それがライトワーカーという者です。


しかし ライトワーカーと思われる方を観ていると 「喜ばせたい!」「役に立ちたい!」という想いの方が目立ちます。


それは、奉仕とは言えず 単なる自己主張なのです。

自分のやりたいこと!、ただそれだけですね。


本当の奉仕とは、「させていただく」という謙虚さが伴うものなのです。



自分では 奉仕のつもりでいる方がおられるので書かせていただきました。



「喜ばせたい!」「役に立ちたい!」 という想いは人として素敵な感情ではありますが 奉仕とは違うものなのです。



「喜ばせたい!」「役に立ちたい!」は、自分のやりたいことです。

しかし、「させていただく」という行為は 相手の立場を思い遣り、相手の望むことをさせていただく という行為です。


だから、相手が望まないのに、やることはしないのです。



また、奉仕というのは、望まれる方にしかしないことではなく 誰にでも分け隔てなくさせていただく行為を指します。


この人には差し上げるけど、あっちの人には差し上げない というものではありません。


並ばないとあげないよ とか 連絡してくれた人しかあげないというものではないのです。



分け隔てなくさせていただく という精神が奉仕というものなのです。



自分の得意なことでは奉仕はできるけど 苦手なことはしないというものではなくて 苦手なことがあっても 自分なりに工夫をしてさせていただくという気持ちを持ってさせていただくことが奉仕なのです。




また、得意なことをさせていただくことやそれでお金をいただくことは奉仕ではなく披露ですね。


今は、得意なことをさせていただけることに感謝していてください。


そのうち 得意なことでもさせていただけなくなる時がくるものです。


それでもライトワーカーならば 苦手なことに挑戦し奉仕をさせていただくのです。



そうやって生きるためにライトワーカーは生まれてきています。

最近 わたしの冊子を知り合いの方に配らせていただいております。


ホント、知り合いの人。

近所の人とも言う。


すると こんな声が聞けました。


毎日、寝る前に枕元に置いて、朗読してから寝るようにしています。ありがとうございます。

って


冊子は ただ、わたしが書いたけど って渡しただけです。

冊子の効能は謳っていません。

それが故に嬉しいです。

人の幸せを願うということを考えてみました。


自分が人のために何かをして差し上げることで喜ばれることは、とても嬉しいと感じます。


だけど もし、相手が喜んでくれなくても わたしはさせていただくと思うのです。


相手が喜ぶことをしなさいと わたしはよく、姉から言われます。

あなたはいつも自己満足で人の気持ちがわからない。

とも言われます。



だけど わたしは いくら、相手がしてほしいことであっても 相手のためにならないことだったら身体は動かないのです。


相手のエゴを満たすためにわたしの身体は動かないように出来ています。



幸せと言うのは、相手のエゴを満たすことだと思えないからです。



相手が自分の意思で考え、行動することが 本当の幸せだと考えます。


だから、自分のエゴを満たすことが幸せと考える方とは意見が合わないのです。



だけど わたしはいつもいつも 相手の立場を考えて行動します。


相手のエゴは満たしてあげられないけれど わたしはわたしの考えで行動します。



わたしは 相手のエゴを満たすことはできないけれど いつもいつも、相手が自分の意思で考え行動できるよう願って行動しています。



人から与えられた幸せは本当の幸せとは言えない。


自分で乗り越えた時の言い様のない高揚感、安定感、安心感こそが幸せだと知っているから。



だから、誰もが 感じてほしいなあ〜 と願っています。



わたしの力で 一瞬、心が楽になることはあるだろう。

だけど それは、永遠ではない。


永遠の喜びを得るためには、自分の力で立つことなのです。

何かに執着しているから 今を創造できる。

だけど これからの時代は その執着もひとつずつ手放していくことにより、違ったものを創造していくことになり 最終的には最後の最後まで手放せないものまで手放さざるを得なくなる。


そして いつかは、魂の想いを創造していくようになる。





手放すものは感情、想いだけ。。。



やりたいことが見付からないのは、感じることが苦手だから。


頭で考えてばかりで感じていないから なのかもしれません。


人は瞑想をすると気づきが生まれます。


瞑想というと 静かな場所で目を瞑って自分の魂と会話をする というイメージがありますが 人によっては静かな場所で目を瞑る環境にない方もいらっしゃいますし、瞑想は苦手と言われる方もいらっしゃいます。


気づきって 静かな場所で目を瞑らないと起きないことではないのです。

気づきは、何かに集中している合間に起きるものなのです。


ふっと力が抜けた瞬間に起きるものなのです。



いつも、気を抜いている時に起きるものではなく 集中力と集中力の合間に起きるものなのです。



わたしはグラウディングは教えていますが瞑想は教えていません。


それは グラウディングは集中力をつけるために必要なことだからです。


グラウディングをして集中力がつけば、瞑想をしなくても気づきを得ることができるからです。


静かな場所で目を瞑らないと気づきが起きないわけではないのです。




確かに 日常生活で常に我慢を強いられていたり、仕事に追われている人には、静かな場所で目を瞑って瞑想をすることはリラックスが出来、前に進む意欲が生まれると思います。

しかし いつも、ボーとしていて、気持ちがふわふわしている人にとっては 静かな場所で目を瞑る瞑想はよりふわふわしてしまうため不向きなのです。

また 楽器を弾いたり歌を歌ったり絵を描いたりすることも集中力を高めるため瞑想なのです。



だから 静かな場所で目を瞑ることだけが瞑想ではありません。




自分に合った瞑想法を見つけていただきたいと思います。

豊かと豊かじゃない違いは、プロとアマチュアや正社員とアルバイトの違いに似ている。

豊かな者=プロ(正社員)は、確実に豊かを与えられるから求められることも豊かじゃない者=アマチュア(アルバイト)に比べると厳しい。

豊かじゃない者=アマチュア(アルバイト)は、大目にみてもらい許される。

豊かになれない代わりに叱られもしない。

気が楽だ。

だから 今の世の中は 豊かじゃない者が多いため、ユルい世の中だ。

自己責任と言われてもユルいと思います。

豊かじゃない人は癒されていない人

癒されていないから許される。

許されるということは、豊かさがないということ。

許されることに甘んじているから豊かにはならない。

なり得ない。

本気で豊かになりたいなら、自分に厳しくすべきだろう。

自分は豊かだと信じていても許されているのは、本当に豊かじゃないということなんだ。

人が本当に豊かになると、表には出られないものなんだと、感じる。

癒されていないから自分をさらけ出していられるのだと思う。。。



表に出ている人は苦しみを抱えているんだな と感じる。

豊かになればなるほど、頭を下げさせられる。



お金持ちになりたいとか心が豊かになりたいとか言われるけれど なってみないとわからないことがあります。



人は豊かになればなるほど、頭を下げさせられることに出会います。



これでもかこれでもかと頭を打ち付けられます。


豊かになるということは、より謙虚になるということ。



神様から大目にみてもらっているうちが花かもしれません。

今回の大統領選は、『ヒラリーさん敗北』という結果になりました。

ヒラリーさんが敗北したのでトランプ氏が勝利しましたが

トランプ氏を勝利に導こうと神が動いたのではなくて、ヒラリーさんを敗北に導くために神が動いたということです。

『自分に正直にならざるを得ない』

というエネルギーが動き、ヒラリー派が敗北することで
ヒラリー派が自分を見つめ本来の進むべき道を見出だして生きていくことになったのです。

これからの巻き返しに期待します♪

怒り、憎しみからは、何も生まれません。

自分を見つめ反省することで、本来の力が発揮されるのです。

トランプさんの言いなりには進まないことを示しています。

自己改革のための敗北です。

すべてはうまくいってます。

波乱はありますが^^

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