この世界にあるすべてのものは感謝するために存在する

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

2016年12月

未来のわたしを観ると同時にこれからわたしが生きていく世界を観てきました。


すべては良いように流れていく としか言いようがありません。


でも それは、わたしのタイムラインなので ここで未来はこうなるよ♪と言うことはできません。



でも わたしたちは、ある決められた世界に進んでいると言えるのです。


確かに、自分の世界は自分の想いひとつで創造できてしまいますが、それは微々たることで 何を想い創造したとしても、結局はひとつの未来へと進んでいくと言えるのです。


そこに進まない選択をするものは、ふるい落とされて違う世界に行くだけです。



この世に生まれてきている大概の人がわたしが観てきた未来に進むために生まれてきていると思うのですが、皆さん 根性がなさ過ぎます。


また アホな情報に感化され過ぎています。


それなりに 人として自分を律することが出来て努力できる人でないと、そこに到達するのは難しいと思います。



わたしが観てきた未来は、そんじょそこらの根性では生きていけないですから♪



来年は今まで以上に事件、事故も多くて 間引かれていきます。


そうやって 宇宙が采配をふるう中で、わたしたちは未来を創造しているのです。


たぶん わたしが観てきた未来というのは、一般的なスピリチュアルな方々が見せられている未来よりももっと進んだ未来だと言えます。



これからの未来は楽しく、そして残酷でもあります。


だけど わたしたちはそれを選択して生まれてきています。


楽しく気楽な世界を選択して生きていくのも良いとは思います。


だけど その後も未来は続くのです。



それぞれの役割を持って、わたしたちは生まれてきています。



自分の役割を全うして生きることがその後の未来に繋げることができるのです。



使命を思い出さなくてもよいから、目の前に起きることにもっと、積極的に取り組んでください。


自分のやりたいことよりも求められることをしっかりとこなしてくださいね。




ありがとうございます。



今年、一年ありがとうございました。



皆様、良いお年をお迎えしてくださいね。

先記事で強い意思が必要と書きました。



弱い意思と強い意思の違いって何だと思いますか?


それは、意思の自由さです。



強い意思を持つことしか選択肢がなかったら、強い意思しか持たないです。

だけど 強い意思と弱い意思 どちらでもいいよ♪自由だよ♪と言われているから、意思が弱いのです。


わたしは いつも、愛しか選択しません。


選択肢がないから、自由意思ではないのです。



わたしには自由意思は必要ないからです。



意思の弱い人は自由意思の中で生きています。


どんな選択でも自由だよ と言われて、自由に過ごしています。



自由だから選択肢がたくさんあって迷うのです。

選択肢がなくて迷わなかったら、それしかないのです。



意思を強く持とうと思ったら選択しないことです。


できる♪できない♪なら、できる♪しかないのです。



自分でやる!と決めたことは 石にかじりついてでもやることです。



選択肢のある生活をしているから、成長ができないのだと思います。



これしかない!と決めたら、やるしかないのです。



結局 自由でだらけきった生活をしている人は、意思は弱いのだと思います。

それなりに 自分を律して生きてきた人は 少し、自由を経験したとしても戻ることができるのだと思います。



自由でだらけた生活をしていては いつまでたっても成長はできないですし、自己受容できないと思います。


癒しは、 今まで真面目過ぎて生きてきた人には必要だと思いますが 元々、だらけた生活をしている人には必要はないと思います。


結局 今の時代は だらけた生活をしている人がその自由さを人に見せて、真面目な人をそそのかしているだけだと思います。

だらけることがいかに癒されるかを伝えてそそのかしているだけだと思うのです。


それに騙された人が癒しを求めて、不真面目になっていく。。。


それに気づいて欲しいですね。



真面目な方の中には癒しを嫌う方もお見掛けします。


それは そんなことがわかっているからなのかもしれませんね。

結局、人とつるまないことだと思います。


自己成長というのは、ひとりで黙々とすることだと思います。


学校の勉強や資格試験の勉強にしても 自宅学習をいかにしているかですから。


誰かに頼っていたり、仲間仲間と仲間にすがっていては成長は出来ないと思います。


競争しあうのは良いと思います。


だけど 仲良しこよしでじゃれあっていては成長していかない。



まずは、それなりに成長してからなのです。


自己受容できるのは。


人を見下ろしてから、人と仲良くできるのです。


自分の通ってきた道だから、受け入れられるのです。


人を見下ろしてみて、人をバカにしたりするのは、まだまだ 成長できていない証拠です。


人を見下ろしてみて、自分との違いでジャッジするのは 見下ろしているのではなく、同じ位置にいる証拠です。


人を見下ろしてみるとわかるのですが 良いところがたくさん見えるものです。


良いところが見えないのは、上にいない証拠です。


人の良いところがよく見えるから、受け入れることができるし、同じ道を通ってきた自分も受け入れることができるのです。

そうやって 自己受容を深めることができるのです。




だから まず、人から離れて 黙々と自分を高めることをすることです。


人より上に立つことです。


そのためには、強い意思が必要ですね。

自己受容を深めるために 何をしたら良いのか?




自分を信じた。

とことん、信じた。


アホだとかバカだとか言われながらも、自分をとことん信じた。


周りにはバカにされ続けたけれど。。。


あと、わたしは けったいな人間とは付き合わなかった。


寂しいからと、友達を作らなかった。


自分をバカにしてくる人は相手にしなかったし、自分から誰かにすり寄ることもしなかった。


悪口を言う人や変な信仰している人やスピスピしている人は避けたし、まともな人しか相手にしなかった。


ヤバイなと思うと、すぐに手を引いた。


それも 自分の直観を信じるってことだと思う。




結局、人を見る目がない人が自分に自信がないと言ったり、自己受容できないのではないのかなあ。。。



友達はつくらない主義ではないが 自分を高められない人と居てもつまらないと感じたから、すぐに嫌になった。



わたしは 自分を成長させてくれる人が好きだ。


今では、誰といても成長させていただけると思えるけど 以前のわたしは、成長させてもらえる人を厳選して付き合っていたと思うなあ〜



イベントもアホな集まりには顔を出さなかった。

講演会でも わざわざ、お金を取る必要あるのかと思えるような内容もあり、 ダメだと思ったら すぐに引く、という姿勢でいました。


わざわざ 人とつるまなくても寂しくはなかったよ。


結局 自信がないと言ってる人は、付いてる相手が悪いんだよ。


自分の悪口を言われていても離れられなかったりとか ただ、だべ話しかしないとかお金に汚い人とか、わかった時点で付き合わないことだと思う。


自分の身の役に立たないと思った時点で離れることだと思う。



変な人に近寄らないように最善を払うことだと思うな♪



それが 自己受容を深める第一歩だと思います。

神様が為されることを受け入れて生きるだけ。


自然災害が起こることも事故が起こることも、すべて神様が為さることなのです。



神様が何かの意図があり為されることなのです。


しかし 我々、民は 何故そのようなことが起きるのかわかりません。


間違ったことをしているつもりはありません。



しかし、何かが違うのでしょう。



何かが違うから、事が起きるのでしょう。



その何かがわかる者はそれを伝えることです。



また わからない者は教えを乞うことです。



そうして生きれいけば、きっと平和に生きていけるでしょう。





わからないのに、わかったふりをするほど愚かな者はないのです。

そして わかったふりをして、それを広めないことです。


わからないならわからないなりに、教えを乞うことで 幸せに生きていけるのです。


それなりに、誰かの下で働くと 従うことを自ずと学ぶから、それをすると忍耐を学ぶことになり、それ時の感情を乗り越えると それが自信になります。

人に従うことを覚えると、人の気持ちに寄り添うことも覚えるし、人間関係の上下関係において 信頼感を得やすいし、責任感も出来てきます。


結婚して、核家族で過ごすよりも お姑さんがいてその中で暮らす方が人間が揉まれて忍耐力もつくし、人からの信用も得やすいです。


仕事においては 上司がいて、組織の中での位地関係を学ぶことは大切です。


そんな 上下関係、従うということを 昔には、社会に出る前の家庭の中で学びました。


だから、社会に出て いっぱしに仕事が出来たのです。

だけど 今の世の中は、家族の中での学びがない、しつけがないから 社会に出てから苦労します。



人に従うことを知らない人が多すぎるのです。

また、人に従うことの恩恵も知らないのです。


人の温かみがわからない人が多いです。



人に従うということは、人を従わせる役目の人が必ずいるわけです。

それは、一家の長である父親であり、学校ならば教師であり、会社なら上司です。

従うことの意味、ありがたさがわかるから 教えていけるのです。



だけど 誰にも従ったことのない人が 誰かの上になり導くことはできないのです。


夫婦間においても同じことです。


妻が夫に従わなければ夫婦関係は崩れます。


夫がいかに理不尽なことを言おうが それに従って乗り越えていくと、自信ができ、それを子供に伝えていくこともできます。


妻が夫に従うと、夫婦ですから必ず、何らかの恩恵はあるものです。


夫婦間で学んでいくと、家族関係がスムーズにいきますし 社会に出ても、それなりにやっていけるものです。


従うと聞くと、封建的と思うかもしれませんが 従うことを知らない人間は、人を育てることができません。


アメとムチの使い分けができないからです。


努力と癒やしです。



人が成長するには、努力と癒しが必要なのです。


癒やししか与えられないのは、育てることはできません。


癒やししか与えることができない人が多いです。



わたしは抱き締めるまえに説教たれます^^

わたしの説教は長い♪

だけど、そのあとは甘い♪デス


甘すぎます^^



と、話しはそれましたが

結局は 誰かにそれなりに従って学んで乗り越えた人は、人間が変わって、自信がつくから 人を育てる人になりますよ ということです。


まずは 自分が誰かに従って、育てられて、人を育てる人になりましょう♪



メールアドバイスでは 人に対する従い方を教えてる、かな〜


人に従うことで、いろいろ見えてくるものです。


下にいたから、上に上がった時の見方がわかるのです。




だから どんな理由があれ離婚は賛成しないのです。
みすみす、学ぶ機会を逃すのはもったいないからです。
学び切って、互いの使命の違いに気づいたら 自然と離されますから。

そういうものです。


上下関係は、仲間意識とは違います。


仲間意識しか知らない人は人は導いていけないものです。


人を育てること、人に厳しくすること、従わせること、導くこと、甘やかすこと


教育においては必要なことです。


人を育てることができる人になってください♪



これからの未来のために。


これからの未来のために、子供を育てていけるのは、わたしたち大人です。

先ほど、わたしは

感謝することは相手の立場になって考えた行動をすることです。


相手の立場とは、自分との関係性を意味します。


自分との関係性を考えた時に何をすればよいのかがわかれば、自ずと答えはでるはずです。



と書きましたが

感謝は、相手を悲しませないことです。


悲しませない努力ですね。



努力の矛先を間違えないようにしてください。

最近、クラウドファンティングという言葉を耳にします。

ググってみますと

不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆(Crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語である

と書いてあります。



クラウドファンディングはクリエイターや起業家が資金調達する手法として、世界中で注目されているそうですが 実際には、起業家というよりも 著名な方がFBなどでも紹介されています。


著名な方がクラウドファンティングを立ち上げたり紹介されると、そこに群がります。


内容如何はどうあれ、〇〇さんが紹介しているから大丈夫だろうという意識を生みます。


著名な方や指導的立場の方が安易に参加され紹介されているのを見て心が痛みます。



人の信用につけ込んだり善意につけ込むのは、違うと思うのはわたしだけでしょうか?


自分の信用している人が勧めているのだから大丈夫だろう と内容も把握せずに申し込むこともあると思います。


自分の目で見て把握することは当たり前のことですが それが良いとか悪いとかわからない人が多いものです。


迷ったらやめる、わからないことには近付かないことです。


今まで、日の目を見なくて最近、脚光を浴びてきた人は気が浮きがちで正常な判断が出来ないものです。


指導的立場にあるならば、よく考えることをお勧めします。


それなりに財力のあるならば、ご自分がご寄付や支援をすればよいことなのです。


それを自分の信用を武器にして支援を募るって意味わかりません。


要は、資金調達という名の募金です。

わたしには、善意につけこんでの募金としか思えないのです。



本当に困っている本人が立ち上げるならわかるのです。


著名な方に協力を依頼するのは違うと思います。


逃げ恥でいう善意の搾取だと思います^^

グラウディングできている状態というのを、なかなか言葉で表すのは難しいのですが 地に足をつけているココロモチと言いますか生かされていることに感謝ができていること。。なのかなあ と思います。


自分の自我もそれほどなく、〜したいという想いもなく ただ、生きることに感謝できている状態なのかなあ と思います。



自分の内面と向き合っていくとわかるのですが 向き合っているときは、苦しいのです。


魂の想いに心が押し潰されそうで苦しく辛いものです。


だから そこから逃れたい、早く乗り越えたいって思うわけです。


苦しみがある時はまた、生かされていることに感謝できるよりも自我が強い状態ですので自我がはがされたくなくて必死です。


必死にはがされたくない!としがみついているから苦しいのです。


だから、そんなときは まだまだ、しがみついていたいんだね、と内観をやめることです。


しがみついているのは、まだまだ役割があるからしがみついていたいのです。


そんな自分の状態を知ることですね。


自分の状態を知っていることがグラウディングできている状態と言えるのではないでしょうか?



自分の状態を知ると、自分の力を過大評価もしないので無理なく生きることができるようです。


人に対して無理して奉仕したいとか人に認められたいために役に立ちたいとは思わないものです。

分を知るということです。


自分というものを知りますと、人にあれこれ手は出さなくなるものです。

人に役立つよりも前に人に迷惑をかけずに生きようと思います。


人の手を煩わさないようにしようと努めるものです。



人に対する奉仕は余録でよいとわたしは思います。



それよりも 自分でしっかり立つことです。



よく病気になっから他者への感謝が溢れて、人の役に立ちたい と言われますが、わたしからしたらまだまだ、わかってないな と思います。


本当に感謝が溢れたら、手が出なくなるものなのです。

思いやりは当然あるものですが、役に立ちたいなんて滅相もない。


困っている方に手を差し伸べるのと役に立ちたいというのは違います。


役に立ちたいという想いは思いやりを越えています。


役に立ちたいという想いは欲求ですが、思いやりは無償の愛です。


感謝して、無償の愛がわき上がるのは理解できますが 欲求が溢れるのは理解できないです。


欲求が出るのは、心が満たされない証拠です。


そのように 幾度となく感謝を経験して人は無償の愛がわき上がるようになるのです。


自分を知ること、大切です。



現実を生きるためには、まず 自分を知ることからです。


常に今の自分を知って生きると、無理なく生きることができますよ。

これからの世の中って より魂意識が顕在化してくるから 自我の強い人は、はがされたくな〜いって頑張るので、心が混濁してくる人が増えてきます。



顕在意識が魂意識で生きようと納得していれば良いのですが、顕在意識と魂意識が喧嘩しちゃってる人は 結局は魂意識で生きることになるんだけど、頑張るから心がモヤモヤしっぱなしです。


自我の強い人は困ったモンです。


それで 自分がどうしたいかわからない!って声を上げるのですが、実際には、どうしたいかわかっていても、魂が進ませてくれないっていう状態なのです。




いやだ、いやだ と叫んでいても 魂の生きたいように進むのだから、観念したほうがよいのです。



わたしの周りの人の場合ですが、わたしの周りには わたしを目の敵にしてわたしを否定することで自分を強くみせようとしてきたり 自分はいかに良い人間かをアピールしたり自分は正しいことしかしていないとアピールしてこられる人が多いです。


意識されたりライバル視されます。



そこと付き合うのは正直、面倒です。


わたしは相手に対しては尊重して付き合いますので よりわたしを否定する傾向がある反面わたしにコテコテに癒されて、ゴロニャン♪したり、 何でもありです^^


くっつくのもわたし、ストレス発散の的になるのもわたしってわけです。


なるべくなら、ベタベタしていてくれたほうがありがたいですが 第3者がいると わたしよりも自分のほうが優秀だとアピールするためわたしを悪者扱いしてきます。


また 自分はいかに良い人間かを面々と聞かされることも多々あります。


その方達を通して わたしはもっともっと、自分を高めようと思いますし律して生きようとも思っています。


しかし 周りの者たちが心穏やかにならないのは わたしがそこに振り回されたり情が入ったりするからです。



わたしさえしっかりしていれば 周りの者を整列させていけるのです。



いくら自我が強くても わたしのそばにいてくれれば わたしが引き上げていきます。



安心してください。




そのために わたしは存在します。




そのために わたしは生かされています。




もっともっと、高めていきます。



よろしくお願いいたします。

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