この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2017年01月

気付く、気付かない または 気配りができるできない ということは意識レベルの低下によるものです。



この気付く気付かないといった差は、この世の中で利用されています。


気付かないから騙されるのです。



気付かない人がいるから、利用する人がいるし騙す人ができるのです。


どんな小さなことでもどんな大きなことでもです。


心が優しいからとか心が弱いから素直だから、と言う理由ではないのです。


意識が低いから気付かなくて利用されてしまうのです。

意識を下げるようにコントロールされて利用されてしまうのです。



だから、誰を信じて良いのかわからないのです。


自分の直観も信じられないのです。


利用されて騙されて辛い想いをするから信じられなくなるのです。


しかし、騙されないから意識が高いかと言ったらそうでもなくて 猜疑心や恐怖心があると誰も信じられなくもなるのです。



そういう方は極端に愛に飢えています。



利用したり騙したりする人から守らないといけませんね。


利用されたり騙されたりする方々を弱者とお呼びすることがあります。


その方々を守ろうとする法律も出てきていますが網をくぐって利用したり騙したりする人があとをたちません。


イタチゴッコです。


そのためには、弱者と呼ばれる方々を保護するだけでは片手落ちで教育していかなければいけないです。

それが守るということです。


自立できるように支援が必要です。



しかし 現状は、支援する人が利用されたり騙されたりしています。


どこまでも利用、騙されます。



先ほど 意識が低いから気付かなくて、利用されたり騙されると書きました。


利用されたり騙されているうちは、まだまだ意識は低いということで、自分では意識が高いつもりでいても利用されたり騙されたりしているものです。


自分を過信しないでくださいね。




本当のところは 弱者と呼ばれる方々に直接、手をさしのべるよりも 一刻も早く、意識を高めて絶対に人から利用や騙されない人になることです。

そのような方が増えると 集合意識で 騙されやすく利用されやすい人の意識を上げることができるのです。


直接 手をさしのべなくても守ることができるのです。


だから、早く気付くレベルになって 手をさしのべれる人になってくださいね。

人に気遣いできたり心配りができることは、素敵だと思うけど それが目的で生きるのは違うと思う。


これは わたしの意見。


人のためになりたいと一生懸命になることは素晴らしいと思うけど、それが目的だと疲れてしまうんじゃないのかなあ。。。



だけど 人から認められたい、評価されたいから そこに全力をかける人もいる。



その気遣い、心配りというのは 身に付いているからこそ、だと思います。


わざわざ 何かをしなくてはいけないのではなくて、自然にできてしまうことだと思うのです。



ちょっとした気遣い心配りの話をした時に 「負けた気がするからしない」とか「人から良く見られたいの?」と言われたことがあります。

その発想の低さに絶句しました。



世の中では 学生に受験戦争で勝ち負けを競わせて、社会では気配りを重要視しますよね?


でも それって 家庭内で気遣い心配りを教えることが前提だからです。



家庭内で気遣い心配りを教えずに、受験で良い大学に入れても社会に出たら通用しないのです。


社会に出てから苦労しないように家庭内で教えることは必須だと思います。



意識の低下はそんなところから来ていると思います。

目の前に起きてることをこなすのは、バランスよい行動をしてることになります。


わたしたちは四六時中、立っているわけではなくて、立ったりしゃがんだりねっころがったり様々ですね。


その目線の先には 必ず、何かあるわけです。


草が生えている。

ゴミが落ちている。

りんごがなっている。

人が転んでいる。



天の神様が、まことに上手くバランス良く生きれるように配置していてくださいます。


それをひとつずつ、辿っていくと おのずと自分の目的に辿り着くわけです。

しかし 目の前にありながらまたぐと、結果 後戻りしなくちゃいけなくなります。


その目線の先に、ちゃんとやるべきことを置いておいてくださいます。


神様って親切なの。


でも その親切心に気付かないでいるから 迷うのよ。


『気付く』


気付く レベルの意識状態でいることが大切なのです。


気付かない レベルの意識状態で居続けるから、寂しいし辛いし、ワケわかんなくなっちゃうの。



だから 目の前にあることがわからないんだったら、『気付く』レベルの意識状態になることです。


一番のお勧めは、お風呂に入ること♪

身を清めることですね。
波動を上げると言います。


でも 波動を上げて、頭が上がってると 目線は上しか見えません。


波動を上げて、気持ちよすぎてふんぞり返っている状態ですね。



だから 頭の位置が重要なのです。



わたしは 頭の置き方を教えます。
それがグラウディングですね。


グラウディングをして頭の位置を定めて、『気付く』レベルの意識状態にいることが基本姿勢です。


グラウディングができてくると 頭がユラユラしなくなりますよ。


軸があるからユラユラしません。


人によっては 気付く領域にいながら頭だけユラユラしている人、軸はあるけど気付く領域にいない人、気付く領域にいないし軸もない人と様々です。


それを調整していくだけですよ〜

『物事を憶測で進めるのはいけないことなんですか?
そういうのは ジャッジと言わないんですね。』


と 聞かれました。



物事を憶測で進めることは、良いことでも悪いことでもありません。



自分に正直に生きるって、まずは、自分自身の事実を認識することから始めることだから そこに憶測ということ自体が持ち込めないです。


だから、物事を憶測で進めるのは、自分に正直に生きるとは言えない ということになるのです。


良いも悪いもないのです。



自分に正直に生きていないと 常に苦しみが伴いますよ


なぜなら、魂に背く生き方だからです。


でも それでも、 魂は応援してくれます。


寄り添ってくれています。


有り難いです。


魂の有り難さを感じて、あなたはどう生きますか?

真実なんて本当のところどうだっていいんだ。



できる!と思い込んで、その通りに生きれば、そのようになるし

できない!と思い込んで、その通りに生きれば、そのようになる。



それだけのこと。


だから、心の中の負の感情を解放することによって できる!未来をつくっていくだけなんだと思うよ。



そして
できる!未来をつくるためには、恐怖心を克服すること。


失敗を恐れていては、前に進めないんだ。



恐怖心があるから
できない自分で居たいんだ。


過剰な自信はなくても、恐怖心はないほうがいい。


恐怖心を克服するために、目の前に起こることを謙虚さを持って体験していくだけ。


わたしは ずっと、ずっと そうやって 人に接して、生きてきています。



それは これからも変わらない。



人に対して 大切に丁寧に接することは
自分を慈しむことにも繋がります。


今 こうやって 書いていると、温かな何かに包まれている気がします。


そして 涙が自然と、溢れます。




辛いことなんてなかった。


人に対して大切に丁寧に接して、辛いことなんてなかった。


どんなにわたしを嫌な人と接してもわたしは人を愛した。


愛することをやめなかった。


人を思いやるということは、相手の立場になって考えて行動することだと思う。


わたしは常に相手の立場を考える。


人は その時その時の立場で生きているからだ。


ひとりの人でも 母の立場、妻の立場、職場での立場、社会的立場と さまざまな顔を持っているものです。


さまざまな立場をその時に応じて考えて接していきます。


してほしいこと、してほしくないこと、されたら困ること

常に、考えて行動しています。



思いやりって ただ 手をさしのべるだけではなくて、 相手のことを常に考えて、それに応じた行動をすることなのです。


助けてほしいと言わなくても、本当に困っていたら 助けることなんです。


その人の成長を考えたら、手を出さないことがよいのです と言われるかもしれないですが わたしは掴んだその手は離さない。

助けを求めることができない人がいる。

それは意地をはっていたり、プライドがあったり するかもしれない。

だけど そんな人にも察して、手をさしのべるのです。


それが 優しさかなあ と思います。


待ってるだけでは気づかない人もいる。



人は人の温かみを感じたら前を向けると思うから わたしは 人を思いやることはやめない。


例え、お節介にうつることかもしれないけれど、関係ない。


これが わたしの愛し方です。

だって、キライなんだもん♪


以前のわたしは よく、言ってました^^



キライだから、〇〇しないの。


キライだから、◎〇◎するの。



キライを楽しんでいました♪



ネチこく何かをするのではなくて
明るく、キライ♪を楽しんでいました。


結局、楽しんだ者勝ちです〜



キライ!イヤだ!苦しい!を押さえ込んで、癒しを求めるのではなくて 表に出すのです♪


イヤだ!キライ! ハッキリ言います。



わたし、超 痛いのがキライです。 痛みに弱いです。

注射はその最たるものです。

わたしに注射を向けようとすれば、騒ぎます。

未だに、痛い!痛い!と泣き叫びます^^


自由で〜す


自分の大事な愛やお金を奪われたのだから、もらって当然なんだ。

愛をもらって当然。

お金をもらって当然。



そんな想いで生きている人がいらっしゃいます。


行き場のない想い、、、というか 人から奪うことで快感を得ています。


愛はなくて平気。

お金さえあれば平気。


だから、悩まない。



お金を得ることで安心します。


そのため お金のかかることは極力、しません。


真面目にコツコツ働きます。


だから 一見、良い人に見られます。


安心をお金で買うことで満たされて、満たされるためのお金を得るためにコツコツ働きます。


目的はしっかりしているのです。


軸はあるのです。


しかし それは、愛と呼べるものではないのです。



生きがいは、復讐であり奪い取ることです。


生きがいがハッキリしているから、愛などいらないのです。


お金さえあれば生きていけるのです。




そのような方の魂はは、自分を見つめさせるために あえてお金をなくすような出来事を起こします。

正当な理由でお金がなくなっていきます。


しかし その意味がわからず、無くなったら また、コツコツと働くのです。



そのような方は 人の親切心、思いやりの気持ちがわかりません。


自分に取って必要ないからです。


だから エネルギーには無頓着でわからないのです。

ハートがしっかり閉じているためわからないのです。


愛よりも復讐優先なのです。



でも そんな復讐目的で生きてきた人にもハートを開かせるようなことが起きています。


それは、ソウルメイトとの出会いです。


復讐なんて止めなよ!とソウルメイトは止めに来てくれます。


復讐とソウルメイトとの愛、どちらを選ぶかは自由なのです。

逆に 人を傷付けてしまった場合には、謝るのです。

それしかないです。


いくら 謝罪の想いを飛ばしたとしても、許されないのです。


直接、謝るのです。


そして もうしないことを誓い、相手を敬うのです。



人を傷付けたことは棚に上げて、自分が傷つけられたことばかり主張する人がいます。


恨まれて当たり前。
許されなくて当たり前です。



自分に正直になるって 傷つけられたことも傷付けたことも 同じように認めて受け入れることなのです。



自分が傷付けたのなら、自ら謝らなければ許されないのですよ。


自分が心底、謝罪して心を入れ替えなければ許されないのです。


心を入れ替えるのです。

人を許せない気持ちの追加事項です。


内観浄化しても核みたいなものは残っている、と書きました。


この状態では あらかた自分自身は許しているのです。


許しているのですが魂は傷付いている という状態なのです。


魂は傷付いているから癒しが必要なのです。


そこで 相手からの謝罪、相手の心の入れ替えが必要なのです。


傷つけられた魂を癒すのは、相手の心底からの謝罪であり心の入れ替えなのです。



今、癒しが必要と叫ばれていますが それは傷つけた本人がわかっていなかったり心底 謝罪して心を入れ替えていないせいなのです。



だから、もし あなたが人を傷付けたのならば 必ず、謝罪して心を入れ替えてください。


そこをほおっておかないでください。


心の入れ替えをするまで は 相手の魂は傷ついたままですし、相手からの見えない矢は飛んでくるものです。


辛いよ!苦しいよ!と、相手から矢が飛んできます。


あなたが心を入れ替えるまで永遠に飛んできます。



今、そんなエネルギーが飛び交っている世の中です。

わたしは、自ら体験したことを通して、ブログを書いています。




人を許せない!って気持ち、以前のわたしは持っていました。


今は、ナイ^^


どうやって、克服したかと言うと、内観浄化ですが 最終的には、相手がわたしに対して謝罪したから なのです。


心の底からわたしに対して謝罪したからなのです。



人を憎む気持ち、許せない気持ちってものすごく苦しいものです。


そんな物々しく重い気持ちは持っていたくありません。


だから、苦しいのです。


その苦しさから逃れたくてよけいに、許せない〜って思うのですが、結局 その苦しみから逃れるには、相手からの謝罪が必要なのです。



相手が心底、謝罪すると やっと自分の気持ちが晴れるのです。



わたしは直接、やり取りしたわけではないです。

なぜなら、もう 亡くなられた後だったので。



だけど 亡くなってもエネルギーはあって 相手がわたしに心底(これを心底と言うのかは不明ですがf^_^;)謝罪してくれたから わたしは楽になりました。



だから もし、あなたに許せない人がいたなら 直接、相手と向き合って心を入れ替えてくださいね。




自分の内側と向き合っていくと 感情はなくなってはいくのですが、相手が心底、謝罪するまでは、核みたいなものは残っているものです。


自分が内観をしていくと、相手のエネルギーも動くので 相手が自分に謝りやすくなるものです。

しかし 人はそうそう謝ることができないようです。

プライドが邪魔するのかな?

それを越えて謝ると互いに楽になるのですが 相手が謝ることを強要することはできないので、相手の謝罪を待つことになります。


待つのって苦しいです。

自分が行動を起こすことは自分の想いひとつで出来ることですが相手を動かすのは骨が折れるものですね。


相手が謝りやすいように、許しを進めていくのですが 核はどうしても残るので、古傷が疼くようになります。


辛いです。。。


だから、その辛さから逃れるためには、相手と向き合うことですよ。

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