この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2017年03月

こうやってみると、SNSというのは自己主張して認められたい人の集まりで 自分に自信のない人の集まりなんだろうなあ ということがわかる。



自信がないと自己価値が低くて、自分に値段をつけることができない。


自分の作品を極端に低く見積もったり、相手に値段をつけさせたり、こだわりの〇〇〇という明らかに価値がわかるものを取り入れたりして、いかに自分の自信のなさを隠すことをしようてする人が多い。



こだわりのお米で握らなくてもわたしのお握りは、非常に価値あるとわたし自身は思っている。


だから、価値がわかる人にしか握らない^^




自分の価値って値段をつける云々じゃなくて、どれだけ自分は価値ある人かをわかっていればいいのだと思う。


だれもが価値ある存在だから、それに気づいてほしいなあ と思います。

その努力、楽しんでしていますか?
しなければいけないって無理していませんか?
無理やりなことは続かないですよ

だけど、初めは まずは無理やりから始めるものです。

たぶん 努力することがイヤになってきているんじゃないですか?
いつまでやらなきゃいけないんだろう とイライラしているんじゃないですか?


継続するって大切なことです。

目標達成できない人の多くは継続力がないからです。


継続力がないことの言い分けでいつまで続くんだろうと悩んだり、動いてくれない現実に苛立ちます。


それぐらいの努力では現実は動かないです。

だって、時間軸が違うから。


いつまでかかるの?

わかりません。




だけど 信じて努力した者は必ず、叶えられます。


信じることです。


今、自分が努力していることは 必ず、叶うと信じて進むことです。


継続力には自分を信じることがセットです。


それが自信に繋がります。

自己価値は心の裕福さで計ることができます。


そして 心の裕福さは現実的なお金に比例するものです。



心が貧しくて お金を毛嫌いしている人は裕福になることを制限しているのです。


また、今までの心の貧しさから脱出できたとしても、今のままで十分だと謙虚にならなければいけないと思っていると豊かさは遠退くものなのです。



『足るを知る』
という諺があります。


本当に今のままで十分だと謙虚に生きている人はお金も増えていくもので、 謙虚にならなければいけないと我慢している人は 現実的な金銭面には反映してこないものなのです。


自己価値が低いと、自分の意見をハッキリ言えない傾向があり、また 低いが故に覚られたくなくて、見栄を張る人もおられます。


自己価値が低いと、自分に自信がなくて自分の意見を言えなくなるか自己主張が強くなるかどちらかになります。



自己主張と自分の意見を伝えることは違うのです。


それを履き違えている方も多いです。



それ故に 自己価値の低い人は経済観念がしっかりしていないという特徴に出やすいですね。


自己価値が低いから、物質で補おうとします。

そのために、お金を使います。

結果、お金はなくなります。


だけど、自己価値が高ければ 補おうとしなくなりますので、お金が減ることはなくなります。


また 自分は裕福になる価値がないんだと制限すると 豊かさ(お金)は巡っては来ないものなのです。



自己価値の高い人=自信のある人は、高ければ高いほど 謙虚になるものです。


それは 何を言われても何が起ころうとも自分の価値は下がらないということがわかっているので、頭を下げることが出来るのです。


しなければいけないと頭を下げるのではなくて 自分の意志で自ずと頭が下がるのです。


結果、より豊かになるのです。



お金が欲しい、裕福になりたいと思っている人は多いです。



裕福になりたければ、まずは経済観念をしっかり持って自己価値を上げることです。


いくらお金を稼いでも 自己価値が低いと、使いすぎてしまい 豊かさからは遠退きます。


まずは、経済観念をしっかり持つことで 自己価値を上げて、自分に自信が持てるようにもなりますよ。


お金のお勉強は大切ですね。

女性のお口が黙らないのは、愛する男性からの愛がないから。


愛する男性から愛をたっぷり与えられれば女性は、黙りますっ。


癒されていない女性は自己主張を続けます。


慎みなく主張し続けます。


自己主張の強い女性が多い世の中です。。。


愛する男性から愛されるには、まずは黙ることですわねぇ。



女性が二度と自己主張をしないと腹を括ることで、男性の活力を促し愛を得ることができるのです。


女性は慎み深くなければなりません。



何事においても 女性が先に腹を括るのです。
決断するのです。


女性と男性の関係というのは、女性側の準備ができた時に男性は発信できるようになるのです。


女性の受け入れ体制が出来ていないと、男性側は発信できないのです。



彼がプロポーズしてくれない というのは、女性の受け入れが出来ていないせいなのです。


結婚生活をしていけるだけの器が出来ていないから、男性はプロポーズできないということになりますね。



一緒になって、ダメなら離婚すればいいと言うような軽い気持ちでいては 本当に愛する人とは一緒にはなれないものです。



二度と、心を離さないという覚悟や何があっても別れないという覚悟が必要です。


浮気されたら?

浮気されるような女でいることが問題があるのです。



浮気されるような女でいるから男性の愛が発信されないのです。



女性は慎み深く、かわいく、居るべきなのです。



男性に牙を向いたら男性は逃げたくなりますし、甘えさせたら子供になってしまいます。


男性は男性として機能できるように扱わなければなりませんね。


男性には常に雄々しくなっていていただかないと、困ります。


困ります(*^.^*)




ままのままは黙りましたが、mamachanは喋り続けます。


よろしく〜☆

発達障害とか障害者とか 最近、耳にしますが


この世に生まれている人って みんな、何かかんか障害を持ってるんじゃないの?


憎しみが強い人は憎しみ障害だろうし 悲観的な人も悲観的障害と呼べるだろうし やたらと視力が良い人も視力障害だろうし

上から見たら、みんなみんな 何らかの障害を持っている人たちの固まりだと思うわ。


それを 自分は障害者じゃないと言う人はおかしいと思う。


自分を完璧だと思うほうが頭がおかしいんじゃない?って思う。


障害者と健常者の線引きってどこなの?



何かしてもらったらありがとうと言えないのはありがとう障害だと思うし
悪いことしてもごめんなさいが言えないのはごめんなさい障害だと思う。


そして そんな障害者の中から選挙でまとめる人を選んだりしているわけで
また 障害者が親として子供を生んで育たり 障害者である教師が子供を指導したりしている。


そして、完璧じゃないことに腹を立ててる。



みんなみんな、完璧じゃないから、人を責め立てるのはおかしいと思わないのかな?


完璧じゃないのに、大きな決断ができるわけないじゃない?

それを自己主張で押し込もうとする。



みんながみんな完璧じゃないから マトモな判断ができないの。



その中で生きているの、わたしたちは。



だったら、何をしたらいいかと言ったら
まずは、自分は障害者だと腹を括って 自己主張せず、毎日 反省して生きること。


そして、誰もが障害者だからと許し合うこと。



そしたら 少しはマトモな判断ができる人が現れるはずだと思う。



それでも障害者には変わりはない。



自分を過信せずに、毎日反省して生きていく世の中になれば この世界は少しは変わっていくのだと思います。

わたしは根本的治療のためにいろいろと手を尽くすほうだけど 人は、治すことよりも癒されることを求める傾向にある。

そのため わたしのようなやり方は嫌われてしまうのではないか?


嫌われたくないから書いているのではなくて、なんとなくそう感じたから書いているだけだけど。



今日は、わたしは厳しい言葉をかけるばかりで優しくないのかもしれない
と感じた一日でした。



優しい言葉をかけてもらって嬉しかった とか 心が軽くなった とか 言う人の話を聞いて、わたしはどうなんだろうか?と疑問を持ちました。


わたしは人に対して優しいのだろうか?
本当に思いやりがあると言えるのだろうか?


わたしは言われたくないこともズケズケ言っちゃうから、嫌われてしまうんじゃないだろうか?



キツい言葉を言われ馴れていない人からすると、わたしは嫌われてしまうのではないだろうか?



人から嫌われてしまうのではないか?という怖れを持ち合わせていないから 正直に話し過ぎる傾向がある。


なるべくオブラートに包もうとするのだが そのまま発信してしまう。


悩んでいる人の悩みを解決することが先に立ってしまう。

だから、ピッピとペッぺをしてしまう。

だけど、それよりも ただ、心を軽くしたほうがいいのかもしれない と、感じた。



解決しなくても心を軽くしたりモヤモヤを緩和させたほうが喜ばれるのかもしれない。



解決しなくても、楽になれればいいのかなあ〜



痛い注射をして治すより撫でて痛みを緩和することのほうが人は嬉しいのかもしれない。


人は治らなくても緩和されるだけで嬉しいのかもしれない。



優しさごっこを人は求めているのかもしれない。

わたしのブログを読んでいると 地に足のついた生活をしていない人に対してジャッジしてしまう傾向があると思うのです。

そして ジャッジしてしまうこともいけないこと。。。とジャッジする傾向もあるのです。


これは わたしの記事自体がわたしに向けて書かれていることにあります。

わたしが地に足をつけた生き方を望んでいるからです。


それがわたしの中心軸になっています。



そのため、違うなあ〜と感じる方がいることもわかっています。



だから、違うと感じる方はスルーしてくださいね。

日々、内観浄化を繰り返していると きちんと地球にグラウディングが出来てきて、自然に感謝が溢れるものです。


天や地球からの恵みに感謝が溢れてきます。


生かされていてありがたいなあと感じます。



でも この感覚って、いつでも起きるものではなくて 人との関係に身を置いている時や仕事を頑張っているときは 薄れています。



実際に、仕事をしている時にこの感覚に陥ると、仕事ができなくなります。


それは、今は、まだそれが現実的じゃないからです。



グラウディングできていることと、地に足のついた考え方ができる時って違うのです。




今、実際に グラウディングできている人が増えています。


感謝が溢れた生活をされている方もいらっしゃいます。


だけど 地に足のついた考え方ができるかといったら別物なのです。




本来なら、グラウディングできていれば魂としてはOKですが 人として生きている以上は まだまだ、認められていない世の中です。



だからこそ、まずは グラウディングが出来て 感謝が溢れる状態にしてから地に足をつけて生きていくと人への配慮や思いやりを持って生きていけると思うのです。



わたしたちは天や地球の自然の恵みに感謝すると共に 人に支えられていることにも感謝して生きていけるといいなあ と思います。



今はまだ、お金を必要とした生活をしているわたしたちですから、生きていくためのお金を稼ぐために どうやって生きたらよいかを考えるべきだと、わたしは感じています。


グラウディングできればよいというものではなくて その先の地に足のつけた生活をすることが大切だなあ と感じています。

さいきん わたしが感じているのが
こどもは親を選んで生まれてくるって言われるけれど 実際は こどもはDNAを選んで生まれてくる ってことです。


だから、子供だからといって 片親のコピーになるわけじゃなくて
両親、またおじいさんおばあさんのよいところを受け継いで生まれてきますよね?

わたしのフルネーム鑑定でも基本になっているのは それなのです。

自分の将来は、DNAがわかれば大概がヒモが解けるものです。



小さな頃って それが顕著なので だから、小さい頃の想いを思い出すと、自分のやりたかったことが思い出すことができるものなのです。


今まで当たり前にあったものとの悲しみ また、大切な人との別れ。




人は死に直面して、初めて自分を見つめ直すことができる。




ヌクヌクしている場所で生きていたって成長できないものかもしれない。


自分の限界を見つめて、自分の命と直面することで、生きていることを実感できるのかもしれない。


実際に、被災者の方々と話をさせていただく機会があったのですが、しっかりしてるなあ〜、輝いてるなあ〜と感じました。


また、死んでしまったら、もともこもないけれど、挑戦したいってわかる気がする。


何をして生きている実感を得るのかは、人それぞれ違う。



どんな小さなことでも、魂の存在を感じることや生きている実感を得ることや命の大切さをわかることで人生を生きるのだと思います。



自分がどんなことで生きている実感を得ていくのかは、生まれる前に決めてくるのだと思います。



昔、昔 ハートが開いていなかった時は 何が起きても感動もなにもなかったけど ハートが開いてくると、どんな小さなことでも感動して涙が溢れてくる。



今は『命をなくす』という恐怖心はないけれど、『命があることを実感して生きている』という責任感があります。


そんな毎日だから、大きなことをしようなどとは思わなくて、毎日、命があることを実感して生きようと思うのです。



命のことを考える時にセットで頭によぎるのがツインフレームの存在です。


命=魂=ツインフレーム なんだなあ〜って思います。


自分の命に直面して思うことは、ツインフレームの存在です。



命があることを実感して生きることはツインフレームを感じて生きること。



最終的には 誰もがそこを目指していくのだと思います。



ツインフレームと一緒に生まれてきていない人は この世界で何かの行動で命があることを実感して生きることをしたいのだと思うし、ツインフレームと一緒に生まれてきている人はツインフレームを感じて生きるのだと思うのです。


それが命を輝かせて生きるということだと思えるのです。



命を輝かせるために、わざわざ表に出ていかなくても、今居る場所で輝いて生きていればいいと思うのです。



人はどこにいても輝いていられるのです。

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