この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2017年05月

困っている人を見るとほっておけない という人は困っている人を引き寄せるし、認められたい人に対して何か心に引っ掛かりがある人は認められたい人を引き寄せるし、許せない感情のある人に対して怒りや癒したいという思いがある人は許せない感情のある人を引き寄せて、学ぼうとする。


自分の内側にないものは引き寄せない。


こんな単純なことなのに、その渦中にいると わからなくなるようです。



自分を成長させるために目の前の人は 許せない人になったり認められたい人になったり 困っている人になってくれるのです。


引き寄せってこんな単純なことなんですよ。


何故、この地球に時間が存在するのか?と言ったら

『制限』の中で集中するためです。



時間のない宇宙では『制限』がなくて『集中する』こともないのです。


それでは 成長ができないのです。



成長するために『時間』がつくられたのです。



地球には『時間』があります。


だから、地球は学ぶ星なのです。



肉体があるのも、『制限』されるため。




わたしたちは 人それぞれ、『制限』を楽しんでいます。

人から認められたい という感情は利用されやすい。
何故なら、その人を取り込み依存させることで 自分の思い通りに操れるからだ。

共依存の関係だ。

依存させて思い通りに操る。


そんな共依存の関係に正常な感覚の持ち主が入ると、正常な感覚の持ち主の方が異質に思われる。

一般的には、共依存の関係に疑問を抱いて、離れていくのが普通だからだ。


これからの世の中は そんな共依存の関係は変化していくのだろうか?


していくとすれば、依存している者が疑問を抱くというよりも
依存させている者の意識が変わり、依存させないように働いていく のではないだろうか?



共依存の関係は、周りからみると厄介だ。

認められたい想いで自分の仕事をより増やし、能力があるように見せるからだ。


人の仕事を取りたがる。

仕事がないことが不安になるからだ。


周りにいる者はたまったモンじゃない。


人の仕事をうまく取っていく。

人の仕事をして、共有しない。

人の仕事を取っているという意識がないため、共有しない。

申し送りがない。



仕事というものは個人の仕事と共有してする仕事というものがあるのだが、認められたい人は共有してする仕事を自分だけの手柄にしようとするようだ。



自分の仕事で手一杯の時には助かるのだが、やろうとすると、ない。

すでにやってあったり、形が変わっていたりする。

相談もなく、勝手にひとりで仕上げてしまう。




最初のうちはありがたい〜と思っていたけれど、最近は非常に困る。


相談、申し送り、報告、連絡、お伺い がない。


認められたい人と仕事をするのは厄介だなあ〜

わたしは人にお話しをさせていただく中で、先記事に書いた 責任感を持つことや集中力や注意力を高めるコツなどをお話しをさせていただくことが多いです。



しかし 最近の傾向としましては、頑張ることはよくないと言われている方も多いです。


それは 見当違いに頑張っているからです。


人の評価を気にして頑張っていたり人に迷惑をかけることはよくないからと頑張っていることって、無駄です。




それって 心の中で起きていることであって、目の前に起きていることではありません。


一生懸命の矛先が違うようです。


目の前に起きていることをきちんと見えていないようです。


自分の心を見つめて毎日、反省して過ごせば 見えてくると思います。


反省がないから起こるようですね。

わたしは普段はスピリチュアルとは真逆な仕事をしているんです。


その仕事をしていて思うのは、仕事というものは片手間に出来るほど甘くないし、責任感が伴うものだ ということなのです。



わたしがひとつミスをおかすと、周りの人に迷惑がかかるし、時間も余計にとられます。


だから、仕事に取り組んでいる時は、非常に集中しますし、注意力も求められます。


そのため 仕事が終わると脱力感で、あとは何にも出来なくなるのです。


ハッキリいって主婦との両立はキツいです。



仕事には必ず、責任がついて回るものです。


ひとつ間違えば、命に関わることも出てくるのです。


それ故、資格試験が難しくなっているのだと思います。


その資格があれば、プロとしての責任が問われるのですから責任重大ですね。


だから、おいそれと許可できないこともあるわけです。




今の世の中は、このように、責任感を持って仕事をしている人もいれば、責任感を持たずに暮らしている人もいるわけです。



スピリチュアルな記事を書いて読者の方と交流していると 責任感のない発言をされている方が目立ちます。



現実のわたしの周りには、責任感を持って仕事をされている方々が多いです。

そして、スピリチュアルなことも知らずに生きていても幸せを感じて過ごされています。



人として生きるためには 反省することが大切だと 先記事で書かせていただきましたが、責任感を持って仕事をするためには まず、反省をすることで集中力や注意力が育つのだと思います。


スピリチュアルなことに目を向けることは楽しいかもしれませんが、集中力や注意力を育てることにも関心を向けていただきたいものです。

人が何か事を始めたいと考え行動するためには、周りの支えが必ず、必要になるものです。


しかし、自分の力を誇示し 自分だけの力でやりきるんだ!と頑張ったとしてもうまくいかないものです。


挫折して初めて、自分の愚かさに気付き、周りに対して感謝の気持ちが芽生えるのです。


そして 感謝の気持ちを胸に再起をはかることで成功し、心も物質的にも満たされていきます。


しかし 人というのは愚かなもので、また 感謝を忘れるのです。


すると また、うまくいかなくなります。


しかし、事業としては成功していると 自分がまさか感謝の心を忘れているとは思わないもので、気づくのが遅くなります。

すると 感謝を忘れていますよ〜というサインが身体の不調に現れるようです。


立派な志しを掲げて、事業を起こしたのだから、感謝を忘れるはずはないのですが 日々の生活に追われ、反省がないと感謝を忘れることを繰り返します。



感謝というものは、日々の生活に身を置いていると つい、忘れてしまうものです。


そのためには、毎日、反省をすると良いでしょう。



感謝をしている自分、光り輝いている自分に酔いしれるのではなく 毎日、反省して過ごすことをお勧めします。



わたしがお勧めしている観念浄化ワークもグラウディングも反省することのできるツールです。


反省の仕方がわからない、内観の仕方がわからない人には、お勧めですよ。


わたしは、日々のお詣りや瞑想というものも反省するためのツールだと思っています。

魂の先導者ってホント大変だなあと思います。


光りに向かってまっすぐ進んでいるだけではなくて 絶えず、後ろを振り返って、付いてきているか確かめるのです。


足をくじいて歩けなくなっている人はダッコしたりおんぶして進むわけです。


最近、やっとおんぶしてる人が少なくなってきたので、楽になりました。
くっついて歩いてくれるようになったからです。

でも 歩いていると、わたしの列から外れていく人もいるわけです。


その時にはわたしが引っ張り上げたり、わたしのしっぽをくくりつけたりもします。


また、パトロールしながら先導していくので、光がわからずさ迷っている人を見付けたら、こちらから歩み寄りしっぽをくくりつけ歩みます。


パトロールもそうですが、常に周りを浄化しながら歩みます。


だから、上昇するのです。



先導するだけ、浄化するだけ ではなくてオールマイティーになんでも出来ます。


だから、いろんなことに首を突っ込むので わたしがブレると 頭をシコタマぶつけます^^


だったら、わたしの役目を少なくしてくれてもいいのに〜と愚痴も出ますが、そこは無理のようです。


人材がいないから。




ある程度育っても、今居る場所ががゴールだと勘違いしている人もおられます。


そういう人を見付けると、わたしのしっぽをくくりつけます。


しっぽはいくつあっても足りません。



身軽になりたいのですが、まだまだ まだまだです。



また、最近は 空ちゃんとの繋がりがより太くなりました。

そのため 空ちゃんも引っ張って歩んでいます。

一緒に歩んでいく、のが理想ですが わたしの方がオールマイティーにできるので 今はそんな関係です。



わたしが牽引します。


付いてきてくださいまし。



と こうやって書いてると、ものすごく大変なことをやってるように思われますが 現実的に見ると ただ、目の前のことを一生懸命こなし、相手を思いやり、真面目に生きているだけの人間です。


趣味という趣味を持たず、日がな一日、人のことを考えて思いやって生きています。


あっ 趣味は空ちゃんです。


失礼しました^^♪

049c1b90.jpg大切なもの。。。それは、自分の優しさや思いやり


誰もが思いやりや優しさを持っているものです。

それが 生まれてから今まで探していたものなのです。

探していたものは、すでに有るのです。

自分に備わっているものなのです。

たぶん わたしはずっと、いじめられてきたのだと思うけど、ある時から見方を変えた。

それは 相手のことを一番に考えて行動するようになったからだ。

まあ、いじめに屈しなくて いじめを逆手に取ったんだな。


いじめている方って 明らかに心が弱い。

声は大きいけど、心は弱い。



今は、こんな考え方はしないけど
かわいそうな人なんだ、と哀れみを持つようにしたんだ。


そして それに、応えるようにしていたら 暴力は止まっていった。


後は、言葉の暴力。

言葉の暴力というのは、その言葉にマインドコントロールされるから 質が悪い。

思考できなくなる。


だから、まずは感情から耳を塞ぐこと。


また 言葉と感情を切り離して、言葉だけ自分に取り入れるんだ。


例えば、 『バカヤロー』と怒りの気持ちを乗せられて殴られたとする。

それは バカヤローという言葉と怒りの気持ちと殴られる痛みに分けられる。


切り離された怒りの感情は自分には取り入れない。
すると、『バカヤロー』と言われても その言葉は意味を持たないから、『バカヤロー』ってなんだっけ?意味、わかんない って思うんだ。

で、殴られた痛みに対しては 『あら、痛い?』としか思わなくなる。



ただ、単に バカヤローと言われて 痛みを感じた に過ぎない状態なんです。


だから、ボケ?っとする。


ほんと、アホになったんじゃないかと思ったけど そうなることで 相手は怒りをぶつけてこなくなる。

だって 相手にしないから。。。



結局、相手は相手にするから、いじめてくるんです。

相手の土俵に乗るから攻撃されるのです。


怖い怖いと震えていると、よけいにやられるから 平然としている。


感情をぶつけられるから恐怖を感じるのです。


だけど 怒りの感情を感じなかったら平然としていられるから 相手は相手にしてこなくなります。



平然としていられると、相手は 逆に恐怖を感じるようです。

そしたら、手は出さなくなるし 暴力も振るわなくなる。



そして、こちらは、何事もなかったかのように声をかけます。



わたしは そうやって、いじめを克服しました。





今でも バカヤローと言われることありますが、意味わかんない〜って思います。


わたし、おバカなんです^^

また、わたしは 今の日本人が大麻を奨励することを好ましく思ってはいません。


それは 素人が手を出すものではないからです。


大麻の危険性はあるのです。
それは、錯乱です。



医療に関わるものは、医療従事者が責任を持ってなされることだと思います。


それを 医療従事者でない者が扱うことではないのです。


自己責任で自分自身のためにやっていることなら、罰する必要はないのでしょうが、自分以外の者にお勧めするのは、危険だと思います。

自己責任で済まないです。

重大な過失になるのです。



個人が重大な過失を負ったら、負った方も負わせた方も人生は終わってしまうのです。


よくよく考えたら、無謀な行為だとわたしは思います。



素人が手を出すことではないですね。

専門家に任せましょう。

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