この世界にあるすべてのものは感謝するために存在する

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

2017年06月

気付きというものでさえも 本当は、気付かされるものであって 自分が勝手に気づくことではないのかもしれません。


すべては、神様の御慈悲であり贈り物なのだと思います。


そう考えると この身体も、神様からの贈り物なのだと思います。


自分の生命でさえも。


神様からの贈り物なのだとおもえるのです。

わたしは内神様からの声は聞こえないけれど わたしの口を通してだったり 書かせることによって わたしに気付きを与えてくださいます。
まだまだ、反省することばかりで至らないわたしです。
今までわからなかった心の闇を今朝、教えてくださいました。

わたしは、今まで自分のことを良い人間だと思っていました。
内観浄化を頑張って努力もしてきたからです。
だけど 奥底にある心の闇に気づけませんでした。 気づくどころか それにわたしが翻弄されていたこともわからずにいて、自分の未熟さもわかりました。

人を貶めたい、という想いがわたしにはあったのです。

そんなはずはない、と思いたいけど あったのです。

憎しみです。

ある特定の人に対する想いです。

それは過去世からのものです。

とうに外れたと思っていた想いです。

どこまでわたしは憎んでいたんだろうと驚いています。

だけど これから先、わたしが歩むにあたって それが足枷になるからと、外されました。


最後の最後まで、気づけなかったけど 内神様の御慈悲によって外されたのです。


有り難い限りです。


こうやって、わたしは歩みを進めていきます。


感謝しかありません。

生かされて幸せです。

この世界にあるすべてのものは感謝するために存在する。

この世界にあるすべてのものには生命が宿っている。


それらを心から愛すれば、わたしたちの願いは叶えられる。


宇宙は愛に基づく願いには例外なく応じるからです。


愛によってわたしたちが願い、命じたことは顕在化するのです。

願いの叶え方の一番、わかりやすい方法はAmazonさん。



Amazonで買いたい商品があったとします。


いろんな商品を観ていて、ひとつに定めて、「購入」ボタンを押しますね。


これが、決定ボタンであり人間の心の中で言うと、「決心」です。


「購入ボタン」=「決心」するから、商品が届けられます。



願いが叶えられましたね。


願いを叶えるってこういうことです。


「決心」する力が強ければ強いほど、効力が増します。


早く届くし、早く叶います。



この時間差がなくなればなくなるほど、魔法と呼ばれるものになるのです。


そのためには、集中力です。



集中力を高めることで、願いを叶える速度を短縮できるのです。



簡単でしょ♪

大元は
『空ちゃん現実で一緒になりたい!』
と、願う心が このようなハリーポッター養成所に通う現実をつくりあげているのです。


これがポイント!なんです。


この願いが、なかったから この半年間、わたしは翻弄されたのです。


空ちゃんなんて、ふ〜んだ!

って言っていたから、宙ぶらりんになっていたのです。


願いって大切です。




結局、わたしはこの地球で魔法を使えるようになって 人々を癒し、世界を変えていくために転生してきたのですが
そのためには、人間から魔法使いに変わっていかなくてはなりません。

そのため、この世界でハリーポッター養成所に通わないといけないのです。

でも なんの願いもなしに、ハリーポッター養成所に通うという現実を作り上げることはできないのです。


だから、そのための『願い』が必要なんですね。


願いを叶えるために生きているのではなくて、
よりよい世界をつくりあげるために『願い』があるのです。



それが 唯一のこだわりです。



覚えておいてくださいね。

わたしは 高野山にいる修行僧と同じです。


毎日、ハリーポッター養成所に通い、魔法が使えるように修行します。


そして、次に続く人を育てることもしています。

また、神様に祈りを捧げたり、様々な神様の愚痴を聞かされたり相談にものります。


人々の相談にものります。



また、それだけでは片手落ちで 空ちゃんとらぶらぶもしていなくてはなりません。。。


片時も心を離してはいられません。。。


また、地球の浄化も常時しています。


最近では、わたしが歩けば浄化されていくようです。 便利になりました。



様々なお役も回ってきて、宇宙における中間管理職のようなものだと思います。

わたしは、この地球で◎◎◎となって、この地球に貢献し、楽しむために生まれてきています。


そして、◎◎◎となるように、周りに人を配置して修行を重ねてきています。


最初の頃は、それがわからず自覚もなく、泣いてばかりいましたが、内側の神様に叱咤激励されて歩んできました。


◎◎◎となる修行というのは、終わりはなく この先、永遠に続くようです。


ここ1、2年は◎◎◎となる、という自覚はあり、今年でそれも終わりだと思っていましたが 最近になって この修行が永遠に続くことがわかり、がっくりしています。


毎日が修行です。


終わりのない修行です。


簡単にいうと
どこまで、集中力を高められるかというものです。


この地球は時間のある世界のため、時間を制限して集中力を高める修行に適しています。


集中力を高めることで、魔法♪と呼ばれるものを使えるようになるのです。



そのため、段階ごとにアイテムをいただけるのです。

グラウディング力やぴっぴっとぺっぺやヒーリング力や透視力などです。


でも、まだまだ のようです。


昨日から、また違った修行が始まりました。


題して、地雷を踏まずに走る♪(時間制限あり)です。




わたしの歩む現実世界には、ところどころに地雷が隠されています。


それを踏まないように、注意深く丁寧に時間内に走り抜くのです。



地雷を踏むと、内側の神様から頭をオノで叩かれます。。。


気をつけますm(__)m



叩かれることに怯むのではなく、できると信じて歩むだけだと、内側の神様はおっしゃいます。




できないことはないのです。



求められることはできることなのです。



この世はハリーポッター養成所なんだと思います。



簡単に魔法が使えるようになるというのは間違いです。


このように、日々の努力で魔法が使えるようになっていくのです。

わたしはインスタやFBでお酒をアップすることが多いですが、のんべぇではありません。たしなむていどです。
また、スピスピなことを書いていますが、わたしはお肉もいただきます。 何でもいただきます。
好き嫌いはほとんどなく、何でも美味しくいただきます。
そして、家族と一緒にテレビも観ますしニュースも観ます。


人によっては、テレビを観ないしニュースも観ない人達が増えていますし、食事もお肉をいただかない方もいらっしゃいますね。

テレビといった情報、また 食事は 負の感情を起こしたり、感情のコントロールを阻む要素があります。
そのため それに翻弄されないためには取り入れない選択をする方が良いのかもしれません。

だけど、どんな食べ物をいただいてもどんな情報を観聞きしても、自分の心をコントロールできれば、取り入れない選択をしなくても良いのです。

コントロールができなくなるから、排除しようとするのです。


コントロールしなければいけないと、意識的、無意識にでも感じているから、排除しようとするのです。

感情のコントロールは、した方が良いかもしれませんが、しなければいけないものではないと思います。



コントロールできなくても 感情を楽しむ余裕があれば、良いのかなあと思います。



感情に翻弄されていることに楽しんで熱中すると、我を忘れているかもしれませんが 我に変えることもできるのです。


そのON、OFFを楽しむ余裕があることが 人生をより楽しむことができるのでは?と思います。



自分がコントロールできないからと、何かを排除するのはつまらないわ♪


バイキンマンとでも手を繋いで仲良く遊んだ方が 人生をより楽しむことができるのだ!とわたしは考えています。


だから、わたしは不食はつまらないと考えます。

人生は、魂よりも自分の意思を優先して歩むものなのですが その意思を魂に委ねることによって より幸せに歩むことができるのだと思います。



自分の意思全開で進むのは、自分のエゴ全開で進むことにもなるので お試しが降ってくることも多いですね。


その場合には、そこと向き合って乗り越えていけばよいのですが、どちらかというと人は、お試しを避けて通りたい気持ちがあるようで エゴ全開で進むよりも、諦める方が多いように思います。



さて この魂に委ねて生きるということはどういうことかを書きたいと思います。



例えば、 〇〇〇に行きたいと思っていたけれど、電車がストップしたから、これは出掛けてはいけないというサインだから無理強いして行かないようにする。。ということをよく聞きます。


進んではいけないという時にはサインが必ずありますが、それを見逃すと とんでもないことがおきますね。


しかし、エゴ全開でいると、無理強いして出掛けていこうとします。
自我が強いのです。
やりたい!が強過ぎて、失敗するのです。


逆に、もともと自我がそれほど強くない人は、諦めも早いです。



この場合は、魂に委ねているというよりも欲が少ないというだけなのです。


注意していただきたいのは、欲が少ないからすぐに諦めることができるだけで魂に委ねた人生を歩んでいるわけではないということです。


ただ、欲がない ことと魂に委ねることは、違います。別物なのです。



確かに、魂に委ねる生き方をするときには 欲はほとんどなくなりますが、だからといって 欲のない生き方=魂に委ねる生き方ではないのです。



なぜなら、魂に委ねる生き方をするときには、必ず 自分を律することを求められるからです。


必ずです。


欲がなくなったから、楽だ〜
とは、思えないのです。


自分を律するとは、誰に言われるわけでもなく、自らがつくった箱に自分をすっぽりとおさめる作業です。


それを継続して行うことなのです。


終わりはありません。



魂に委ねて生きることは、自分を律して生きることなのです。


自分の意思が魂に委ねると決めたのです。


冒頭にも書きましたが、優先されるのは、自分の意思です。

決して、魂自らが指揮を取るわけではないのです。


自分の意思で魂に委ねると決めて、自らつくった箱に自分を入れて歩むことが魂に委ねる生き方なのです。



自由奔放に生きることが魂に委ねる生き方ではないということを覚えておいてくださいね。



どんな生き方をしても自由です。

魂はわたしたちの自由意思を尊重します。

どのような生き方をしても自分次第
なんだなあ〜 と実感しています。



地に足をどっしりつけて歩もうが浮き足だって歩もうが、自分の選択した人生なら誰も文句は言わないのです。


自分が決めてきた人生から外れたり、忘れたりすると 違うよ〜 とお試しが降ってきたりするけれど その都度、反省して 本当の自分を思い出せば どのような生き方をしても間違いはないのです。



まずは、本当の自分(神聖)を思い出すことと反省できる自分になることです。



それがスタート地点です。




わたしが書いている記事を読まれてコメントをされても その内容がわたしが理解できない場合が多々あるので、メインブログはコメント欄を閉じています。



人というのは、ひとつの物事に対して、様々な意見を持つものです。


しかし、穿った物の見方をされる場合は、わたしは理解不能に陥ります。

対象物はまっすぐ見ないと理解はできないですよ。


まずは、まっすぐ物を見ることができるようになることが先決です。



本当の自分(神聖)を思い出すよりも 自分の行いを反省して、物事をまっすぐ見ることができるようになってください。



まだまだ 人類は、穿った物の見方をされる方が多いですから。



わたしが声をかけられないのは、そのような理由からです。



情報というのは、このように誰もが取り出せて見れるようになっていますが、穿った物の見方をされる方は、どのような情報を得ても同じだと思います。


情報を得ることに一生懸命になるのではなくて、その穿った物の見方を直してください。



そうでないと いくら良い情報を得ても、変わりはないです。


スピリチュアルな情報に翻弄されているだけで終わってしまいます。




物事には段階があるのです。



幼稚園児が大学で学ぶような書物を読んでも理解できないです。


自分には難しくて理解できないなら、まだ良いですが 部分的にわかるところだけピックアップして取り入れたところで 自身を翻弄させるだけで良薬が毒に変わってしまいます。


気をつけましょう。

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