この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2017年07月

食べていけるだけで十分、幸せ

そんな心境になれれば良いと思っていませんか?



確かに、生かされていることに感謝をして生きることは素晴らしいことです。


この世界の皆が皆、そのようなココロモチになることは理想です。



だけど、今生に生まれてきているわたしたちは、それだけが目的ではないようです。



食べていけるだけで十分幸せ、というココロモチが前提にあり、それ以上の豊かさを求め、その豊かさを世の中に還元することを目的として生まれてきている人もいらっしゃいます。



よりよい世界をつくっていくためにわたしたちは生まれてきています。

獅子座の新月は、まさに感謝を伝えるにふさわしい新月です。


なぜなら、この獅子座の新月は、パートナーや仲間との関係をステップアップさせるのに、ふさわしいからです。



感謝を伝えるって、相手と対等な関係をつくっていく上で大切なことなのです。



以前にも書いたことがあるのですが、信頼関係は礼を尽くすことから始まります。


言葉で言わなくてもわかる関係であろうと、伝えることでより、関係が良好になるものです。



感謝を忘れずに伝える、礼を尽くすことで、人と人は、互いに信頼を得ていくのです。


きちんとお礼を申し上げることができるだけで信頼の度合いが変わります。


しかし、言葉だけではなく態度が伴っていないと話しになりません。



だから、感謝を態度や行動で示すことが必要になってくるのです。


人から誠意を向けられたり親切にされたら、必ず 感謝を態度や行動で表しましょう。


礼を尽くすのです。


直立不動でありがとうと言う人はいませんね。

必ず、頭を下げるはずです。


それに、メールよりもお手紙ですね。


誠意を見せるのです。


感謝を表すことに際限はないのです。



わたしたちは、魂の上に自由自在に動く口や手や足を持って生まれてきているのです。



感謝を表すために肉体を持って生まれてきているのです。

人は皆、人生の中で、誰かのお世話にならなかったことはないと思います。



辛いときや泣きたいときにそばにいてくれてありがたいと思っても、その後 自信がつくと、自分ひとりで立ち上がったんだと錯覚して感謝を忘れてしまうかもしれません。


また お世話になっておきながら、後ろ足で砂をかける人もおられます。


スピリチュアルな人は、エネルギーが変わったから という理由で、お世話になった人から離れていく人もおられます。


それを見ていると、なんとも不思議に思います。

ご縁があるから、お世話になるのです。


感謝を忘れること自体、後ろ足で砂をかけることだと感じます。



今は御中元の季節でもあり、お世話になった人、なっている人に感謝を伝える時期です。


忘れているなら、思い出す時期なのです。



感謝をすることを忘れていたり、怠るから、心身に不調が生じるのです。

それを医者に診ていただいたり薬を飲んでも治らないものですね。


感謝を忘れないように生きていきたいものです。

人生、長い間生きていると順風満帆にいくこともなくて、山あり谷ありで人にお世話になることもあるし、迷惑をかけることも大なり小なりあると思います。



この時期は、御中元の季節でもあり、お世話になったことを思い出すこと時期でもありますね。


感謝を忘れてはいませんか?


思い出さなきゃいけないくらい忘れていませんか?




人は自分がしてあげたことは忘れないものですが、してもらったことは忘れる性質があるようです。




人の奉仕や施しって、感謝されたい気持ちや自分を認められたい気持ちがあるためされる方もいらっしゃいますが、逆の立場になってみると、それでもありがたく嬉しいものです。



どんな施しでもありがたくいただきたいですね。


感謝の気持ちを込めて接することで、施された方も癒されていき、認められたいとか感謝されたい気持ちで施すことがなくなり、思いやりが育つのだと思います。



お世話になった人、お世話になっている人、誰しもがいると思います。


忘れないようにしたいですね。

相手に不満や意見があるなら、伝えるべきだと思う。


感情的になるのではなく、伝える。


それを相手が受け取って、どう感じるかはその人の問題。


伝えるまでは、自分の責任。


相手に伝えてからは、相手の責任。



相手がそれを受け取って泣こうがわめこうが喜ぼうが相手の責任。


だけど、それによって相手から攻撃されるようなことが考えられるなら、伝える方を考えるべきなんだ。


自分が傷つけられるために、相手に伝えるわけではないのだから。



相手に不満や意見がある場合意見を伝えるのは、自分を満たすためだから。



だから、言葉の使い方って大切だね。



結局、愚痴ばかり言って、不満や意見があっても言わない人は、言葉の使い方に自信がない人。



自分に自信がないから、自分の意見を言えないんだよ。

願いを叶えたいなら、誠実であること。


人を自分の思い通りにしたいなら、誠実であること。



人を自分の思い通りにしたい。。。というのは、エゴかもしれませんが、でも 自分自身がその人に対しても周りに対しても誠実に接していたら、自分に習うようになってくるものなのです。



今はツインブログが氾濫していて、わたしのブログも、ツインワードで検索されています。


なぜ、人がツインを求めるかというと、魂の片割れであるツインに出逢ったなら、決して離れることはない。
永遠だから。


という、永遠の関係を求めているからではないでしょうか?



好きになった人と永遠に一緒にいたい という想いを思い通りにしたいからではないでしょうか?



決して離れることはない、永遠の関係を求めるから、ツインを求めるのだと思います。



だから、ツインというワードに執着してしまうのだと思います。



また ツインとは違いますが、話題の松居一代さんも舟越英二さんを永遠の相手だと思っていたから、執着してしまうのだと思います。



でもね、永遠の相手って 出逢うものではないのです。



作り上げていくものなのです。


先に述べましたように、

人を自分の思い通りにしたいなら、誠実であること。

とは、


永遠を求めるなら、誠実であること


なのです。




この人がツインだ〜というのは、感覚でしかないと思います。

わたしは誰と誰が魂的に繋がっているというのはわかりますが、一般的にはわからないと思います。


ツインかどうかわからないから、ツインブログを読み漁るわけですが、
そんなにも 相手のことが大好きで離れたくなくて永遠を求めるのなら、相手に対して誠実になってください。

自分にも相手にも嘘をつかず、甘やかさず、清廉潔白になってください。



そうなれる相手こそ、ツインだと思います。

何もわからず、仕事もできない人に仕事を任せることはないと思う。


それを 自分は仕事ができるから任せられているとか、任せられて忙しいとか感じるのは、それは錯覚でしかなくて、ただ、集中できないから作業に時間がかかっているだけに過ぎない。


作業は、ただ作業でしかなく、仕事とは言えない。


仕事はただ作業するだけでなく、頭を使って計画立てて念入りに集中して進めるものだから。


仕事が出来ない人が多いし、仕事をしない人が多い。


それでよく、働いていると言えるなあ と思う。


効率を考えて行動することは当たり前なんだ。



そんな基本的なこともわからず働くのは、真剣に働いている人に対して失礼だ。


朝、起きたら掃除して身支度を整えて、神仏に手を合わせてから食事をする。
家事をてきぱきとこなし、食事をつくり、掃除をする。
そして、家計も管理する。


そんな主婦の仕事がきちんとこなせてこそ、社会に出て働けるのだと思うのです。



家庭に携わることは、いろいろ多くて、時間や家計のやりくりも必要で、掃除や料理も集中力をもってすれば、余った時間やお金を他に回せます。

計画立てて、集中して、やりくりすることって 社会生活のどんな場面でも求められていると思うのです。



何かに悩んで苦しんでいても、そうやって生活をすることは当たり前で疎かにすることではないのです。


違いますか?


昔の人は そんなことは当たり前にやっていました。
今の人は、さぼってばかりいるような気がします。


家の掃除もろくにせず、うろうろショッピングセンターをうろつき回ったり、遊び歩いたりしているから、不幸なことが起きるのです。



それが出来ていても悩みがあるならば それはスピリチュアル的に視てみる必要があるのかもしれませんね。

今の世の中、波動が軽くなってきているから わたしの想いは届きにくいのかもしれないです。


想いは質量がありますから。


波動が軽いって、波動が高いのとは違います。


今の世の中は波動が高いのではなくて軽いのです。


想いを受け取る器がないから、軽いのです。


人の想いとは、負の感情ではありません。

慈しみや愛です。


そうです。


波動が軽いと、慈しみや愛を感じられなくなるのです。


何故なら、現代人はハートが閉じているから。


想いが届かない原因です。


ハートが閉じているにも関わらず、波動が軽くなっているのです。


自分のことがわからずにいるのに、波動だけが軽いのです。



想いが伝わらない世の中です。


通信障害が起きています。

だから、表面的な優しさしかキャッチできないのでしょうね。


というわけで、わたしは撤退します。


労力のムダですもん。

今は、責任ある思いやりよりも責任のない表面的な優しさが求められている時代なのかもしれないです。


だから、わたしは自分のことだけに精を出すだけなのかもしれません。



時代がそうなら、それに従うだけです。



わたしの想いが届かないことに、翻弄されている暇はないのです。



こけ数日で、エネルギーが変わりました。


数人が駆け込んできましたが、それ以降は、わたしが受け付けないのです。


それで、先ほどの記事になりました。


自分でもこの切り替わりの早さについていけないです。


このわたしの責任ある想いを発揮する場所を失いました。。。
と、思いきや 違う活用方法があるようです。

宇宙はわたしを活かしたいようです。


どこまでも、使われるわたしです。

崖っぷちに立ってる人を必死に説得するよりも、落ちて負傷した人に親切に接することのほうが気楽かもしれない。

人は落ちたいんだもん。
落ちてみたいのよ。

怪我をして傷だらけになってみたいのよ。

それを止めなくてもいいんだと感じた。


傷だらけになった時でないと、人のありがたみはわからないし、感謝もわき起こらない。


落ちれば?


落ちないとわからないことがある。


外でいじめられないとわからないことがある。



ただ、優しくするって責任がないんだよね。

だけど、そんな時は責任ない優しさでも人は感動するんだよ。


責任ない優しさで人を感動させることができるなら、責任感あるわたしの想いはいらないと感じた。


だけど、責任ない優しさを受けただけでは人は立てないの。


わかるまで、繰り返すのだろうね。


見物だわ。

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