この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2017年07月

崖っぷちに立ってる人を必死に説得するよりも、落ちて負傷した人に親切に接することのほうが気楽かもしれない。

人は落ちたいんだもん。
落ちてみたいのよ。

怪我をして傷だらけになってみたいのよ。

それを止めなくてもいいんだと感じた。


傷だらけになった時でないと、人のありがたみはわからないし、感謝もわき起こらない。


落ちれば?


落ちないとわからないことがある。


外でいじめられないとわからないことがある。



ただ、優しくするって責任がないんだよね。

だけど、そんな時は責任ない優しさでも人は感動するんだよ。


責任ない優しさで人を感動させることができるなら、責任感あるわたしの想いはいらないと感じた。


だけど、責任ない優しさを受けただけでは人は立てないの。


わかるまで、繰り返すのだろうね。


見物だわ。

一生懸命に頑張ってる人に限って、自己価値が低かったり、人を受け入れられない苦しさを感じている。



そんな人に対して、わたしは優しい。


努力している人には優しいのよ。


努力しているから良い悪いという問題ではなくて、努力しているのに報われない辛さがわかるからかな?


実際には、努力していたら報われるのだけど、努力していても その努力を自分が認めていないと、その努力は宙ぶらりんになってしまうものなのです。。。



一方、わたしは努力していない人を見た場合、ワケわかんないの。

言ってる意味がわからないのです。


だから、答えようがなくて言葉が出ないです。



あと、わたしが厳しい態度を取る人は、他力本願な人。


他力本願な人は成長したい気持ちはあるものの自ら動かない人。


他力本願というのは、自分のしなければいけないこと(責任)を人に押し付けてくるのです。


だから、わたしはその人が背負う義務を受ける義務がないわけだから、お断りをするわけです。


そこがはっきりしているから厳しいと受け取られます。



何でもかんでも、人任せでは自分の人生を生きてるとは言えないですよね?




人はそれぞれ役割を決めて生まれてきているのですが、そこに気づかずにあぐらをかいてる人にもわたしは厳しいかもしれないです。


自分のやるべきことって、人それぞれ違っていて、比べることではないのです。


比べて卑下している人や努力している人様々ですが、わからないながらもやるべきことをやってる人には優しいですが、わかろうとしない人は、はっきり言って視界には入ってこないのです。


だけど、自分を誇示しようとわたしの視界に入っていらっしゃる人がたまにいます。

そのような方もやはり、他力本願なんです。
然るべき、順序を守ってわたしの目の前に現れることが筋ですが、そうでない方はお払い願います。


わたしは、ナアナアに出来なくてはっきり口にしてしまうから、怖いと思われてしまいます。




結局 わたしは、わたしから見て わかる人には優しいと思います。

また わからない人は素通りします。

そして、わかってほしいオーラ全開の人には、吠えて威嚇します。



何が言いたいかといったら
努力している人は、何をしなくても努力していることが認められるし、見つけられるよ ってことです。


努力がないと、人からは見つけられないってことです。


努力しずに見つけてもらいたい人は、追い払われるってことですよ。

自称、仕事ができる人は必ず、人を見下して自分を上げたがる傾向がある。


責任の重みの違いはあるものの価値のない仕事をしていない人はいないし、価値のない人はいないのに。

責任感というものはその人の器に比例して持つものだけど、たまに、その人の器にふさわしくない責任を持ちたがる人がいる。


愚かだ。


いくら欲しても、神がお許しにはならないのに。

わからないことは、すぐ聞く。調べる。わからないままにしない。

それが人生の基本です。


わかったふりして過ごさないこと。


聞かない調べないから、わからないまま過ぎていく。


わからないことを聞くことは恥ずかしいことではない。
わからないままにしておくことが恥ずかしいことです。

また、わからないことを聞いて バカにする態度をされた時は、バカにする人の方がおかしい。



わからないことはすぐ聞く、調べるを癖にすることです。



わたしが人に厳しいのは、わたしの話を知ったかぶりして聞いているからです。


わからないならわからないと言えばいい。


わからないことはこと細かく教えます。


わからないから教えてと言わないのは、なぜ?


わからないことをわからないから教えてください、と言える素直さが大切です。



わからないから教えてと言わないから、教えられないのです。


それがコミニュケーションです。

人の役に立ちたいよりも自分のためになることをする。



わたしは今はライオンまで成長してきていますが、以前はサルでした。


ライオンのほうがどう猛で狂暴ですが、今のほうがゆったりと暮らしています。


それは、オリに入れられてはいるものの、以前は狭いオリでしたが、今は広大なオリだからです。

魂的には強くたくましくはなり、一度怒らせたら狂暴ですが、少々のことでは怒らなくなり、おとなしくなってきました。


それは、人の役に立ちたいからと、サーカス村で過ごしているわけではないからです。


お客さんに喜んでもらうことは好きだし嬉しいけど、お客さんのために働いているわけではなくて、自分が楽しいし学べるからやっているんです。


人のためじゃない。


自分のためなのです。



自分のためにならないことを強要されたら、動きません。


自分のためにならないことには、見向きもしないです。


だからわたしは、人のためになりたい!と言ってる人の気持ちはわかりません。


人のためになりたい!と言って頑張ると、人の期待を背負い過ぎるからです。


人のためになりたい気持ちよりも自分のために働きます。


だから、自分が自分で働きたい環境をつくって、そこで働いています。


オリは自分でつくっているのです。


だから、周りからは、『結局はあなたの言う通りになる』と言われます。

仕事内容は変わっていますが、最初に勤めた場所から30年間、変わっていません。


それは、わたしが自分の出来ること出来ないことをきちんと把握して、出来ることは一生懸命に頑張るからです。


毎日、反省をして自分をわかっているから、自らオリを作れるのです。


それが自分の居場所です。


自分の居場所は自分で作るものです。


人から用意されるものではありません。



自分の意思を反映させて作るものです。



このオリは快適です。


空ちゃんこそいないですが自由を満喫できます。


たまに、こっそり抜け出して空ちゃんとのデートを楽しみます。



わたしはオリをつくって入っていないと、人間として生きていけないから 人として生き抜いて目的を果たすためには、まだまだここからは出ないです。


自分の意思でオリを作って生きています。


魂はどう猛なライオンですが身体は体力がないから、他の人に比べたら狭い空間にいないと生きられないのです。


世間にさらされたら、わたしはエネルギー抜かれて死んでしまうから。




わたしは、発達障がいやグレーゾーンと呼ばれる人と同じだから、これはわたしが生きていくための知恵なんだと思います。




生き抜いてナンボだと思います。

わたしは自分のことをサーカス村に居るどう猛なライオンだと思っています。



普段は、おとなしくオリの中に入っています。

お客さんを喜ばすのは好きだし、楽しいです。



だけど 何かのきっかけで 自分の譲れないものに危害を加えられたり、離されたりした時には、暴れます。


わたしが暴れると、物が壊れるし地震は起きるし雨風を降らせます。


雄叫びを上げ、生きている目的を失い、生命力が一気に落ちます。。。



が、そこで 神様からお叱りを受けるのです。



何をやってる!と、一喝され 周りを見渡すと、周りの者は震え上がりわたしを怖がります。


そこで わたしは反省をし、壊したものを再生し、自分の入るオリも作り、自らオリに入るのです。


自分の譲れないもの

これは、自分の気持ち次第で自分から離れたり隠れたりします。


それに翻弄されるわけですが、どう猛なライオンですから、厄介です。


以前は、サルでしたが進化してライオンまで大きくなってしまいました。



わたしは前世が人魚(カッパ)でして、見世物小屋に売られた経験があります。

そのため、晒し者にされたトラウマがまだ、残っています。

だから、無理難題を突き付けられる(自分ではそう感じる)と、キバを剥きます。




困ったものです。



わたしが怒ると、地響きがなり身体から湯気が出ます。



おとなしくしなくちゃです。


身体は小さく体力はないのですが、魂はライオンなんです。


バランスが悪いのが欠点です。

わたしは人生の最終目的はわかって生きているけど、どうやって生きる ということまでは、しっかりわかっていなかったと思う。


それは、自分の個性特性を考えてのことだけど、最終目的ばかりが先に立って、どうやって生きる、何をして生きるということは軽く考えていました。


どうやって生きる、何をして生きるって大切だなあ〜


わたしは人生の目的を果たすために、自ら配役を決めて、周りに居てくれる人を設置しているんだなあ と改めて感じています。


次元が変わっても、わたしの周りが変わらないのは、そういうことなんだと腑に落ちました。


私みたいなのは珍しいと思うけど、わたしはこの場所以外では生きてはいけないのだと思います。

何故なら、どうしてわたしはここに居るんだろう?と疑問を持つと わたしはそれだけで生きる目的を失い、生きる意欲を失い、身体から生命力が抜けていくからです。


それを幾度と繰り返して、 わたしは、この場所で生きていかなければ 自分の人生の目的は果たせないんだということがわかりました。



世間では、様様な選択肢があると言われていますが、わたしにはこの道しかないのだと思います。



自分で生き方を決めてきているから、それに従うしかない!と腹を括らされています。



この世の中には、たくさんの情報が溢れていますが、情報に翻弄されて自分自身決めてきた道から外れている方もみかけます。



生きて為し遂げることは大切かなあと思います。


自分の命を差し出す生き方ではなくて、生きて生きて生き抜くことをわたしはやりたいのだと思います。




生き抜いた先に、永遠が見えるのだと思います。

生きよう生きていこうという意欲を持つことは大切だと思う。


生きるために、仕事をしようという意欲


生きるために、稼ごうという意欲



スピリチュアルに傾倒している人は、とかく意欲が薄いと思う。


タイミングが合った時にね。

と よく、言われるが そう言われる方とはタイミングが合わない。



会いたいと言われれば、わたしは何を置いてでも飛んでいくし、わたしは自分がやりたいことしかしない。


タイミングがどうこうない。



会いたいから会いに行く。

側にいたいから、離れない。

この人から学びたいから、学びにいく。



そういうものじゃないかな?



自分を輝かせるって、自分のやりたいをすることだと思う。


自分を輝かせるって、生き続ける意欲を持つことだと思う。

反省ばかりしていると 自分の神聖さ、自分の価値を下げてしまうかもしれない。


反省する心と神聖さを思い出すことはセットですと、以前にも書きましたが このバランスが取れていることがもっとも重要です。


何故なら、反省する心と神聖さを思い出す心が重なり、感謝する心が生まれるからです。


生まれる。


命を宿すのです。



感謝する心は命そのものです。


反省する心と神聖さを思い出す心は、命を宿すのです。


命を宿す

感謝する

創造する



どれも同じです。




命は反省する心と神聖さを思い出す心で生まれるのです。

自分を知らなければ、やって良いこと悪いこと するべきことしてはいけないことはわかりません。


最近では、『〜しないこと』を勧める人もいらっしゃいますが、それは 自分を知っているから言えるだけで、自分を知らなければわからないのです。


人はそれぞれ個性特性あるのです。


体力のないわたしが身体を酷使しない生き方をするのは当たり前ですが、体力のある人は、少々 身体を酷使しても負担はかからないのです。


体質もありますね。


みんなみんな、一律 同じではありません。


だから、自分を知ることが必要なのです。


誰かと似ているといっても同じではないのです。

共通性があるからといっても同じではないのです。



いくら、自分の信用している人の話だからといっても すべて、信用することでもないのです。


人にはそれぞれ個性特性があるのです。



だから、『自分』を知ってください。


仲間だから同じではないし 家族だから同じではないのです。



自分の人生を生きていくためにも自分を知ることに興味を持ってください。


人に興味を持つよりも自分に興味を持ってください。



人の心配している人よりも自分は〇〇〇です、と正々堂々と生きているほうが輝いています。



自分を知って自分の人生を生きてください。

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