この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2017年11月

人って使う言葉でわかります。


わたしが外出していて、おかえりなさい と声かけられた瞬間に その人が遊んでいたか集中して仕事をしていたかわかります。


それってサイキックではないです。


毎日、集中力を持って仕事をしている人ならわかります。


ビジネスマンなら普通に持っている能力だと思います。


だから、自分に自信もつくのだし いちいち神社に願い頼みしないのかな とも思います。


だから、スピリチュアルを苦手とする方も多いのかもしれません。


スピリチュアルな人はゆるさがあるから〜


ゆるさも必要、集中力も必要です。


わたしは日々、サイキックも使うし 集中力も使いながら生活しています。

生活しながら、人を絶えず 視ています。



人の頭の中を読み取りながら生活しています。


だからなのかしれませんが、わたしと同じようなことを無意識でしている人はわかります。


会社経営者、弁護士などは多いです。


そのような人の言葉はとても参考になります。


わたしの娘は就職して、営業先の経営者の方の話を事細かにしてくれるので 楽しいです。


娘の仕事にも活かせるように話をしています。




学生なら まずはお勉強が本業で そこに集中すれば集中力が増し頭の使い方もわかり頭の回転も早くなるから勉強するのが一番です。


今は、不登校な子供が増えていますが それは、親が勉強する楽しさ、集中する楽しさを教えないからではないでしょうか?

親がしないことは子供はしないです。


親が学力つけないなら子供も学力をつけようとは思わないです。


しかし、子供に集中力、頭の使い方を教えるぐらいのことをしてもバチは当たらないと思います。

将来的に 子供がどんな道に進むかは子供が決めることですが、義務教育は親の義務ですし 子供はその権利はあるのです。


貧困だからと 教育まで貧困で良いのでしょうか?

集中力をつけることはそんなに難しい厄介なことでしょうか?


注意散漫な子供や発達に気になる子供や何らかの障がいと呼ばれる子供が多く生まれてきていることは事実ですが、それだからと頭を使わせない集中力をつけさせないのは わたしは正直わかりません。


親が楽しんですることは子供もするからです。


学校に通わせることが義務教育ではなくて 集中力頭の使い方を学ぶために学校があるのです。

それが義務教育期間です。



それが親の責任感であり教育者としての責任感ではないでしょうか?

アスリート系だからなのかもしれないですが

好きでもないことはしないですし、
好きでもないことを集中することもしないです。



わたしは集中することが好きです。


だけど 人によっては、集中したり一生懸命が好きでない人もいます。

昔はわたしもそうでした。


好きなことなら努力できるし、一生懸命になれます。


きっと 好きなことのない人や好きでもないことばかりさせられてる人は 一生懸命や努力ができないのかもしれません。


自分の意思に反したことをさせられてる人は嫌だ!という想いが先に立ってしまうかもしれません。



自分の意思に反した生活をしていると 無気力にもなると思います。


それでは 集中力がつくはずもありません。


何故、自分の意思に反した生活をしているのでしょう?


心を大切にしないで生きるために生きているからです。


生きることは大切ですが、それだけでは 心が置き去りになってしまいます。


お金がない、貧困な人がいるからです。

心が貧困な人もいます。



いくら わたしが話をしたとしても、貧困な人には届かない と思います。


何故、貧困な人がいるのでしょう?


自分の意思に反した生活をしているから、心が麻痺して集中力や努力することができないからです。


集中力や努力する心を奪われているからです。


ゲームや携帯ばかりしていると頭がバカになり、集中力も損なわれます。




わたしは 人と少し話をしただけで その人がどんな生活をしているかわかります。


それは エネルギーを読むからではなくて
その人の言葉の選択でわかるのです。


頭の使い方でわかるのです。


日々、集中力を持って生活をしていると それぐらいのことはわかるようになるのです。


だから、人の裏も読めるようになるし、何を考えているかが手を取るようにわかるのです。


仕事をしていない人、集中力を持って仕事をしていない人の思考は手に取るようにわかります。


だから、わたしが仕事から戻った時、同僚が何をしていたかわかります。





貧困といえども生活をしているのです。

お金は使っているわけです。

どこにお金をかけているのでしょう?

ストレス発散するためにお金をかけていないでしょうか?


好きなことをすることとストレス発散は違います。

食べることが趣味。

それは、集中力を損なう行為ですし、頭をバカにする行為です。


ストレス発散することに没頭しても集中力はつきません。



日々、頭を使って生活をしている人
一生懸命に仕事をしている人というのは、わかるの。

だから、人からの引き立てがあるの。



お金がなく貧困だからといって 集中力もなく頭を使わない生活をしていると より貧困になるのです。


これ以上、貧困になりたくないなら 頭を使ってください。


頭は使わないとバカになります。

がんばる [頑張る][自]自分の考えや意志を押し通そうとする。我を通す。(困難や障害にまけないで)精一杯努める。



人の捉え方はひとそれぞれ違うのかな?


「頑張る」=「嫌いなことを無理にでもする」

と感じている人が多くて、好きなことはワクワクすることをする と言うそうな♪



わたしは、好きでもないことをするという概念がないから つい、頑張って!と口から出てしまいます。


わたしは頑張ることは努力することだと捉えています。


でも 人によっては 言われたくないことかもしれないですね。


そこまで わからないことでした。。。


また、努力することが好きだし、困難に立ち向かうことも好きです。


嫌いな人からすると 嫌なことに力を注ぎなさいと言われているようなものだね。


人それぞれだね。


スポーツ全般苦手だけどわたしはアスリート系だね^^

自分の神聖さを取り戻したら、自分に自信がついて 人に対してアドバイスができるようになることもあるだろう。


しかし、勘違いしてほしくないのは
何故、自分の神聖さを取り戻すかと言ったら、目の前の相手や周りの人、すべてが神聖な存在だということをわかるためなのです。


神聖な存在は自分だけじゃないのです。


それがワンネスです。


ワンネス=誰もが神聖な存在だとわかるから、尊敬しあえるのです。

わたしは、自分を高めることが大好きです。


だから、フアッションも好きだしお化粧することも好きだしお勉強もするだし内観することも大好きで得意なんです。


そんなわたしだから、人からは自己中心的だと言われたり自意識過剰だと言われてきました。

それで叩かれて、精神的にもおかしくなった時期があります。


自分のことにしか目が向かないのです。


人に対する奉仕精神は持ち合わせてはいますが、それよりも自己愛の方が優勢です。


今では、自分を高めることが大好きだと言えますが、昔は努力は嫌いでした。 お勉強も嫌いでした。


だから、人に誇れる得意なことがなくて、スポーツも絵画も音楽も才能はありません。


そして、いつも きれいなお洋服を着てきれいにお化粧をして 綺麗だね〜 と言われることが好きでした。


結局は、内面よりも外見ばかりを気にしている女でした。

だから、他になんの得意なことも見つからず、心はいじけていたのです。

外見ばかりを気にしていたせいで 綺麗で居続ける努力はしていました。


それって 自分では当たり前のことだから気付かないのですが、今 思うと、得意分野なのです。


それしか努力していなかったわたしだけど、それが自分にとって得意分野、誇れることになるとは思っていませんでした。

頭はないけど綺麗、綺麗にしていたわたしです。

あの頃のわたしがそのことに気づいていたら、もっと違った人生があったかもしれません。


だけど 気づかずに、自分に自信のないまま 親の勧める人と結婚をしたのです。



なぜ、こんなことを書いているかというと わたしのように 何にも得意なことがない と思って生きていても 足元を見てみると 自分に誇れることってあるよ ってことなんです。

そこに気づけるか気づけないか、なんです。



好きな人を振り向かせるために、お洒落やお化粧を頑張ってることって誇れるものなんです。


自意識過剰と言われても極めることって大切です。


それを頑張っていたら、それを後押ししてくれる人が現れたり苦手分野を手伝ってくれる人も現れるものなんです。


そこで、相手に対して感謝がわき上がります。



苦手なことをイヤイヤやっていてもストレス感じるだけですが 自分は好きなことをして苦手なことは誰かがやってくれたら、ありがたい〜♪って気分になりますよね?


自分はただ、好きなことをしてるだけなのに、苦手なことを手伝ってくれたりしたら嬉しいですよね?



相手に対してのありがたいという感謝の気持ち

これがあるから、好きなことに集中できるのです。


だから、自分のやっていることが人のためになると確信が持てるのです。


これが わたしの考え方です。


まずは、相手に対しての感謝です。


好きなことをさせてくれてありがとう♪

と、わたしは主人にも娘にも空ちゃんにも感謝しています。


わたしは料理は苦手ですが、独創的なものをつくります^^


それでも食べてくれる主人や娘に感謝です。

社会人一年生の娘ですが 未だに、わたしの手作り弁当を持ってきます。


ありがとうと言われれば何でもつくる母です^^


単純♪

最近、人から話を聞くと、何かに依存したくて何かを探している人がいます。


依存する何かが欲しくて、何かを探している人がいます。



それは、楽しみではなくて 依存する何かです。


依存することで満たされるのです。


自ら楽しむのではなくて、楽しみを与えられることで満たされようとする。


だから、満たされないと辛くなり寂しくなるのです。


依存するということは、相手から与えられることを待つ状態になることです。


待っていないと与えられません。


待つからストレスを感じるのです。

だから、相手が何もしてくれないと怒り出すのです。

何かを見つけても、誉められたい、認めてもらいたい と自分の欲を満たされないとストレスを感じるのです。



誉められなくても認めてもらわなくても 自分が楽しければ、それが楽しみです。



依存と楽しみの違いです。


結局、依存する相手や物があってもなくても、ストレスを感じるのです。


これは、余談ですが
わたしは人のためになりたいとか人の笑顔が見たいから頑張る という気持ちがわかりません。


わたしは、自分がしたいことしか出来ないからです。
人のためになるからとか人の笑顔が見たいからという理由で努力出来ないです。

自分がやりたいことしか出来ないです。

認めてもらっても認めてもらわなくても構わない。  
そんなことどうでも良いことなんです。

なぜなら、自分のやりたいことは、必ず 人のためになることをわかっていて その確信があるからです。

わたしのやることで役に立たないことがあるわけないと思って、日々を過ごしています。

自分の軸さえ持っていれば、
自分の楽しみさえ持っていれば、
愛する人に依存して、寂しさを感じることはないのだと思う。


人に対しての自分の感情と向き合うことは大切だけど 手っ取り早く 自分の楽しみを見つけることが自分に自信をつけることにも繋がるのだと思うのです。


愛する人に執着してると 自分の楽しみを見つけられないように思います。

寂しさを紛らすために始めたことでも、極めることで財産になります。



自分の感情と向き合ってばかりいるのではなくて楽しみを見つけることですね。


わたしは自分の感情と向き合うこと自体が好きでそれを極めました。


好きなことなら時間を忘れて集中できるものです。



時間を忘れて集中できること=楽しみです。



集中してできること、寸暇を惜しんでできることを見つけることで 誰かに依存して生きることから抜け出せるようです。



どうやって見つけるかといったら、まずは手当たり次第やってみることなんです。

そうすると、見つかります。


やる前から、出来ないと言い分けしているのは もしかしたら、執着を楽しんでいるのかもしれません。


それも楽しいかもしれないですが、そこから離れて 自分だけの楽しみを持つことをわたしはお勧めします。



でも 自分だけの楽しみに没頭することと愛する人と語らうことを天秤にかけることはできないもので、自分だけの楽しみに没頭すればするほど 愛する人との時間も増えてくるものです。


不思議ですね〜♪

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