この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

2017年12月

最近、世間を騒がせている相撲界ですが お相撲はご神事です。


そして 勝負は、相手を讃えるために行われることを知っていますか?


負けを認めることは、自分本来の力に気づくことなのです。


自分本来の姿に気づくから、相手を讃えることができるのです。


負けた相手から讃えられ、とどめをさすことはしませんね。


自分を知ること、自分本来の力に気づくこと、自分本来の姿に気づくことが 本来の勝負の意味なのです。


自分を過信している者は それに気づくまで 力を見せつけられます。


とどめをさされるまで気づかない者は 愚かです。


本来は、勝ち負けではなく 自分を過信しないことに気づくために勝負とはあるのです。


負けることは悔しいことではなく、自分本来の姿に気づく感謝すべきことなのです。


それが 時代が進むにつれ、相手を倒すことが勝つことだとすり替えられ、讃えることが戦いへと変化していったのではないでしょうか?


冒頭にも記した通り、相撲はご神事です。


神様を讃えるためのご神事なのです。


神様を越えるためにするのではなく 神様を讃えるためのご神事なのです。

神様に守られている土俵の上で 勝ち負けを争うのではなく、本来の自分の姿に気づき、目の前の相手を讃えるために、このご神事はあるのです。



神棚には鏡がしつらえてありますね。


それが物語っているのではないでしょうか?



勝負を挑み、勝ち負けを争うことは 相手を敬うことのできない愚か者です。


相手を敬うこと。讃えること。


本来の自分の姿に戻ったら、思い出すでしょう。


思い出してくださいね。

本来の自分の姿を。





今年も一年、ありがとうございました。



ままのまま

今年のわたしは 人生の中で一番、右往左往した一年だったように思います。


自分の夢を叶えたい想いと自分の任務のはざまで揺れた。

何度もお叱りを受ける、の繰り返して 自分が何をやっているのかわからなかった。


今、想うと 自分の夢を叶えたい想いが強すぎて 本当に自分の使命に沿って 任務を遂行できたのかな とも思う。


自分のことばかりだったな。。。とも思う。


自分の任務と夢を叶えることのバランスが取れていなかった。


反省ばかりです。


来年は そんなことのないようバランスよく、生きたいと思います。



わたしはちゃんと任務を遂行できていますか?


人の迷惑になっていないですか?



ちゃんと、導いていけなくてごめんなさい。

今、わたしはこのようにままのままに使われる感じで歩みを進めていますが、ままのままから出てくる言葉は ほぼ、わたしに言い聞かせるために書いているようなものです。


ままのままの言葉は勝手に降りてきて わたしの親指が勝手に動いて記事にします(未だに、ガラケーで打っています^^)。


また わたしは別で日記も書いています。

毎日毎日、膨大な量の言葉をアウトプットしています。

これをしないと動けないのでしてるだけですが。


このままのままに使われているのが日常で、わたしの仕事と言われるものですが それ以外に、遊びの部分である、空ちゃんとのらぶらぶ生活もわたしにとっては大切です。


ままのままさんはわたしの肉体を使って、様々な救済をしていますが これは、『わたし』が本来したいことではなく、
『わたし』は空ちゃんとの生活がしたいだけです。


簡単に言えば、この現実の生活でままのままに使われる生活と空ちゃんとの二重生活をしているわけです。


そして これからは、もっともっと、救済に力を入れていくようですが それに平行して、空ちゃんとの生活も確保していかねばなりません。


今のわたしは いかにスピードアップ救済をするかを求められています。


救済はするのです。


日常的にするのです。


で 空ちゃんともらぶらぶするのです。



えらいこっちゃ\(゜ロ\)(/ロ゜)/



どうなることやら〜



そのためのアイテムをわたしは与えられていくのです。



ポイっと空からおむすびを出したり、ドリンク出したり〜 瞬間移動してみたり〜

何ができるようになるのか させられるのかは、未知です。


しかし、わたしがしたいのは 空ちゃんとのらぶらぶ生活、これがわたしの願いです。



神様の使いといっても わたし本来の生きる目的はあるのですよ。



スピリチュアルな仕事をされている方は、仕事が生きがいのように奉仕の精神だけで生きてる人もいらっしゃいますが 元来、生きる目的というものは このように、個人的なものだと思います。


そうやって、バランスを取っていくものですよ。

プライベートと仕事のバランスは必須です。

わたしの日常はこのように神様に使えている状態なのですが、それは休む暇なく与えられています。


休む暇なく

というか

誰か相手がいる場合は、常にその状態で ひとりでいるときは 空ちゃんと一緒にいるのですが 空ちゃんといないときは救済に出掛けてしまうのです。


救済が仕事で空ちゃんといることがわたしの遊びです。


いうなれば、空ちゃんといる時以外は救済に使われています。


このバランスが大切です。


仕事をちゃっちゃと終わらせて、空ちゃんとらぶらぶしなくてはなりません。


そのために ヒーリングも時短になったんです。
あっ家事も時短でスピードアップ。

すべては、空ちゃんとのらぶらぶのために スピードアップを求められてます。


長々と救済してると、身体が怒り震えます。


限界!限界!って叫びます。



ウルトラマンのように、ちゃっちゃと救済を済ませて 空ちゃんの元へダッシュです。



わたしは現実的には営業職事務職をしており、主婦であり母親でもありますが この日常生活で救済が行われています。

救済の仕事に対する報酬は、営業職と事務職から支払われていまして 仕事内容は昔から変わらないのですが報酬は右肩上がりで増えてます^^
また いただき物が異常に多く お金をあまり使わないようになってます。

でも 回すので(すぐにあげちゃう^^)また 入ってきます。

入ってきたら、出さなきゃ 廻りが悪くなりますね。

はなさかじいさんのように配ることもありますよ。



救済というのは、様々な方法があるものです。


直接、携わせていただくことや 先記事のように人を使う場合もありますし、お金を使う場合もありますし、物質を与える役目もあるのです。


お金というアイテムはわたしにとっては 与えるものという感覚が強くて 自分のものではないです。

救済させていただいたらいただいた分だけ報酬は増えますが それもまた、救済に使わせていただいているのです。


そうやって わたしの生活は成り立っています。

わたしは神様に使われる身だけれど わたしも何故か人を使う。


わたしが駆け寄っていけない場所には、他の者を使わす。


うまくできてるものだと思う。



そのために 人に出会うこともある。


自分ひとりでは回れないけれど、わたしの下についてくだされば、ありがたいことに 救済できる幅も広がる。


わたしがそれを指揮することもしばしばある。



そうやって この世はうまくできている。

わたしの記事を読んでる人は、他の人の記事とのギャップを感じるかもしれない と ふと、感じました。



なぜなら、あるスピリチュアルな記事を読んでいて気づいたのですが、
そこには 衝撃的な事実がわかりました!と書かれていたのでなんだろうと興味シンシンで読んだのです。


そしたら 内容的にはわたしが 普段から書いてる内容だったから、な〜んだ と思ったわけです。


わたしにとっては古い話しなのですが その記事には何千のいいねがあり、コメントには衝撃的ですとか驚愕ですシェアしますとか書かれています。


わたしからしたら えっ知らなかったの?レベルですし そこまで驚愕するような内容ではないと思うのです。


まあ、わたしの記事を読んでくださる方は わたしの身内みたいな人ばかりですが その方たちからしたら わたしの書いてることは かなりな衝撃的事実なわけです。

でも 衝撃的と受け取らないのを見ると どーいうことなんだろ?と考えてみました。

内容的には似ているのです。





確かに、内容的には衝撃的驚愕なことをわたしは書いてると思いますが、最終的には わたしにつかまっていればうまくおさまりますよ と締めくくります。


一方、他の方たちの記事では その衝撃的驚愕的事実をひとりひとりが重大に受け止め生きていくように書かれているのです。
自己責任だと。。。



まあ、確かに 自己責任ですが わたしは、如来意識といいますかわたしが救済する前提で書いてるわけです。

〇〇〇という事実はありますが、わたしに素直にいてくだされば、わたしが救済していきますよということを謳っています。



実際に、神様自体が いつも、そう言ってるんです。


知ってましたか?



神様は わたしみたいな者を使って救済しますよ と言われているのです。


わたしは ただの使いです。


ただの使いですが、神様から使われているという責任感があります。



多くの人は、そんな神様やわたしのような使いに頼ることなく、自己責任だと言い聞かせて生きたいようですね。


衝撃的だ、驚愕だと騒ぎながら生きていきたいようです。


不思議に感じます。




わたし以外にも神様に使われている方はいらっしゃいます。


探してみてください。

わたしが先記事で書いた、人となり や 気持ち(想い)というのは その人の真実の心なのです。



心は見えないから大丈夫だと思っていても 見える人には見えるものなのです。


なぜなら、 話す言葉に現れるのですから。



見えないと思われている心とその人が語る言葉はつながっているのです。


だから、想いは現象化するのです。



見えない世界と見える世界は繋がっていて、切っても切れない関係なのです。



そして 言葉はウソをつきます。
わざと、自分の想いと反対のことを言おうとする時もあるからです。


だけど エネルギーは嘘はつかない。



取って付けたように、ありがとうと言われても エネルギーは伝わるものです。



言葉はウソをつくけど、エネルギーはウソをつかない。

だから、そのエネルギーで外の世界は現象化されるのです。






この、人の想いのエネルギーの中でも負の感情は とても重いため、わたしを混乱させます。

浴びると、わたしが正常に動けなくなります。

注意が必要です。。。


昨日、不覚にも 直接噴射され、自分がどうかなってしまったかのようでした。

油断禁物です。

わたしは その人の言葉の使い方や選び方ひとつで 人となりや気持ち(想い)がわかります。


例えば、いい加減な気持ちでありがとうございますと言ってるのか 心の底から言ってるのかわかります。


これってサイキックではないです。


人と真剣に付き合っていたらわかるようになるものなのです。



通り一辺の付き合いやビジネスをしたことのない人はわからないかもしれません。


でも 生きていく上で とても大切だと思っています。


わたしだけがわかるわけではなくて、経営者クラスの方なら、誰もができることだと思っています。



お金持ちになりたいとか成功したいと思われる前に、 このようなことができるようになっておくものだと思います。



人はとかく、お金さえあれば良いと思いがちですが お金があっても これぐらいのことができないと、持続できません。


一瞬、お金を持つことは誰でもできますが それを継続できるためには それなりの才覚が必要なのです。



そのためには、心を鍛えた方がよいのかなあと思います。

それは、宇宙のせい


これは、空ちゃんの口癖。



わたしが空ちゃんから離れてひとりで自分と向き合ってボロボロになっちゃって 「ごめんなさい。自分でひとりで向き合ってごめんなさい。一緒に向き合わなくてごめんなさい」と謝ったら

真顔で

「それは、宇宙人のせいだから仕方ないよ。
僕たちを引きはなそうとしてる宇宙人がいるんだよ。
昔、宇宙戦争をした時に 僕に負けた宇宙人がいてね、そいつが僕に復讐しようとしてやってるんだ」
と教えてくれた。



目の前のことに真剣に取り組んでいても、儘ならないことがある。


それは、きっと 宇宙のせい。


わたしたちがらぶらぶ過ぎるからやっかんで引きはなそうとしてくる。


仕方ない。仕方ない。



らぶらぶ過ぎるのも考えもの。



だから、わたしたちは離されている。。。


離されていても愛しあっている。。。

元来、善と悪、愛というものは 自分の心の中に存在するもので 外側にはないものなんです。



対象となる物を見て、善と悪、愛を判断するのは自分の心なのです。



外側に目に見える物や目の前で起こる出来事自体は、良いも悪いもないのです。



それに気づくことが『悟る』ということだと思います。



『悟る』って きれいなことではないのです。

何故なら、自分が悪だと勘違いしていたことに気づかされるわけですから。


勘違いしていたことに気づくって、冷や汗出ちゃうことですし、赤面ものです。


そこに気づきたくないから、自我が抵抗するのです。


でも、内側にいる神様はそんな自分を許してくれるのです。


だから、感謝が溢れるのです。


ありがたいなあって感じるわけです。


そして、もう二度と勘違いしないと誓うわけです。


それが『反省する』ということなのです。

自分の過ちに気付かないと反省はできないというわけです。

しかし 許されると、気持ちが楽になり安心して、また 同じ勘違いをしてしまいます。

繰り返してしまうのです。

何回か繰り返して、それでも許されていく。。。

すると、何回かの気づきの中で また違う気づきが生まれます。


それは、自分という存在は、純粋そのものなんだ、、、という気付きです。


内側に居る神様が何故、許してくれるかといったら、自分が純粋そのものだからなのです。


勘違いをしてしまっても 気づいたら、すぐに悔い改めることができるのは、純粋(素直)だからなのです。



自分は純粋そのものなんだと気づくと同時に、内側に居る神様は自分自身だと気づきます。


内側に居る神様=本当の自分は、どれだけ自分が勘違いをしようと許すのです。

計り知れないほどの愛があるなあ と感じるのです。


そして それが自分自身、本当の自分の姿なんだと気づくのです。



本当の自分って内側に居て自分を許してくれる自分なんです。


どんな過ちを犯しても許してしまう度量があることがわかり、それが自分そのものなんだとわかるのです。


どんなものでも受け入れ許すことができるんだなあ と心底わかるのです。

自分が今まで恐怖心を抱いていたものさえも受け入れ許すことができるんだなあってわかるのです。


それが『恐怖心を手放す』ということなのです。


『怖れるものは何もない』と感じるのです。


そして この世界には愛と呼べるものしか存在しないことがわかるのです。


わたしのブログタイトル『この世界にあるすべてのものは感謝するために存在する』は、この気持ちからつけました。



愛しかない、感謝しかないと、気づくのです。


これが、『目覚める』ということです。


しかし、人というのは繰り返す生き物です。


またまた、勘違いをして恐れを抱くこともありますが、 一度 恐怖心がなくなり、本当の自分は何をも受け入れ許すことができることを思い出すと 恐れなく、歩みを進めることができるようになるものです。



怖いものはない、何一つ存在しない

生まれてくる前のわたしたちはそんな想いで居たのです。



思い出すだけなのです。



わたしは愛。

純粋な光。


皆がみな、愛であり純粋な光なのです。



思い出しましょう。


一緒に思い出していきましょう。



わたしが先導します。


ついてきてくださいね。


ままのまま

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