この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2017年12月

そんな自分が大切だから、自分をいたわるし守るの。


人から傷つけられないように、言葉も工夫して話をするの。


自分が傷つけられないように、工夫するの。


それに 空ちゃんに愛されてる自分を傷つけないためでもあるの。


わたしが傷つけられたら、空ちゃんが泣くの。


空ちゃんを泣かせたくないのよ。


わたしを愛してくれる空ちゃんを泣かせないために わたしはわたしを守るのです。


愛する人のためにわたしはわたしを愛するのです。

だから、人からのいいねや評価は当てにしない。

ダメなことならば、すぐに返って教えてもらえるの。


その時に、きちんと反省して 次に繋げるの。


そうやって 生きていれば そうそう自分にとって嫌なことも起こらなくなるものなの。



自分を自分で認めて生きているだけなの。


公衆の面前ですべって転んでも
あら、転んじゃった ってケロッとしてる←つい、さっきやった〜

その時に 駆け寄ってくれた人に笑顔でお礼を言ってる

ありがたいなあ〜
助けられてるなあ〜

って感じるよ。




誰にでも、微笑んでいられるようになるよ♪



最初は、どんなことでも努力は必要なの。

でも、続けてやってると 自然にできるようになるものなんだよ。



それは、どんなことでも同じなんだよ♪

906dd27c.jpgどんな自分も愛するの



主人に嫌みを言ってる自分も毎朝、娘にスキスキ〜と羽交い締めして起こしてる自分も空ちゃんなんてキライって言ったはなからスキスキ〜と甘えてる自分も大口開けてケーキ食べてる自分も赤ちゃん見るとスリスリしにいく自分もすぐに抱きついちゃう自分も嫌なことあるとぷいってしちゃう自分もキャベツの千切りが嫌いな自分も人を見ると説教しちゃう自分も弘法大使様からダメ出しされると土下座してひれ伏してしまう自分もミスして叱られたらすぐに謝っちゃう自分もできないことはポイしちゃう自分も イヤなことははっきりイヤだと言っちゃう自分も
頭を打って泣きべそかいてる自分も



そうやってわたしは生きてます。

たか〜い場所にいると、周りを見渡せて 目を凝らして見なくても見えるものです。


何か、問題となる渦中にいると 見えなかったことが見えてきて それだけで安心するものです。



見えていないと、想像するしかなくて だから、恐怖が襲うようです。



見えないと怖いし、わからないと怖いのです。



だから、視点を上げるだけなのですが
そもそも、怖いものって存在しないのです。


恐怖って自分の心が作り出してるだけなのです。

それがわかると 視点を上げなくても、怖くないし、ガシガシ歩めるように思います。


それを言葉にしたのが
『求められることはできること』です。



確かに、視点を上げてしまえば楽なのでしょうが、視点を上げなくても 怖いものはないんだ!ということがわかるだけで ガシガシ歩めてしまいます。


ど根性!で歩めてしまいます。



ど根性!で歩むと、視点を上げて見て進むのとは違った歩みを体感できます。


それが、地に足をつける ことに繋がります。



どんな歩み方でも良いのです。


前にさえ進めば。



ガシガシと踏み込んで歩むのも良しだし、スキーを使っても良いし 電車を使っても空を飛んでも良いのです。



自分らしく歩めれば良いのです。



わたしは相談者様に応じた歩み方を提案しますが、ひとつの手段でしか歩んでいない人はそれに固執して、人にもそれを求める傾向があります。


そんな時、わたしは空を飛んでみせます^^


それは、どんな方法でも間違いじゃない ということを知っておいてもらいたいからです。


そんな時にわたしは神様から遣われます。


人のことが好きとか嫌いとかって形がなくてわかりづらいものだけど

一緒にいると楽しいから好き

一緒いると嬉しいから好き


という居心地の良さで判断できるものなんですね。




わたしは、なんとなくイヤとか何故だかわからないけど好き といった感覚で物事を判断します。



居心地の良いものに囲まれて過ごしていたい

という気持ちは誰にでもあるように思います。


だけど その居心地の良さを忘れて生きてる人もいるような気がします。


そこにいると、動けなくなるから。



動きたい場合は、居心地の良い場所を避けて、アクティブに動くのだと思います。



居心地の良い場所が嫌いなわけではなくて、好きなんだけど 今は、そこには居たくない という理由です。




誰もが居心地の良さ、安心を求めているわけではないのですね。



だけど この世界を取り巻くエネルギーは、自分本来の居心地の良い場所に向けて進んでいくように動いています。


それは、抵抗しがたいものになってきています。

もがいてももがいても、人は居心地の良い場所に向けて動き出しています。

そうです、そうです。


役割によってエゴがつけはずしされます。


わたしはこの役割が非常に多いです。

書き出したらきりがないくらい多いです。

わたしの場合は いったん、すべてなくなりました。


仙人状態で、下界との関係を絶っていた時期があります。


でも それからは、エゴを自由自在につけて、求められるまま 動かされてます。


エゴがないことが偉いわけではないです。

あってもなくても その役割を全うすることなのです。




また、フルネーム鑑定によって クライアント様の役割がわかります。

それに基づいて、わたしは導いていきます。


だから、今ついてるエゴをはがさなくても良いと言うときもあれば、はがさなきゃね〜と、感情と向き合うことを促すときの両方あります。


それは すべて、役割のためと言えます。

個性とも言います。



それは 魂の元々持って生まれた性質や体質、また、家族構成やご先祖様を視ていくとわかるものです。


そのエゴによる役割が終わると、ひとつ段階が上がります。


それを成長した、と呼ぶのです。



だから、エゴがついてる自分を否定するのはNGで、丸ごと好きでいて良いのです。


丸ごと好きでいれば、その役割もうまく発揮されて 早く成長していけるものですが 否定したり追いやろうとしていると うまく役割が全うできなくて 成長もできていかないのです。


また エゴを丸ごと好きでいるということは それにあぐらをかくと言うことではなくて、負の感情はあって当たり前なんだと開き直るのは成長の妨げになる行為なのです。


役割のためにエゴを持っているけれど 使い方や出し方には気を配る姿勢が大切なのです。


そのためには、心の姿勢が重要になってくるのです。


それが人間性の善し悪しというものですね。



エゴというものは持っていて良いも悪いもないけれど その使い道を考えなければいけないものなんだよ、ということです。

悪知恵を働かせて下手に利用するのではなく、使わせていただくという謙虚な気持ちを常に持って 使わせていただくのが望ましいのです。



エゴを良薬にするのか悪薬にするのかは、使い手の心の姿勢にかかっているのです。

この地球に人として生まれてくるためには 役割があるのです。


その役割を全うすることに意義があるわけですが、人の成長というのは、その役割に則して求められます。



エゴが自分の役割を応援しているというか エゴがあるから役割がある という場合もあります。

まあ、ほとんどかもしれません。


だから、はがさなくても良いエゴもあるのです。



わたしがひとつのことを書いてると長いのは、このように一言で言い切れないからです。



そのエゴがあなたの生活を助けている場合も多々あるのです。


だから、離れていこうとしているエゴだけ浄化すれば良いのです。


学べば離れるし、まだまだ それが必要であれば、はがしたとしても戻ってくるのです。



だから、まったくエゴのない人になってしまうこともないのです。


まったくない場合はないでそのような役割があるってだけです。



すべては役割の違いでエゴもついたりはがれたりするものなのです。




わたしはつけたりはがしたりして生きてます〜♪

ツインなんちゃらで魂が同じだからといっても 二人の関係を良くしていこうと努力していくことでよりひきあっていくのです。


二人の間に問題が生じるのは、より関係を強めていこうとする表れですが そこに向き合わずにいたら 同じ魂と言えども離れていきます。


努力は必要です。


努力ないと、より大きな問題になりますし、離れていきます。


残念ですが それも魂の選択です。。。

この地球は、様々な個性の星から集い、切磋琢磨して魂を成長させるためにあるのです。


そのため 人生をより生きやすくするために、本質を見るように努めることで他者との関係もスムーズにストレスを感じなくなるのです。



しかし、これからの時代は より同じものは同じもの同士で引き合い、違うもの同士は離れていく傾向があるのです。


そのため 人間関係がうまくいかなければ、離れていくという傾向も見られますが、 人間関係がうまくいっていれば離れていかないものです。



人間関係がうまくいかないのは、自分の内側にあるこだわりがあるからですが そのこだわりとひとつひとつ向き合っていくことで魂は成長をしていくわけです。


しかし その、成長をしない人間さんがいらっしゃいます。


自分の感情を見ないふりして生きてる人たちです。


そのような人たちは、自分の感情を見ない人たちと引き合います。


同じもの同士は引き合い、違うもの同士は離れていきます。


本質を見ずに生きてる人は本質を見て生きてる人とは合わなくなるのです。

それは、選択の一種です。


良い悪いはありません。



本質を見て生きていれば出逢いますが 見て生きていないから出逢わなくなります。


出逢いがないのはそんな理由ですし、愛する人との人間関係がうまくいかないのはそんな理由からです。


努力しなければ離れます。


いくら、魂は同じでも 本質が違えば引き合わなくなる。



それが この宇宙の法則です。



目の前に起きていることから目をそむけて生きていると、本来進むべき軌道からは離れていくのです。


そんな選択をしている人が増えています。


おたっしゃで〜♪

同じもの同士は引き合うけど 似ているもの同士は引き合わない。



これを知らない人が多いと思います。



似ているというのは、本質が違うことを意味します。


本質が違うから引き合わないのです。



本質が見えていない人は、似ていることと同じことを=(イコール)と思いがちです。


本質が見えていなくて、表面しか見えていないのです。



例えば、ポジティブという言葉ですが 反対語はネガティブです。

この言葉は本質を意味しません。

受け取り方だけです。

右から見るか左から見るかの違いと同じです。

だから、わたしは 人にポジティブになりなさいとは言いません。


それよりも 地に足をつけて見ること、現実を見ることを教えます。


ポジティブ、ネガティブというのは表面的な言葉なのです。



このように 表面的なことしか見ない人が多いと思います。


似ているものをさも同じだと勘違いをして、必然だと感じる人も多いです。


似ているは、ただ似ているだけなのです。



現実を見れていない人は、似ているものに飛び付きます。

同じだと錯覚したいのでしょう。

だけど、魂は違うことを知っています。



同じものを求めてしまうから、似たものを手にしてしまうのですが違うことに気づいてください。

本質を見るようにしてください。



どうしたら、本質が見ることができるかといったら そのものの周りにあるエゴを外していくことです。

わたしの書く内観浄化です。

本質が見ることができないうちは、わたしが教えます。

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