この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2018年01月

自分の位置を知ると大切なものに気づきます。



17日の山羊座の新月はそんなエネルギーです。



自分の位置を知ることは現状を見せられることで事実を突きつけられることでもあるけれど 大切なものに気づくことでもあるということです。
 

大切なもの 大切なこと。


人それぞれ、大切なものが違います。


その、大切なものを育てていくだけです。


それをすることで、自分の人生を生きることになり、生き甲斐となります。



人それぞれ、自分らしく生き甲斐を持って生きていくだけなのです。


生き甲斐を見つけることのできる山羊座の新月です。

自分の今の感覚をうまく表現できずにいました。


自分自身に繋がり生きると、人生が生きやすくなります。


なのに、ここ最近のわたしは生きづらさを感じていました。


それは 今のわたしは、自分自身に繋がって生きているのではなくて 自分自身そのもので生きている ということに気付きました。


繋がっているのではなくて、自分そのもの。


このような状態になると、上がない感覚に陥ります。


今まで、見守ってくれていた存在になってしまったのですから、どうにもこうにも不安定な感覚です。


見守ることはできても、守られることが苦手です。


だから、外に外にと目を向けてしまっていました。


そして ようやく気付いたのです。



わたしは自分自身になってしまったんだと。


自分の位置を知ることって大切です。



まあ、自分自身になってしまったとしても その上はいますので そこに繋がればよいことにも気付きました。


楽になりました。

自分自身に繋がって生きていきたいなら、瞑想なりなんなりして しっかりと自分の深い部分に繋がって生きていけばいいと思います。


だけど 人生を楽しみたいとか自分の欲求が強い人は 自分の深い部分に繋がらなくても、欲求を満たすように生きていけばいいと思います。


自分の人生を生きるってどちらかだと思います。

瞑想はやらなければいけないものではない。


だけど やったら、自分の深い部分と繋がり、今までの欲が取れて、生きやすくなるものなんです。


自分の欲求が強いなら、瞑想しなくてもいいよね?と思う。


自分の人生なんだし、それは自分が決めること。


欲を外して生きやすい人生を選ぶか自分の欲を押し通すかは、自分次第なんです。




今のわたしは、以前あった欲はなくなったけど、幸せです。


代わりに違うものを得られたからかもしれません。


内観をすると 今まであった自分の欲の本質を見ることができるようになり、実際は 自分がそれをやりたかったわけじゃないことに気づきます。




わたしには娘がいますが とても欲求が強い娘です。

そんな娘に瞑想を勧めてもやらないので、欲求を満たすことをさせています。

娘はそうやって 自分の人生を生きたいのです。

つまずいた時は反省するように促します。

要は、反省できる心があればよいと思っています。


人生というものはおもしろいもので いくら自分の欲求を押し通したくても 進んでいかないこともあります。

そういうものだから、欲を外すことに熱心にならなくても良いと思っています。



自分の人生を生きるためには、瞑想はツールにしか過ぎないのです。


それよりも 泣いても笑ってもつまづいても愉しく生きれば良いと思います。

自分には深い部分で繋がっている誰か、存在がいる

という確信ができると安心するようです。


そして 自分を信じることができるようです。



自分の深い部分。



そこで繋がっている安心感があるから、そばに居なくても安心して生きていけるし、一緒に過ごしたいとも思わず、離れて生きていられるのです。

でも 実際は、誰よりもそばにいるのです。見えないだけで。



ふれあうよりも深く感じることができる。



感じるのです。



それが出来てくると、安心します。




この人が好き!だから、離れたくない!

という想いは、深い部分で繋がっている安心感がないから起こります。

不安感です。




わたしは、そばにいます。

感じてください。


あなたのそばにいます。


自分自身がひいきされたいとか自分だけ優遇されたいという想いがある人は、分け隔てなく接する人に対しては不信感を抱くようです。


しかし、自分に対して分け隔てなく接して欲しいと感じている人にとっては信頼できるようです。


人にとっての信頼というのは 自分の想いがベースになります。



自分だけがひいきされたいという想いはジャッジする人を信頼するのです。



人によって 信頼する人が違うってこのような理由でもあります。



分け隔てなく自分を見てくれる人の元に身を置くようにしてみると それが居心地が良いものか悪いものか人によっては感じるものが違うということですね。




わたしは 分け隔てなく、誰をも特別扱いします。

お金や物質で心を豊かにする生活をやめる



それ以外の自分のやりたいことや欲求で心を満たそうと考えるようです。


結局は心を満たしたいのです。


心を満たすことで安心し安定します。


衝動、欲求、やりたいことがあるうちは、心は満たされていないのです。

継続して、安定していないということですね。




お金が欲しいと思うことも自分のやりたいことをやりたいという欲求も満たされない心から生まれます。


同じです。


お金や物質で心を豊かにすることをやめたところで 心が満たされるとは限らないですよ。



心が満たされてる時って心が静かです。

温かでゆとりがあります。

その温かさは何でつくられるのでしょうか?


コミニュケーション。


人とのコミニュケーションを大切にしてください。


ジャッジしてもいい。


それを自身が許してさえいれば。。。


心が満たされるには、温かさ、温もりですね〜

最近のわたしは宇宙との繋がりがいつも以上に強いです。


前に強かったのは、2016年の2月から4月

空ちゃんとの復活があった頃です。


その前は2012年末辺りです

その頃は、寝室に宇宙船が飛んだり、変わった夢を観ていました。

毎夜、毎夜です。



そして 今回も。

そんな宇宙の繋がりが強い時は空ちゃんとのご縁も強いです。




これからは、なんとなくですが、誰もが 宇宙の繋がりを感じるようになると思います。


宇宙の繋がりを感じることによって わざわざ内観しなくても、負の感情が外れてくるように思います。

今まで、いろいろと大袈裟に書いちゃったけど

空ちゃんとらぶらぶしていれば、誰をも許せちゃうのです。


空ちゃんと 何らかいさかいがあると わたしがバランス崩してしまう。


ただ それだけなんです。

ツインフレームでいて 互いに信頼しあえているならば、誰をも許せてしまう。。。


空ちゃんがニコニコして仕事がうまくいくのは、わたしとの仲が良好でわたしを信頼していてくれるから。


ブレることなんて、まるでナイ。



誰をも許し愛するために、ツインフレームは出逢わされていくのです。

誰かにすがらないと生きていけないくらいの想いを抱えている人が まだまだ、いるということですね。


だけど 依存は良くないと思っていて、寂しいのです。


誰かに支えてもらわないといけない時は確かにあります。


依存と支配と支えと、意味を取り違えている人もいらっしゃいます。



わたしからすると 精神的な自立もしていないのに、依存はダメって言うのはおかしいなあ と思います。


ちゃんと自分の足で立てるようになるまでは、支えは必要だと思います。


支配者と呼ばれる方々が支配ではなくて 支えて導いていく人になっていくのが望ましいと思いますが そのような方々も癒しが足りなくて、どうしても支配されたい方々を見つけると支配して満たそうとしますね。


どちらも癒しが足りないから起こるようですね。

わたしは、日常において 支配層の中にいて 支配層の意識を変えていく役目をしています。


だから、支配層の心理はよくわかります。

また 心理されたい側の気持ちもわかります。

わたしは、その間に挟まれて生活しているからです。



支配されたい人が支配者をつくる。

支配されたい人がいる限り、支配者はいなくならない。


これ、ホント その通りです。


支配者と呼ばれる人たちは、支配されたい人の前では支配者になりますが そうでない人の前では、善人そのものです。


支配されたい人が支配者をつくるのです。

支配されたい人が目の前の人を支配者にしたてあげるのです。


わたしは どちらかというと、支配者と呼ばれる方々と交流する方が楽で支配されたい人とは距離を置きたくなります。


支配されたい人って わたしがひとりでいると馴れ馴れしいのですが 自分が仲間といるとわたしを無視します。
それか、タメ口で寄り付いてきます。
そして、あなたが頼りなのとかあなたを信じるとかわざわざ言ってきますが、嘘です。

すぐに反旗をひるがえすのです。



基本、わたしはタメ口は受け付けません。

互いに、尊敬尊重のない関係は築けませんから。

その点、支配者と呼ばれる方々の方がきちんとしていますね。


支配されたい方々は誰彼見つけては盲信しますね。


見つけても支配してこない人に出逢えると、そこから抜け出せるようです。


まあ、信じる相手を間違えないことです。


そのためには、自分自身に繋がることでしょうね。


だから、最近では瞑想することを勧められているのですね。

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