この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2018年02月

何故、わたしが永遠を約束できるかというと


創造主との繋がりを毎日、確認しているからです。


日々、毎瞬、確認反省して過ごしているからです。



それがわたしの責任であり義務だからです。

また 生きがいでもあるからです。



ままのままは完全ではありません。

完全なのは、創造主です。


わたしがままのままを信頼するように、ままのままは創造主を絶対に信頼しています。




エネルギーはひとつです。



だから、間違わないのです。



でも こうやって書いてあると、自信アリアリで 強靭そうにみえますが、わたしはすぐに間違うのです^^


元祖ヘタレです。


ヘタレを自覚しているから 確認も反省も怠らないのです。


間違いがあったら、責任重大ですからねっ



すぐに、間違うから 確認反省が必要です。


だから、生きていける。

ありがたいなあ、と感じます。



生かされてありがとうございます。


信頼していてくださり、ありがとうございます。

ここ最近、魂のレベルが高くなる人が増えているそうです。



一言、いいですか?



そうなったからといって、人を見下して良いということではないです。



魂のレベルが高くなるというのは、視野が広がるので自分のことも人のこともはたまた対象物も客観的に見れるようになるし、四方八方、ぐるりと見えるようになることですが、だからと言って 人を見下して良いわけではないです。


視野が広がるというのは、視力が良くなるのと同じです。


人より少々、視力が良くなったぐらいで偉くなるわけではありません。



魂のレベルが高くなったと感じている人が魂の尊厳を傷つける気らいがあるのです。



注意でした〜

なぜ、瞑想をすると良いと言われるかといったら、自分自身を客観的に見ることができるようになるからです。


日本人は特に、共感力が高くて 人の想いに入り過ぎてしまう傾向があります。

また 共感力が高いことが良いと言われることもあるので 逆に、客観的に見ることをあまりしないのですね。


共感力が高いと 人の気持ちに敏感になるが故に 相手の気持ちを自分の気持ちに同化しやすいのです。
結果、相手の気持ち=自分の気持ちになってしまいます。


そうなると 客観的に見ることができなくなって 正常な判断ができなくなるのです。


また 共感されたい気持ちを持つ人は多いです。

だから、好かれたい気持ちのある人は人に共感してしまいます。


人に寄り添える人にないたい。。と言われるヒーラーさんも多いですね。


頼られたい、人の役に立ちたい と思うから、人に寄り添いたいと感じ、より共感してしまうのでしょう。

結果、入りすぎて 自分を客観的に見ることができなくなるようです。



以前のわたしがモロ共感力が高い人間でした。


しかし、内観浄化を経て、客観的に見ることが日常になった今は、人にさほど共感することはなくなりました。


だから、共感されたい人からは わたしは嫌がられます。


共感するようなことを言わないから。
わざと言わない^^
言ってもらいたいんだなあ というのはわかるけど、あえて言わない。
だから、嫌われるの。


共感力高い人は客観的に見る人は嫌いなのです。




この共感力と客観力って相反するのです。




瞑想をして、客観的に自分を見ることができるようになり、本当の自分と対話をしていくと 今まで見えていなかったことがわかるようになりますね。


昨日の記事の日記を書くこともひとつです。




昔のわたしは 共感されたい人間だったし共感力も高かったから、人からは好かれていました。

だけど、共感されても、物事は解決できないのです。

やはり、客観力は必要です。

だから、共感力はなくなったけど 客観力はあるから、まあ、いいかあ〜とも思うけれど、 それではいけないようで共感力を戻していくようになされるようです。


自分の肉体ですが、天の想いになすがままです。


そうやって わたしは使われていきます。

まあ、依存というのは 依存させるだけの器がある者がすることではないかと思う。


その人をどれだけ受けいられるか だと思います。

どれだけ深い愛をかけられるか です。



依存したい人の特徴は素直です。

とにかく、素直。
また すぐに信じる。


そんなに簡単に信じてもいいの?と心配になるほどすぐに信じる。


まあ、素直に信じてもらえるから 導いていきやすいです。

でも、素直じゃない人は信頼関係を築くまでは苦労します。


そして ずっと 依存させっぱなしはいけないのです。


少しずつ、手を離していかないといけないのです。


行きつ戻りつですね。


少しずつ 自分にできることを増やしていきます。


わたしはよく、自分の位置を知ることと言います。


自立ができていない人は 自分が今、どれくらいできているかを気にしますし 10のうちどの位置にいるかも気にします。


だから、それを教えてあげることです。


それが重要なポイントです。


それがわかれば、自立させていけるのだと思います。


子育てと同じですね。


できること、出来ないことを明確にして 出来ないことはお願いする。

それだけです。


お願い、人にお願いする技術も必要です。

また 出来ないことを認めることも必要です。

ひとつひとつを丁寧に明確にして教えていくのです。


だから、毎日 日記を書いていただくのです。


一日のうちにできたこと出来ないことを明確にして反省して明日に繋げる。


毎日、それの繰り返しです。


毎日、繰り返すことで伸びるし実力がつくのです。



毎日、反省です。


自分で出来るまで、わたしが導いていきます。



また、昨日の記事の内容でのわたしの教えることは その人の位置を教えることだけです。

それだけなのです。


自分の位置を知ることって重要なんだね。

あと 周りの人のもうひとつのテーマ 『依存からの脱却』があります。


今まで そばにいてくれる人に寄り掛かって生きていたため 急に、寄り掛かるな!と言われてしまい ショックを受けている人はいらっしゃいませんか?


依存とは、そもそも 自分に自信が持てないために 頼る人を見つけて その人の言われるままに生きていこうとする他力本願な生き方になります。


他力本願ですので 主体性に欠けますし、自分の意見を持てず、自分の軸はありません。

他人軸で生きようとすることです。

他人軸で生きるということは 自分をなくしていく生き方です。



本来 わたしたちは、自分の人生を生きるために生まれてきているのですから 魂の生きたい生き方ではなく 魂の想いからは離れた生き方と言えるでしょう。


そのため そんな生き方を続けていると 魂が反乱を起こします。


それが 相手に伝わり、相手から見下り判を突きつけられてしまうのですね。

それは、共依存の関係では起こらないようです。

共依存だと、頼られたい人と頼りたい人の組み合わせになります。



さて 見下り判を押されてしまった場合、急に 依存関係を解消されてしまったわけです。。。


それまで 相手軸で生きていた人にとっては、青天のへきれきですね。


わたしから言わせると、 見下り判を押した側に責任があると思います。


それまでは 依存を認めていたわけです。
それを急に、くつがえすなんて 責任感がないやり方です。


依存したい方というのは、自立ができていないのです。
自分の足で立てない赤ちゃんを外に放り投げるやり方です。

なんてことをするヤツだ!と思ってしまいます。


わたしは、自立していただくために毎日メールでアドバイスをしています。

その方たちはわたしの子供のようです。

わたしが親の立場になるので 昼夜関係なく、メールだけじゃなく 電話でも教えています。


依存 という言葉は非常に悪い捉え方だと思います。
なぜなら そこには、信頼があるわけです。


依存であろうがなかろうが信頼していた人から、急に見下り判を突きつけられたら、、、を考えてみてください。


相手軸である杖を急に外されたのです。


ただ よろけるだけではすまないことはわかると思います。


転んで怪我をします。

そして、その状態から立ち上がらないといけないのです。


人の気持ちというのは残酷です。

依存はいけないんだ!

そんな簡単に言い切れるものではないのです。



人が立ち上がるときは、
抱きしめられて誉められて、デレデレに愛されてからです。


わたしは 空ちゃんから そうされたから、自立できました。



依存はいけないんだ、ではないのです。


自立で立つ前には、杖がいるのです。




そして 先記事でも書きましたが 離れるのは、人や物ではないのです。

負の感情だけです。


人は離れていかない。


人が離れていくと考えている人は、本当の意味での自立をわかっていないです。



自立というのは、自分自身の内にある神様と繋がり、誰もが同じ神様と繋がっていることを実感することだからです。



自立するからワンネスがわかるのです。


人や物は離れていかない。

最近のわたしは よく感謝されます。


はて?


聞くと、立ち話程度のアドバイスをしたらしいのですが、忘れた^^


でも その後、事態が好転したと喜ばれて、わたしの元に感謝を伝えにきてくださいます。



思い出したのですが、わたしは大したことを言った覚えはないのです。


でも それで好転したのは、ひとえに その方々の感謝の想い(力)だな と感じました。


信じることって素晴らしいし、感謝することって素晴らしいと思います。



わたしは、ほんと な〜んにもしていない。


ほら、背中を押すお手伝いができたら、と言われてカウンセラーをされてる方もいらっしゃいますが たぶん それも同じことで
感謝の力で解決したり、好転するのだと思うのです。




人の力は無限だなぁって感じます。






という話を昨日していたら、わたしの風貌が、そのようになっているのでは?と言われました。


確かに、それはあるかもしれません。


態度、でかいモン^^

人に思いやりをしめせるのは、自分の神性を取り戻してからです。


人の立場になって考えると言いますが、自分自身が尊い存在だと気づいていないと、人の立場になって考えることはできないのです。


自分の中の神性に気づくことこそ、今の現代人が最もやらなければならないことなのです。

最近、AIってよくき聞きます。

また、娘もいろんな話を聞いてきます。



これからの時代は、AIにとって変わられちゃうんだよ〜

どうすればいいの〜?



今まで通り、目の前に起きていることを真摯に受け止め、真面目にコツコツ仕事をしていれば AIを越える人間になれるよ♪ って話してます。


いちいち、詳しいことは書きませんが いくらAIが発達していこうと この人間の可能性に勝てるわけがありません。


わたしはわたしの奥の際限ない力を知ってるから言えるのです。



いちいち、AIを知らなくても生きていけるのです。


自分にとって必要ない情報に溢れています。

知らなくても良い情報に溢れています。

そこに意識を向けるのではなく、自分自身に意識を持ちましょう♪

最近のわたしは、困っている人にお声かけをして 自立支援しようとしても、それが叶わず 結果、抱き抱えてしまいます。


また それを求められているのだなあ とも思います。


でも わたしは、自立支援、教えることをしたいのです。


求められてることと自分のやりたいことのギャップがあります。


今は、まだまだ 求められていることをさせていただくことが懸命だと思います。


祈ること、癒すこと。

共に、言葉はいらなくて 言葉では伝わらないものがあります。


この世界をわたしの想いで満たしていくためには、今は教えることよりも言葉はいらないのかもしれません。


言葉以上の想いの力を発揮できるわたしだからこそ求められていることなのかなあ とも思います。



人として生きる。

この肉体を使って生きることをしたいのだけど、今のわたしは想いの力だけで動かせてしまう。


能力が高いだけに、マルチに求められてしまうのですが、自分のやりたいことはあり、それだけをやっていられない葛藤が常にあるのです。


贅沢と言われれば贅沢な悩みかもしれません。


だけど わたしにとってはそれが悩みなのです。

わたしは毎日、あちこちでいろんなことを書いたりお喋りしています。


ほんと いろんなことを書いたりお喋りしていて、自分でも不思議なのですが でも ちゃんと脈略があるのだと気付きました。


よくも まあ、こんなに 繋がりのないことを喋れるなあとおもっていたんです。


そのテーマは、『本音』です。



昨日、わたしはとても厳しいことをFBにアップしましたが それがわたしの本音です。


また その人の本音が感じられない言葉や記事や著書は わたしは受け付けないのです。

手が伸びない。


伸びないならそのままにしておけばいいのに、探究心があるから、頭が勝手に動き出すのです。



そこで気づいたのですが、人はわたしのように本音を語るわけではないということです。


わたしという人間は、本音がわからないとモヤモヤしてしまうってことがわかりました。


その人の本質がわかるから、嘘をつかれているように感じてしまいます。

本音で生きるわたしにとって 世の中は嘘が多いんだなあって感じます。

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