この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

2018年03月

未だに、神様というワードを胡散臭いと捉える方々がいらっしゃいます。


スピリチュアルなお仕事をされている方は、そのような方々に対して、どう接していらっしゃいますか?


神様というワードが胡散臭いと感じる方々には、使わずに違う言い方をすればいいと思うのです。


未だに、スピリチュアルなことを胡散臭いと捉える方はいらっしゃいます。
そんな方々にもわかってもらえるように話をしたいなら、神様というワードを使わずに、もっと親しめる言葉を考えれば良いだけなのです。


わたしは神様というワードを使わなくてもいいように、さまざまな切り口でスピリチュアルなことを書いていますし、話をします。


それは、誰が読んでもわかるようにです。


それが思いやりですし優しさだと思っています。


自分の話を聞いてもらいたかったり、受け入れてもらいたいなら、受け入れてもらえるように工夫をすることは基本的なことなのです。


相手が自分を受け入れないのは、自分の行いにどこか我の強さが出るからです。


自分の話を聞いてもらいたかったり受け入れてもらいたいなら、謙虚になって 何故、自分のことが受け入れてもらえないのだろうか? どうしたら受け入れてもらえるのかを考えたり調べたり学ぶことなのです。


心の姿勢を正すことです。


それを 胡散臭いと言っている人とは話ができない、と排除するようなことを言われているスピリチュアルリーダーさんがいらっしゃいますので、書かせていただきました。


3月21日は宇宙元旦と言われて、エネルギーが切り替わるとも言われていますが、いくらエネルギーが替わるといってもやり残したことがある場合は、やり残したことと新しいことが同時進行します。


人は、やるべきことを やり残しても、乗り越えても 同じように、魂の使命を果たそうとするものです。


だから、やり残したことがあっても魂の使命を果たそうとするから、困難に感じたりするわけです。



やり残したことは目の前に差し出され、魂の使命に関わることも目の前に差し出されるわけです。
両方、同時進行されます。



ツインなんちゃらに出逢うというのは、魂の使命を果たすために出逢うものです。


だから、最近では やり残したことが山積みでも関係なく出逢わされているようです。


やり残す、ということは 人間的成長していないということで その状態でツインなんちゃらで出逢ってしまうのです。


そのため 既婚者同士だと、不倫。。。も有り得るようです。



今の世の中は、人間的成長するよりも魂の使命を果たすことが重要視されているように思います。

人間的成長していないのに、ツインに出逢ってしまう。


人間的成長していないのに、魂の使命を思い出してしまう。


何でも有りな世の中ですね。



まあ、出逢わされたり 魂の使命を思い出してから 人間的成長を促されていくのでしょうが。


ドタバタですね。


人間的成長というのは、人との信頼関係を得ることを意味します。



家族、身の周りの人、ひとりひとりと信頼を結んでいくのです。


魂の使命を果たすことは必要ですが、人との信頼を結ぶことはもっと大切なように思います。



魂の使命を果すことと信頼を得ることは別物ですね。

生を受けるということは、生きるということ。


古代の人たちは 早くに命を落とすことが多く、死ぬことに恐怖を抱いていた。


死ぬこと、離れること、別れ。


その恐怖から、様々な知恵が生まれた。



そして、自然と、天気を司る存在に敬意を払い、命の恵みに感謝するようになっていった。


しかし、命との別れとは縁が切れずに 辛い想いを強いられた。


死にたくない。
離れたくない。
別れたくない。

それは、愛する者と永遠の別れを意味するんだ。


だから、永遠の命が欲しいし、命を呪った。


欲しいものは命。

そこで、執着が生まれた。


生を受けて、さまざまな感情が生まれる。


それを残したいと考えた。

次、生まれてきた時にわかるように。




古代の人たちは、命を敬い、命に感謝し、命を呪って生きていた。


お祭りや残された壁画や土器はそれを想いとともに残している。


また 信仰も同じだ。


長生き、永遠の別れによる痛みから逃れたいがために、あらゆるものを信じ、そして 排除していった。



そうやって 古代の人たちは 命と向き合って生きてきたのだ。



しかし 現代人はというと、そこには目もくれず、遊びほうけている。


命を大切にしない人が増えた。


それは、長い転生の末、命を守るという想いが薄れてきたからだ。


執着があるうちは まだ、いい。


痛みを感じないように、ハートを閉じるようになった。


そのため 生きる意味さえわからなくなっていったのだ。



わたしたちは どこから来て、何を目指しているのだろう。。。


生きる意味もわからぬまま、生まれてくる魂が多い。


魂そのものが行き場を失っているのが現代だ。


それを、自身にわからせるために 地球ではあえて、別れを体験させる取り組みが成されている。



別れ、辛い別れ。


それを あえて、体験することで 自分の命の尊さを知ることになり、自分は命そのものだと気づくことになる。



わたしたちの源の命は祈りを込めて願っている。

自分が命だと気づくように。


源から分かれた命だと気づくように。


そして ただ、戻るだけだと気づくように。。。


気づいたら、源との約束を思い出すでしょう。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

NHK Eテレで放映された『日曜美術館 特別編 「◯△□の伝言〜井浦新“にっぽん”美の旅4〜』

FBで繋がらせていただいています雲龍様からこちらの番組内で雲龍様の笛の音の「CD遮那」を使って頂いていると教えていただき、さっそく観せていただきました。
そして、なんとなく浮かんだので、書き留めました。


だいぶ、はしょって書いたけれど、古代の人たち 縄文の人たちは こんな想いで生きていたのかなあと感じました。


今、その時の想いを思い出すことを叫ばれていますが、それよりももっと 遥か宇宙の頃、源と繋がっていた頃を思い出すほうが より思い出しやすいように思います。

雲龍さんの笛の音は、それを呼び覚ましてくださる音だと感じました。


宇宙にいた頃を思い出し、源とのやくそくを思い出す音です。



わたしの雲龍さんの笛を聴いた感想がこちらです。


宇宙風、わたしがまだ 風と呼ばれる存在だったことを思い出しました。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


わたしがかつて風と呼ばれる意識の頃、 出会った同じ存在。。



ノドを鳴らし、オトを奏でる。

木々をすり抜け、葉を揺らす。

光という衣をまとって色をつくりあげる。

わたしという風の色と混ざりあい造り上げる。


それがオト。


渦を巻き上げ、それぞれの風となり、オトを奏でる。



ふれ合った時のオト、離れた時のオト、溶け合った時のオト、惹かれ合った時のオト。




オトを奏でながら、わたしたちは

揺らぐ。

震える。

はしゃぐ。

抱き合う。。。




離れても、思い出すことを約束して 舞い上がる。

『生まれる』原理は、『愛する行動』『愛されている確信』で『生まれる』のです。



在るというエネルギーと成すというエネルギーがあります。



在るは子宮で成すは精子。


在ると成すで産まれる。


愛する行動が成す。

愛されている確信が在る。



愛する行動の根底にあるのが、愛されている確信。


在るのです。


愛されている確信があるから愛する行動が起こせるのです。



愛されている確信こそが、命そのもの。




そう考えると、『生まれる』のではなくて もうすでに、『生まれている』ことに気づくでしょう。



ニワトリが先か卵が先かを問われたら、卵が先なのですね。。。



もうすでに在るのです。

いのちは在るのです。


幸せは在るのです。

わたしは娘とも守れない約束はしないですし、娘にも人とは守れない約束はしないように話をしています。


いい格好したり安請け合いしないのです。


結局、あとで苦労するのは自分です。


守れなかったら信用なくすのです。


信用なくすくらいなら、引き受けないのです。


それは、自分の力量を知っていないとできないことかもしれません。


娘から相談されて、GOサインを出すのはわたしです。


すべてをわかっているわたしが見極めて、GOサインを出します。


わたしがGOサインを出さない時も多々あります。
その時には理由もきちんと伝えます。



娘の場合には、わたしが全責任を負います。


娘ですから。


でも 他の人に相談されたときでも わたしが責任持ってGOサインは出しますね。


自分の言葉に責任を持っていますから。



責任取れないことはやらないです。



約束を守ることと責任は切っても切れない関係にあるものなのですね。



結局は、責任感を持つことで約束を守ることができるようになっていくものなのかもしれません。


責任感っていうと 一種、固い感じがしますが 要は愛に溢れているから責任が持てるのだと思います。


責任感って守りぬく力が必要ですし、パワーです。


ど根性!とも言います^^



見た目はふにゃふにゃですが中味はど根性があるわたしです♪

人から信頼されるようになっていくことは大切だね。



基本は、約束は守ることなのです。

自分との約束も含めてね。


あと、規則正しい生活を心がけることです。



身近な人にたいしては、甘えが出てしまうものだけど、いくら家族だからといっても 礼儀は必要ですね。


自分との約束を守ることを含めて、約束を守ることは基本だと書きました。


これはどういうことかと言ったら、無理な約束はしないということです。

無理な約束するから守れないのです。


約束はゆるくていいのです。


早起き苦手なのに、朝早く起きる約束はしないのです。



守れない約束はしないのです。

ただ、ただ 与えていただいた命に感謝して生きるだけ。

役目?

そんなものはわからないけれど 求められることを丁寧に、生きてるだけ。


でも そうやって生きていると、天からごほうびがもらえるそうだ。


ありがたいなあ。。。

真の豊かさとは、自分だけが幸せになるのではなくて 自分と家族とそのまた、周りの人々が幸せになること。



そのためには まず、自分を許せる人になること。



みんなみんな、おんなじだね。


曖昧でもいい。


許しあっていけたらいい。


そうすれば、仲良くいられる。


許し合っていられる。

わたしは、いつも相手の立場になって考えて、相手のためになるように行動していますが、相手は わたしがそうやって行動していることを知らない方が多いです。


思いやりを受けていることがわからない人が多いです。



思いやりを受けていることがわからない人は、思いやりを受けているのかどうかがわからず、人は優しい、ということがわからないのです。
それか 思いやりを受けることを当たり前にしているかどちらかです。


要は、鈍いのです。



人の思いやりがわからない人の立場になって考えてみると、人の気持ちを感じることができないということがわかります。

人の想いを感じる力が弱いのです。


人の思いやりや想いを受け取る力が弱いのですね。


そういう方こそ、人の立場になって考えて行動するということを実践してみてください。


感じる力を取り戻すことができれば、人の想いが伝わりますよ。



とは言え、傷つけられたりした過去がある場合には、わざと感じなくさせていることもあります。




感じたい、わかりたい と言われることがあります。


感じる力を取り戻すと、押し込めてきた過去を思い出させることにも繋がります。


そう考えると 思いやりを感じる力が弱いといっても悪いことではないと思います。


神様の采配でなされることは、その人のためを思ってなされるのですね。


ありがたいなあと感じます。

人の力でどうこうしようと考えるよりも、神様の采配を信じて生きることが大切だなあ と感じました。

この桜の時期になると感じことがあります。

それは、この桜の時期になると下々の神様が活発になります。


下々の神様というのは、受容する力が足りないので、とかく自己責任を主張します。


あのさ、神様と呼ばれるくらいなら受容力ぐらい伸ばしなさいよ。


ここは、任せておくから遊んでおいで♪

って言えないものかしら?


それを、もっともらしく、自己責任自己責任と、、、あほらし。



下々の神様がだらしないから、人間が育たないのです。



あと わざわざ ご祈祷をとか多額のお金を積まれなくても、素直な気持ちさえ感じられれば、ぴっとかぺって浄化はするものだから、素直な気持ちになって過ごすことですね。



自分の負の感情と向き合うことは悪いことではないけれど それよりも素直な気持ちになることが先決です。



ままのまま

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