この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

2018年05月


わたしには、言葉は妙にキレイだけど、なんか違うなあと感じてしまう人がいます。


人の悪口は言わないし、バランスを大切にされていて 中庸という印象を受けます。


今は、そんな方が人気のようです。




思えば、わたしはこの中庸というのがよくわかりません。


わたしもバランスよく〜 とは言っていますが、わたしはバランスよりも受け入れることを大切にしているからかもしれません。


相手がデコボコしていてもいいのです。


わたしがその分、補充するから。


中庸というのは、誰もが均等に右手左手に荷物を持って歩むというイメージがありますが わたしは相手の荷物を持つことで相手の負担を軽くして二人で二人分の荷物を持てば良いと考えます。


二人でひとつ、という考え方になるのかな?


考え方の違いです。
役割の違いなのかもしれません。



目指すのは、まずは自分の荷物を自分で持つことかもしれませんが 出来ないときもありますよね。

そんなとき、頼れる人やさっと持ってくれる人がいれば良いと思います。


以前も書いたかと思いますが、わたしから受け入れられない前提で話をされる方がいます。


でも わたしは、あっさり受け入れますから 不思議がられます。



わたしは、人との垣根がないからかもしれませんね。


だから、人から受け入れられない前提で話をされるとわたしは違和感を感じてしまいます。


それが良い悪いというわけではなく、ただ 人に頼ってもいいんだ、バランス良い人にならなければいけないことはないんだ ということを知っておいてもらいたいなあと思います。



また、リーダーと呼ばれる人なら中庸だ、バランスだと言っていないで 周りを見て、荷物を持ってあげるくらいの技量はないのかなあ と淋しく感じます。



あくまでも これは、わたしの意見ですが。

わたしは、大いなる存在に遣われたり、降ろしたりするための器なのだと思います。


そして、神様の遣いをするためや器となって降ろすために修行を積んできました。


しかし わたしは人間だから、人間としての生活も大切で そちらも修行と呼べるもので今まで努力してきました。


でも 努力しても越えられないことがあります。


だから、わたしはこんな役目はもうイヤだと神様に直談判しました。


心が折れることの多々ありましたから。


でも 事態は一変したのです。


それは 大いなる存在そのものが姿を現してくれたからです。





わたしは、主人や娘には自分のそういうことは話していますが他の身内には一切話していません。
なぜなら、自分こそが神様だと思っている人たちだからです。


わたしが話をしても火に油を注ぐようなものです。


しかし 隠していても隠しきれないことがあり、そのため その都度、威嚇され続けてきました。


それでも わたしは、その人たちの意識を変えたいと挑んでいましたが なかなか変わらないので 大いなる存在そのものが直接、夢に現れて説かれたようです。。。



あなた方(身内)が怖れているだろう存在がわたしの内に居ることを明かしたのです。

そして わたしが日々の生活の中で神様の遣いとして行動していること。その恩恵を身内も受けていることなど。。。


つい、先日 その身内から「わたしよりもあんたが偉いわけがない!お前は何様のつもりだ!」と言われましたが、そのことにもふれたようです。



やっと 安堵しました。。。


が、なんのために 大いなる存在が姿を現したのでしょう。。。


わたしをかばうため?


それも少しはあったでしょうが、それだけではなくて わたしがこれからもっともっと、動きやすくするためです(-.-;)



安堵したのも束の間で これからのわたしはバシバシ働かされます。

病気だから、障がい者だから、◯◯だから と許されると思っていませんか?


権利ばかりを主張して義務を果たさない。


義務をなんだと考えていますか?



ぎむ [義務]道徳上または法律上,人がそれぞれの立場に応じて当然果たさなくてはならないこと。


当然果たさなくてはいけないことを横に置いて、権利ばかり主張する。


けんり [権利]自分の意思によってある物事を自由に行うことのできる資格。ある利益を自分のために主張し,また,それを享受することができる法律上の資格。


自由に主張し、利益を得る法律上の資格。




自由に主張が出来て、権利を得ることはしても 当然果たさなくてはいけないことを横に置いて逃避する。



権利を得るって

権利は有るから得ることが出来るのです。



権利は有る


有ることは容易ではないから、ありがとうございます と感謝できるのです。


容易ではないものが有るのです。


手に入れるのが容易ではないものが有るってどういうことでしょう。


権利は手に入れるのが容易ではないものを指すのです。


手に入れるのが容易ではない権利を与えていただけているのに、それぞれの立場において当然果たさなくてはならないことをおざなりにするのです。


それぞれの立場において、


病気だから、障がい者だから、◯◯だから というのは 立場です。


どんな立場であろうと、果たすべきものが義務というものです。




どんな立場であろうと 自由に享受できる権利が有るのに 義務を果たさない行為は、感謝からはかけ離れた行動です。




病気だから、障がい者だから、◯◯だから と 自分にラベルを張ることは自由ですが 権利は有るのだし義務も有るのです。

自分に言い分けをするようなラベルを貼るのはおよしなさい。


それが真の平等です。



あとで後悔することになっても 何故か知らないけど無性にやりたい!ことあります。


迷って迷って迷ったあげく、やめるのではなくて やるのです。


そして、失敗したり、人に迷惑をかけてしまいます。



人に迷惑をかけてはいけない、と教えられてきた人は 人に迷惑をかけないことを選択するようになりますが、やりたいことをやめる選択になる場合もあります。



わたし自身が親からそう言われて生きてきたので 娘にはそんな育て方をしてきませんでした。


「お母さんが責任を取るからやりなさい」

わたしは娘にはいつも、そう言います。


他人様には迷惑をかけてはいけない(後々面倒なことになる)けど、身内や親なら良いと思います。


やりたいことを押さえつけられるくらいストレスがたまることないです。
そうすると 迷惑をかけてはいけない場所で発散してしまうのです。


そうやって、やりたいことをやることで 本当に好きなことや大切なことに巡りあえるのです。



迷惑をかけてもいい相手って誰にでもいるものです。


甘えられる相手っているものです。




甘えられる相手にたいして、敬遠したりいい格好したりするから 甘え所がなくなり、迷惑をかけてはいけない場所で発散してしまうのです。



素直な心で甘えられる相手を大切にしてください。






わたしは、メールアドレスを受けていてくださる方には、「わたしが後で祓ってあげるから好きな場所で騒いできてもいいよ♪」と言ってます。

人ってワガママだったり優柔不断であったり不真面目であったりお調子者であったり子供っぽかったり、なんらかあると思うのです。



そんな自分を好きか嫌いかで幸せは決まる、

そう感じます。




直せるなら直したい、そう思える性質もあると思います。


直せるなら直すにこしたことはない、と思いますが それよりも そんなところを否定しないことが大切です。



自分と向き合う、って否定しないことだと思います。 また 自信過剰にもならないこと。



以前も書きましたが、自慢もしないし卑下もしないために内観や瞑想をしていくのです。


自信過剰で自己肯定感が強すぎるとひとりよがりで幼稚なため、自分を省みることができなくなります。


自分を省みることがないと成長はできないのです。


これからは、その人にとっていちばん大切な「修行」が次々と起るようです。


そのため、反省する心や謙虚さがないと成長はしていかないのです。


いつまでも 叱られていたいですか?


いつまでも バカにされたいですか?


いつまでも 足踏みしていたいですか?



自分の本当に大切なものを握り続けているために、あなたは何をしますか?


大切なものがわかっていても 掴み続ける努力、継続力がなかったら離れていくのです。


それで良いのですか?



だから その大切なものを掴むためには まずは、自分を好きでいることです。


今の自分そのものを好きでいることなのです。


そこからがスタートです。

今は、パートナーシップの問題に直面することが多い時期のようです。


夫婦、恋人、仕事のパートナーなどがあります。


良い関係を築いていれば より深い関係へと発展したり関係性が変わることがあります。


また 見直しが必要である関係であれば、イザコザが起きたりしているようです。


わたしも空ちゃんと見直すことがありました。


パートナーってたましい的には対等ですが社会的な立場の違いがありますよね。


そこを鑑みることなのです。


自分にある神性を大切にすることは必要ですが 相手の神性も大切に保つことも必要なのです。



そのためには、歩み寄ることです。


自分から歩み寄る姿勢を持つのです。


大切なら歩み寄れるはずです。


歩み寄れないのは大切ではないから。


人だから、約束を忘れたり間違うことはあります。


そんなとき、許しあっていますか?

話しあっていますか?



互いに、歩み寄ることをしていますか?



心の強い者の方から歩み寄るのです。


謝ることは負けることでも心が弱いことではありません。


心が強いから謝ることができるのです。


歩み寄ることができるのです。

わたしは 常日頃から、「素直になれば自分から発せられる言葉が変わる」と言っているため 素直になること を推奨しています。


心にもない言葉を使っても意味がないと思うからです。



心から感謝の気持ちがわけば、それに応じた感謝の気持ちが込められた言葉が発せられるし 心が詫びる気持ちがあれば 謝罪の言葉に気持ちが乗せられるからです。




わたしは その時々に応じて適切な言葉が スルスルと発せられます。


そんなわたしは、よくクレーム処理もさせられますし 言いにくいことを伝えることもさせられます。


わたしは、心底 感じているから謝罪の言葉なり感謝の言葉が出るのですが わからない人から見ると、わたしは心にもない嘘 が出てくるように思われる方もいらっしゃいます。



わたしは相手の本心がわかるから、心から素直になることを推奨しているのですが わからない人からしたら心がこもっていようがなかろうが関係ないようで わたしのそれをテクニックと思われるようです。


だから こんなときはどう話をしたら良いの?と聞かれたら テクニックとして教えることもあります。


その場しのぎのテクニック。


わたしとしては不本意です。


そのため 何故、その言葉を使うかということも教えますが 人は聞いていません。


テクニックだけ欲しいのです。


学ばない。 だから、繰り返します。



わたしのそばにいても 学ばない人もいらっしゃいますよ。



それでも わたしは教えますし、いいように使われます。


それが見守る姿勢だと思っています。




また 霊の宿った言葉を使う「言霊」というものもありますね。


そんな言霊も思い立ったように使ったり 使ったり使わなかったりでは、意味ないことです。



日常的に 使いこなしてこそですね。


書くのは容易いのです。
日々の生活に使いこなすことで 心が変わるのです。

4d2f0264.jpg自分が満たされていれば、高価なものを身につけなくても、どんな仕事をしていたって どんな家に住んでいたって 何を食べていたって 誰といたって 気にならないものなんだ。 いつからか気にならなくなった。 でも 以前のわたしと極端過ぎると異質に思われるから そこは気をつけてます。 別に、使命なんていらないと思うんだ。 なまじっか使命があると 意識がそこに向かうし それによって必要な感情もつけられてしまう。 感情なんていらない。 大切で大切でたまらない愛する人から愛されていたら、使命は手離してもいいと思ってる。 そうはさせない!と、大いなる存在が叫んでるけど わたしはいらないと感じてるのよ♪ 自分の人生なのだから、自分が決めるのよ。 使命なんていらない! というのは、究極の自分勝手なのです。 でも 人間なのだから、使命をつけて生きるのです。 愛する人とだけ生きていきたい、って自分よがり過ぎるもの。 だって わたしは誰をも愛するために生まれてきたのだから。 誰をも愛する姿が人として生きるわたしなのです。。。

反省と感謝はセットです。


感謝ばかりがクローズアップされている昨今ですが

感謝は、わき上がる想いですが 反省は、感謝がわき上がる前に必ず起きる心の在り方です。


反省とは?

はんせい [反省][名・他サ変]みずからを省みて,悪い点がなかったかどうかを考えること。みずからを省みて,自分が悪いことをしたとはっきりと認めること。


とあります。


みずからを省みて自分の悪いところを認める のです。



自分の悪いところを認めるためには、自分の悪いところを意識することからです。


意識するのです。


ボケ〜としていては、意識できません。



だから、反省するためには、意識して生きることをしてからです。


何事にも無関心で注意散漫でいては反省はとうていできないことなのです。



意識して生きること。


意識して生きていないから、感謝も反省も出来ないのです。



でもね。
実際、それが良いということでもないの。


なぜなら、意識して生きるということは 痛みに敏感になるということだから。。。




人は、あまりに強い衝撃を受けた時には 生きるための防衛反応として 鈍感になるものだから。


そうやって、鈍感になって生きてる人は多いものです。




何が良いとか悪いとかは言えないことだけど 時代は もう鈍感では生きていけないように流れているのです。。。



だから 流れに身を任せて、ください。



あなたの痛みを少しでも軽くするよう わたしが寄りそうつもりです。






あれ?また、わたしのお役目が増えたのかしら。。。


なんだ、これ〜

お役目があるということは 人からしたら羨ましいと思われる人もいらっしゃいます。


でも わたしからしたら、代わってくれる人がいたら代わってほしい想いです。

このお役目というのは大いなる存在に遣われる役目を指します。


自分がそのお役をさせていただくときというのは、すっぽりと自分は人なんだという意識が抜けるのです。


自分が、人じゃない存在に変わった感じがします。


だけど 実際わたしは、人間なのです。


それを繰り返すと、自分が偉くなったような錯覚を起こします。


だから、そこで ごう慢になってしまうのです。


そして バカも〜ん!と奈落の底に落とされます。

反省して、人間生活を立て直します。


すると また、お役目があると 意識をすり替えられ人の意識なく動かされます。



そんなことの繰り返しです。



また そんなわたしの存在を疎ましく思ってか挑戦してくる人もいます。


面倒なことはイヤなので避けるのですが、あまりにしつこいと、爆弾を落とします。



現実のわたしは穏やかに過ごしていたいだけなんです。


でも 急に意識の変容があり、お役目意識にさせられてしまいます。


これは 自分では どうにもできないことだから、とにかく 上から目線にならないように 自分を律するより他ないのです。


これはわたしが大いなる存在に遣われているときに起こる現象で 人間的お役目は他にあるのです。


役目というのは、それをするだけの器を求められるものです。


器があるから求められるのでしょう、と言われますが こういうことは、見切り発車されるもので その中で育てられていくものです。


器が大きくなればなるほど、役目も大きくなり際限なくなります。


大いなる存在に遣われる役目というのは、このように魂意識になりますが わたしは人として生きているので、常に謙虚さをもって律して生きていくことを求められるのです。



上に立つということや人を導くというのは、羨ましいことでもなんでもなく ただただ、責任を担うということに他ならないのだと知っておいてください。


責任を取りたくないなら上に立ってはいけない と感じます。


また 自分の行いをきちんと説明できることは必須に感じます。


これが、ありのままの自分を生きるということですね。


こうやって 生きると、自分を律して生きているぐらい楽なことはないことがわかりますよ。


お試しください。

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