この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2018年05月

なぜ わたしたちの命が尊いと言えるのでしょうか?

それは、わたしたちは、この宇宙をつくられた創造主である源から生まれでた存在だからです。


そして わたしたちには、宇宙の源と同じ力が備わっているのです。


そして それを、この地球で表すために生まれてきているのです。


死ぬということは、それを体現できないことになります。


だから わたしたちは命を守る義務があるのです。

守る義務があるくらいわたしたちの命は尊いのです。


確かに、死んでも魂は永遠ですが、地球でその力を現せなくなることは、悲しいことです。


だから、命は大切にしましょうね。

これからわたしたちは、ひとりひとりが社会に貢献していくことになるようです。

準備が出来てる人からそうなっていく。

準備が出来ていない人は、そうなるべく整えられていきます。


それって完全じゃなくてもよいのです。


それなりに準備ができていれば。


感情の浄化が済んでいなくても関係なくて、走り出します。


だけど まれに、完全に浄化してからじゃないと という人もおられます。


それはそこが尊重されます。



そうやって これからは、ひとりひとりが自分が人生の主人公として自分の人生を歩んでいくのです。




今までは女性性を育てる時代でした。

慈悲、慈愛、慈しみを育てる時代でしたが、これからは男性性を育てる時代になりました。

男性性は、社会的責任です。


そうです。

これからのわたしたちは社会的貢献しながら社会的責任を育てていくようになるのです。


そのため 先陣を切って、わたしは女性性と男性性の統合を果たしたわけです。


準備ができているというのは、女性性が確立されているという意味です。


だけれども 大半の人たちは女性性すら確立されていない状況です。


しかし これからは、男性性を育む時代です。


ということはどういうことかというと 男性性を育みながら、女性性を育むことも一緒に行われていくということです。


そのため 準備ができていない方は、仕事を抑えてでも、内面を見つめていかざるを得ない現実がつくられていくことになりますね。



社会的責任


女性性とは異なり社会的立場、地球に生まれてきたひとつの魂としての立場を問われます。


何のために生まれてきたかがわかってくるでしょう。


そして それがわかったなら、どうしたらよいのかを考えさせられると思います。



◯◯◯になりたい、よりも どんな人間として存在していたいか を考えさせられると思います。


人としてどう生きるか?

感謝の本当の意味、感謝をどう形に表すかが自分の内側からわき上がってきます。



すべて、内側からわき上がります。



楽しみにしていてください。

TOKIOの山口くんの不祥事は、山口くん個人の過失ではなくて TOKIOのメンバー全体の問題だとわたしは思います。

依存症であるにも関わらず、自分で治せよ!と突き放すのはメンバーとしてはどうかと思う。

家族のような存在ではなかったのだなと思う。

離婚したのだって、山口くんは甘えてるから自業自得だよというメンバーの想いがあったんだと思うのです。

TOKIO自体が相談できない体質だったんだと思うのです。


23年も一緒にやってきて山口くんはあまえっこだからってわかっているでしょ


空ちゃんにも同じようなことはある。


空ちゃんは、わたしには甘えるしわたしを甘えさせるけど、他の人には厳しくて 見守ります体制が強くて、それは ただ 関わりたくないからだと思うのです。

わたしは誰にでも手を差し伸べます。

そんなわたしを空ちゃんがは押さえつけることもある。

また 空ちゃんに関わる人にたいしてわたしが手を差し伸べたいときは 必ず、空ちゃんにお伺いをたてますがたいてい却下されます。


わたしはそんなビジネスライクな空ちゃんが理解できないときがあるのです。


一方、しゅじんは わたしにすべて委ねます。


自分の友達のことなどもすべて、わたしに振ってきます^^


楽と言えば楽です。



まあ、そばにわたしみたいな人間がいるからだと思いますが そうしてみると、TOKIOのメンバーは、山口くんだけでなく他のメンバーも甘える人がいないのかもしれませんね。


空ちゃんは甘える人がいないというよりも わたしを自分だけのものにして隠しておきたいのと 自分よりも頼りになるわたしを外に出したくない気持ちがあるのでしょう。


この山口くんが犯した罪というのは、どれくらいの罪になるのかはわかりませんが そんなに責め立てることではないと思います。


わたしがもし被害者の女性の母親ならば、夜中にそんな酒を飲んだ中年男性のところには行かせませんしうちに呼びます。

わたしの娘なら絶対にうちに呼んだと思います。

ほんと、かわいそうだなあ とつくづく感じて心が痛いです。



この不祥事は誰もが被害者で加害者がいるとするならば、倫理観をなくそうと企む集合意識だと思います。

人からしたら 一見、難しいと思えることでも 努力したら 楽に出来るようになるものです。


楽になるまでは努力は必要ですが、必ず 楽になるものです。



わたしたちは 元々は、何でも簡単に楽にできるようになっているものですが 人として生きるために、できることをできないように負荷をかけて生まれてきています。


だから、戻るだけなのです。


努力し続けて戻ることで 努力することの素晴らしさや苦しさ辛さを感じて人に対する思いやりや許しを学んでいくのです。

すべては、たましいの学びのためなのです。



努力してできるようになることで 人の痛みを知ることになります。


そうしたら、人にたいして、威張ったり自慢はしないもので、思いやりが芽生えるものなのです。

それが、人を助けたいという奉仕の気持ちです。

一緒に乗り越えていきたいという気持ちも同じものです。




一目置かれるということは そのようになってこそ、なのです。



すべては、相手を思いやる気持ちを育てるためなのです。



わたしたち、本来の自分というものは このように思いやり溢れた配慮ある姿なのです。




そこに行き着くには、努力が必要です。


わたしは待っています。

手を放さず、待っています。

あきらめない、間違えない をモットーに生きてるわたしですが、わたしはこの生き方が自分らしいし楽なのです。


楽と聞いて、不思議に思うかもしれませんが 楽なのです。


だから、自慢することでもなく書いてます。


自分を律することや自分に厳しいことも わたしは楽なのです。


難しくないし楽しいのです。


自分らしく生きてるだけだから。


だから、継続できるのです。



わたしは基本、できないことはやらないし、首も突っ込まないです。


楽だから、やってるんです。


なぜなら、感情がないから。


自分の行動を邪魔する感情がないから、サクサク動けるのです。




わたしは、内観浄化を繰り返してきて 感情がほとんどないので このように動けるようになり、一目置かれることになったに過ぎないのです。


だから、威張ったり自慢することでもないのです。



ホント、わたしは内観浄化を繰り返してきたおかげで 今まで苦手だったことが出来るようになったというだけです。


最初は、努力は必要ですが 加速がつけは誰でもできます。


サクサク出来るようになります。


「克服してきました」と先記事では書いたけど、そんなたいそうなことでもないのです^^



だって わたし、基本は、できないことはやらないし、首も突っ込まないです。


出来るようになってきたから、手が出る足が出て、お口も達者になってしまった ってだけです。




だから ホント、改まって感謝されると 恥ずかしいのです。


自分としては、自由に楽に生きてるだけで 一目置かれたり感謝されるのですから。。。



これがわたしにとっての楽で自由な生き方です。

いつのまにかなりたい自分になってる


と、ふと 感じました。


確かに、今まで 様々な努力はしてきました。

だけど、そのために努力してきたわけではありません。



わたしは、仕事はしていますが、そこで稼いだお金だけで生活してるわけでもなくて、主人に養われてる身でもあります。

だからといって肩身狭く生きてるわけでもなくて、自由に暮らしています。


主人には、わたしはドラえもんのポケットを持っている と言われます。


主人から投げ掛けられた一言で、様々な情報を受け取り、その時に必要なものをさっと差し出す、その技はスゴイと誉められ、一目置かれています。


そうそう、わたしはどんな人や場所においても一目置かれています。


わたしは芸術的才能はないですし、音楽にも疎いです。

事務的なことも苦手で、世間的にみたらできないことが大変多い人間です。

そして、勉強が出来たかと言ったら、そうでもないです。


だから、以前言われていた勝ち組負け組に分類したら負け組に分類される人間だったと思います。

でも 今では、勝ち組と言われる方々からも一目置かれるようになりました。


それはどうしてかと言うと、わたしは正確だからだと思います^^


どういうことかと言いますと、
苦手なことはたくさんありますが、その中でもわたしは苦手なことを克服してきました。

結果、出来ないから出来るに変えてきたのです。
また わたしはそれを継続してきたということもあります。

今でも、継続中です。



あきらめない。

間違えない。



わたしは、これをモットーにしています。



ブログには、わたしの見えない世界の話やエネルギーの話、指先ひとつでエネルギーを動かすことなどを織り交ぜて書いていますが、わたし一個人としましては、そんなことはわたしの一部分です。
また、さっきの話し(ドラえもんのポケット)もわたしの一部分です。


わたしは、普通に人間として、あきらめないし間違えない、をモットーにして生きてる人間なのです。


それが周りの人から認められて信頼され、一目置かれる要因です。


それをしてきたら、あら不思議?エネルギー的なことが次第に出来るようになり開けてきたのです。


人間らしく、人間として、人間に紛れて、生きていく努力をしているわたしの隠れたご褒美がドラえもんのポケットを授かった、ということになるのかもしれません。



一目置かれるためには、正確さを目指すことが鍵かもしれませんね。


わたしは人には甘いですが自分には超、厳しいです。

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