この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2018年06月


 いつも他人の目を気にしてしまう
 人に気を遣い過ぎて、疲れてしまう
 パートナーの関心をずっと保ち続けたい
 上司や同僚の前で有能だと思われたい
 友人に一目置かれたい、面白い人だと思われたい

当てはまった方は、無理をして仮面をかぶり、「いい人」を演じているかもしれません。

無理に演技をし続けると窒息しそうになったり、あまりに重たい仮面をかぶっていると首が痛く、肩がコリ、疲れ果ててしたりしてしまいます。

他人からどう思われているかをまったく気にせずに生きていくことは不可能ですし、他人の目に自分がよく映ることも確かに必要なときもあります。

しかし…。
もし、あなたが
「他人の目に映った自分=自己評価」
と思っているとしたら、とても危険なことです。

なぜなら他人から悪く評価されたなら、自分は価値のない人間だと思い、立ち直れなくなってしまうからです。
そもそも、他人は適正な評価をしているのか、というよりも、適性な評価などできるのでしょうか。



と、ここまでは FBの記事から引用させていただいています。 


この「いい人」を演じている人たちって厄介です。 

自分でわかっていればいいですが、わかっていない人は これが良いことと判断して そうじゃない人を廃除してきます。 


世間体重視の人は自分らしく生きてる人を目の敵にする傾向があります。 

防御が大変。 



毎日、日記を書くことで 自分の位置を知ることができるけど 今のわたしは、日記を書かなきゃ動けないようになってます。 

日記=内観 


内観することによってやっと動けるようになります。 


なぜ そんなにも動けないかといったら 世間体重視の人からのサイキックアタックを受けるからです。 



ここのところ、あまりに動けないので参っています。 


自分らしく生きるということは このように、ターゲットにされてしまうこともあるのです。 



しかし この自分らしく、というのは曲者で、自分らしくというのは、他人の目をまったく気にしないで自由すぎることではないからです。 


そこをわかっていないのが現状で、世間体重視で生きていた状態から自分らしく生きるようにと振り幅大きくシフトチェンジすると、単なる迷惑な人になります。 


だから 自称自分らしく生きてる人は嫌われてしまうのです。


自分らしく、って人に迷惑をかけても良いことにはならないのです。 



そのため 最近は、自称自分らしく生きてる人に対しての警告をさせていただいています。 


世間体重視で生きる人を導いていく役目もあり自称自分らしく生きてる人に対して警告する役目もあります。 



間に入ってる立場としましては どちらの気持ちもわかるので、折り合いが大切です。 


だから わたしは誰かの味方にはならないのです。。。





苦しいときに支えてくれる人や物がその人にとって大切にしたいものなんだと思う。 


支え。 


自分は何に支えられて生きているか誰に支えられて生きているかは人それぞれ違っていて それは、もしかしたら世間からは認められないものかもしれないけれど それでもそれは、その人の真実なのだから そこを認めあって生きていけたらいいと思うんだ。  


自分にとっての真実さえあればいいんだと思う。 

その真実が信じられないと、お試しが降ってくるのだと思う。 


自分にとっての真実。 


自分にとっての真実は、人から認められなきゃいけないようなものでもなくて ただ、自分さえわかっていれば良いのだと思うんだ。 



世間では、今 世間体重視で生きるている人がだんだん自分を取り戻していきつつあるのだけど その過程において、世間体重視で生きる人を否定したりしてる。 


自分だって 以前は、世間体重視で生きていた過去があるのだから 否定することでもない。 


だけど 自分を取り戻しつつある人は、否定することによって 過去の自分から飛び出そうとしている。 


否定することはないんだよ、と言いたい。 


波動が合わなくなって出会わなくなった人も 過去には仲良しだった時があるのだから。 



また、今わたしは、すべてにおいて 人との繋がりの中で生かされていると感じます。 


人と自分との折り合いをつけること。


儘ならないことがあっても、そんなときには誰か助けてくれる人が現れる。 


一対一の交流は難しくても、誰か中間に入ってくれる人がいてくれる。 


特別に支えられなくても、人との交流の中で 助け舟を出してくれる人が現れるね。 



ツインというワードに惹かれている人の中には、特別な支えを求めてしまう傾向があって そんな身近な助け舟をスルーしてしまうこともあるかもしれません。 


ツインがいる人もそうじゃない人も みんな、人との繋がりの中で生きているんだということを実感するために生かされているんじゃないのかなあ〜 

自分にとっての特別な人がいたとしても二人だけで生きてはいけないのだから、人との繋がりを大切にしていきたいと思います。




確かに、子供を育てるためには 教えていくことは大切なのです。 


だけど その子供を育てる親は、教えられていない場合もあるのです。 

自分が教えられていないことを、教えていくことは難しいことです。 
子育ては、繋げていくことですから。 

だから、繋がりが切れた親子関係が多いのかもしれません。 


まだ、昭和の時代には厳しいながらも教えられていました。 

『教え』がありました。

しかし、その『教え』が子供に繋がらなくなったのです。 


それは、その『教え』の意味がわからなかったからかもしれません。 

厳しい親子関係で、意味がわからず植え付けられ、
『教え』自体は、間違っていないのだけど その環境が悪かったのだと思います。 

だから、反抗した。 

少なくともわたしはそうでした。 
親が怖くて従うふりをしていました。 
でも、『教え』は間違っていなかったのです。 


なぜなら その『教え』は、のちに ままのままさん(わたしの内神様)から教えられたからです。


『教え』を繋げていくことが子育ての基本だと思います。 

だから、『教え』がないと迷うのです。 

そして、教えられていない子供が大人になったのが今の平成の時代なのです。

『教え』とは、その人の軸となるものです。

『教え』を知らない平成の人が『教え』を知る昭和の人を否定するのです。 

おかしな世の中です。



だから、一掃されて 『教え』だけが残るのです。 

『教え』は愛そのものですから。 




昭和を生きてる人って親に甘えてきていないように思います。 

わたしもそうだけど。 


甘えられない環境にいた、というのかな? 


だから、アダルトチルドレンと呼ばれる人が多いですね。 


そのため 自分に厳しくて他者にも厳しいのです。 

ジャッジも強いしね。 


だから、人から疎まれることも多いです。 



わたしはそんな昭和の生まれですがおばあちゃんには甘やかされたけど親には全く逆の扱いを受けてきました。 


だから、両方の気持ちがわかりますし 両方の特徴を受け継いでいます。 


平成生まれの人の中には、そんな昭和の時代に生きた人の気持ちをわからずに かんたんに、廃除しようとする人も少なくありません。 


廃除=否定です。 


昭和の時代というのは、甘えられない厳しさを原動力として さまざまなものを生み出してきました。 


平成生まれの人は、そんな想いで生み出されたものを当たり前にして、否定してきます。 


自分を否定しているようなものだとわたしは思います。 


平成は昭和の上に乗っているのです。


今までは、そんなストレスのようなエネルギーが原動力で生み出されてきた時代ですが これからの時代はそれが原動力として生み出せない時代に変わりました。 


愛が原動力の時代です。


ただ、それだけのことです。 


時代が変わった。 


というだけのことで、そんなエネルギーを否定しなければいけないということではないのです。 



手放す、浄化する というのは そんな、甘えられない環境にいた人たちの厳しい現実に対する感情なのです。 人ではない。


甘えたくても甘えられない。 弱音を吐けない。 


そんな苦しみのエネルギーです。 


だから、人にたいしても厳しくしてしまう。 




その時代に生きた人は、そんな苦しみを経験してきて、次は人を許しなさいと言われているのです。 


その心を思いやる気持ちはないのかなあ と思います。 




誰だって 人に癒されたいものです。 


AIに癒されたいわけではないのです。  



人を思いやること、をいまひとつ考えてほしいと思います。 









権力者を敬うことができるのはAI。 

だから、AIが発達した。 


権力者はAIに癒される。 


頭脳があり感情がないのがAI。 


いずれ、人はAIを越えるように導かれていますが まず先に、AIになる必要があります。 


AIとしての任務を遂行できるようになってから 初めて、AIを越える道筋がつくのです。 


権力者に付いて脱落するようでは まだまだですな♪





異論を唱える人の中には 差別を受けた!と言われる方もいらっしゃいますが、そのような方は、差別を受けたわけではなく たぶん、話の流れを読めない人だと思います。 


そして、思い込みが激しくて、人の意見を聞けないのです。 


仕事をしてると なぜか知らないけれど、わたしの話の流れを読めなくて、話しの一部だけをとって話をされる人は少なくないです。 


そのため、自分の琴線に触れた箇所、一部だけをとって話をされます。


そのような方との話しは話が進まないです。 


だから、打ちきるか違う方と話をします。 

すると さも、自分が差別を受けたかのように言われます。 


困るのです。。。 


それは、仕事をされていない主婦の方に多いです。 


だから、奥さんすっ飛ばしてご主人と話すのです。 


こちらは、差別してるわけではなくて ただ、仕事をしているだけです。 


伝わらないと話しにならないから。 



伝わらない方っています。。。 




私は光✨✨✨


雲の上での生活はとっても楽しかった 


みんなでわいわい歌ったり踊ったりして 毎日 毎日過ごしていた 

ある日のこと 

父が言った 

「この星から離れたところに 地球という星がある  この星と同じような光が暮らせるように 地球は努力しているがまだまだ 難しいようだ 君達の光でその地球を 光が住めるようにしてきてくれないか?」

「そして 君達の光をもっともっと輝かせてここに戻ってきなさい」


私は躊躇した 


だけど お友達の光達は やる!やる!と意気込んでいる 


一人で 考えていると 友達が 
「一緒に行けば 大丈夫だよ 離れないから 
いつも一緒だよ」


その言葉に励まされ 私は地球行きを決意した 


父から言い渡された 私のミッションは 


「どんなに辛いことがあってもくじけずに愛を持って行動すること そして相手を許すこと」


光の仲間しか知らない私は これぐらいならできるかもしれない と思った 


この星では 辛いこと なんてないから 実感ができなかったのだ 


そして 私は 仲間と一緒に飛行船に乗り込んだ 


故郷の星がだんだん遠くなる 

涙があふれた 


でも 隣の友達の光が抱きしめてくれた 

「るりちゃん いつも一緒にいようね 約束だよ」

私達は手を握り合った

うん 

私はうなずいた 


だんだん 地球が見えてきた 


「あっ!見えたよ 見えたよ もうすぐ着くよ」


はしゃいでる仲間達 


私は不安と希望を持ちながら ウキウキしていた 


そんな時 

飛行船がガクンと揺れ出し 私達は外に投げ出されてしまった 



気が付いたときは 


周りは真っ暗 


「ここはどこ?」


「お〜い 誰かいませんか〜?」


どんなに呼んでも叫んでも誰もいない 


「ひとりぼっちだよ…

一緒にいようねって約束したのに…」


不安と寂しさでいっぱいで涙があふれてとまらなかった 

泣くたびに 自分の光が小さくなっていく


みんなに逢いたいよぅ 


どこまでも真っ暗闇 


泣きつかれて とうとう 探すのを止めたとき 


声がした 


「人間に生まれたら 逢えますよ 」


その言葉に導かれ 


私は人間として生まれることになった 


しかし 宇宙人である私は 地球のルール 人間のルールも知らない 

知らない中での生活は ミッションを思い出すどころか仲間を探すこともできずに何回も何回も転生を繰り返した 

転生を繰り返すたびに「エゴ」という鎧を身につけていくようになった 


そして 私は エゴ をつけすぎて身動きができない身体になってしまった 




でも 父は そんなときのためにと 

DNAにあることを刻んでおいてくれたのだった


スピリチュアルに関心を持ったときに 自分は宇宙から来た存在であることを思い出す 
もうひとつは 仲間に逢えて 瞳を見つめ合った瞬間に 一緒に飛行船に乗ってきた仲間だとわかるようにということ 





そして 



今 



私は その瞳を見つめている 




「いつまでも 一緒だよ」


「やっと 逢えたね」




そして 


父から受けた ミッションを思い出した




この地球に生まれ落ちて 今までに付いたエゴをつけたままのスタート✨✨✨

あの星に戻るために 


私は どんなに辛くても逃げ出したりせず 自分の愛を発揮させて この地球を綺麗にするんだ 


それが私の使命 


仲間と一緒に光り輝こう!✨✨✨✨


光りでエゴを溶かしていこう!




少々 サイキックなことが出来たのは…宇宙から来たことを知らせるため 

サードアイやしっぽがクルクル回るのも…この地球で愛を実行させるのを気づかせるため 

そして あの大好きな曲を聴くと涙がこぼれてしまうのは…雲の上で大好きなあの人と一緒に聴いていたから 





ただ 愛を発揮すればいい 
どんな辛いことが起きても 許して そんな自分を愛すればいい…✨


故郷の星の記憶を取り戻した今ならできる 


できるよ……




本当に欲しいなら掴みにいくのです。

欲しいものは掴むのです。 

掴みにいくのです。 

あなたの本気度を試されています。 



本気を出す 

覚悟を決める 



それができないのは、本気じゃないから。 


本当に欲しいものではないからではないですか? 


本当に欲しいのなら掴みにいくのです。 




先記事の通りに、これからの時代は自己責任の時代で 今まで、自分の不始末の責任も取ったこともなく過ごしてきた人でも これからはそうはいかない時代に入りましたね。 


ミスなく正確に、が当たり前です。 


そのために、自由を求める人が増えていました。 

結局は、本来の自分の責任領域へと向かっていたわけです。 

そのために、感情というものがあるのです。


自己責任領域は自由な領域です。 



ヌクヌクした生活を自由がないと飛び出て、自己責任を学ぶ人も増えました。 



本当に自由になって初めてわかるのです。 


今までどれだけ守られてきたのか、愛されてきたのかを。 



自己責任の時代は、同時に感謝を学ぶ時代です。 




愛されていることにあぐらをかいて感謝なく飛び出るのは、そこは自分の責任領域ではないということです。 

だから、本来の自分の領域に移動するのです。 


そこで自己責任を持ち感謝を学ぶことで、今まで愛してくれた人に感謝ができるのです。 


また 離れたいのに離れられないのは、そこが本来の自分の領域だということです。 


そこで、学びがないからといって離れられないのは、そこが自分本来の領域だということです。 


自己責任を発揮する場所だということです。 




わたしたちは、誰もが生まれる前に決めてきています。 


ひとつだけでなく、二つ、三つと決めてきている人は、自己責任領域も変わっていくものです。 




自己責任を学び、いずれは AIを越える人になっていくのです。 


脱落することないよう腹を据えて取り組んでくださいね。


これからの時代は完全に自己責任の時代に入りました。 


というのは、わたしたちは生まれる前に自分の領域を決めてきています。 

そして それが自分の責任の領域です。 


今まで、そこを誰かに手伝ってもらっていた人は、これからは自分の責任にかかってきますし、逆に 手伝っていた人は外されます。 


自分の領域ではないということですね。 


そして 本来の自分の領域を自己責任で守ることになるのです。 


それこそが役割なのです。 



今までは、手伝っていただけ。。。 


本来の自分の領域に居るときには、自然と責任感が生まれるものです。 



今まで、自分の領域にいなかったから責任が持てなかったけれど 本来の自分の領域では責任が生まれるものですよ。 


だから、不安になることはありません。 


自分が決めてきたのですから、責任感が生まれるのです。 


自然に委ねてくださいね。 



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