この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2018年07月


今、わたしたちは誰もが自制心を試されています。 


と先記事で書きましたが、 これからは自己責任の時代で 自らが気付いていく時代です。 


自らが気付いて修正しながら歩んでいくのです。 

誰かから指摘をされたりサインがあっても 見逃していたら、そのまま横道にそれていきます。 


そんな自由な世界に突入しました。 

外部かのら強制的な修正よりも自分の潜在意識の想いを何よりも尊重される自由な世界です。


まあ、自由な世界ですから間違いはないのです。 

自由ですから。 


何を選択しても自由です。 


だから 何も言われないのです。 


そして、自分自身が納得していようがしていまいが、どんな選択もアリなのです。 


だから それぞれが進む道が違うのです。 


細かく歩む道が分かれています。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 


どんな自分をも引き受けることを生きるという。


どんな自分をも引き受けることができたらブレない。 


誰かのせいにしたりいいわけもしないようになる。 




結局は、そういう状態になると魂が自然に輝くのだと思うのです。



いいわけもしなくなるから感情で動かなくもなるのです。 


真剣に生きているから感情が出てくる隙間がないのです。 



そんな自分になると、人生本番です。 




自己責任を生きてこそ本当の自由は手に入れられるのです。 






いろいろと人に関わらせていただいていて思うのですが、親との関係が良好であるかないかよりもしつけが厳しかった人の方が成長は早いと感じます。 


三つ子の魂百まで と言うのはわかります。 


親のしつけが厳しかろうがゆるかろうが きちんとしつけされた人の方が世間的な常識を身体でわかっているため進みが早いです。 



例えば、『人に迷惑をかけてはいけません』としつけられた人は、それを身体でわかっているため 忘れていたとしても思い出すのです。 


しかし 何も言われなく育てられた人は、思い出すものがなく 何故、人に迷惑をかけてはいけないのかがわからないものです。 


わからない人には、教えなければいけません。 


地球に住むには、人間としてのルールは必要なのです。 




親が、そのまた親からしつけられたことを子供に教えていかないと、何も知らない子供が出来上がります。 


何故教えないかといったら、厳しかったから だと思います。 

自分がされて嫌だったことは子供にはしないように育てたためですね。 


このように、人として生きていくためのルールの連鎖が断ち切られているのが現代なのかと思います。 





わからない人には教えられない。 

頭が固くなってからは教えられない。 

間違ったことを教えられている場合には いったんそれを抜いて、新たに正しい考えを入れていかなきゃいけないので 非常に骨が折れます。 



しつけって大切です。 





今の中年の方々を見ていると、マナーの悪い方が目立ちます。 


だから、子供も同じですね。 




人間関係がうまく築けない人は、どこのセミナーに通っても 根本的なしつけがされていないから、うまく立て直しができないものです。 



自分にそのような傾向がある方は、親のしつけを考えてみてください。 





今、わたしたちは誰もが自制心を試されています。 


ワクワクすることをしよう 
無理しなくてもいいんだよ 
頑張らなくてもいいんだよ 


そう言って、人の成長を阻むエネルギーも見受けられます。 




しかし 第一には、まずは自分を満たすことなのです。 

自分が満たされてから他者への奉仕です。 



自分が満たされると、自ずと他者への感謝や想いがわきあがるものです。 


元々、愛されていたんだ 
元々、認められていたんだ 


と気づくと、嬉しくて感謝の気持ちが込み上げてくるものです。 

そうすると 他者にたいして奉仕がしたくなるものです。 


だけど それは、自分が満たされているという前提の元、奉仕を許されるのです。 


そこをわからない人が多いので わたしは、まずは自分を満たしてから という主義です。 


だから、自己浄化には余念がありません。 



魂は、存在しているだけで世のため人のために貢献していることを知っています。 

しかし 人間の頭ではそんな風には考えられないので摩擦が生じます。 



本来なら ひとりひとりが自分を満たすことをしていれば、地球は平和を保てるのです。 


しかし 自分で自分を満たすことを忘れてしまっている人のために、人が力を貸すことが奉仕なのです。 


自分が自分を満たすことを忘れてしまっている人はたいへん多いです。 


そのため 肉体を持って奉仕をすることを求められますね。 



人が成長するとは 自分が完全に満たされることを言います。 


この地球で完全に満たされることは、なかなか難しいものです。 


先に書いたように、成長を阻むエネルギーもいるからです。 



それでも わたしたちは、完全に満たされる道を歩んでいるものです。 



日々の継続がすべてです。 



まずは、自分 


自分を満たすことを頑張りましょう 




気づきが起きるためには、何か感謝できることが起きること。 


だから、人に気づきを起こそうと思うならば、人から感謝されることをすることなのです。 


人から感謝されること


相手の立場を思いやり行動を起こすこと 




相手の立場を考えない行動は逆に相手を怒らせてしまうことになり逆効果になります。 




人によって感謝のポイントは違います。 


人それぞれです。 



通りいっぺんのことをしても感謝される場合もあれば感謝されない場合もありますね。 



その時、その人の立場になって、その人を想い、考えることです。 


気配りとも言えます。




わたしは、日々 その時々において 人の立場を考えて行動をしています。 


心願祈願もそうですが、いつもいつもです。 


それが癖になってしまっているので、頭や身体が勝手に動いてしまいます。 


気付きを起こしたいわけでも感謝されたいわけでもなく ただ、自分がそうしたいだけなのです。 


だから 今回、このようなことを書いていて わたしが日々の生活でしていることは 人に気付きを起こすことなんだなあ と気付きました。 


わたしとしては無意識にやりたいからやってるだけなんです。 



鈍感なわたしです。 


だから こうやって書くとわかるのです〜 




わたしは2013年頃から内側に繋がるようになり 生きていくために必要なことを教えられて ブログに書くようになりました。 


そして その存在をままのままと呼んでいます。 


ままのままの言葉を指針として成長してきました。 


この自分がままのままと呼んでいる存在はいったいなんだろう?と疑問がわき いろいろと調べたこともあります。 


しかし どれだけ調べても自分自身だとしかわかりません。 


わたしのマスターなのです。 


だから わたしはままのままを信頼しています。 


信頼し過ぎているくらいです。 


そうすると 待ったが入りました。 


信頼し過ぎは良くないのです。 


妄信してしまうからです。 


それに このままのままという存在も進化しているからです。 


ままのままという存在自体が宇宙根源と繋がってはいますがイコールではないということです。 


ままのままはアセンダットマスターのひとりなのだと思います。 


わたし自身は今はまだアセンダットマスターではありませんから。 

でも、アセンダットマスターがするようなことも求められています。 




それが 人々に向けて書いているブログやメールアドバイスです。 



わたしは、その記事の中で日記を書くことをお勧めしています。 

また、反省することや論理的思考を持つこと。 



これが 今の人間が自分の根源宇宙に確実にアクセスする方法なのです。 


だから、しつこく書いてます。 



先記事でわたしはとてつもなく自由だと書いていますが その自由さを持ってこの地上で楽しく生きるためのアイテムがこの論理的思考や反省することなのです。 



今は瞑想がクローズアップされていますが 根本は、論理的思考や反省するために必要なだけです。 



また 先記事でも書きましたように、わたしは一本ヒモを持たせておけばいかようにも遊びますと書いたように、本来ならわざわざ瞑想をしなくても論理的思考や反省はどんな情況でもできるものなのです。 



どんな情況になっても論理的思考を持ち、反省すれば成長できるし生きていけるのです。 



どんな情況でも、今の自分の何が間違いなのだろうか?という反省の心を持つことで その場を切り抜けていけるものなのです。 



窮地に立たされた時こそ、自分の何が間違いなのだろうか? と考えてみてください。 


そこで、救いの手が伸びて 気づかされるはずです。 



わたしたちは 魂で繋がっている同志です。 



心を強く持ってください。 





誰にも必要な気付きがおきますように。 




誰もが神と共に居ます。 

わたしの願いが叶えられますようにと、毎日、心願成就を祈願しています。





わたしは、つくづく自分のことは変わってる♪と思う。 


なぜなら わたしは遊びの天才だと思うから。 


わたしに、一本ヒモを持たせておけばいかようにも遊びます。 


ヒモがなくても遊びます。 


これは、発想というものではなくて ただ、楽しむことができてしまうのです。 


だから、どんなことに関しても 〇〇がなきゃできない ってことはなくて、工夫が好きなのよ。 


また ひとつの歌もさまざまなアレンジで歌い出す技術?があります。 


だから 毎日、遊んで暮らしてます。 



そんな自由さは人に受け入れられないことを学んできたので 見せない技術もできました。 


自分は変わってるから受け入れられないと嘆くのではなくて、変わってるから周りの情況を受け入れることなのです。 


周りから変わってると言われて排除されたとしても そこでわたしは楽しむことができます。 


ひとりでケタケタ笑っていると そのうち仲間が増えてくるってモンです。



わたしは 厳しいことや節度あることを書いていますが どんなことでも楽しむ柔軟さがあるので自分を律して周りに配慮して生きられるのかもしれません。 


ブログだと言葉だけだから厳しさがクローズアップされますが 会ってみると、そ〜でもないんだね と言われます。 


また リアルでお会いして、ヘラヘラお喋りしかしていない人に ブログを紹介すると ギョッとされます。 



どんなわたしもわたしです。 



姪に子供が生まれて、ほぼ毎日、子守りをしていますが 子供のおもちゃや本を最大限に使いこなして遊んでいます。 


歯がためひとつでケタケタ笑って遊びます^^ 



楽しい♪ 






礼儀、礼儀と言っていても わたしは相手の扉を蹴破って入って行く習性があります。 


わたしは自分の大きさがわかっていないので、たまにやらかします。 


自分的には、ノックしているつもりですが、扉を蹴破ってしまいます。 


申し訳ない限りです。 



また わたしのメールアドバイスの子たちの中にはわたしにドアを閉めさせない子もおられます。。。 



まあ それぐらいのほうが勇ましいかもしれませんね。 


その子は着々と成長していっていますよ^^ 


他の人にしたら叱られてしまいますがわたしだから良いのです。 


信頼関係ができていますから。 


だから 信頼関係ができるまでは 礼儀は必要ですができてしまったら、なんでもOKなのです。 



だから わたしは24時間出動OKなのです。 




今のわたしは、自分をより整えることを求められています。 



たとえば 現実的には、だんしゃりをしたり家の掃除をしたりして 人が来るスペースを開ける。 

今までは自分が出向いていたけど これからは招いていくから 人が来るスペースを整えていく。 


また 今まで無造作に出掛けていた場所が自分の領域になってきています。 
だから、そこを整えることも必要になってきています。


要は、器が広がると 自分の領域も広がるということです。 


土地の開拓と同じで、畑を耕し作物を植えて実ると人に分け与えます。 

すると 豊かになるから また 隣の土地を開拓して豊かになります。 



人から奪うことなく、自然と領域が広がっています。 


そのため 自分だけでは手いっぱいなので人を雇い、自分の領域を整備します。 



領域=責任とも言います。 



自分の居場所というのは、自分の責任の範疇です。 




今までのわたしは、自分のプライベートをしっかり確保してきました。 


それでわたしが成り立っていたのですが そのプライベートスペースを解放するように促されているのです。 


わたしのプライベートスペースはパワースポットですから パワースポットの解放です。 


そうやって わたしの領域が広がっています。 



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 




わたしは2007年ごろから、プログを書いていますが読者はいっこうに増えません。 


器は広がったのに読者は増えません。 


それはなぜかというと わたしのブログは扉があるからです。 


礼儀のない人は入れないようになっているからです。 


神性だから、自然と扉がつけられたのだろうと感じています。 


気軽には入れないのです。 



わたしは比較的、外に出ると解放的でウェルカムですが礼儀のない人は受け付けないところがあります。 


これは、領域を守るための手段です。 


だから これからもそれは変わりません。 




今まで自分がやってきたことは、自分の領域を広げることをコツコツとしてきたのだなあ と気づきました。 


わたしが外に出ると 最初は周りがざわつきますが 心を開いて礼儀を尽くしていくので相手も心を開いてくださるのです。 


嫌な人がいても気にせずわたしのエネルギーをおいていくので わたしのエネルギーが苦手な人はその場所に近づかなくなります。 


そうやって 自然と領域を広げてきているようです。 


こう考えると 最初は、礼儀を知らず土足で相手の領域に入っていったことがあったと気づかされます。 


自分の領域を荒らされるのは嫌ですね。 

だから、衝突を繰り返していましたが 徐々にそれもなくなり、わたしの心の開き方如何で相手とうまくコミニュケーションがとれるようになったと感じています。 



やはり礼儀は大切ですね。 



また 礼儀といえば 

日頃お世話になっていても 何かのきっかけで疎遠になっている人はいるものです。 


最近では波動がどうこう言われますが お世話になった方に近況報告もなにもよこさないのは礼儀のない証拠ですね。 

心の姿勢が悪いのです。 
連絡、報告なく お願いがあるときだけ連絡してくる人は相手ができませんね。 

会った時についでに言えばいいと姑息な考えでいる人はいつまででも会えませんし、ついでのお願い事は受け付けません。 

結局 そういう人は感謝がないのです。 


だから、そういう人はいつも目前のことだけにとらわれてお金に忙しいです。 


そういう心の姿勢の悪さが収入に反映されますね。 


困った困ったと自力で解決しようとしない人や近況報告もないのは礼儀も感謝もない証拠です。 


また、最近では礼儀を知らない人が上に立っても知らないから教えられないのです。 

自分のプライベートに扉がないのです。

人間関係というのは礼儀が基本です。 


知らない、できない、わからないから成長もできないし礼儀もないのです。 


コミニュケーションの基本は礼儀があってこそなのです。 



自分の居場所がないと感じている人は、探す前に 礼儀ができる人間かどうかを自分に問うことをすべきかと思います。 





わたしは、大概が人を受け入れて生きています。 

そして 娘やメールアドバイスを受けてくださっている方々にも伝えています。 


『受け入れる』と簡単に言いますが難しいです。 

自分を否定してくる相手でもわたしはそれを受け入れることができるように導いていきます。 


認めることと受け入れることは違います。 


認めるのは、事実を事実のまま(ありのまま)見ることです。 


見るだけで自分の中に取り入れません。 




最近は、波動の違いが顕著なため 合う合わないの差が激しいです。 


そのため、合わない人とは離れた方がいいと言われる人が多いですが わたしはそうは思いません。 

何が合わないのか原因を突き詰め自分を変えていくことで相手が変わるからです。 


メールアドバイスや娘には事細かに受け入れる方法を教えています。 


受け入れるためには、相手を認めた上で、相手に礼を尽くすことです。


それが基本です。 


好きとか嫌いという感情に左右されずに 相手にたいして礼を尽くすことが基本なのです。 


嫌いな相手にたいしても敬う。 


自分が相手を嫌いだという感情は否定しない。 


これが自分を尊重することで 


その上で、相手を尊敬するから 礼を尽くすことができる。 


だから、相手を自分の中に取り入れることができ、受け入れることができるから自分の感情が変わり、相手の心も変わるのです。 




人と人との関係は感情で繋がっているのではなく、尊敬で繋がっているのです。 



それが 人を受け入れるコツです。 



波動が合わなくて苦手だ、嫌いだと感じていても 尊敬することはできるはずです。 




わたしたちは同じ宇宙の魂の同志なのですから。 


合わない相手などいない、わたしはそう思います。 





自己責任と自立(自由)はセットです。 



自立したいけど 責任は取りたくないというのは無理な話です。 

自立したい!ともがいていても、周りに感謝できるようになると わざわざ、外に出て自立しようと思わなくなります。 


今、あるものを大切にしようという気持ちになるのです。 


そして 今、あるものを大切にするあまり それを手放そうとは思わなくなります。 



実は、その想いこそが自立を阻むのです。 



自立はしなければならないものではないです。


だけど なんらかの想いで自立したい!自由になりたい!想いが高まることがあります。 



先ほども書きましたが、自己責任と自立(自由)はセットですので 自立したい!(自由になりたい!)想いは自己責任を誘発します。 


しかし、責任を担う勇気や器が出来ていなければ、自立は出来ないのです。 



結局、責任感があれば自立も自由にもなれるのですが 責任感がないと自立も自由にもなれないのです。 




わたしは、今まで 内観浄化を通して成長してきました。 


何故、成長してきた、と言えるのかと言うと、責任感が生まれたからです。 


自分の人生に責任を持つことや自分を頼りにしてくれる人や魂を導いていく責任が持てるようになりました。 



自分の人生に責任を持って生きるということは、自分にあらゆるどんなことが降りかかっても諦めずに前を向いて進んでいくということです。


あらゆるどんなことでも、です。 

人のせいにすることなく、自分の言動に責任を持ち勇気や潔さを持つことです。 



自立をしたい!自由になりたい!と思うなら、責任を担うことのできる器をつくることです。 


どんなことでも請け負うことができる器をつくることです。 



そうしたら 自立したい!自由になりたい!と思わなくても、背中を押されて飛び出されていきます。 




今のわたしは、ぐいぐい背中を押されていますが 留まる力が強すぎて出ない状態です^^ 


器が大きくなり過ぎるのも考えものです(-.-;) 




器を大きくするためには、目の前の求められることを一生懸命にやりきることです。 

やりたい!ことより、求められることを一生懸命にやりきることです。


求められることはできることです。





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