この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2018年07月


神様は、人間に 負けることの潔さや流儀を教えたかったと思いますが、本気を出して勝ってしまったんだと思います。



だから、恐れられた。。。 



どこの世界にも、バカな神様はいるものです。 



本当の神様は、負けて教えるか 力をチラ見せして 参りました と言って敬うことを教える。 


力を見せつけてはいけないのです。
力を使わせないように敬うことを教えるのが神様の役目。


それが尊敬すること。 


神様はにらみをきかせるだけ。 



しかし、神様を越えたいと果敢に挑むのは、自分を過信している証拠。 



力をちら見せされてわからないのは、自分を過信している証拠。 


自分を過信している者は それに気づくまで 力を見せつけられる。 


負けを認めるまで、見せつけられる。 


本来は、勝ち負けではなく 自分を過信しないことに気づくための勝負と言えるのです。 


負けることは悔しいことではなく 自分本来の力に気づくことが負けるということなのです。 


自分を知ること、自分本来の力に気づくこと、自分本来の姿に気づくことが 本来の勝負の意味なのです。 


どんなものでもそうですが 最初は神様から教えられて伝わっているのですよ。 


おバカな神様が上に立ってから地球はおかしくなりました。 




昨日、コメントに書いたことをアップしてみます。 


☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 



勝負というのは、勝ち負けではなくて 自分を過信しないことに気づくためなの。 

負けることは悔しいことではなく 
自分本来の力に気づくことが負けるということなのです。 

自分本来の姿に気づくことが勝負する意味なのね。 

だから、相手を倒すことが勝つことではないのです。

 

また、負けるというのは難しいことでもある。 


それは 一番の人を気づかせる役目。 


勝った方の人を敬うことで負けた方の人に威張ることなく敬意を示せるよう、気づかせる役目で頭が良くないと出来ないことなんだ。 


強い力を見せつけられたら、 参りました と言って敬う。 

そこで 威張らせないようにするのが 負ける者の流
それが尊敬すること。 

それができないのは、自分を過信している証拠。 


威張られるのは、自分を過信している証拠。 

自分を過信している者は それに気づくまで 力を見せつけられて威張られてしまう。 

負けを認めるまで、見せつけられるんだ。 

だから 本当に上なのは、負けても相手を敬い、威張らせない方だとわたしは思います。 



オリンピックやサッカーワールドカップなどスポーツの世界は勝負の世界です。 


しかし、勝負の本来の意味はこのようなことなのです。 


勝っても負けても、人を成長させるものですね。 




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