この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2018年08月


自分の中の闇と呼ばれるものを乗り越えると、自分に辛く当たってきた人はただ演じていてくれただけなんだ、自分にある負の感情を乗り越えるために起きたことなんだと腑に落ちて 自分の成長のために起きたことだと感謝できるようになります。 


乗り越えることが出来てよかったね、と思うし すべてが感謝だね と言えるのだけど  今まで起きたことがなくなってしまうわけではないのです。 


確かに、感謝はわき上がるけれど、それよりも 心の深い部分が自分の過ちに気づき静かに瞑想するようになります。 


それが浄化された、昇華された状態になります。 

そうすると 自分の中にあった闇と呼ばれるものや負の感情が自分を守ってくれるものに変化します。 


負の感情は離れていくものではないのですよ。 


覚えておいてください。 





最近、エネルギーの高まりで自分を見つめ、意識が上がり浄化?された状態になり、心が軽くなったと言われる方が多くみられます。 


しかし 軽くなっただけでは片手落ちで 一旦離れたエネルギーが変換されて見守ってくれるようになるまでは浄化された状態にはならないので 中途半端な内観はしないように心がけてくださいね。 




内観は自分なりの速度があります。 


急がずに確実に内観してくださいね。 




求められることはできること

これからの時代は『責任』がキーワードになってきます。 



自分の人生に責任を持つとは、 
わたしたちひとりひとりは、生まれる前に自分に課してきた責任があり、それを思い出し遂行するということです。 


自分に課してきたことだから 得意なことで、難しいことではないのです。 

自分の個性特性に則られた責任なのでしょう。



責任を負うということは、任せる方は信頼しているから任せるのです。 


信頼されているから任せられる。 


その責任感。 


それが自分の特性であり個性だと信頼されているから、求められる。 


結果、出来るから それで認められて信頼されて責任を全うできる。 


これが求められることはできることの意味です。



自分以外の誰かができることは求められません。 


わたしたちひとりひとりのできることしか求められません。 


宇宙はそうやって わたしたちの信頼度を高めてくれるのです。 


個性を伸ばすことで信頼度が高まるのです。 






わたしは普段、日常的に誰とでもさまざまな話しをします。 


誰とでもします。 


日常話しなので、わたしの身に起きた話しも多々します。 


わたしの日常は、神と共存しているので少々、不思議話しも多いですが話して良い人悪い人があるので、言葉を選んで話します。 



そんな日常会話の中でわたしは驚かれる時もあれば誉められる時もあればいろいろです。 


わたしの日常話しだから、自慢するつもりじゃなくても自慢と受け取られることもあり、しまった〜っと思うこともあり、あとで反省します。 


また 素直に、スゴいね〜と誉められて わたしには到底できないと言われますが 「でも、◎◎さんだって◯*◯が出来るでしょ それは、◎◎さんしか出来ない個性だから同じだよ」と返答します。 


これは わたしのお口が勝手に喋るのです。 



その、わたしのお口が勝手に喋る内容というのが ドンピシャ相手に響き、本来の自分の目的を思い出す手掛かりになっています。 


そのため 喜ばれて、感謝されます。 




わたしの話しを聞き、卑屈になって話が続けられないのは素直じゃない証拠です。 


わたしの話しを素直に聞くと、相手の知りたいことをドンドン喋りだします。 


素直になるって大切ですよ。 



わたしは、誰とでも対等に話します。 


だって 立場はそれぞれありますが 魂はみんな対等だからです。 



こうやって毎日、暮らしているから いちいちフルネーム鑑定はしなくなったのです。 



勝手にお口が喋りだしちゃうし、手も足も動き出すから それで料金をいただくわけにはいかないですわね。 


結局 わたしはおだてられると つい、喋りだしてしまうので、わたしをおだてればおだてるほど  話が聞けるのかもしれませんね。 



ままのままさんの話しはわたしもへぇ〜って驚きます。


自分で話しておいて、いちいち驚きます^^ 




これがわたしの日常であり使命です。 


話を聞いてほしい、ハグしてほしい、浄化してほしい、治してほしい、等 日常的にオールマイティに対応します。 


わたしがお金を払って出向き、させていただくこともしばしばあります。 

人間のみならず、神様系からも求められています。 


万能薬みたいなものですね。 




感謝の継続2
今まで誰かに頼って生きてきたから 自分で自分の行動の責任が持てない。 
失敗が成長させるきっかけになるのに、失敗したくない。 

失敗が怖いから行動できない。 

自分の行動に自信が持てない。 

人生を歩むについて知らないことやわからないことが多すぎる。 

失敗して恐怖を味わった経験から前に進めない。 
怒られるばかりで教えてもらえなかった経験がある。




これは、女性性が育っていないから起こることです。 


そのような方は、先記事の感謝の継続をお勧めします。 



男性性の強い男性にとっては 男性性が強くない女性を求めるのだと思う。 

だから、仕事ができても謙虚さがある女性か仕事ができなくて自信がない女性でもどちらでも構わないのだと思う。 


主張しない女性ならば。 



女性が主張するから男性はイヤなんだと思う。 


バカになれる女性か心底バカかは、どちらでも構わないのだなあ 



どうせなら、バカになれる女性で居たいものだ。 


家庭的な人が好きという男性は多いですが、何をするから家庭的なのでしょう。 



お料理、お掃除、共に男性性を使うことです。 



お料理が苦手、お掃除が苦手な人もいらっしゃいます。 


そういう人こそ女性的なのです。 







人は女性性と男性性とふたつ持っています。 


ふたつが協力しあってひとりの人格が生まれます。 


男性性の強い女性、女性性の強い男性 というパターンもみられます。 





人というのは、誰にも男性性と女性性があり、霊的成長していくとふたつが統合されていくのです。 


まずは女性性が育てられそのあとに男性性が育てられて統合します。 


ひとりの人間の中で両性が統合されて人となります。 





だから まずは女性性が育てられるようなことが現実的に起こるようになるのです。 


しかし まだ、男性性が育っていない方もおられますし 女性性すら育っていない方もおられます。 


それは 人それぞれ進化の違いはあるものです。 



しかし 女性性が育ち確立されてくると それが完全だと錯覚することがあるようです。 

そして それが完成形だと錯覚して伝える場合があるようです。 


男性性が確立されていないのに統合はあり得ないのです。 



しかし どちらも育っていない方は錯覚を鵜呑みにします。 



書籍やブログなど、人間の成長のことなどを書かれているものは多いですが、間違わないようにしてください。 


結局 わからないから間違うし鵜呑みにするしだまされるのです。 



わからないことがそもそもの原因です。 


だから、感謝の継続をお勧めします。


毎日のお詣りを続けたり、瞑想を続けたり、日記を書くことを続けたり、グラウディングを続ける。 


欠かさず、続けること。 


これは、人間の内側にある仏心を思い出すことに繋がります。 



毎日、欠かさずに感謝することを続けるのです。 



今まで、誰に支えられて生きてきましたか? 


すべての人に感謝することを欠かさず、続けるのです。 


自分に関わった人、苦手な人、嫌いな人にも感謝することを欠かさず続けるのです。 



それが仏心を思い出す近道です。 


好きな人や親切にしていただいた人にだけ感謝していても仏心は思い出しません。 


継続していてもなかなか進まないという人は人を区別しているからでしょう。 



人は感謝の継続を経て仏心を思い出し感謝がわき上がると自分のやりたいことや生きる目的がわかるようになるようです。 



逆に、やりたいことはたくさんあるけれど 感謝の継続をされていない人も見受けられます。 

そのような方はジャッジが強いようです。 

ジャッジが強いと、感謝の継続は出来ないようです。 

瞑想が続かない、継続することが難しいという傾向がありますね。 


また 権力的な傾向もあります。




感謝は、本来はわき上がるものですが 瞑想やグラウディング、お詣りをすることにより心を育てることで感謝がわき上がるようになるのでお勧めしています。 



瞑想だけではなくても感謝の心を育てる手段はあるので 自分に合ったことをみつけてみてはよいかと思います。 






わたしのポリシーで、自分の領域を大切にするというのがあります。 



わたしは端から見ると仕事をしていないように見えるようです。 


わたしとしては 自分の領分をわきまえて出来ることをしているだけなのですが、やみくもに動かないのと計算して動いているので 結果、効率よく動けていると思うのですが 端から見ると あくせくしていないので 仕事をしていないように見えるようです。 


結果重視で、長々、仕事もないのに居座り仕事をしているふりはしないです。 


一方、同僚は 認められたい気持ちが強く、わたしの仕事もとってでもしたい方です。 

そのため わたしの効率の良い動きを妨げます。 

迷惑です。 

その上 とにかくわたしのやることに口を挟み、指示や確認をしてきます。 

自分が上に立ってわたしに采配をふるいたいのです。 




わたしは人に采配をふられなくても 自分の領域を守り計画的に行動できるので よく衝突します。 


彼女はわたしの領域も自分の領域とみなして、自分で計画を立てて指示をするのです。 



このように 人との境界がわからず、人の領域まで仕事をしようとするとで とにかく長々と居座るのです。 


わたしは彼女がわたしの仕事を取るので暇になります。 




自分さえ認められればよい。 
わたしは認められたくないのです。 


しかし わたしはそこでいちいち仕事を取り返すことはしないので(認められなくてもよいから)彼女だけ忙しいです。 


でも それはわたしの領域ですので責任はわたしにあります。 
そのため、チェックします。 


彼女からしたら、わたしの仕事をしてあげたのに、いちいちわたしから確認をされるのです。 
いい気はしないようですが、それはわたしの責任領域だから当たり前です。 


勝手にわたしの仕事をするから嫌な気になるのです。 


そこがわからないので、毎回 嫌な気になっているようです。 


そろそろ気づいてほしいですなあ。 




認められたいと過程を大切にすることは勝手ですが結果ができていなければ何をやってるのかわかりませんね。 


わたしは身体が動かしていなくても頭は常に動いているので、端から見ると仕事をしていないように見えるようですね。 



自分で確実に結果を出していれば、時間をかけてやらなくても良いと思います。 


効率良く短的に動いた方が休みもうまく取れるのです。 


彼女のように認められたいが故に、わたしの仕事をとって仕事をして責任を増やしていっても やりきれなければ元の木阿弥です。 


彼女は認められたい気持ちからわたしの仕事を取るので 認められたい人がいない時には手を出してきません。 


わかりやすいです。 


自分の気持ちで仕事をするのでわたしは迷惑です。 



各々が自分の領域さえきちんと仕事をしていればそれで良いのです。 


自分の領域に責任を持つことが大切だと感じて、毎日お勤めをしています。 


与えられたお仕事をコツコツこなすことが自分の領域の幅を広げる秘訣です。 


人の仕事を取ることばかりを考えていたら 結局、ミスが増えるだけで自分の領域は増えませんね。




今まで自分を支えてくれた人を裏切ったから、どん底を味わうことになって そして人に助けられた。 


そこで感謝が生まれるのは当たり前。 


しかし それでは、自分が誰かを裏切ったことは消えないものなんだ。 


自分が裏切った人にたいしての謝罪と感謝がなければ、いくら助けられた人に感謝がわき上がったとしても それは自分勝手な感謝でしかない。 


感謝を甘く見ている証拠で安く見ている証拠だ。 


それは、感謝とは言わない。 




心からの謝罪なくして罪は消えないし傷も消えない。 


そして 犯した罪を認め、謝罪しない限り心から安らかにはなれないものなのです。 





もうひとつ、わたしのポリシーで、物事を憶測で判断しない というのがあります。 


事実を尊重するためです。 


だから、人や物事を憶測で話をされても受け付けないです。 


事実に基づく仮定ならまだしも だろう話や誰かの考えは聞かないです。 


自分自身の考えも検証ないと表には出さないですから。 


でも わたしの内神様からの言葉は尊重しています。  



事実を見ればわかることは際限なくありますが そこに憶測は必要ないですし、惑わすだけだからです。 

惑わす感情も憶測もわたしには必要ないのです。 

だから 人と話すときは事実しか聞かない。 


だけど 人は自分の考えを述べようとする。 


それによって わたしが惑わされて正確な判断ができなくなるのは迷惑です。 


憶測や噂話しほど無駄なことはないと思うのです。 



事実をありのままに見るということは、こういうことだと思うのです。 



憶測や噂話しが嫌いとか苦手ということではなくて興味がないのです。 


事実しか興味がない。 


事実もそうですし、本物しか興味がないといったほうが良いかもしれません。 



わたしのポリシーのひとつに、わからないことをわからないままにしておかずに、わからないことがあったらその日のうちに解決しよう!というのがあります。 



わからないことをその日のうちに解決しようとする気持ちが大切だと思っているからです。。 


しかし その『わからない』という疑問をただ、相手にぶつけても良いか?といったらそれは考えものです。 


まずは 自分で調べる。 


この作業が大切です。 


それをしてもわからなければ、人に聞くのです。 



わたしが教えるといっているのは、そこなのです。 


すなわち、疑問を持った時に解決しようとする意欲、努力はとても良いことだと思いますが その手段も重要だと感じているということです。 


意欲や努力と手段です。 

手段を間違えないことです。 


それは 聴く相手を間違えないことでもありますし、時と場合もあります。 


わからないことを解決したい気持ちはやまやまですが 疑問をまずは飲み込み、どう解決したら 自分にとって最適かを考えてから 何事も望むことです。 


何も考えなく、能天気では自分を落とすことにもなりかねません。 



わからないことを解決したいという意欲は大切ですが それならば計画を立てることですね。 


筋道を立てて考えるのです。 


筋道を立てるためには、深読みができるようになることです。 



お金があれば余裕ができると考えるのではなく、 余裕があるから丁寧な仕事ができてお金が入るのです。 


考え方は逆です。 


心に余裕が出来てくると、丁寧な仕事や生活が出来てくるものです。 


そうなると 人からも良い評価を得られます。 


そして それが収入に反映されるのです。  




宝くじに当たり高額なお金を得たとしても 心にゆとりがないと そのお金を使ってストレス発散してしまい、残らないです。 


お金を得ることを努力するのではなく 心に余裕を持って生活することに意識を向け、そのことを努力するのです。 




心に余裕を持つためには まずは、家族良く、夫婦仲良く過ごすことです。 


それが第一に心を安定させ、ゆとりある生活をすることなのです。 


家族仲良く、波風立てることなく過ごすことなのです。 


そのためには 大人である親が目の前に起こることを学びだと思い謙虚に過ごすことで 周りの家族がそれに習ってくるのです。 


大人が見本を示すのです。

自分の親は見本となる親ではなかったとしても、自分が見本となる大人として生きればよいことです。 



努力は叶う。 



我が子が可愛ければできるはずです。


守りたい人がいればできるはずです。 




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