この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2018年08月


お金があれば余裕ができると考えるのではなく、 余裕があるから丁寧な仕事ができてお金が入るのです。 


考え方は逆です。 


心に余裕が出来てくると、丁寧な仕事や生活が出来てくるものです。 


そうなると 人からも良い評価を得られます。 


そして それが収入に反映されるのです。  




宝くじに当たり高額なお金を得たとしても 心にゆとりがないと そのお金を使ってストレス発散してしまい、残らないです。 


お金を得ることを努力するのではなく 心に余裕を持って生活することに意識を向け、そのことを努力するのです。 




心に余裕を持つためには まずは、家族良く、夫婦仲良く過ごすことです。 


それが第一に心を安定させ、ゆとりある生活をすることなのです。 


家族仲良く、波風立てることなく過ごすことなのです。 


そのためには 大人である親が目の前に起こることを学びだと思い謙虚に過ごすことで 周りの家族がそれに習ってくるのです。 


大人が見本を示すのです。

自分の親は見本となる親ではなかったとしても、自分が見本となる大人として生きればよいことです。 



努力は叶う。 



我が子が可愛ければできるはずです。


守りたい人がいればできるはずです。 





心に傷があると その傷は何かを傷つけようとする。 


傷は同じを求めるから。 

同じを求めて安心する。 

『傷』は傷つけないわけではなくて ただ、仲間が欲しいだけなんだ。 


ひとりぼっちは寂しいから、仲間が欲しいだけ。 

だけど 結果、傷は同じを求めて 何かを傷つけてしまう。 



それが負の連鎖だ。 



負の連鎖を止めるには、仲間を求めないこと。 


乗り越える時はひとり。 

伴走は必要かもしれないが乗り越える時はひとり。 



感情と傷は別物。


感情はなくなっても傷は残る。 


傷が癒えるまで、仲間を探す。 





何が起きても学びに転じられる者は自分は運がいい!幸せだ!と感じていると思います。 


しかし 起きることをネガティブに捉える人は不幸だと感じていると思います。 



幸せか不幸せかは、起きる事実によるものではなくて感じ方の違いなのです。 


心の問題ですね。 


むりやり、幸せだと思おうというものでもなくて、ただ 感情に左右されず目の前に起こること粛々とこなすだけのことです。 


感情に左右されるから苦しいしジャッジするのです。 


感情は空に浮かぶ雲のようなものだから消えてなくなる存在です。 


そこに囚われずに生きていきたいですね。 





この宇宙に存在するすべての魂は、宇宙根源から分かれたひとつずつの魂です。 


だから、宇宙根源と同じ力が備わっています。 


しかし わたしたちはそれを忘れて生まれてきています。 


そして 忘れているだけならまだしも、違う存在だという認識している魂は少なくありません。 


要は、宇宙根源から分かれた魂故に同等の力を有しているため、この世で自分ほど強いものはない、愛ある存在はないと錯覚している魂がいるということです。 


これほど質が悪いものはありません。 


宇宙根源がいくらサインを送っても無視します。 

それどころか敵視してきます。 


我こそが神様だと見せつけてきます。 


それには 宇宙根源もたまったものではありませんね。 


しかし サインは送り続けるのです。 


根気のいる作業だと思います。  


様々なサインを送ります。 


自然災害もサインのうちです。 


我こそが神様ではない現実を見せつけられるのです。 



錯覚している魂は非常に多いですね。 



わたしは、そんな宇宙根源に使われる身です。  


そのため わたし自らが媒体となり気づかせることもしているので あちこち動かされます。 


お口も動かされます。 



そんなわたしに反抗してくる魂は実に多いです。 



わたしには肉体があるため手も足も口もあり それを駆使して使わされます。  


かなり体力を使います。 

錯覚している魂には、その錯覚を解く作業が必要で骨が折れる作業です。 


わたしの任務はひとりひとりの魂に丁寧に接することなのです。 



確実に錯覚を解かなくてはいけません。 




今朝もライザップの会社を紹介している番組を見ていて、結果にコミットすると言いますか  確実に成果を出していなければならない責務がわたしにはあります。 



忘れている魂は自信がない。錯覚している魂は自信過剰。  


錯覚している魂の中には、我こそが神様だからすべてを許さなければならないとストレスを抱えながら人を許している人も見られます。


わたしからしたら 相手に教えず許すから付け上がり気づけないのです。



指摘、注意、叱る、教える、伝えることは大切です。 



結局、気づかせずにただ許すのは、愛のない行為と言えるでしょう。




宇宙根源から分かれた魂としてあるまじき行為です。 


神の真似事はするものではありません。 




甘えたい、頼りたい 



その気持ちを大切に。




甘えること、人を頼ることは悪いことじゃないよ。 


正直な気持ちだと思う。 


その気持ちを大切に、素直に出せればいい。 




今のわたしは、人に甘えたい、頼りたいという気持ちはない。 


それは 今の今まで、人にわがまま言って迷惑かけて甘えて生きてきたから。 

そして デレデレに甘やかされてきたから。 



真底、満たされて満足したから もう甘えない。 


やりきると、そのあとはしたくなくなるものなんだ。 



そうやって、デレデレに甘やかされてきたから 人をどこまでも受け入れることができて デブデブに太っています(←心がです)。 



だから まだまだ甘え足りないなら満足するまで甘えたり頼ればいいんだと思う。 


そこは制限しなくてもよい。 



我慢は身体に悪い。 




現に、わたしの周りにいる人は わたしをゴミ箱のように扱ってきます^^^ 



それでいい。 



わがまま言ってやんちゃして、甘えてベタベタ巻きついて、成長するものだから。 




だけど わたしは規律は厳しいよ。 



だけど、離れていかない。 




まだまだ わたしに甘えて困らせたいから離れていかない。 




厳しいけど 甘やかす時は トロトロにとろけさすから離れていかない。 



甘えてもいい、頼ればいい。 




そのうち、自立はできるから。 




わたしに張り合おうとしたり、わたしを嫌っている人は甘えたり頼ってこないけど わたしからすると、苦労してるなあと思う。 


何らかのこだわりがある人なんだね。 


ご苦労様と思います。





自分の至らないところを指摘されるのは愛されているから。 


愛していない人には指摘もしないし文句も言わない。 


違うかな? 


指摘されたり注意されることをうっとうしがるのは人の気持ちがわからない証拠。 


愛することをなめてるから、愛されていることがわからない。 


とってつけたような優しさや親切が愛だと感じているから。 




本当の愛は厳しいもの。 



『愛とは受け入れること。丸飲みすること。』は私だからできること。 

見守ることが愛なのよ、と言ってる輩はアホ。



人は指摘されたり注意されて成長していけるものなの。 


されないから、横道に反れていく。 また、反発するから反れていく。 



指摘されたり注意されることを疎ましがる人はバチが当たる。 


感謝のない証拠です。 


指摘されたり注意されることぐらい感謝することはないのです。 


ありがたいことなのです。


実際、自分の出来ることしか求められないのに 自分にはそれ以上の力があるのだと過信していると その出来ることを軽く考えたりして バカにしてやらなかったり、それ以上のことをやりたがったりするようです。 


本来、成すべきことをやらずに違うことをやろうとしたり見ています。 



本来は、自分の出来ることを粛々とこなしていくだけで 徐々に、器が広げられるものなのです。 


急がず過信せずに、求められることを粛々とこなしていきましょう。 



義務感を育てるというと なんのこっちゃと思われるかもしれません。 


これは、『感謝』です。 


自分の義務感が出てくると、人として最低限の「〜しなければならない」 がわかるようになります。 

わかるようになるということは、自分で気づくことです。 


自分で気づく=わき上がる想いです。 



〜しなければならない とわき上がる想いが起きるということは、その前提に『感謝がわき上がる』からです。 



それゆえ、義務感を育てることは、感謝がわき上がる人に育つことになるのです。 




権利ばかり主張するのは、根底に感謝がないからです。 


感謝がないから、主張して 自分を満たしたいのです。 


満たされていないから主張するのですし、満たされたいから主張するのです。 



だから、自己主張は悪いことではないのです。 


「自分は自己主張している」とわかっていればいいだけです。 


満たされたいという想いは、満たされた自分になるための必須感情です。


満たされたい想いを大切にすることが感謝できる人を育てるのですし、義務感も育てることが出来るのです。 




満たされたい想い、大切にしたいですね。 



幸せはすでに有る、ことに気づいていない人が多いです。 


わたしに言われてみて初めて気づかされる人も多いです。 


見ていない訳じゃないけど、意識して見ていなくて それは当たり前にあるものとして認知はしていたけれど それ以外の場所を探していた。 


見当違いな場所を探していた。 




周りを見れていない証拠です。 


当たり前過ぎてわからなかった。 



自分の得意分野、自分でなければできない仕事を発揮することが幸せです。 


どこで自分という花を咲かせるのかといったら、その場所です。 



幸せはすでに有るのです。 




貴方を発揮させる場所はすでに有るのです。 




厳しいことを書いてるけど これが人から信頼されるための基本です。 


ダラダラおしゃべりできる人よりも口数は少なくても重要なことをわかっていて話す人のほうが信頼されます。 


お金持ちになりたい、豊かな心を持ちたいと思うなら実践すべきことです。 


豊かな人はこれを実践していますし、心の中はこう思っているものです。 

言わないだけで。 




言われなきゃわからないではなくて、気づかなきゃ。 


わたしたちは人と接することで成長していけるのだから、人から学ぼうと言う姿勢は必要です。 



豊かになればなった分、責任を負うのは当たり前。 


富が増えるのだから。 


ないときはわからない。 

あることの責任です。 


権利もあるけれど義務もある。 


権利と義務はセットです。 



ないと思っている時は権利を主張するけれど いざ権利を得たら義務はいらないという。 


そんな発想だから、豊かになれない。 


権利を主張したら義務があるのは当たり前。 



豊かになればなるほど 義務感が生まれます。 


義務感がないのは、受け取る器ができていないということだから、入っても出ていきます。  


自分の器を大きくするためには 自分の心の義務感を育てることです。 


豊かさがないと義務感は育たない。 




人が富を所有する理由は、人としての義務感を育てる目的だと思います。


そうやって 人は成長をするのです。 




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