2018年09月
命の使い方
命の使い方ってあると思う。
命の花を開きたいって気持ちもあるし、永遠に開いていたいという気持ちもある。
花が開くと、蜜蜂や蝶々たちがやってきて、花粉を運んだり蜜を吸いにきて賑やかになるの。
とても楽しいし嬉しい気分になる。
でも 花が開ききってしまうと、葉が枯れたり落ちてしまい、終いには開ききった花は枯れたりしおれてしまう。
花が開いている時期は短い間なのかな?
そうではないはず。
わたしは、そう思うの。
命の使い方ってあるはず。
自分という花の開かせ方ってあると思うの。
自分の人生を花開かせたい!という気持ちはわかる。
だけど 開ききったあとはどうするの?
枯れてしおれてもいいの?
人は自分だけで生きてるわけではなくて 愛する人や支えてくれている人がいるものだと思う。
その人よりも自分が枯れてしまったら、どう感じるかしら?
『死』というものは自分も辛いけど、残された人の方がうんと辛いとわたしは思うんだ。
だから、愛する人や支えてくれている人を悲しませないためには、自分という花の開き方を考えた方が良いとわたしは思うのです。
継続して、咲き続ける。
永遠に、咲き続ける。
誰にたいしても開いて見せるのではなくて、大切に感じている人にだけ開いて見せる。
わたしは開き続けていたいから、そんな開き方をしています。
だから、表立ったことはしないのです。
花開いた姿に群がるのは、蝶々や蜜蜂だけではないから。
愛する空ちゃんを悲しませないために、空ちゃんの前では100%開くけど、他の人の前では?%です^^
まあ、?%でも そこそこ威力はあるからね。ハハハ〜
怖れるものは何もない
このわたしの中に居るままのまま さんという存在はとても立派な方だと思う。(自分のことなのに、変f^_^;)
自分に厳しくて それでいて他者にはそれを求めず、優しくて慈愛に溢れていて、とても親切なの。
人が何か困っていたら率先して手伝い、重い荷物も軽々と抱えるの。
何年か前、何回かの悟りの時に体験した『怖れるものは何もない。出来ないことは何ひとつ、ない。』という存在がそうだったんだ、、、と納得。
とてつもなく大きくて安心できて、委ねられる存在。
それがままのまま さんであり、わたしが目指すところなのだと思う。
今のわたしでも、人から慕われるし安心できるし頼れる存在だと言ってもらえるけど 比じゃない。
それでいて 女子力も高い。
まるで、うる星やつらのラムちゃんみたいな存在。
比じゃない。
たまに、そんなままのまま さんがうっかり顔を出す時がある。
おちゃめでかわいい♪
2016年には、こうやって書いたけど わたしは、この神の愛を目指して修行をしていくのでしょう。
『人の愛』 この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま
URL:
http://mamanomama777.m.blog.jp/article/50837019?guid=ON
人の愛
2016.03.01
人間という外側の奥には、全知全能という魂部分が控えているから
『怖れるものは何もない。
出来ないことは何一つない。』
と、思えるのですが
この想いって、完全ではないのです。
できないことは何一つない。。。という想いは、
『すべてを受け入れます』
という意味でもあるのです。
だけどね
すべてを受け入れることができるから、全知全能なわけではなくて
引き受けない強さもないと全知全能ではないのです。
『すべてを受け入れる』って女性性で
『引き受けない』のは男性性
なのです。
『すべてを受け入れる』想いと
『引き受けない』想いの奥にあるのは、
『すべてを受け入れるから引き受けない』という想いで
『全知全能』というのは、『すべてを受け入れるから引き受けない』という意味なのですね。
『すべてを受け入れるから引き受けない』
だから、
見守れるし、待てるのです。
見守る愛です。
見守る愛って全知全能という意味なのです。
見守る愛って
継続して、相手を信じて待つことができる。
これが 神様の愛なのですね。
人間の愛ではないのです。
だから、
この見守る愛を目指そうということは、もう 肉体を脱がないとできないことじゃないのかなあなんて わたしは思っています。
いくら わたしの魂が神様だとしても
肉体を着ている限りは、神にはなり得ないから。
だから、
人間においては
この『見守る愛』はできないけど
ギリギリまで待つ。
そして、いざというときは引き上げる。受け入れる。
これが
人の愛だとわたしは思うのです。
人は肉体を持つから、最終的には 腕で抱きしめるし足で駆けつけるのだと思います。
ルーティン
昨夜、次のような質問をいただきました。
『わたしは入社して二年になりますが やりたい部署にもつくことが出来ずに やりたくもない部署で連日連夜、働かされています。
朝、早く出社して、終わるのは日付が変わるまで仕事をします。
それだけで足りないので、休日も無給で働いています。
親からは、心配されて仕事を辞めるように言われています。
だけど 責任があるので 辞められません。
いっそ 病気にでもなれば辞められるのに、と考えますが 風邪を引く程度で 辞められるまでの病気になりません。どうしたら良いのでしょうか?』
わたしがちょうど、昨朝、投稿した記事があります。
その中に、
『人それぞれの役目は違うもので そのままの自分でできることなら、すぐにでも自分の役目は見つかるけど、それなりの人材になっていないとできないことなら、そうなるための人生経験が必要なんだ。』
この相談者様はまさに、これが当てはまります。
普通、そこまで身体や頭を酷使したら、倒れます。
しかし、倒れないのは、その場所で それなりの人材になるための人生経験をしているからに他ならないです。
また 相談者様は、他にやりたいことがあったけれど その部署には配属されませんでした。
それは、その器がないからです。
だから 今、別の部署でその器になるために修業をしているのでしょう。
しかし 頭の中が不満でいっぱいで うまく頭が回らず、仕事効率が悪いことが考えられます。
相談者様もわたしがいつも書いている、AIを超える人材になろうとされていると思われます。
たかだか機械に翻弄されるのは人としていかがなものかと思います。
人というのは、機械にない情緒、趣を持っているものです。
この相談者様は 頭の中が不満や負の感情に左右されているため、通常の頭の回転ができなく、手や足も口も動かないから仕事効率が悪いのでしょう。
瞑想やグラウディング、呼吸法で 頭の中の負の感情を浄化し また、ON OFFのある生活に切り替えることをお勧めします。
仕事を辞めたところで その人材になるためには どこかで努力しなくてはならないものです。
リタイヤさせてもらえない。
このように 不満を抱えて生きていても 魂の進みたい方向に生きているものです。
しかし 周りを見渡すと、すぐに仕事を辞めたり 仕事以外では離婚したりされる方もいらっしゃいます。
自分が一度決めたことを辞めるのは、自分との約束をやぶる行為です。
魂に逆らっていることならば、病気になったりして、強制的に終了させられます。
忍耐を学ぶためにしているのに忍耐がないから辞めたいのです。
今は、自分の意思が尊重される世の中ですが 自分の人生を深く考えてみてください。
人が成長するためには、一足飛びで出来ることではなく 毎日、こつこつ努力を繰り返すことです。
貴方は毎日、どんな努力をしていますか?
大切だから、大切にしたい
わたしは自己主張が強いせいか、お世話になった人に後ろ足で砂をかけるようなことをして、恥をかくことをたくさんしてきたんだ。
みんな、黙っている。
気づくまで待ってるのか知らないけど、教えてくれなかったよ。
教えてくれなかったから幾度となく繰り返した。
わたしは教えてもらいたかったんだ。
その時、恥をかいても教えてもらいたかった。
後々になって気づいたわけだけど 気づくまで待っていてくれたのか笑って教えてくれなかったのかはわからない。
だから わたしはその場で指摘して教えるんだ。
わたしに公衆の面前で恥をかかされた、と言われる方はけっこういると思う。
だけど それだから、気づけるんだ。
恥をかくから気づける。
恥をかかなかったら繰り返す。
教える行為は相手の学びを取る行為だと言う人もいるけれど、わたしはそうは思わない。
教えなきゃできないことってあるし、その発想がわかないこともあるしね。
また 先記事で書いたことに関連することで
周りの家族から、わたしがこれをしてやった 俺がこうこうしてやったとよく聞いて育つと 同じように感謝の押し売りをしてしまうと言われた。
わたしは、その逆の家族を反面教師として生きてきました。
それって 相手をバカにすることですよね?
でも 教えることは相手をバカにすることなのか?
違うと思う。
教えないことのほうが相手をバカにすることだと思う。
相手を見守ると言いながら、心ではバカにしているかもしれない。
おもいやりってなんだろう。
相手を想うってなんだろう。
相手の成長を望むなら早く教えることのほうが相手のためになることではないのかな?
見守るって ボケっと突っ立って見てることではないんだ。
いつでも 手を差しのべることのできる位置にいて、目を離さずに見ていることなんだ。
だから、わたしは 見守る一環で、教えるんだ。
直接、教えるんだ。
気づくまで辛抱強く待つことも大切かもしれないけれど 教えなきゃわからないこともある。
一度、教えたら それからは、手は出さない。
待つ。
辛抱強く待つ。
大切な人だから、大切にしたいのです。
持ちつ持たれつ
人間、持ちつ持たれつだと思うんだ。
何か辛いことがあって 助けられたり癒されたら 次はお返ししたいと思うものだとわたしは思うんだ。
それを 癒されっぱなしでいたら 相手は逃げていく。
いくら誰かを癒したり助けたりしていても、誰でもいいときが続くとは限らなくて、辛いことが起きて泣きたくて慰めてもらいたくなるときもある。
そんな時には、今まで自分が助けてあげたり癒してあげたりしていた人に甘えてしまうかもしれない。
そんな時に、突っぱねられたら、今まで助けてあげたり癒してあげたりしたことが無駄に感じることがあるんだよ。
そんなことで人間関係が壊れてしまうことがある。
人として、助けられっぱなし、癒されっぱなしは良くない。
助けられたら、力はなくても意識は向けてあげなくちゃいけないと思うんだ。
人を助けたことのない人は、そんな人のキビを知らない。
助けられて嬉しい、癒される、ってだけなら誰でもできる。
人から嫌われたり人間関係がうまくできない人というのは、こんな人間関係の持ちつ持たれつがわからない人が多い。
人と関わると煩わしいと感じる人は、人のSOSのサインがわからない人だ。
サインがわかるようになるのは、日々の経験であって 誰もが一足飛びにできることではないことを知ってほしい。
人生経験が乏しい人は、そうやって 鍛えられていくものだなあ と感じる。
助けてもらうばかりで助けたことのない人は、人の気持ちがわからないものだ。
そこから逃げるな、と言いたい。
人生の目的
人それぞれの役目は違うもので そのままの自分でできることなら、すぐにでも自分の役目は見つかるけど、それなりの人材になっていないとできないことなら、そうなるための人生経験が必要なんだ。
前世体験があまりなく、人生経験が乏しい人は 往々にして、まずは体験させられる。
その体験を集約した自分ができることが自分のお役目となる。
人は優しい2
今まで誰かに全面的に頼って生きてきた人は、他の人とも仲良くできるように 今まで頼ってきた人から離されることが起きているようです。
わたしの周りでもあります。
誰かに頼るのは力強いし安心ですが自分が成長できなくなる恐れがあります。
人は安心すると、外に羽ばたきたいと考えますが、安心先に執着していると外側に自分を傷つける人を作り出します。
そうすることで、この人しかいない!と思わせるためです。
でもね、考えてみてください。
執着を外したところで、一生離れてしまうわけではないのです。
執着を外しても関係というのは変わらないもので、いつも安心して頼れる存在なのですよ。
だから、恐れることなく、執着を手放して 誰とでも仲良くできる自分になってください。
人は優しいよ^^
この人じゃなきゃダメではない。
この人でもいい。
ということで、わたしはしばらく おヒマを出されました^ ^
人は優しい
自分の生きている世界において辛いことがあり心が傷付くことがある。
そうすると、人から自分は傷つけられたと感じて人が怖く感じてしまうようです。
そんな時に、優しい言葉をかけられて この人なら信じられる。。。と感じて、依存を引き起こすことがあるようです。
この人じゃなきゃダメなんだ。
この人だから変われたんだ。
と思いがちですが、
それは、違います。
誰もが、人は優しいのです。
人を優しく感じられないのは、ただ あなたの思い込みで起こってることなのです。
本当は、誰もが優しいのです。
心の中の思い込みを外しましょう。
ひとりの人を握りしめてる世界から、誰もが優しい世界に足を踏み入れていきましょう。
割れ鍋に綴じ蓋
これは、割れなべに綴じ蓋ということだと思う。
結局 わたしは謝られなくても、言葉を発しなくても許すから 相手は謝らないし言葉を発しないのです。
許すというのはくせ者です。
成長を止めることにもなりかねないからです。
なりかねない。
必ず、ではない。 なりかねないです。
これはどういうことかと言うと
通常なら、どんなことでも許されるなら 自分が謝るようなことをして悲しませないように努力しようと考えるものですが
どんなことでも許されるなら どんな悪いことをしても大丈夫だろうと考える人が現れることが考えられるからです。
それでは成長できないですね。
そうならないために わざと許さないこともあります。
相手を見ながら使い分けします。
誰でも許すことはしないのです。
許すということは、さまざまな情況を想定して、その人にもっとも最適に働くように考えた中でのひとつの行動です。
情報処理能力がつかないと受容することは難しいものです。