この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

2018年09月


自分の生きている世界において辛いことがあり心が傷付くことがある。 


そうすると、人から自分は傷つけられたと感じて人が怖く感じてしまうようです。  


そんな時に、優しい言葉をかけられて この人なら信じられる。。。と感じて、依存を引き起こすことがあるようです。 



この人じゃなきゃダメなんだ。 
この人だから変われたんだ。 



と思いがちですが、 

それは、違います。 




誰もが、人は優しいのです。



人を優しく感じられないのは、ただ あなたの思い込みで起こってることなのです。 



本当は、誰もが優しいのです。  



心の中の思い込みを外しましょう。 



ひとりの人を握りしめてる世界から、誰もが優しい世界に足を踏み入れていきましょう。 




これは、割れなべに綴じ蓋ということだと思う。 

結局 わたしは謝られなくても、言葉を発しなくても許すから 相手は謝らないし言葉を発しないのです。 


許すというのはくせ者です。


成長を止めることにもなりかねないからです。 


なりかねない。 


必ず、ではない。 なりかねないです。 


これはどういうことかと言うと 


通常なら、どんなことでも許されるなら 自分が謝るようなことをして悲しませないように努力しようと考えるものですが 
どんなことでも許されるなら どんな悪いことをしても大丈夫だろうと考える人が現れることが考えられるからです。 


それでは成長できないですね。 


そうならないために わざと許さないこともあります。 


相手を見ながら使い分けします。


誰でも許すことはしないのです。 



許すということは、さまざまな情況を想定して、その人にもっとも最適に働くように考えた中でのひとつの行動です。


情報処理能力がつかないと受容することは難しいものです。 





ある人の記事を読んで感じたことなのですが 


わたしは、よく 自分の意見や想いは直接、伝えなさい と言っています。 

直接、言わないと 伝わらないからです。 


ありがとう も ごめんなさい も直接、伝えます。 

わたしは 常に、人にたいしてはそうしています。 


でも わたし以外の人って伝えない人が多いです。 

直接、伝えずに 悶々としていたり 
直接、伝えずに 違う相手に言ってみたり 


わたしは、そういうのを見て、なんともイヤな気分になっていました。 



でもね、今朝、読んだ記事に こういうことが書かれていたんです。 


『今まで、わがままな親に振り回されてきてイヤな想いをしてきた。 

自己主張が強く、決して謝らない親だった。 

だけど そんな親が病気で入院して まもなく亡くなった。 

亡くなる前に、その親が僕に謝ったんだ。 

それを聞いて、僕の固くなだった心がとけたような気がした。 

僕は、その言葉を聞きたかったんだと思った。』 




こんな内容だったと思います。 



これを読んだときにわたしは 


泣けてきたのです。 

なぜなら、子供として親から謝られるくらい辛いものはない と感じるからです。 


先述の彼は、謝られたことで楽になりました。 

だけど わたしは謝られることで辛く感じるのです。 


感じ方の違いってあるなあ。。。 



今まで謝らなかった親ならば謝らずに、自分を肯定したまま旅立ってほしいとわたしは感じます。 


わたしの親も人からみたら毒親と呼ばれるような人でした。 


それで わたしは亡くなるが亡くなるまで苦しめられました。 


だけど そんな生き方を貫けばいいと思う。 


謝らなくてもいいから生き続けてほしいとわたしは思う。 


だから わたしは謝られたくない。 


認めてないわけじゃないから。


認めてないわけじゃない。 


謝られなくても愛してる。 


わたしにひどい仕打ちをしてきたとしても愛してる。 


離れても愛してる。 



だから、謝られたくない。 




だから、わたしの周りの人は謝らないんだわ^^ 



よく、理解できました。 





古い時代に樹の精霊の神気を繋ぎ自然崇拝していた人たちがいました。 
その人たちの想いと自然界の神IMG_3031

々両方の想いが繋がった場所。 
天地の繋ぎ、命を生み繋げる想いが込められています。 



これがわたしです。 

わたし、そのものです♪



外に歩みだします。 





今日は、ブルカのゆーいちさんとお喋りしていました。 



わたしが仕事を辞めることになった理由から時系列で話をしていたのですが その話しの流れで AIの話しになりました。 

人はAIを超える という話です。 



以前も書いたのですが 

人はAIを超えるために成長します。 

だから、AIに仕事を取られるなんて持ってのほかです。 

たかだか、機械に この人間が負けるわけがないのです。 



何故 そう言い切れるかと言うと、わたし自身がAIを超えているからです。 


情報処理能力は高いですし 指示されたら素早く正確に動きます。 

また 同時に、処理する能力も高いです。 
そして、共感力、論理力、読解力、洞察力もしっかりあります。 




人間でも これくらいのことは簡単にできるのです。 

要は訓練です。

感情さえなければ、訓練さえすれば誰もが出来るのです。 



だから 感情に振り回されている人を見るのはイヤ。 


進まない。 


さくさく動きたいのに、動けなくなる。 



そんなさくさく動きたいわたしに 人間の感情と向き合うことを教える役目もあり、ほんとワケわかんないです。 


どれかひとつにしていただきたいものです。 


結局、まだまだ さくさく動けない人がいるから 育てなさいということだと思うのですが その中にはエゴに囚われている人もいれば、先述の「疑う」フィルターを持った人もいるのです。 


骨が折れる話です。 





朝、起きて 身支度を済ませてお詣りをしてからお掃除をする。 

それからお弁当をつくり朝ごはんをいただく。 


それからは、またまた お掃除したりお洗濯をする。 


そのあとは、まったく自由。 


まあ、朝起きたら自由みたいなものですが。 


何かが降りてきて、せかせか動くときもあれば、なんにもなくてだら〜っとしてる時もある。 


ほんと自由。 


思えば、仕事をやめる一ヶ月ぐらい前は、ほとんどこんな生活をしていました。 


仕事をするのは、週2ぐらいでした。 

だから、わざわざ仕事をやめなくてもよかったんじゃないのかと思えてしまうのですが、その場所に出入りするというだけでわたしに負担がかかっていたから強制終了したのだと思います。 

だから、辞めてよかったのだと思います。 



だけど 元々、わたしはライトワーカーです。 

だから どこかに降りるのだと思います。 



「疑う」というフィルターを持った人はまだ、多く存在します。 


それに気づいてる人も気づいていない人もいます。


離れたから、それで終わりということはないはずで たぶん そのような方たちに対しては違う取り組みをしていくのだと思います。 


今のわたしには まだ、何も降りてこないですが たぶん ままのままさんのことだから何かするのでしょう。 





今朝、何か掴めた感じがして動かされました。 

だけど その「疑う」というエネルギーに邪魔されました。 


結局、「疑う」エネルギーは変わりたいのだと思います。 


「信じる」エネルギーに変わりたいのだと思うのです。 


だけど 自分を信じられないから変われないんだと思う。 


だったら わたしを信じればいいと思う。 


いくらわたしが逃げたとしても追いかければいいし しがみつけばいい。 


わたしが逃げないようにしがみつけばいい。 



そう思うよ^^ 



諦めるな! 


諦めたらあかん!


しつこいの、何気に好きです☆


素直か素直じゃないかというのは わたしが思うに、疑う気持ちの有無だと思う。 


人を疑う気持ちのある人は常に疑うというフィルターを通して見ているのだと思う。 


わたしは人を信じる力が強いため疑うという概念がない。 


そのため 疑う気持ちのある人との会話は骨が折れる。 というかできない。 

自分が自分じゃなくなる。 息が出来なくなる。 


交わることができない。 

拒否反応さえ起こす。 




さて、この疑うというフィルターですが このフィルターこそが人を素直じゃなくするのだと思います。 



信じるということをできなくさせる強力なアイテムだと思います。 


なぜ そんな強力なアイテムを持つのかというと それが自分を守ってくれるものだからです。 


「疑う」という強力なアイテムで守らないと生きていけない場所に身を置いているからです。 


彼らにとったら生きるために必要な強力なアイテムなのです。 




実は、わたしはこれまでそんな中に身を置いていました。 

そして、そんな人たちを受け入れて変えていこうとしていました。 


これが任務だったからです。 


その中に身を置いて わたしがわたしじゃなくなって それでもど根性で自分を取り戻して ということを繰り返してきたのですが 最後の最後には わたしが悲鳴をあげたのです。 


できない!無理!無理!無理! 


わたしにもできないことがあるのです。


「疑う」というエネルギーは強力ですわ。 


もう、近寄りたいとも思いません。 



だから そんなアイテムを持っている人はわたしはお声かけもできません。 


ごめんなさい。 




愛していてもできないことはあるのよね。。。




楽になりました。 




謙虚な気持ちになると、自分を客観的に見ることができ、現実的に周りを見ることができるようになります。 


これは 自分を肯定している目線で周りを見渡せるということです。 


自分を肯定しているから周りや相手も肯定して見えるようになるのです。 

周りを見て、相手を見るから、詫びる心が生まれます。 

これが自分を省みるということです。


こうして初めて反省ができるのです。 


相手にたいして詫びる気持ちになるのです。 


そして、自分自身にも詫びる気持ちになるのです。 


自分を傷つけてしまったことを詫びるのです。 


なぜなら、自分を肯定するあまりに人から矢を向けられることになってしまったからです。


相手にたいしても申し訳ないけれど 自分にたいしても申し訳ない気持ちでいっぱいになるからです。 

すると 自分ですから許されるのです。 

自分を守るためにした行為ですから許されるのです。 



ありがたい。。。。 



そうするとね、 


人から矢は飛んでくるかもしれませんが それを受け入れて消滅させることができるようになるのです。 



わたしが人様の黒いものを手で握り潰すことができるのはこんな理由です。 


人から見たら自分の悪いところも良いところもすべて飲み込み肯定してきた。 
だから、人様の良いところも悪いところも飲み込めるようになるのです。 




それが 誰をも愛するということです。 



感謝、感謝、って言われますが 周りに助けられるから周りの人に感謝といってるのは、誰をも愛するとは言えないのです。 

まずは、自分です。 


自分を愛しましょう。 

自分を抱きしめましょう。 

自分を許しましょう。 



どんな自分も愛するってどんなことかわかりますか? 


自分の良いところも悪いところも良い悪い関係なく愛する。 

言葉で書くとたやすい。 


例えば、人を裏切ったり、人を批判したり、悪口を言ったり、意地悪をしたり、ミスを人のせいにしたり、罵声を浴びせたり、、、、、そんな自分を愛することなのです。 


人前であられもない醜態をさらしたり、泣き叫んだり、わめいたり、物をぶっ壊したり、、、、そんな自分を愛することなのです。 



そんなことをしたことがないわ 

と言う人はいらっしゃると思います。



自分の感情に素直に表すと、上記の行動になるときもあるのです。 


だけど そんな自分でも愛するのです。 


我慢しない。 

嫌なものはいや! 
好きなことは好き! 

と、自分の感情を素直に表現していると、そうなっちゃうんです。 



自分を制限しない。 


自分を制限しずに、そのままの自分を抱きしめるのです。 


それをやって、嫌われてもいい。下げずまれてもいい。 

それでも 自分は自分の行動を否定しないことなのです。 



嫌なものはいやだぁ〜と泣きわめいて手に取るものぶっ壊して、人も傷付けた。 


それでも わたしはわたしを肯定してきた。 



だから 今のわたしがあるのです。 



暴れてナンボだと思う。 


まあ、そこまでやるとスッキリするよ♪ 


恥も外聞もかなぐり捨てた。


信用もなくした。 


だけど そんな自分を責めずに抱きしめた。 


周りに敵しかいなくても自分を肯定した。 





そうすると、心が納得するんです。 

スッキリするからかな♪

スッキリしたら、反省する気持ちが生まれるのです。 


客観的に自分を捉えることができるようになるのかな? 


そこで反省する気持ち、謙虚な気持ちが生まれるのです。 


謙虚な気持ちになって反省すると ちゃんと自分の足で立ててる感じがして感謝がわき上がるものなのです。 



そうすると 少しは、知り分別がつけられるようになって、感情の起伏も少しはおさまります。 




そんなことの繰り返しです。 
わたしは。 




だから、苦しい気持ちもわかるのです。 




どんな醜いといわれる姿でもわたしはわたしをいとおしく感じます。 


よくやったと誉めています。 


そういうものです。 



変わりたいのに変われない。 

自分に自信がない。 

勇気がない。 




そうおっしゃられる方がいらっしゃいます。 



ホントにそうかな? 


よくよく視てみると、「変わりたくない!」と強い意思を持っていることがわかります。 


勇気がない、自信がないなんて、ウソ八百^^ 

ものすごく強い根性の持ち主です。 




だけど 何故、変わりたくないという強い意思を持っているにも関わらず、変わりたいと心は思うのでしょうか? 



本当の自分がわからないから。 

本当の自分との意思の疎通が出来ないから。 




意思の疎通ができるできないに関わらず、本当の自分が変わりたいと思ったら最後、変わるものです。 



 いくら 短絡的に、人生を変えようと仕事を変えたり配偶者を変えたとしても 本当の自分の意思と反したことをしていたら繰り返します。 


自分を変えたい、と思う根本は まったく違う想いがあるものです。 


掘り下げて、本当の自分に繋がってみると まったく違う想いに出会います。 



自分からわき上がる欲求は空に浮かぶ雲のような存在です。 


空から雲を取っ払ったら晴天この上ないですが、あまりに晴天過ぎて愁いがないように感じます。 

人生においても同じで、何らかの感情があるから愁いがあり情緒があるように思います。 



自信がないと感じる心、勇気がないと感じる心があなたの人生をつくっているとしたら? 



どんな自分も本当の自分からしたら大切でいとおしく思っているものです。 



それが幸せというものかもしれませんね。 





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