この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2018年10月


人としての根本的な道理がまったくわかっていない人がいます。 


どれだけ説明してもわからないし、教えても理解できないのです。 




それはたぶん、失敗したり傷ついたり奈落の底に落ちてみたいのだと思う。 


嵐の時、外に出て飛ばされたいのだと思う。 



痛いことや傷つくことに鈍感というか とりかくやりたいだけなんだと思う。 


人にたいして悪気なくトゲのあることを言い放つのも ただ、言い放ってみたいのだ。 


周りにいる者はたまったものじゃないが本人は楽しいのだろう。 



やりたいなら、やればいい。 


人としての根本的な道理がわかるまでやり続ければいい。 




そんな人の周りには、そんな人を相手に学びを深めていく人がいるものです。 



誰もが師となるものですね。 




ライトワーカーというのは、水陸両用でどちらにも潜ることができて、空も飛べることができるものなのです。 


でも 自分はそんな存在だということを忘れていると、思い出させるために目の前にあらゆる困難と思えることが降りかかるようです。 


自分は地べたで這いつくばってることしかできない存在だと制限していては思い出せないのです。 

ライトワーカーは そのために制限を外すのです。 


実際、わたしは空を飛ぶことのできる水陸両用ですが潜ることは苦手です。 


土がお顔につくのがイヤ、べっちゃりつくのがイヤ^^ 


でも やらされるのです。 

ジャングルに入ることもさせられるし、素潜りもさせられる。だけど、苦手です。 


3分しか持たない。ウルトラマンみたいなものね。 
また アンパンマンみたいに自分の顔をあげて瀕死になることもあるし汚れたら使い物にならない。


汚れたら3分で勝負♪ 


だから、指先一本で済ませることができるのかもしれないです。 



と、わたしのことは置いておいて 


ライトワーカーは、今のところは適材適所に配置されていますが、最終的には 水陸両用で潜りも空飛びもできるように戻されていくのです。 


それが本来の自分に戻るということ。  


美しすぎるほど美しい自分に戻るということです。  



土がお顔についても美しい♪ 
ススだらけになっても美しい♪ 


元が美しいから、何がついても美しい♪ 



それがライトワーカーたるものです。 





昨日、今まで働いていた同僚と久しぶりに話をした。 


すると、あちらこちらで切り離しが起こっているという。 


わたしだけではないんだなと感じた。 


波動のなせる技。 


波動が合わないものは離されて、合う者とは出会わされる。 


ただ、それだけのこと。 

そこに、優劣はない。 


水に住む生物と陸地に住む生物、空を飛ぶ生物という違いなだけ。 


もちろん、高いところに住む生物は降りることは可能だが低いところに住む生物は上るのは困難だ。 



自分に合った波動の場所が自分の居場所なのだ。 

自分の居場所で仲間と共に助け合い生きるのだ。 



誰の心にも仏心はあるものだから、同じ波動であれば仲間になれるはずなのだ。 


空を飛ぶものは地の中にいるものを救うことは難しいけれど、地に住むものは掘り進んで救うことができる。 


救世主は適材適所に配置されているはずだ。 



それを信じて、自分の居場所での人生を歩んでいこう。




そうすれば、誰もが空も飛べて地にも水にも潜ることができるようになるはずだから。 



信じよう!


真実はここに有る。 


真実は源に有る。 


源に有るのは美しい。 


真実は美しい。 


わたしは美しい。 




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人が自分をさらけ出さないのは、自分の内側にあるものはみにくいと勘違いしてるのではないか? 

みにくいと勘違いしているから、さらけ出せないのではないのか? 


自分自身、本当の自分はみにくいからさらけ出せないと思っているのではないだろうか? 



本当の自分は美しいのです。 


さらけ出せばさらけ出すほど光り輝くものです。 

あなたは美しい。 




みにくいものでも怖いものでもない。


あなたは美しい♪



ここに有る。

真実は、ここに有る。


真実が見えなくなっているだけで、ここに有る。 

源に有る。 


美しさはここに有る。 


この人生で「大切にする」と決めてきていることは何ですか?。


「大切」は、正しさや常識ではありません。


人ひとりの人生における「大切」は誰にもジャッジすることはできません。


どんな生き方であれ、
自分自身との「約束」なのです。



自分の「大切」を知るためには まずは、自分との約束を守ることなのです。

規則正しく生活して、 自分に課していることをこなすことで 自分の「大切」に気づいていくのです。



わたしは、起床時間からその後の行動まで、自分で決めて動いています。

〜時までには、掃除を終えることや 〜時間でひとつの物事を終える というように、
家族全員が食卓に揃う7時までには、掃除、お詣り等、は済ませています。



まあ、主婦ならばそれぐらいのことは当たり前のことですが、仕事に出掛けるまでには 日常的なことはこなしておきます。

それが基本で、基本的な日常をこなすから 発展的な仕事に取り組むことができるのです。



それ以外にも自分との約束事を決めたら、守っています。



そうすると 自ずと、自分の「大切」がわかってきます。


譲れないもの。


Must Haveです。



頭で考えてもわからないです。


込み上げてくるものだから。



これがなくては生きてはいけない。


これのためだから、頑張れる という「大切」です。



あなたの「大切」を見つけてください。


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今回の地球の転生において別々の道を歩むと決めてきた二つの魂がふいに出逢ってしまった。 


宇宙の記憶が甦る。 


いつも二人で一緒にいた。 


青い地球を並んで観ながら離れるってどんなだろう?ってワクワクし合った。 


きっと、楽しくって踊り出しちゃうことなんだよ♪とわたしが言った。 

そうかなあ。。。違うと、思うよ。 わかんない、わかんないけど、違うよ。。。と空ちゃんは言った。 

違わないもん!楽しいんだもん! 
だから、わたしは地球にいくの!!! 




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あなたと離れて生きている。 


離れていることの辛さを味わっている。 


これからのわたしは違う人と人生を歩む。 


それは、生まれる前に決めてきたこと。 



この地球のアセンションプロジェクトに則り、綿密に計画されてきたわたしの人生が今、幕を開ける。 


これからが本番。 



離れてもなお成し遂げたいことがある。 


ライトワーカーとして、成し遂げなければならないことがある。 



『信じてる愛を信じてる道で待てなくなる時がくるからわたしを誰にも渡したりしないあなたの約束を今度は聞かせて』 



今度、逢うときは、わたしがプロジェクトを成し遂げた時だ。 

それまで、待っていてほしい。 

信じていてほしい。 

あなたの元に還るまで、信じていてほしい。

この気持ちがあなたを愛している証し。

嘘偽りない証し。




先ほどの記事に書いた、恐怖心を植え付ける人というのは存在します。 


自分の物差しを持って、人を裁く人です。 


そして、
自分は最善を尽くしていると思っています。 

自分ほど最善を尽くしている人はいないとも思っています。 


確かに、それなりに努力はするし、自分の思想を持って それに基づいた最善を尽くしているかもしれないですが それ自体、自分の思想に固執している姿なのです。 

だから、固執し過ぎて反省がないのです。


反省がないから、目の前に起きることは、自分の行いや心のせいだとは思わないのです。 


だから、自分の心が乱れた時、誰かを攻撃するのです。 


改めさせるために、人を裁くのです。



そんな恐怖心を植え付けたり煽る人と、どう付き合ったら良いかといったら、付き合わない。 離れる。 


それが最善の方法でしょう。 


それができないなら、自分の軸を持ち、それに振り回されない心を育てることです。 


自分の軸がないから振り回されるし巻き込まれるのです。 


自分の軸を持って生きることと自分の思想に固執して生きることは違います。 


自分の軸を持つことは、揺らいでも元に戻す柔軟さを持つことですから。 


固くないの。 柔らかいのです。 


柔らかいから如何様にも曲がったり添ったりしますが、最終的には、源に戻るのです。 


一方、恐怖心を植え付けたり裁く人というのは、 心がカチカチ過ぎて それが軸だと錯覚していることになりますね。 

軸はないのです。

ただの固い固まりです。 



思い当たる人がいるかもしれません。  


また そんな固い固まりを持った方に憧れを抱いている方もいるかもしれませんね。 




軸は柔らかいのです。覚えておいてくださいね。

恐怖心 
裁く人というのは、人に恐怖心を植え付けるのが得意なようだ。 


裁かれる恐怖というものがある。 



その恐怖はいったいどこから来ているのだろうか。 



それは、人の内にある自信のなさが生み出しているのです。 


何故、自信がないかといったら 人生で100%の自分の力を発揮して生きていないからなのです。 


それは、今の自分にOKを出していないから。 


何故、自分の人生にOKが出せないかといったら 細部に辺り、曖昧で優柔不断で開けたら閉めるという作業や閉めたかどうかの確認作業や検証することを怠っているからなのです。 

最善を尽くしていないのです。


自分が感じる不安を100%払拭していないことも考えられます。 


自分が自分の行動に100%、OKを出せるまで 取り組んでいないからなのです。 


そのためには、計画性や人の意見を聞く耳を持つことが必要で、他者を信じたり頼ることも必要なのです。 



自分に自信を持つということは、ひとつの物事を完成させることでもあるのです。 


ひとつの物事を完成させるためには、自分だけの意見に固執していては到底、つくりあげることができないものです。 


だから、周りの意見を聞き、良いと思ったことはすぐに行動して、今までの言動を改め前を進みながら、最善を尽くしていくのです。 


自分が最善を尽くした結果が自信に繋がるのです。 


根拠のないものではないのです。 


根拠があるから、胸を張れるのかもしれません。 




わたしでも やはり、最善を尽くしていない時は、モヤモヤとした気持ちになります。 

何かが足りないと感じると、それを探すのに躍起になり、他のことは手につかなくなります。 

それがわかり、対処して、事なきを得ると安心に包まれます。 


これで、間違いない!と確信できるものなのです。 

その繰り返しです。


だから、モヤモヤとする気持ちは 何かを見落としていますよ、というサインだから、悪いものではないのですよ。   



見落としていることをわかっていながらも改善しないというのは、自分を信じ過ぎてることでもありますね。 


他者の意見を聞き入れられないのですから。 


自分の固執した考えだけで生きてきた人は、それを曲げられないのかもしれません。 


それは、置いておいて まずは、


自信を持つということは、最善を尽くす結果で得られるのだと言うことです。 


そして それが恐怖心を越えものになるのです。 





わたしが 何かについて書くと、そのテーマについて 自分の物差しで 切り込んたコメントをされる方が見受けられますが わたしはただ、そのテーマで書いているだけで 裁いてはないのです。 


その事実をありのままに綴った上で、客観的に観て検証したことを表現しているだけなのです。 


しかし 読者様側は、各々のフィルターを通して、感じられています。

その感じられた想いは、その方のもので わたしに同意を求められることではないのです。 


感じられた想いは、それぞれに大切な想いです。 

その想いを大切にするためにも同意は不要なのです。 



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