この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2018年10月


今年に入ってからのわたしは 昭和男子で頭が固くて厳しい、60歳以上の男性の方とのご縁が多いです。 


昭和の男子の特徴として、自分を律することができるが故に、他者にも求め、ジャッジします。 


ジャッジする心を持っているためなかなかうまく人間関係を築きにくいです。 


そのため 離れていく人が多いです。 


自分を厳しく律するように他者にも厳しいのです。 



お話しをしていて思いますが、人に厳しいことは悪いことではないのです。 


怒鳴り付けたり暴力は別ですが、人に厳しくなるのは、相手のためを想うからだとわたしは思います。


わたしたちは同じ身仏、神様から生まれてきた存在で 互いに尊重尊敬し合う関係です。 


だから、相手が自分を見失っているときに厳しく叱咤激励することは間違いではないはずです。


うまく説明できないので、以前に書いた記事から抜粋します。 


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一昨日、昨日と修験道の山を登ったのですが、 

修験道という修行は、それなりの意識の高い人でないとできないことだと思います。 


山を越えるのって、厳しいし辛いです。 


挫折するかもしれません。 


気力、根性がモノを言うのです。 


でも、修験道の流行った当時でも 根性のない人はいたのです。 

そんな人達が 
山を憎み、逃げて それを己の弱さからだと思わず、山のせいにしたのです。 


厳しいことがあたかも悪いことのように、他の者に伝えたのです。


それが、元となり、今の世の中が作られていった。。。 


厳しさを乗り越えられない意識レベルのままでは、魂の目的に反するように わたしは、感じるのです。 


だから、厳しさを憎まず 裁かず、己を高めること が人の道だと思えるのです。 


乗り越えさせていただけるって 非常にありがたいことだと感じます。 





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他者を想うから厳しくなる。 


相手の本当の姿を知っているから厳しくなる。 


相手を尊敬しているから厳しくなる。 


相手を認めているから厳しくなる。


違いますか? 


源には愛があるのです。


自分を見失っているから、そんな厳しさのある愛に気付けないのです。 



今、そんな昭和の男性に変化が現れています。 


他者に対して厳しかった自分を反省されています。 


自分に厳しいのは当たり前ですがそれを他者に求めるのは間違いだったと気づき、改め、反省されています。 


一方で、厳しくされて傷付いた方々がいらっしゃいます。 


自分は傷つけられた!傷つけられた!と主張されています。 

そこに、愛はなかったと言わんばかりに。 



違うと思う。 




確かに、厳しくされて傷ついたかもしれない。 


だけど、そこには愛があったのです。 




わたしの親や身内が厳しい人でした。 

そこには愛は存在しないと、傷つけられた!傷つけられた!と主張を繰り返してきた。

わたしは逆の立場でした。 
でも 内観浄化を繰り返して、菩薩行をさせていただき、心を改めることができ、気づいたのです。 


厳しくされた、その根底には愛があったと気づいたのです。 




自分自身を深く見つめていかないとわからないことがあります。 


生かしていただいているから自分自身を見つめることができる。 


ありがたいなあと思う。 

自分を生んでくれた母親に感謝できるようになったのは、それに気付いたからです。 



自分に起こることは、すべてすべて 本当の自分に還るために起きていること。 


本当の自分に戻ったら、本当の使命に気付かされます。 


それからが人生本番です。 




昭和の男性、60歳過ぎても 人生これからです。 


その厳しさは、これからの世のためになるのです。 



覚えておいてくださいね。 





自分の信念を貫き通すことはある意味スゴいと思う。 


なぜなら 周りを見ないから。 


なりふり構わず、そこに意識を集中できるから。 




だけど わたしたちは一人で生きているわけではなくて、家族や仲間と一緒に生きているんだ。 


周りを考えない生き方ってどうだろう? 


敵をつくるのではないだろうか? 




結局 周りの者が、そんな周りを見ずに生きている人を許すんだ。


わかっているのかな? 


自分は許されているってわかっているのかな? 



わかっていたら、もっと 周りを見渡して、共存し合って仲良くし合って生きていけると思うんだ。



許されていることをわかっていたら感謝できると思うんだ。 




今回 改めて感じたのは、 わたしの特技とする指先一本でエネルギーを動かしてしまうことや観察力洞察力集中力、論理力など また、ままのままさんの言葉というものを自分の人生に生かして生きていきたいということでした。 



それらのものは わたしの個性、特性、特技なだけでアイテムに過ぎない。 


だから、それをこれからの人生に生かすだけなんだ。 


それに 頼るのではなく生かす。 


それらの特技がなくても わたしは生きていけるし固執しない。 


現に、Google翻訳さんを使って 乗り越えられたのだから。 


だから わたしの特技や特性というものは、Google翻訳さんと同様コミニュケーションアイテムのひとつである。 




今までの経験上、ひとつ乗り越えると、スピリチュアルアイテムをいただけているから まだまだ、増えていく。 


楽しみだ。 


乗り越えるって楽しいね♪ 





今週は、娘の友人が海外から家に泊まりに来ていました。初めて、外人を迎い入れるので最初は緊張しましたがとても楽しかったです。まったく英語の話せないわたしでもGoogle翻訳で切り抜けることができました。



おもてなしとは、自分のやりたいことをするのではなくて、相手の立場に立って考えること。 


今週のわたしは、まさにこのおもてなしを学びました。 


自分のやりたいことをするのはただ単に自己主張。 


しかし、自己主張が悪いということではない。


でも 自己主張が強いと相手の立場に立って考えることができないから、おもてなしをするという観点ではおもてなしができていないということになる。 


今回のわたしは、英語で話せないジレンマを乗り越えて、しっかりと聴くことに専念できたから、おもてなしができ、ものすごく喜んでいただけました。 


結果的に、話せないことで自己主張しないでいられたから良かったと思う。



相手の話しに耳を傾け、熱心に聞き取ろうとしている頭脳に感謝。


というのは、持ち前の探求心の賜物かもしれません。 


わたしの頭脳(身体)がおもてなしをサポートしてくれました。 


集中力、探求心がこんなところで役に立ちました。 


魂と身体と精神が一体になっている感覚です。 


心地よい〜 



でも 最後の一時間にはGoogle翻訳さんを使って、魂や心の会話ができて 志が同じことを確認できました。



おもてなし、 




わたしは、いつも welcomeな人間ですが、おもてなしとは違うなあ と反省しました。 


いつも おもてなしできるようになりたいです。 


今後の目標ができました。 



ありがとうございました。 


学ばせていただける環境に感謝です。



想いを共有できる幸せ。 
自分の気持ちをわかってもらえて共有できることが嬉しい。 

魂が震える。 




それを越えると、自分の魂、本来の役割が見えてくるものです。


魂はワンネスですが それぞれの役割の違いがわかってきます。 


違いがあるから認めあえるようになってきます。 


それを経て、自分自身と繋がるように促されていくようです。 



最終的には、自分自身に繋がるのです。 





かに座上弦の月を越えて、今までやってきた基礎的なことを試されるようなことが起きる予感がします。 


今までやってきた基礎が理解できていれば容易いはずです。 


だから わたしが教える段階ではないのかもしれませんが 崖っぷちにいてわからない人には個別で答えを教えています。 


本当は、落ちないとわからないものです。 

落ちてみるのも楽しいです。 

でも それは、自分の選択によるものです。 


いくら わたしが答えを教えたところで そう選択するとは限らない。 


落ちてみたい♪ワクワクする♪と思うなら、落ちてみるのもひとつです。



そんなこれからの季節です。 



今までを振り返って自分の足で地を踏みしめて歩んでください。







今の世の中、何故 こんなにも昔と変わってしまったかというと 
小さなミスと向き合うことを疎かにした結果だと思います。 





小さなミス、こんなことぐらいたいしたことないと 小さなほころびをそのままに放置した結果 取り返しのつかない結果になってしまう。 



目の前の小さなことに取り組みもしないで大きなものに手をつけようとするから、大きなミスを引き起こす。 




わたしは、ちょっと考えればわかること とよく、言いますが 


その ちょっと が考えられない のではないのでしょうか? 


ちょっと、も考えられないのに大きなことを考えようとする。 



考える力=思考力がないのです。





先日も、ヒーリングを頻繁に受けている人との会話で、読書ができない と言われました。 

また この携帯やPCの電波の影響で、頭が働かない人が増えています。  



良いものとされているヒーリングエネルギーや便利な携帯やPCは思考力を停止させる働きがあるのをご存知ですか? 



わたしがヒーリングをしなくなったのはそのためです。 


良いとされるエネルギーが入ってきても押し出す力がなかったら、溜まるのです。 


身体に蓄積されるのです。


蓄積されて風船玉のように膨れ上がり、エネルギー(気)が上に上がります。 


そりゃ頭が働かないわけです。 



そのためのグラウディングです。 




わたしは入ってきたエネルギーを押し出す力が強い(排出力)ので浄化力も強いのです。 


だから ヒーリングをどれだけ受けても頭は動きますが、押し出す力が弱い人は頭が回らず、ポーとしているでしょうね。 


ヒーラーさんでポーとしている人が多いのは排出力が弱いからです。 


排出力が弱いから小さなことも考えることが出来ずに現実を見ることが出来ないのです。 


現実的な考え方ができない人は往々にして 排出力が弱くて思考力も弱いものです。 



今と昔と比べて、 昔は携帯電話なんてありませんでした。 


だから、頭がポーとなる人も少なかったのです。 

しかし 今では、ヒーリング如何ではなくて 携帯電話が普及されて 電波が飛び交っている世の中です。 


ポーとなる人も多いです。 


だから 排出することが必要なのです。 



そのためにわたしは、排出力を鍛える、グラウディングを教えています。 



わたしは 自分が何者なのかが知りたくてスピリチュアルな世界に興味を持って探究をしてきました。 


最近では、ドンドン自分が何者かのサインが降りてきます。 


そのため その自覚をし、使命や役割を実践してきていますが、その一方で落胆することがあります。 



人が人として生きるということは、魂の使命や役割だけで生きてはいけなくて、肉体を持っている人間としての欲も必要なのですね。 


なかなか叶えられない欲をわたしは持って生きています。 


それがあるから、人として生きていられるし、人の想いを思い図ることができる。 


人として生きるってとても貴重なのですよ。 




わたしは、いろいろと神様と呼ばれる存在とお話しをさせていただくことができますが 人として生きたことがある存在とそうでない存在とでは違いがあります。 


想いを推し量ることです。 


なってみないとわからないことがある。 



そのために、わたしは地球に来たんだなあとわかります。 






自分が何者であるかを自覚させられる度に、想いが交差します。 


歴史的なことも思い出しています。


思い出しています。 


この地球での歴史的なことです。 



これからの地球のいく末。。。 



人それぞれ、役割が違い それを全うするだけなのですが、全体的なことがわかるがだけに さまざまな想いが交差します。 


人として生きていないとわからない想いってあるのです。


人として生きているから、アセンションの牽引を任されているんだなあとわかるのです。 



人としての想いを大切にしたいですね。 




次元上昇を助ける存在はいくらでもいる。 

だけど 人として生きていないとできないことがある。 

それをこれから創り上げていく。 




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