今年に入ってからのわたしは 昭和男子で頭が固くて厳しい、60歳以上の男性の方とのご縁が多いです。
昭和の男子の特徴として、自分を律することができるが故に、他者にも求め、ジャッジします。
ジャッジする心を持っているためなかなかうまく人間関係を築きにくいです。
そのため 離れていく人が多いです。
自分を厳しく律するように他者にも厳しいのです。
お話しをしていて思いますが、人に厳しいことは悪いことではないのです。
怒鳴り付けたり暴力は別ですが、人に厳しくなるのは、相手のためを想うからだとわたしは思います。
わたしたちは同じ身仏、神様から生まれてきた存在で 互いに尊重尊敬し合う関係です。
だから、相手が自分を見失っているときに厳しく叱咤激励することは間違いではないはずです。
うまく説明できないので、以前に書いた記事から抜粋します。
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一昨日、昨日と修験道の山を登ったのですが、
修験道という修行は、それなりの意識の高い人でないとできないことだと思います。
山を越えるのって、厳しいし辛いです。
挫折するかもしれません。
気力、根性がモノを言うのです。
でも、修験道の流行った当時でも 根性のない人はいたのです。
そんな人達が
山を憎み、逃げて それを己の弱さからだと思わず、山のせいにしたのです。
厳しいことがあたかも悪いことのように、他の者に伝えたのです。
それが、元となり、今の世の中が作られていった。。。
厳しさを乗り越えられない意識レベルのままでは、魂の目的に反するように わたしは、感じるのです。
だから、厳しさを憎まず 裁かず、己を高めること が人の道だと思えるのです。
乗り越えさせていただけるって 非常にありがたいことだと感じます。
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他者を想うから厳しくなる。
相手の本当の姿を知っているから厳しくなる。
相手を尊敬しているから厳しくなる。
相手を認めているから厳しくなる。
違いますか?
源には愛があるのです。
自分を見失っているから、そんな厳しさのある愛に気付けないのです。
今、そんな昭和の男性に変化が現れています。
他者に対して厳しかった自分を反省されています。
自分に厳しいのは当たり前ですがそれを他者に求めるのは間違いだったと気づき、改め、反省されています。
一方で、厳しくされて傷付いた方々がいらっしゃいます。
自分は傷つけられた!傷つけられた!と主張されています。
そこに、愛はなかったと言わんばかりに。
違うと思う。
確かに、厳しくされて傷ついたかもしれない。
だけど、そこには愛があったのです。
わたしの親や身内が厳しい人でした。
そこには愛は存在しないと、傷つけられた!傷つけられた!と主張を繰り返してきた。
わたしは逆の立場でした。
でも 内観浄化を繰り返して、菩薩行をさせていただき、心を改めることができ、気づいたのです。
厳しくされた、その根底には愛があったと気づいたのです。
自分自身を深く見つめていかないとわからないことがあります。
生かしていただいているから自分自身を見つめることができる。
ありがたいなあと思う。
自分を生んでくれた母親に感謝できるようになったのは、それに気付いたからです。
自分に起こることは、すべてすべて 本当の自分に還るために起きていること。
本当の自分に戻ったら、本当の使命に気付かされます。
それからが人生本番です。
昭和の男性、60歳過ぎても 人生これからです。
その厳しさは、これからの世のためになるのです。
覚えておいてくださいね。