この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

わたしは、地球にグラインドしています。 わたしの意識は地球に同調しています。 わたしの想いは地球の想いです。 わたしの叫びは地球の叫びです。 わたしの言葉は地球からのメッセージです。 少しでも、みなさんに 地球の想いを感じていただけたら幸いです。

2019年01月


過去に人を傷つけてしまった過ちは取り戻せないけれど、そこに囚われて生きるのは違うと思う。 

今を生きるためには、囚われて悔やむことではなくて、きちんと謝罪することなんだ。 


謝罪の気持ちを伝えること。 


伝えないと、伝えるまで引きずるものです。  


伝えたからといって、許されることとは別問題だけど、伝えなくちゃ相手に謝罪の意思は伝わらない。 





わたしは、間違ったと自覚した時点で謝ります。 
謝罪の意思を伝えます。 
そうやって、歩んでいるせいか、変なことには巻き込まれません。 


逆に、嫌な想いをさせられたことはあります。 


謝罪してくる人もいればそうでない人もいます。 

謝罪してこれば許します。 
過ちを認めることは自分に素直になることだから。 


だけど、謝罪してこない人にたいしては、やみくもには許さないです。 


わたしは許す力が大きいので、うっかり許してしまいますが、戻します。 

その人の学びをとることはしないのです。 



大切なことは自分の過ちに気付き認めて謝ることなのですから。

本門佛立宗のお寺では いつも、あいさつは 「ありがとうございます」です。


これは 信者となり、お題目を唱えさせていただくとわかることですが

背筋をピシッと伸ばして、ご法様と目を合わせ、お題目を唱えさせていただくと 身体が安定して温かくなり風邪を引かなくなり健康となります。


それは やはり、お題目を唱えさせていただける口があることに感謝し、ご法様を拝ませていただける目があることに感謝し、お数珠を持てる手があることに感謝し、お寺に通える足があることに感謝できるから ごあいさつは「ありがとうございます」と自ずと、口から発せられるからなのです。


お題目をお唱えさせていただけると そのような法力をいただけるのです。

それを 他の信者にもふりまくというご回向をさせていただきます♪



と 簡単に書いていますが ただ、お題目を口唱するだけではないのです。


『ある』ことに感謝をするという想いがそうさせるのです。


感謝の力なのです。

それを 自分の力だ!と我が物にするのではなく、「ご法様のおかげです。ありがとうございます。」という気持ちが芽生えることが大切なのです。


その想いが芽生えるまでは、一心不乱にお唱えさせていただきます。

自分の身に何かが降りかかった時は まだまだ、自分の信心が足りないんだと戒めるのです。


お題目をお唱えしていて、身体の不調を訴えるのは言語道断だとわたしは日扇上人から強く、言われております。


有り難い限りです。



南無妙法蓮華経。


社会全体が 今まで続いていた習慣や執着から離れていくように思います。 

わたしもどんどんはがされてきています。 


去年は、30年以上続けてきた仕事をやめ、身内との雇用関係が外れました。 


また 最近は、スピリチュアル、エネルギー的なことも外れてきているように思います。 


申し込みがあれば、フルネーム鑑定をさせていただくのですが、それ以外は雑談が好きです。 


どなたとでも気軽に話をするわたしですが、最近特に、雑談に花を咲かせています。 


周りの方は、わたしとの雑談から何かエッセンスを受け取っているようです。 


カウンセラーや講師といった表立った肩書きは何もないですがわたしと話をすることで何かしら受け取っているようです。 

だからといって、お話会を開くことはないですし、あまり外には出歩かないですが、その中で、必ず誰かに出会い、気付きを与えているようです。 

必要な人に必ず届くようになっていますね。 



わたしとっては当たり前なことが人にとっては気づきに変わるということに毎回、新鮮な気持ちにさせていただいています。 


しかし、戸を立てて受け取らない方もいらっしゃいます。 


それはそれで、そこから先は受け取らないと決めているのだなあ〜と感じます。


でも、戸を立てられたら 二度と近寄らない主義です。 



ハッキリしてるわたしです。


今の現状は自分に何を気付かせたいのだろう? 


自分は何を学ぶべきなんだろう? 


今の自分に足りないものはなんだろう?





意識の変容が起きると、このように考えられるようになってきます。 



現実に起きることは、すべてにおいて 自分を成長させるために起きているんだ、ということが自覚できるからです。 




意識の変容が起こる前は、今の自分に置かれている立場や現状に不満ばかりで、それが自分の内面が引き起こしているなんて思いもよらないものです。 
そして、それは人のせい、社会のせいとしか思えないものです。 




『すべては自分の内側にある想いが引き起こしていたことだった』 



これに気付くために、目の前に問題が山積みされるのです。不快になることも起こるのです。 



意識の反転です。

考え方がガラッと変わります。

それを経て、意識の変容がなされていくのです。






今までは、物質世界だったため物質に価値を見いだしていく生き方だったと思います。 


だけど 世界はシフトしていて どんどん、精神性の高いことに価値を見いだしていく生き方になっています。 


そのため、そんな時代の中 物質に価値を置く人は取り残されていく傾向にあります。 



所有という概念が外されています。 

そして、執着も。





世界は変化しています。 


その変化に、ついていけるように わたしたちの現実が起こるように思います。 



今まで素通りしていた、親との関係も見直すことを求められています。 



それは、意識の変容が必要となってくるからです。 




そこを見つめずにおざなりにしておくと これからの人生が生きづらくなります。 


まだまだ、見えていない人もいるかもしれませんが、あえて見つめるようにしてほしいと思います。 


そこに意識を置くのです。 



今まで無意識に過ごしていたことに、意識を置くようにして生活するのです。 


無意識に過ごしていたら心の葛藤はないかもしれないですが あえて意識を向けてみるのです。 


すると イライラ、モヤモヤした葛藤から逃げていたと自覚するでしょう。 



自覚することが大事です。 



ひとつひとつ自覚して生きるのです。 




そうすると 自分の中に意識の変容が起きてくるでしょう。 



自分では考えつかなかった想いがわき上がるのです。  




わたしたちはそうやって意識の変容を促されています。 




子供ぽい人の特徴をあげてみたいと思います。



自分しかない。
他人を見下している。
自分を強く見せたい。
周りの人を下に見ている。
常に一番でありたがる。自分の話しばかりする。好き嫌いが激しい。
おなかがすくと機嫌が悪くなる。
感情の起伏が激しい。
空気が読めない。
自分のことを自分ひとりででできない。
落ち着きがない。
思い通りにならないと怒る。 
後先考えずに行動して、人に迷惑をかける。
計画性がない。



とまあ、上げたら切りがないです。 



あと、純粋、天然。素直。 



子供ぽいことは悪いことではないですが、とかくバカにされやすいです。 


わたしも以前はほぼこの特徴通りでした。 


今でもおなかがすくと機嫌が悪くなります^^ 




これがわたし♪って自分を肯定していたら良いと思いますが、この特徴で人に迷惑をかけてしまうのは違うように思います。 



あなたはいくつ見つかりましたか? 






敬う心は世界を救う
お題目をお唱えさせていただくと、させていただける身体のあることに有り難いと感じます。 



お題目をお唱えする、氏神様で手を合わせる、敬う心はさせていただける心を育てます。 


手を合わせることが目的ではないのです。 



手を合わせていればよい、お題目を何千回お唱えすれば、何かが叶うわけではないのです。 



目の前の人に優しく語りかけたり手を差し伸べるるためのお題目でありお詣りです。



それをお徳とも言いますね。 



ワクワクすることをしましょう、と言われます。



ワクワクすることも、最終的には、世のため人のためにさせていただけるためにあるのです。 



目の前の人に優しくしてください。 

隣にいる人に優しく語りかけてください。 




無宗教者が良いとされている昨今ですが、元々、宗教というのはこのように敬う心を育てるものです。 



そのことを忘れてはいませんか? 




この世に可哀想な人なんていない
意を決して、カミングアウトしたことを、否定されたら 相手を嫌いになるのは当然だ。 


自分を否定してくる人を受け入れることなんてできない。 


自分を守れるのは自分しかいない。 


否定してくる相手から守れるのは自分しかいない。 



だから、「嫌い」って正直に伝えればいいんだ。 


「あんたなんか大嫌い!」と伝えればいい。  



相手に、「嫌い」と言ったら、悲しませるから。 
相手に、「嫌い」と言ったら、嫌われるから。 


って違うね。 


面倒だからだ。 

面倒くさいことが嫌いなだけだ。 


自分の意思を伝えることが面倒なんだ。 



自分の心を置き去りにしても面倒なことを避けたいんだよ。 



自分を否定してくる相手から守るために、面倒なことはしない。 

よけいに、傷つけられるから。 

傷つけられたくない。。。 


傷つきたくない。。。 

これ以上、傷つきたくない。


だから、「あんたなんか大嫌い」と言えない。 


結局、本当に、大嫌いだから言えないんだ。 


少しでも、相手に対して愛があれば、言えるものなんだ。 


だから、貝のように、押し黙る。 



押し込められた感情は、出たくて出たくて、もがき苦しむ。 



そして、いつか爆発する。 


爆発して、反旗を振りかざす。 




人を否定すると、相手はこのようになるんだ。 


いつかは、爆発する。 



爆発された相手は飼い犬に手を噛まれたと思うかもしれない。 


だけど、違う。 


元々、飼い犬ではなかった。 



ひとりの尊重されるべき人なんだ。 



尊厳を取り戻した人は立ち上がる。




苦しさも弱さも飲み込んで立ち上がる。 



この世に可哀想な人なんていない。


守られなければならない人なんていない。 



自分で自分は守れるんだ。 




それは思いやりとは言わない。 ただの気使い。 




思いやりをはき違えている。 

〜のために。 


愛する人は、あなたに気を使わせたりしない。 


愛してる人の自由を尊重するものなんだ。 



自由じゃないことを選択しているのは自分。 


愛する人はあなたの自由意思を尊重するものなんだ。 



「僕のために、〜してほしい」って言われたの? 


言っていないはずだ。 


自分を縛っているのは自分。 



ただ、「あなたがわたしを縛るからわたしが自由を選択できないの」 

と言い分けしたいから縛られたふりをしてるだけ。 
愛してないのは貴女の方だ。 



愛していないことを悟られたくないから自分を縛っているだけだ。 



愛していないから彼に気を使う。 


気使いは思いやりじゃない。 
気使いは愛じゃない。



愛していないことを悟られたくないために、彼に気を使うのはやめようよ。 


自分のためにも、彼のためにも。。。

自立に向けて〜心を開く


自立に向けてを昨日、アップしました。 


厳しいと受け取られたかもしれませんが、その前提にあるのは、心を開くことなのです。 



素直な気持ちになって心を開く。 


だれに? 


自分をつくってくれた人に。 


ご先祖様、親、親戚、友人、先輩、後輩、上司、 
自分に関わるすべての人に、心を開くのです。 




自分から離れた人や遠い人にばかり心を開くのは違うことに気付いてください。 



今まで 誰と関わりあってきましたか? 


その中で辛い体験をしてきたなら、辛い想いを素直に伝えるのです。 

謝ることができなかったのなら謝るのです。 



心のわだかまりを解くのです。 



だから、自立できていけるのです。 


教え導くとは、そこに気づかせて実践させていくことです。 


教え導くためには、自ら 実践していなくてはなりません。 



自ら、手本となり、自分をつくってくれた人々に素直に心を開いていくのです。 


実践者であってください。 



それが、感謝して生きるということです。 



誰もが、自立を促されていきます。

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