この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2019年02月


わたしという個人の人間は、非常によく頭を使って考えています。 


よくそこまで頭が働くなあと思えるくらい、常に頭を働かせています。 


頭を働かせているから余録というものがあり、それでますます考えていますが無駄なことも多いのです。



わたしは、とにかく脈略ないことをさせられるのですが、どうしてこんなことをさせられるのだろう?と自分の頭で考え始めます。 


元々、考えることが好きなのです。 


だけど、間違うのです。 
何故なら、わたしは神様の采配で動かされているからです。 


神様が考えることをわたしの頭で考えられるわけがなく、「たかだか50年生きてきたあなたにわたしのやりたいことがわかるわけがない!」としょっちゅうたしなめられています。


神様には神様の領域があり、わたしの頭では到底考えられるわけがないということですね。 


今まで、かなり無駄なことをしてきたなあと思います。 


「空ちゃんスキスキ♪」という感情も「空ちゃんなんて大嫌い♪」という感情も神様の采配でつけられています。 


そろそろ、頭で考えないようにしたいものです。 


思い煩うことなく、目の前に差し出されたことを粛々とこなすだけですね。 


それだけで、自分の人生をフルに生きられるようになると思います。 




自分の居場所を広げていく〜

昨日の記事で『周りを観ていると、互いが互いから自立することを求められていますね』と書きました。 


互いが互いから自立することを求められるという事実を見過ごされている方もいるのかなあと思い、補足として書かせていただきますね。 


これは、自分のことを注意深く、観察しないと見えてこないことかもしれません。 

また 自分を批判されることで認識している場合があります。 



最近の傾向としましては、自分を批判してくる輩には意識を合わせない、という教えがあります。 

それはそれで正しいですが、向き合うということに関して言えば逃げともとれます。 

乗り越えたことにはならないからです。 

乗り越えたことにならないから当然、自分の器は広がらない。 

乗り越えてこそ器は広がるのです。 




わたしは、今まで目に映されることを乗り越えてきたから言えるのですが、乗り越えるには支えが必要だなあと感じています。 

わたしにとっては支えは離れていても繋がっている空ちゃんでした。 


支えがあったら乗り越えられる。 

支えがないうちは意識を合わせない。 



それでも良いと思います。 


だけど、世の中は常に変化しています。 

出会いによって支えが出来るかもしれないし、支えがそばにいることに気づかされるかもしれないし自分自身が支えだと気づくかもしれません。 


永遠に乗り越えられないことはないと思うから、思い煩うことなく、今の自分を認識した上で、日々の選択をしていかれると良いと思います。 



メールアドバイスでは、わたしが支えとなって、前に進む勇気の後押しをさせていただいています。 

前に進む選択を繰り返して行けば、自分自身にはそのうち繋がるものです。 


それは、自分の居場所(領域)を広げることでもありますし守ることでもあるのですよ。  


逃げてばかりでは自分の居場所は広がらない。


怯むな、怖れるな♪ 
とまあ、朝から威勢のいいままのままです♪ 





周りを観ていると、互いが互いから自立することを求められていますね。 

そうすることで 縁切ることなく、付き合っていくことができるのです。


自分の領域を守り、相手の領域に口出ししない。 

相手を信じて自分を信じて生きるのです。 




人に頼ることで生きてきた人には、自立がテーマの事柄が起きているようです。 



自分の意思を示したところで相手は逃げていかない。 


より相手と信頼を獲得できるのです。 




さあ、自分の意思を示しましょう。 




依存の関係から卒業した者から、新しい出会いが整えられていきますよ。



この世界を変えたい❗と叫んでいる人がいるようですが、そういう人こそ、視点が乏しく、自分の世界を暗黒なものに創造しています。 


この世界を変えたい、と思わず、日々起こることを粛々とこなしてください。 

その方が世界は変えられます。 


創造の力というものはあなたの最も強力なツールです。 


あなたの力を信じて、善きことに意識を向けて創造してください。 



この世界は意識を向けたように創られる。 



宙を感じる。 

頭で考えない。 


地球はすでに5次元に突入してるのに、思考は未だ3次元のままの人が多すぎる。 


思考を作り出す視点が古いままだから5次元対応思考にならない。 


だから、思考は働かせないこと。 


瞑想も同じで頭の中をまず空っぽにしてから瞑想をすること。 


古い思考は外していく。 


思考のはずしかたは、手を大きく広げて、体を大地に繋げて、太陽の光をしっかり体ごと吸収すること。 


そして、舞う♪ 




思考を光が包んで外してくれる。 


その前にラジオ体操などして準備体操しておくのが望ましい。 



体を5次元意識に対応できるようにしていきましょう♪


やたらと、「ありがとうございます」を使う人がいる。 



何に、「ありがとうございます」なの? 


何に、感謝してるの? 

目的は?意図は? 



真剣に生きてる人に向かって、意味不明な感謝ほど不愉快なものはない。 


感謝をバカにするなと言いたい。



有ることが難しいと思っていないでしょ。 

有ることを当たり前にしてるでしょ。 

当たり前に受け取ってるから、いい加減な気持ちで扱う。 

丁寧に、大切に扱わない。
大切に扱わないから、汚れたらすぐに捨てる。

使い捨てですか? 



無償の愛を使い捨てする人には、その本質の想いは届かない。 


有ることが難しいから頭の上に乗せて賜ろうと想わない人には、本質の想い=真実は受け取れないし、届かないものです。 



「ありがとうございます」という言葉は軽々しく使うものではありません。


無償で受け取れるはずの恵みを、受け取ることが出来る人と出来ない人との違いがあるものだなあ、とつくづく感じます。 

そこで、対価を支払って受け取れるように学んでいるのでしょうね。 



しかし、本物の感謝を理解していなくて、無償の愛を発揮できないのに、感謝を語る人がいる。 


間違った感謝が横行してる。 



間違った感謝を学んでも無償の愛は受け取れない。 


間違った感謝を学んでも無償の愛は発揮できない。 



自分の真実は無償の愛と繋がっているものです。 

自分の真実を見つけて無償の愛に繋がってくださいね。


人を思いやる心とか自分の魅力を発揮することとか伝えたい思いを素直に伝えることとか、今、全体的に そんなことを求められているんだなあと思います。 


根底に求められていることは思いやり、感謝の心です。 


人とのコミニュケーションが取れなくて悩んでる人は感謝の心が芽生えていないからだなあと感じています。 


だから、相手の気持ちがわからないし、想い図ることができない。 
だから、何を話したらよいかわからない。 
堂々としていられない。 

感謝の心が芽生えていないから自信が持てないのです。 



求められているのは思いやり、感謝の心です。 




どなたにたいしても平等に愛は降り注がれているのに受け取れないのは感謝の心がないからです。 

だから、お金を支払って受け取るのでしょう。


本来なら、無償で受け取れるはずの恵みを、お金を支払って受け取っている方も多いですね。 


だから、お金が必要になるのではないでしょうか? 



感謝の心を育てましょう。 
思いやる心を持ちましょう。 





幼少期から今の人生を振り返り自分を見つめる。 

これまでの自分の相手とのやり取りを振り返ると、今まで関わってきた人との出来事が思い出される。 



自分は相手に誠実であったか?自分勝手でなかったか? 
また、逆に 人から傷つけられたりしたことはなかったのか? 


ひとつひとつ思い出されてきました。 



わたしは、誰にでも誠実ではなかった。 

なぜなら、自分を傷つけてきた人には誠実にはなれなかった。 

たくさん裏切られてきたから。 
裏切られてきたというのは、わたしの思い込みもある。 
だけど 裏切られた人をその後、信頼はできなかった。 



人は一度、傷つけられたり裏切られたら信用できないものなんだなあ。。。 



今までわたしはそれを許そうと努力してきたし、また、一旦は自分が裏切ってしまった相手に対し誠意を持って接してきたけれど、それはなかなか難しいものでした。 



それはやはり、

『一度、傷つけられたり裏切られたら信用できないもの』なのだと思う。
 

そう考えると、 人は自分を永遠に裏切らない相手を探しているような気がします。 


そして そういう相手が見つかったら、人を許せるようになるのかもしれないと考えるようになりました。 


それが、ツインなんちゃらというものなのかもしれない、とも思います。 


でも 本当は、自分を裏切らない相手を探すよりも  絶対に裏切らない自分自身と繋がることで、裏切らない相手と出逢えるのだと思うのです。 



さきほど 一旦は自分が裏切ってしまった相手に対し誠意を持って接してきたと書きましたが、それが難しいと感じたのは 相手が自分自身と繋がっていなかったからだと、理解できました。 


これに関しては、ほんと苦労してきました。 

犠牲的精神になったこともあります。 

ここまで 愛を注いでいるのになぜなんだろう?と悩んできました。 

それは、相手が自分を見つめる状態ではなかったこととわたしが相手の領域に入り込んでいたからだと思います。 


とんだお人好しです。 


うぬぼれの強いお人好しです。 



今は、やっとそれを客観的に観ることができたため、理解できたように思います。 


そして これからはその相手との次のステージがやってきています。 



わたしは、理解できたので キッパリと離れることができました。 


しかし 相手は、相手であるわたしを許したいがため何かと引っ張ります。 

でも 自分自身と繋がらない限りわたしを許せないのです。 


だから 引っ張られても そこに意識向けないようにしたほうが良いんだとわたしはわかりました。 

その方が相手のためになる。 


以前のわたしは、いちいち相手していたように思います。 


それが相手の成長を阻んでいたんだなあと思います。 




また 昨日の記事でも書いたのですが、わたしを羨んだり自分の正義感を振りかざしたりして念も飛ばしてきます。 


とにかく、わたしに対してアピールしたいのです。 


それは、認められたいというよりもわたしを信頼したい表れだったんだなあ と感じました。 


信頼したいけど信頼できない。一度、わたしに裏切られているから。 


心の傷がそうさせるのです(でも、最初に傷つけてきたのは相手ですが)。



だけど、真には、信頼したい想いがあるのです。 


自分が傷つけてしまった相手ではあるけれど、相手に意識を置かないことで相手を幸せに導くのなら、その方がわたしにとっても相手にとっても最善の方法なんだなあ と思います。 





わたしのように、念を飛ばされている人もいらっしゃるかもしれないと思い、書かせていただきました。 


慮ることは奥が深いですね。 



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