幼少期から今の人生を振り返り自分を見つめる。 

これまでの自分の相手とのやり取りを振り返ると、今まで関わってきた人との出来事が思い出される。 



自分は相手に誠実であったか?自分勝手でなかったか? 
また、逆に 人から傷つけられたりしたことはなかったのか? 


ひとつひとつ思い出されてきました。 



わたしは、誰にでも誠実ではなかった。 

なぜなら、自分を傷つけてきた人には誠実にはなれなかった。 

たくさん裏切られてきたから。 
裏切られてきたというのは、わたしの思い込みもある。 
だけど 裏切られた人をその後、信頼はできなかった。 



人は一度、傷つけられたり裏切られたら信用できないものなんだなあ。。。 



今までわたしはそれを許そうと努力してきたし、また、一旦は自分が裏切ってしまった相手に対し誠意を持って接してきたけれど、それはなかなか難しいものでした。 



それはやはり、

『一度、傷つけられたり裏切られたら信用できないもの』なのだと思う。
 

そう考えると、 人は自分を永遠に裏切らない相手を探しているような気がします。 


そして そういう相手が見つかったら、人を許せるようになるのかもしれないと考えるようになりました。 


それが、ツインなんちゃらというものなのかもしれない、とも思います。 


でも 本当は、自分を裏切らない相手を探すよりも  絶対に裏切らない自分自身と繋がることで、裏切らない相手と出逢えるのだと思うのです。 



さきほど 一旦は自分が裏切ってしまった相手に対し誠意を持って接してきたと書きましたが、それが難しいと感じたのは 相手が自分自身と繋がっていなかったからだと、理解できました。 


これに関しては、ほんと苦労してきました。 

犠牲的精神になったこともあります。 

ここまで 愛を注いでいるのになぜなんだろう?と悩んできました。 

それは、相手が自分を見つめる状態ではなかったこととわたしが相手の領域に入り込んでいたからだと思います。 


とんだお人好しです。 


うぬぼれの強いお人好しです。 



今は、やっとそれを客観的に観ることができたため、理解できたように思います。 


そして これからはその相手との次のステージがやってきています。 



わたしは、理解できたので キッパリと離れることができました。 


しかし 相手は、相手であるわたしを許したいがため何かと引っ張ります。 

でも 自分自身と繋がらない限りわたしを許せないのです。 


だから 引っ張られても そこに意識向けないようにしたほうが良いんだとわたしはわかりました。 

その方が相手のためになる。 


以前のわたしは、いちいち相手していたように思います。 


それが相手の成長を阻んでいたんだなあと思います。 




また 昨日の記事でも書いたのですが、わたしを羨んだり自分の正義感を振りかざしたりして念も飛ばしてきます。 


とにかく、わたしに対してアピールしたいのです。 


それは、認められたいというよりもわたしを信頼したい表れだったんだなあ と感じました。 


信頼したいけど信頼できない。一度、わたしに裏切られているから。 


心の傷がそうさせるのです(でも、最初に傷つけてきたのは相手ですが)。



だけど、真には、信頼したい想いがあるのです。 


自分が傷つけてしまった相手ではあるけれど、相手に意識を置かないことで相手を幸せに導くのなら、その方がわたしにとっても相手にとっても最善の方法なんだなあ と思います。 





わたしのように、念を飛ばされている人もいらっしゃるかもしれないと思い、書かせていただきました。 


慮ることは奥が深いですね。