この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2019年03月


波動が高いということはどういうことかと言うと、『気づきレベル』が高いということです。




理解力があるとも言います。 


逆に、理解力のない人や判断能力の乏しい人のことを波動が低いと言うのです。 


判断できない自分であることを判断できない人がいますね。(自覚できないとも言う) 


判断できない自分を自覚できるようになることを少し波動が上がったと言います。 



だから、自分のことがわからない人は波動が低いと判断されます。 




このように、意識の高い人というのは、物事の判断力や理解力が高い人のことを指すのです。 

判断といっても正しい判断のことです。


しかし、間違った判断をされるエセ波動が高いと言われる人々は、判断力の乏しい人々を操ろうとします。 


判断力の乏しい人はそれが正しいか間違いかがわからなくて、にせ物を掴まされるしにせ物に騙されます。 


人から騙される人は波動が低いのです。 


騙されないようにするためには、波動を高めることが必要ですね。 


簡単に波動を高めるためには波動が高いと言われる場所に出掛けたり飲食をすることを言われますが、それで本当に理解力、判断力が増すかというと眉唾です。 



地道に、自分の感情に向き合い、相手の気持ちを思い図り行動に移すことで波動は確実に上がるものです。 


自分の波動を上げるためには思いやる心は不可欠です。 


思いやる心が相手のことが理解できるようになるものです。 




波動の高低に良いも悪いもありません。 

また、思いやりないことが悪いことはありません。 
それは、自身の選択です。 
必ずしも、自分の感情と向き合わなければならないことはないのですから。
魂の質にもよりますね。






少数派について追加ですが、少数派には、必ず厳しく指導してくれる人や反面教師となってくれる人がいるものです。 


それがわかるかどうかが鍵だと思います。 


そこをわからずに、離れたりするのは魂の望む通りに生きていない証拠です。 


だから 何度も何度も、向き合わされる現実が起きるのが特徴です。 



自分を成長させてくれるために、現れるのです。 

それは、上司であったり配偶者であったり姑であったり恋愛関係であったり、様々な関係性となって目の前に現れてくれます。 


配偶者となって現れてくれても離婚してしまったら、同じような人に出会わされていくものです。 

そこを乗り越えないと、魂の目的は達成されませんが、魂の目的が達成できなくても自由に生きていくことはできますが、次の転生では同じことを繰り返すのでしょうね。 


自分を成長させてくれるために目の前に現れてくれることを排除する人も見受けられます。 


わかるだけに、辛いです。 





昨日、ある方に、「あなたはどんな人になりたいの?」と聞きました。 

すると、「人を支えられる縁の下の力持ちみたいな人になりたい」 と言われました。 


縁の下の力持ちになる人というのは、人口の7%にその素質があるそうです。 


周囲の人が作り出す矛盾を引き受けそれを甘んじて受け、不平を言わずに生きていける素質です。 


そのような方は周囲の理解は得られず、ひたすら苦労して生きていくようです。 


昔はそれを認める社会でしたが、今は世の中が大変低次元になってしまったので、それを認める社会ではなくなりました。 

結果、素質がある人は自分の素質を伸ばせずに苦しんでいます。 




わたしに集まる人はそのような方が多いです。 


縁の下の力持ちとは将来、長になるべき人です。 


少数派とも言えます。 




わたしは自己紹介で「他人の矛盾を一人で引き受け、苦労してきました。 また 一人で忍耐してそれを恨みに思わない生き方です。」と書きましたが、同じだなあと思います。 




わたしたちは生まれる前に青写真を書いて生まれてきていますが絶対にそうなるということでもなく、そうなる素質を持って生まれてきているということなのでしょう。 



素質があるからこそ、辛くて苦しい現実が起こるのです。 


素質があるから、相手を許したり受け入れる現実を作り出すのですが、相手を許すかどうかは自分の努力次第、相手を受け入れるかどうかも自分次第。 


生まれ持った素質をどう生かすかは、自分次第で努力次第です。 



努力なければ、魂が望んでいても、そうはならないのです。 




許したり受け入れることができるには、まずは自分を省みることからです。 


いくら素質があったとしても自分を省みることができない人はそう導かれていかないものです。 



わたしのライブドアのブログは2000件もの記事がありますがその中の大半が反省について書かれています。 


わたしは反省マシーンのように歩んできて、毎日、反省をするために日記を書いてきました。


わたしにとっては、生きること=反省のようです。 


日々、反省しながら生きてきて、今があります。




いくら素質があったとしても反省がなく人を許し受け入れる努力のない人は周りにも見受けられます。 



同じなのに、同じなのにと寂しく憤りを感じずにはいられません。 





自分の個性を大切に。 


ワガママでもいい。 


個性を認めあって生きていく。 




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 

自分の個性って何ですか? 

自分の個性を認め合うってどんなことですか? 



自分の欲望を自分の個性と勘違いしていませんか? 



内観浄化をして感情をはがしていくと、個性が見えてくるものです。


それは、魂の目的と直結しているもので、地球上で生きるための役割とも言えるもの。 




魂の役割を互いに理解し合って共存共栄していくという意味で、『個性を認め合いましょう』という言葉を使います。 



言葉を正しく理解して、正しく使いましょう。 


どんな学問でも学ぶことは、とても大切なことです。



わからないことがあったら 人は調べると思うのです。


調べて ひとつずつ学んでいく。



それを 人に聞いてみたり
人が教えてくれるまで待っている人がいます。



それは 学ぶ姿勢ではないと思います。



学習って探求心からだと思いますし、自分で努力して調べたのと ただ人から聞くだけでは 重みが違います。




わたしがスピリチュアルな記事を読み出したのは、ある方のメルマガからでした。



最初は しっかり読んで、覚えることは自分で書いて覚えました。


チャクラの位置やその部分の特色など
あちこちのブログを参考にして ひとつにまとめあげました。



わたしのメインブログはそうやってつくられています。


だから、未だに チャクラの記事は よく検索されて上位にあります。



人の記事でも 自分がしっかり理解できると 自分の言葉で記事が書けるのです。


わたしは初期の頃はひとつひとつを丁寧に調べて記事にしていました。 


学んだことを自分の言葉で記事にしていました。

そうすると 読解力がつきます。




わたしのブログは そうやってつくられていますので ひとつひとつ丁寧に読み進めて 暗記できるぐらい自分のものにしていかれると良いと思います。

ジャンル分けもまだまだ、途中ですが
それでもキーワードを入れていただければ かなり出てきます。



わたしのメインブログを読んで 理解していただくと 実践もしやすいですし 実践の仕方も書いています。


現に、わたしのブログを読んで 勉強されている方からのメールも届きます。


ありがたいです。



般若心経の内容などもかいつまんで書いています。



やはり いろんなジャンルの本を読んで よいと思ったことは実践するだけですし、ビジネス書や宗教学的な本、子育て本、など 幅広く読んでいます。



読んでそれをまとめて記事にしたりすることもしていました。



そして 自分の内側からの声が聞こえた時に 学んだことの答えあわせをしていきました。



わたしはそうやって スピリチュアルを学んできました。



観念浄化ワークだけじゃなく それ以前に 江原さんの著書もすべて読破しています。



ずっと、学んできたから今のわたしがあると思っています。



努力は人を裏切らないと実感しています。





人は知識と経験が物を言うのだと思います。




今の世の中、何のために個人主義になっているかと言ったら、自分に集中して生きるためだと思います。 


人は孤独でないと、自分自身を見つめられないものです。 




静けさに身を置くことで、自分を見つめることができるのです。 



自分自らが静けさに身を置くことができないから、天が采配してくださるのです。 




有り難いなあと感じます。 



静寂があるから、人は成長できるのです。 




人はいつまでも成長したいものなのです。 





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 


これを原発に例えてみると、原発反対を叫ぶのではなくて 違う方法を考えることなのです。 


なぜなら、反対を叫べば叫ぶほど、そこに力を与えてしまうものだからです。 だから あえて離れる。


原発を孤独にさせることで、力を失います。 


今まで愛を基に動いていなかったものは孤独になることで力を失なうのです。 


人も同じで孤独になることで愛でないものは力を失い、愛だけでしか生きていけなくなるのです。 


静けさに身を置くことで、人でも物でも町でも成長していけるものなのです。


天の采配で成長する勇気を与えられます。


天の采配を信じて生きていきましょう。 


愛があれば、そこに残るものです。



なぜなら、愛は在るからです。 



見えなかっただけで、愛は在るのです。


愛は在るのです。




見守る愛と勇気を与える愛


人間という外側の奥には、全知全能という魂部分が控えているから 


『怖れるものは何もない。 出来ないことは何一つない。』 

と、思えるのですが 


この想いって、完全ではなくて、
できないことは何一つない。。。という想いは、 

『すべてを受け入れます』という意味でもあるのです。


だけどね 
すべてを受け入れることができるから、全知全能なわけではなくて 
引き受けない強さもないと全知全能ではないのです。 



『すべてを受け入れる』って女性性で 『引き受けない』のは男性性なのです。 



『すべてを受け入れる』想いと 『引き受けない』想いの奥にあるのは、 

『すべてを受け入れるから引き受けない』という想いで 

『全知全能』というのは、『すべてを受け入れるから引き受けない』という意味なのですね。



『すべてを受け入れるから引き受けない』 


だから、 


見守れるし、待てるのです。 



見守る愛です。 


見守る愛って全知全能という意味なのです。 


これが女性性と男性性の統合されている状態です。 

そして、エネルギーとして発現されてる時には、勇気を与える愛になります。 


見守る愛と勇気を与える愛はセットなのです。 





わたしは ブログでいろいろとキツい内容の記事も書いていますが

わたしがどこにメスを入れるか というと


『自分に嘘をつかない』

これだけなのです。


自分を軽んじることをしている人や事には、非常に敏感に反応します。



その人の魂の痛みを感じるからです。


でも、それだけなんですよ。



あとは、ゆるいですし、甘いです。



自分の魂に素直に生きていること、それだけです。



嘘つきは泥棒の始まりって言いますよね?



相手にも自分にも嘘ついちゃいけないのよ。


それに、約束は守るの。



自分にした約束も守るのよ。




魂は泣くから。。。


泣いて、泣いて、うずくまってしまう。。。



わたしは、それを視ていられない。


辛くなる。。。



わたしはあなたの魂と永遠の友達だから。。。


宇宙からのお友達なの。


魂の自由意思


魂の自由意思というのはね

魂がどんな選択をしても自由なんだ ってことなんです。


魂が!です。

肉体が!ではないのです。


魂が泣いてるのに、手を出さない友達がどこにいますか?



肉体が右往左往しているときに、魂が応援している時には わたしも一緒に応援します。


肉体が悩んでいる時に魂が喜んでいるときもあります。
そんなときはわたしも一緒に喜びます。



わたしはいつも魂に添います。

見守る人の辛さって感じたことがあるだろうか?


手を差し伸べたい。。。

だけど、それをしたら 目の前の人のためにならない。


だから、あえて 手は出さない。




そういう人にわたしたちは支えられている。




厳しいことを言う人の辛さ。


恨まれてもいい、憎まれてもいい。


目の前の人が自分の力で幸せを感じられるようになってくれれば、それが 喜びになる。




そうやって、育てられた。


わたしも繋いでいきたい。

そこに意識が向いてしまうと、戻るのは なかなか難しい。



気がつくまで、そこに居続ける。




ほんと、良いも悪いもない世界だと思う。



どこかに偏ってしまうと、バランスを崩す。


だから、中心に居ることが大切。



気にならないというのは、宙に浮いているということ。



中心に居ると、自由自在に意識が向けるし、見守ることもできる。

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