この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2019年03月

見守る人の辛さって感じたことがあるだろうか?


手を差し伸べたい。。。

だけど、それをしたら 目の前の人のためにならない。


だから、あえて 手は出さない。




そういう人にわたしたちは支えられている。




厳しいことを言う人の辛さ。


恨まれてもいい、憎まれてもいい。


目の前の人が自分の力で幸せを感じられるようになってくれれば、それが 喜びになる。




そうやって、育てられた。


わたしも繋いでいきたい。

そこに意識が向いてしまうと、戻るのは なかなか難しい。



気がつくまで、そこに居続ける。




ほんと、良いも悪いもない世界だと思う。



どこかに偏ってしまうと、バランスを崩す。


だから、中心に居ることが大切。



気にならないというのは、宙に浮いているということ。



中心に居ると、自由自在に意識が向けるし、見守ることもできる。

見守るということ
『見守る』 

って 何もしないわけじゃないんですよ。 



見守るって 


すぐに、手を繋げる位置にいるということでもあります。 


いつも 目を凝らして見ています。 


目をそらさず、見ているのです。 


ぼけっと 見ていることではないのです。 



注意深く、目を凝らして
いつも、手を繋げる位置に いるということです。 

だから 安心して、見守っていられるのです。 


決して、離れたところにいるわけではないのです。 



わたしは、いつも そうやって暮らしています。 



神様は、


あれしちゃダメとかこれしたら不幸になるとか言いません。


じっと 見ているだけです。



たとえ カルマの法則が働くことが出てきても、ダメとは言いません。



それは

それごと 引き受ける土台があるからです。




見守るということは すなわち そういうこと。




あれこれ 文句を言うのは 引き受ける覚悟がないからです。




親が 子供にガミガミ言うのは、引き受ける覚悟がないから ガミガミ言うのです。



子供のせいにしないことです。

今までのわたしは 人間である限り 見守る愛は実践できないわ と思っていました。




でも でも、自分の器が大きくなると
見守ることができるのです。



わたしに繋がっている子供達は、わたしの愛で光り輝いていくのがわかるから。。。



だから

手出し口出ししなくても、見ていられます。



地球って、神様って こんな想いで見守ってくれているんですね。



ありがたいことです。

まずは気づきと書きましたが

まずは

自分をありのままに見ることについての気づき

相手をありのままに見ることについての気づき

二種類あることに気づいていただけたと思います。

一般的に

自分が気づきを得ることを覚醒と呼ぶ方もいらっしゃいますが ただの気づきです。

しかし 自分のありのままの姿がわかったところで 相手のありのままの姿がわからないと うまく人間関係は築いていけませんね。

自分も相手も同じように ありのままを見ることができるようになることが必要となってきます。

それをワンネスと呼ぶこともあるようです。

しかし ワンネスとは、相手と自分の隔たりがないことを認識することを指します。

そこは 魂レベルで です。

実際には わたしたちは別々の肉体をまとっていますから ワンネスを体験しようが わたしたちは別々の人間で それぞれの立場で生きている人間です。

ワンネスを体験した方は それぞれの人間的立場を見ない傾向があります。

それが よけいに人間関係を悪くします。

気づいた人、気づかない人と分けて考える人もいます。

気づきなさい!気づきなさい!と 声を張り上げる方も見かけます。

ワンネスを体験していない方にとっては、迷惑な話です。

気づきというものは 自分の速度で経験していくものだからです。

ちょっと 自分が気づいたぐらいで 相手の立場を考えず わきまえない行動は ワンネスに基づく行動とは言えないものです。

気づいたなら ひっそりとして 自分の学びを深めてください。

気づいていない人を思いやることができない自分だと認識をしていただきたいと存じます。

気づいただけ、認めただけの人間だと自覚することが必要なのです。

気づいただけでは、相手の立場になって考えて行動ができないことをよく認識していただきたいです。




このように 気づいたからと 気づきなさい!気づきなさい!と 気づきなさいと触れ回る人ほど ありのままを見えていない人だと言うことです。









これで 『受け入れる』と『認める』の違いをわかっていただけたでしょうか?


最終的に『受け入れる』ためには、まずは『認める』ことからです。


『認める』認識をする、気づくことです。


気づきを得るためには、心や身体を柔らかくすることですね。




認めるは

物事を、ありのままで見ることです。



感情を加えて見ないことですね。



『認める』と見方を変えることができますね。


認め続けると 高い視野で物事を見ることができます。



物事をありのままで見た状態で
自分のありのままの立場でできることをします。




これは いろんなパターンがあるので ここには書くことができませんが
メールアドバイスやフルネーム鑑定なので 具体的にお話しをさせていただいております。


また わたし自身に起きたことは 具体的にブログ内で書いています。





人って穿った見方をしてしまうものなので
わたしに現状を教えてくださることで
物事のありのままの姿は こういうものだよ とお伝えさせていただいております。



心の素直な人は 物事をありのままにとらえることができますが
素直でないと 物事をねじって見るので 物事の本質がわからなくなりますね。


何故 その発想になるかわからない と感じることは多々あります。



この物事をありのままに見るということを『認める』ということで 受け入れることではない ということを わたしは伝えたかったので ここまで くどくどと書いています。



ありのままに物事を見る という『認める』行為まではできるようですが そこから先の『受け入れる』という行為が苦手な人が多いようです。


また ありのままに見るという『認める』ことが最終的にすることだと思われている方が多いので くどくどと書いています。



ありのままを認めた先には受け入れるという学びがあるのです。



だから 人生は気づきが出発点だと認識をしていただきたいと思っています。



気づきは出発点です。



そして 気づきを得るために『癒し』があるのです。



癒されていないから『気づき』が起こらないのです。



癒されていないから物事をありのままに見ることが出来ないのです。



気づきを得るために 癒されることを自分に許可してくださいね。

結局


『受け入れる』=『相手の立場になって考えて行動をする』


ということだから


受け入れたら

相手の立場になって考えて行動ができる


ということです。



だから

口先だけで 「受け入れています」 と言ったところで

相手の立場になって考えて行動をしていなければ、受け入れていない証拠です。



「受け入れる努力をします」 という言葉は
「相手の立場になって考え行動をし続けます」
という意味ですね。



覚えておきましょう。



相手を受け入れたいなら、まずは 相手の立場になって考え行動をする努力をしてくださいね。




だから まずは、『認める』ことから始めましょう。


相手の立場をまず、理解してみる ことです。



忙しく仕事をしている人がお相手なら

相手に対して、そのような認識を持つことです。


彼は忙しく仕事をしている人なんだ。

お仕事を一生懸命に頑張ってる人なんだ。

と認識を持つことです。


そして そんな方のために自分は何をすべきかを考えるのです。


考えて 考えた中で 自分の立場で自分のできることをするのです。




相手の立場になって考えて行動をするということは

相手の立場を理解した上で 自分に何ができるかを考えて実行することなのです。




相手の立場になって考えたことを
自分の立場でできる範囲で実行するのです。



自分のできる範囲で実行するのです。



自分のできる範囲ということは、見栄を張らない、無理をしない、ことを指します。



自分のできる範囲は 人それぞれです。



自分のできる範囲で相手の立場になって考えて行動をしてください。



それが 


『受け入れる』であり


本当の『奉仕』というものです。

つまり

認めたなら
認めた という行動をしましょう

ってことです。

認めただけでは 自分の心のねじれは直らないのです。

行動をすることで直すことができるのです。

認めた!認めた!と口先だけで言っていても ねじれは直らない。

気づくだけでは直らないのです。

気づいたら直すのです。

直す努力をするのです。

三日坊主でなく 直し続ける努力をするのです。

信じて直し続ける努力をするのです。

相手を受け入れるということは

相手の立場になり考えることを常にし続けることです。

そうすると いつか、相手は変わっていきます。

相手の頑なな心が溶かされて変わっていくのです。

愛し続ける。

大切にし続ける。

信頼し続ける。

これが『受け入れる』ということです。

継続することですね。



継続することで ねじれがニュートラルに戻るのです。



『受け入れる』ということは

自分の間違いに気づき、その間違いを直すことです。


それは 相手を尊重する様を示します。




これは 受け入れるを論理的に示しただけで具体的ではないです。


意味がわかんな〜い と思われた方も少なくないと思います。


自分の間違いに気づくことは 認めることですね。

その間違いを直すことは 実行するということです。



『認めていることを実行すること』

それを受け入れる と言います。


相手の間違いに気付いた そのあと、教えるという行動をしなくては受け入れた意味にはならない ということです。



相手の優しさに気付いた そのあと 感謝を自分の行動で現す ということです。



相手の悲しみに共感した そのあと 涙をぬぐってあげたり、抱きしめてあげる。。。



気付いたなら それに伴う行動をしましょう


ということです。



それが『受け入れる』です。


認めるだけ、気づくだけならサルでもできる。


その気づいたら 何をしたらよいか がわからなければ 本当の気づきは生まれない。


どうやって ねじれを直したらよいかがわからなければ 行動に移しようがないですね。



思いやりを示す

配慮する

も『受け入れる』ことを意味します。




わたしが今まで書いてきていることです。



人の気持ちになって考えて気付きを得るのです。
気付きを得たなら行動に移すだけです。



気付きを待つのではなく、 自ら気付きを得るために行動をすることが 『学ぶ』ということですね。

学ぶためにそのような行動になるのです。


学びたいならば
率先して 自ら、相手の立場になって考えて行動をしてくださいね。



成長したいなら
自ら相手の立場になって考えて行動をしてくださいね。



成長したいなら
相手の言葉をよく聞いて配慮ができるようになりましょう。



相手を受け入れるということは 配慮できる人になるということです。




原理としてはこのようなことです。



だから 今まで、受け入れなさい 学びなさい 配慮しなさい 思いやりを行動にしなさい 感謝を行動に表しなさい と書いてきたのです。



わたしのブログをきちんと読んでいれば わかるはずです。

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