この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2019年04月


昨日、話をして気付いたのですが、物を丁寧に扱ったり大切にすることをしていない人が増えているようです。



例えば、出掛ける前に靴を磨いたり、下着を手洗いしたり、帰ってから服をさっと埃を払う、、、、など。 



物を大切に扱うことは、人に対しても同様に言われることです。 



物を大切に扱うことが出来ないと人から大切にはされないよ、と わたしはいつも娘に話しています。 


日々の生活の中で、人や物を大切に扱うことは、当たり前だと思っています。 


靴が汚れたら洗って履いたりとか、服が破れたら繕って着ることは日常だと思うのです。 


クリーニングも同じで手洗いできるものは自分で洗います。 


節約とは違って、それは物を大切にする心なのです。 


お料理するときも捨てるところのないように調理するしある食材で調理する。 

やみくもに捨てないし買わない。 

食材は生協さんで適当にお野菜を頼んでおいて、その中で工夫して調理していますし出掛ける時はお茶や飲物持参します。 



お洋服もわたしは、好きなものだけ買う主義です。 

そのため、20年30年着ている服もあります。

そのために体型は変えないし変えたくない。 


そのため、わたしは好きな物に囲まれて生活しています。



好きな物に囲まれて生活するために物を大切にして生きているのかもしれません。 







ちょうど一年前の日記を読んでいました。 


一生懸命に生きてるなあ、と感じました。 


あの頃のわたしは、人に一生懸命に尽くして、反省して、前を向いて。。。 



チャネリングを受けた時には誉められていましたが、わかるような気がします。 

低身低頭で、神様から好かれるのはわかります。 




読んでると、サインの読み間違いも多い。 
だけど すぐに改める。 

その姿勢が素晴らしいと感じました。 



あの時のサインの読み間違いは仕方がなかった、と思います。 

それは、自身の身に想いも寄らないことが起きていたので、わからなくても当然だったと思います。 



今になってわかること、あります。 



平成から令和への移り変わりは、人の頭では考えもつかないことがたくさんあります。 


わからないから不安になる。 

だけど、わからないながらも 毎日を心を込めて反省して過ごしていたら、怖れるようなことは起こらないです。 


わたしは、先に、平成から令和の変化を体験していたのかもしれません。






好きなことをやるということは、真心を込められることをやるということなのです。 



自分の好きな仕事をしたいとか好きな人と出逢いたいというのは、真心を込められる仕事や相手に出逢いたいということなのです。 



ですが、真心を込めることがわからない人は、まずは真心を込めることや尽くすことを思い出す必要があるのです。 


わたしたちは、元々は、真心の塊の存在ですから、思い出すということが必要なのです。 



真心を込めることがわかっていないと、自分の本当の『好き』がわかりません。 



適当やめんどくさいといった感情で生きていては到底わからないものなのです。 


心を込めるということが何なのか知りたいならば、目の前に出されたことや相手に丁寧に挑んでみてください。 


大切に、丁寧に、一生懸命に、集中して、行うことで必ずわかるときが来ます。 


好きなことをして生きてみたいと思われるなら、始めてみてくださいね。











日本では四季がありますね。
四季を感じたり、自然とふれ合うことで次第にこだわりがなくなったり人を許せるようになるようです。 

そのため 俳句に関心を寄せる方が増えています。 


昔からされている方はそうでもないですが、最近始められた方の中にはファッションのように感じている方も多く、大人のたしなみと認識されている方もいらっしゃいます。 


そのため、俳句に関心ない人を教養がないとジャッジされる方もいらして、せっかく俳句に導かれてもこだわりが捨てきれないのか〜と感じることもあります。 



人はそれぞれ自分の波動領域の中に居場所を見つけて生きているもので、居場所以外の場所でのことをあれこれ言ったとしてもそれはそれですね。 


自分の居場所にしっかり根付いていないと、自分の居場所以外の場所が気になってしまうのです。 


四季の感じ方も人それぞれ。


誰をも尊重して生きていきたいものです。 





いくら神仏に手を合わせていても、基本的な『敬う』ことができていない人は軸がない。 


『敬う』と『反省』はセットで、きちんと反省ができてこれば、敬うことはできてくるのです。 



ご先祖様に手を合わせたり神仏に手を合わせることを常にしていたとしても、敬うことができている人は少なくないです。 


基本的な人を敬うことができていないから心を込めることがわからなくて、感情だけで動いてしまうことになるのです。 


感情に振り回されると、仕事も感情に振り回される結果になり、すぐに弱音を吐いてしまいます。 


結果、何も身に付かなくなります。 



自分を生きるとは、
自分でないもの(身に付ついてないもの)は身ぐるみはがされることです。


これからの世の中は、自分に身に付いていることで生きていく時代になりますから、意思を強く持って生きていくことですね。 


今の時期、前行く者は後行く者に足並みを揃えることを求められ、後行く者は追い付くよう努力することを求められます。 


あなたは何を求められていますか? 


どちらも努力が大事です。 


足並みを揃えて、わたしたちは歩んでいくようです。 





人を疑う性質のある人は疑われる人をつくってしまい、裏切られる結果になり、傷付く。 


これは、当人の学びのために起こっていることなのですが、実際に この3次元世界で起きてしまうと、 

裏切る方が悪い! 

ことになってしまいます。 


浮気、盗み等はその最たるものですね。 



本来は、浮気される(盗まれる)ことで 自分の内側にある「浮気してはいけない、人のものを盗んではいけない、人が信じられない」等の負の感情と向き合い、浄化して許すために起きていることですが、3次元的にみると、盗むこと自体は人としてやってはいけないことなので、盗んでしまった人だけに罪があることになってしまいます。 


本来は、盗まれるには盗まれるだけの理由が存在しているのです。 



盗む側としても、心が弱いから 目についたものに引き寄せられ盗んでしまいますが、どちらも自分自身を見つめ直さなくてはならないことなのです。 




最近、不倫されてそれを乗り越えた方のブログを読んでいるのですが、それが生々しくて面白いです。 


それで つい、裏切り、浮気について書いてみました。 



人生のテーマ『裏切り、浮気、盗み』には、互いが 自分の内側を見つめるべきだと書きましたが、どちらか一方が許せると、離れるという関係が生じます。 


互いが乗り越えると、互いのステージが上がりますが、一方だけですと、離れる傾向があり、離れて同じテーマを繰り返すものです。 


クリアできるまで繰り返します。 



自分自身が許さないと、裏切られることを繰り返すのです。 

それで人間不信になられる方もみえますが、実は 自分がそれを乗り越えるために起きていることなのです。 


そこに気づくまで繰り返します。  



浮気をしてしまう、盗みをしてしまう、という人は そんな人に引き寄せられるものです。 


心が強ければ、引き寄せられることはないのです。 


奪われることで学びたい魂と奪うことで学びたい魂が存在します。 



奪われることで学びたい魂がいなくなると、奪う魂はいなくなるものです。 



自分の内側の負の感情と向き合ってください。 



それが、この地球を平安に導くことになるのです。


おひとりおひとりの許しが必要なのです。







わたしたちはこれからの地球で生きていくためには、何が起きても当事者に陥らないように生きることを試されているのではないでしょうか? 



テレビのチャンネルを合わせるように、意識ひとつで、世間が観れてしまう世の中だけれど、それは必ずしも自分の現実ではなくて、スクリーンを飛び越えて当事者になるのは自己責任だし自分の選択次第なのです。 


何かの当事者になってしまったとしたら、そこに意識を合わせているということ。 



わたしは、人にたいして的確にアドバイスできますが、その時だけチャンネルを合わせているだけなのです。 

その場にはいない。 

普段は、ピンボケした空間に漂ってます。 



ピンボケした空間は、一般的に言う神社のようです。



人が来たら、対象となるその人に合わせます。 

帰ったら、ピンボケ生活です。 


我が家はお寺のようです。
わたしは住職。住むのが仕事。 


先日も話をしていて、驚かれました。 

主催者の方はわたしの人となりををわかっているので、「それは、ままさんだからだよ」とおっしゃられます。 


今まで、内観浄化をして感情と向き合ってきました。 

そして 負のものが一掃されてきて、自ずとシンプルな生き方になり、周りが整えられていきます。 

整えられる、というレベルが以前にも増しているのです。 


手を入れなくても整えられている。 


家の中はお掃除しなくてきれいで、お庭は草刈り不要。 ほどよく苔がむされてます。 

夏は涼しく、冬は暖か。 
汗はあまりかかない。 

お肌もしっとり。 

食べたいものはやってくる。

生活に困らない。


そんな状態のまま、チャンネルを合わせると世界が観れるのです。 


自己責任でスクリーンの中に入り込むこともしますが、呼吸困難になる前には戻ります。


でも、ピンボケ状態で世間をうろつくこともありますね^^ 


ヤバイ、ヤバイ(;・∀・)






指紋認証が何故、できるかといったら、個の特定ができるから。 

顔もみんな違うし当たり前じゃね? 

だから、それで管理できるのは当たり前じゃね? 

たぶん、神様はそうやって管理してるんだと思うから。 

というか管理したいから個々をつくったわけではなくて、個々を擦り合わせて成長させるために同じものをつくらなかった。 

個々バラバラな人間を統括する意識が神様という存在なだけで、管理はしていない。 

宇宙は、軌道から外れていく個までは面倒はみない。
だけど、宇宙の法則があって軌道から外れていく個にたいしても受け皿があるものだ。 

だから、結果、神様がすべての個を管理しているようなものだ。 


結局は、統括する力というものは個を管理できてしまうものなんだ。 



一方、マイクロチップというものは人間に埋め込み、情報を管理することで神様がやってることを悪用してる。 
なぜなら、軌道から外れたものを取り締まるためにつくられたものだからだ。 

そのうち指紋認証でソレができるようになるかもしれない。 


軌道内にいたら問題はない。 
軌道から外れるから問題がある。 


これは、どんな思想で管理されているかによると思う。 
また 自分がその思想にどんな感情を抱いているかにもよると思う。 



しかし こうやって考えてみると、 個である人間がどう管理しようと、それを宇宙や神様が管理しているのです。 


人にとって不利益に繋がる思想は大概が管理する個には悪神がついているものですが、ソレさえも神様が管理しているものなのです。 



人は大概が生きている間のことしかわかりませんが、神様は人が亡くなったあとのことも管理されているものだから、もし悪人がいたとしても、人であるわたしたちは、生きてる間に懲らしめたいと思い煩うことはないのです。 



管理されることが自由でないとかきゅうくつだとか思われる方もいらっしゃいますが、本当に自由なのは神様なのですよ。 

それ以外は誰も自由ではありません。 

神様の統括される中で、個として、どう自分を輝かせていくのかに意識を向けるだけなのです。 


神様を実感できなくても神様を信じなくても統括されていることには間違いはないのです。 



統括されてる中で、いかに個を発揮していくかですね。 


個である自分に目を向けて生きることですね。





今日は30年ぶりの同級生逹とランチしてきました。メッチャ笑った〜 
しかし、わたしの話しにすごく乗ってくる子がいて、ふいに「透視できるの?」と聞かれた〜 
彼女はスピリチュアル的な話しが好きなのだそうだ。 
わたしは自分の話しをしながら彼女たちの現状を的確に示しただけなんだよ。
そうそう、気付いたんだけど、わたしは的確に人を誉めるみたいです。
その的確さが「透視できるの?」発言に繋がったみたいです〜 


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