この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2019年04月


今日は30年ぶりの同級生逹とランチしてきました。メッチャ笑った〜 
しかし、わたしの話しにすごく乗ってくる子がいて、ふいに「透視できるの?」と聞かれた〜 
彼女はスピリチュアル的な話しが好きなのだそうだ。 
わたしは自分の話しをしながら彼女たちの現状を的確に示しただけなんだよ。
そうそう、気付いたんだけど、わたしは的確に人を誉めるみたいです。
その的確さが「透視できるの?」発言に繋がったみたいです〜 



仕事をする上で、気分次第で人を使うのは、上司としてはあり得ないとわたしは思うのです。 


下に居る者の立場を考えないのは、部下を振り回すことで仕事に悪影響を及ぼし兼ねないです。 


そして、顧客がらみの仕事なら特に、顧客からの信頼を失うことに繋がります。 


そんな上司の下につくと部下は上司の機嫌を取ることが仕事になってしまい、本来の仕事ができなくなりますね。 


本来の仕事するために仕事があるはずなのに本末転倒です。 



そんな上司がいる会社は、業績が伸びないです。 


また、部下がきちんと仕事をしたとしても 上司が感情的になり、反論できないでいると 結局、仕事はうまく進みません。 


管理する側が感情的になるのは、企業としてはOUTです。 



管理する側や上司が気付かないと会社は潰れます。 下が育たないから。  



わたしが話を聞くと、部下の立場の方の方がしっかりしてることが多いです。 


しかし 上司が気づかないため身限ってしまうようです。 

身限ってしまうと人は尊敬はしませんから、辞めるかバカにして取り合わないかどちらかです。 



そんな時は下の者が意見を述べるべきだとわたしは思います。 


人を身限ってしまうのも感情です。 


結局は、感情を押し付けてきたから感情で返しているだけで、真摯に仕事をするというということからは外れた行為だと思います。 



いくら自分が正しいことをしているとしても自分の方が賢いとか相手をバカにしたら、相手同様自分をバカにしたことと同じなのです。 



言うのがめんどくさいから。 


結局、人はそう言うんです。 


諦めるのです。 

正しいと思ってやっているなら貫けばいい。 

いくら、上司が感情的になったとしても、自分が正しいことをしているなら、感情的にならずに貫けばいい。 


めんどくさいって逃げてることです


自分が正しいと思って仕事をしてるなら、逃げないで欲しい。



下にいる者が正しい仕事を貫くことで、上にいる者が心を入れ替えることができるのだと思うからです。 




わたしは、物事を教える立場にいますが、相手が確実に上がっていけるのは、わたしのしつこさだと思ってます。 

 
相手が確実にわかるまで、相手が確実に変わるまで、手を抜かない。 

あきらめない。 


仕事ってそういうものだと思うんだ。




わたしは たまに浄化のしすぎで、お腹がぴーぴーになる。



そんな時は近くの医者に診てもらいます。



せんせ〜っ
お腹がぴーぴーだよ〜


と、訴えると

せんせ〜は、わたしのお腹をスリスリしてくれる。


そんなとき、わたしは先生の手をぎゅっと握り、

せんせ〜にスリスリしてもらうと治るわ〜

と、おだてる。


わたしがぎゅっと握ると、先生の手は神の手に変わり、俄然、元気が出ます。


その後の患者さんを診る時に、それは発揮される。



最近、薬は飲んじゃいけないとかいろいろ言われていまして、医者に通うことをタブー視されている傾向があります。


あのさ

今まで、そのお医者様に治していただいていた人は何を信じたらいいのですか?


そのお医者様に悩みを打ち明けたり元気をもらったりされている方も多いと思います。


一概に、否定できることではないと思います。


お薬を飲んではいけない!医者にかかってはいけない!と言われるのでしたら、今まで そこに頼ってきた人のケアをしてこそだと思うのです。


自分が受け皿も用意ができないくせに、主張だけするなんて 言語道断です。


受け皿があってこそ言えることではないのでしょうか?


薬や医療を否定することは、今までの自分の生き方を否定することと同じだと思うのです。


否定するよりもお役に立つことを考えるのが人間ってモンじゃないでしょ〜か!


と、話しは脱線しました^^




神の手に変わった先生は、俄然張り切ります♪


風邪引かないですし、青い顔していた先生の血色も良くなります。




ってことで わたしは、定期的に ぴーぴーになって 先生のとこに通わされます♪




先生はお薬もたくさん出してくださいます。


断らずに、いただけるものはいただいて帰ります。

飲まないけどね〜


良い悪いじゃなくて、飲まなくても治るから。




そうやって わたしは、医者に通っています。



わたしが直接、患者さんに接しなくても 患者さんは治っていくのよ♪



笑顔が増えるっていいですね〜



これからも先生に頑張ってもらわないといけないって思っているから わたしは医者に通います♪



せんせ〜 ぴーぴーだよ〜って

施しには施す側と施される側があります。 



思いやりの気持ちが込められた施しと認められたい気持ち等条件付きの想いのある施し。 


どちらも施しですが想いは違います。 

だからと言って良い悪いはないのです。 


施しを受ける側は有り難く受け取ります。

受け取る側が条件付きだから良くないと考えるのは間違いです。


認められたい気持ちや条件付きの施しでも受け取る側が施しを受けることには変わりはありません。 

しかし、それが正しいわけではないのです。 


善悪はないのです。 


与えることが良いわけでも与えないことが悪いわけでも愛ある施しが良くて条件付きの施しが悪いわけではないのです。 



施しとはできる者がさせていただくことだからです。 


想いがあるからさせていただく。 


それは、感謝と同じです。 



感謝にも種類があるということです。 


思いやりの気持ちから起こる感謝と認められたい気持ち等条件付きの感謝は違います。 


これは種類が違うだけですね。 




種類が違うと巡りが変わってきます。 


与えたものが巡ってくるだけですね。 






慈悲心をふりまくことで癒されたい人がいます。 

人から頼られたい人。 


慈悲心をふりまくことを生き甲斐にしているから、とにかく人を弱者に仕立てることが好きで可哀想な人が大好き。 


面倒見るのが好きで世話好きな人。 




今までは、そんな人に頼りきって依存してきましたが、地球のエネルギーが変わり、依存できない流れに変わっています。 


しかし 時代を逆行する働きをする慈悲心をふりまきたい人。 



そんな人の周りからひとりふたりと依存したい人が離れていきます。 


寂しいので引っ張るし増やそうとします。 



そんな人にでも上から気付きを起こすエネルギーが降り注いでいます。 


しかし 敵もさるもの、それを打ち消すような持論を展開させるのです。 


はがされたくない感情が、体に居座るための正当な持論を展開させるのです。 


金銭的に裕福な人にみられる現象です。 



自立できない人をつくってしまうのは、どうかなあと個人的に思います。 


また、そのような人は自分に非があっても謝らない(負けを認めたくない)し、独自の持論を展開させるので関わりたくないですね。 


相手を思いやっていると言いながら、自分を満たしたいだけなんだなあと思います。 
 

それを利用していた人にもメスが入り離れていく傾向がありますが、当事者が気づかないうちはなかなかです〜。 





令和を祝す


令和とは日本人が尊敬し合うこと。



祝すとは祈ること。 



令和を祝すとは、日本人が尊敬し合えることを祈ることなのです。 





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