この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2019年07月

メールアドバイスはひと月5000円。 


自分で働いたお金を無駄にしないためにも、いかにその5000円を活かすかを考えないともったいないじゃないか。 


メールアドバイスだけに関わらず、活かすことを常に頭で考えていれば無駄にはならない。 

それを考えても料金設定しています。  



無駄にお金を使うのはよほどの金持ちか余裕があるかしかない。 




計画立てて、考えて、お金は使わないのかな? 


入ってくるお金が決まっているならなおさらだ。 


お金を活かすように過ごしていれば、無駄使いもしないし、気持ちに余裕が出来て、収入が増えるのは当たり前。 



そんなこともわからないのかな。



あちらこちらで自由な発言を耳にする昨今ですが思いやりある発言?はあまり耳にしないのが現状です。 



相手を思いやることをせず自分を満たすことしか考えてない人が少なくないと感じます。 



うわべの言葉に振り回されているからでしょう。 




想像が出来ないのです。 


これを言ったら相手はどう感じるのか? 

これを言ったら相手はどう返答してくるのか? 



それは、物事の道理をわかってないから起こることでしょう。 





この世の中には物事の道理がわからない人が大勢います。 


大勢です。 


物事の道理がわからない多くの人が主義主張を繰り返し、結局は物事の道理がわかる人がそのような人を許していく世の中のようです。 


道理がわからないから、言って良いこと悪いこと して良いこと悪いことがわからないです。 


どれだけ教えても理解が出来ないのです。 


理解が出来ない人が多いのです。 


だから、わかる人が許していくより仕方がない世の中です。 



でも 物事の道理がわからない人は許されていることもわかりません。 


当然のことだと主張します。 


そのことも、全部全部 許します。 



許されるって守られていることなのです。 



だけど わからないから、主義主張を繰り返します。 

守られていることがわからないから主義主張を繰り返します。 



物事の道理がわからない人は、守られていることをわからないまま主義主張を繰り返し生きていくようです。 



感謝がなくても生きていけるのです。



ずっと書きたいと思っていたことがあります。 

それは、ご老人のこと。 




昭和初期から戦前に生まれた方々というのは、戦争を経験されているだけあって そこでの体験に基づく感情や学びがあるものです。 


そして その人達が子供を生み育てています。 


そこには、ある種のこだわりがあるようです。 





最近では、体の弱くなったご老人は、ホームや施設に入られることも少なくありません。 


また わたしの周りのご老人を見ていると、自分勝手な考えの方もいらして驚きます。 



きちんと子育てをされてこなかったご老人は、子供に見放される傾向があります。 


そのため、自身の内省を促すために病気になられています。 

それで苦しまれている方は大勢いらっしゃいます。 

「死ぬに死ねない」という状況を自身が作り出しているのです。 




魂は、亡くなるまで、成長したいと願う存在です。 
亡くなるまで反省を促されているのです。 


また 反省を促され、その相手からの許しを待っているのです。 



怒りや憎しみがあったとしても それを子育てに影響させてしまっては、巡り返ってくるのです。 



自分でつくったカルマは自らが刈り取る他ないのです。 



しかし そのようにして生かされている人々を、甘い蜜を吸わせて利用しようとされる方々もいらっしゃるわけで。 


だから 反省できないご老人が増えていくのです。 


清き一票も利用されるのです。 




『respect』とは、日本語訳で尊敬の意味を現す。 
外に、尊敬,敬意.尊重,重視;顧慮,配慮;注意,関心.(よろしくという)伝言,丁寧なあいさつ.という意味があります。


ちなみに、尊敬するの意味は、その人の人格・識見・業績・行為などをすぐれたものとして尊び敬うことです。 



一方で、受け入れる という言葉があります。 

受け入れるの英訳は、acceptです。 

そして、意味は 相手や他人の意見などを認めて,自分の中に取り入れることです。 




最近よく、この『respect』という言葉を耳にします。 


「わたしは彼を、respectしています」 

という風に使われますが、尊敬しているだけで、受け入れているわけではないことに気付きませんか? 


『respect』には受け入れるという意味はありません。 


その人の功績を称える、というような場合に、使われるのが本来の目的ですね。 




本当にそのような意味で、この『respect』を使っているでしょうか? 





わたしは、人から「僕は貴女をrespectしています」と言われることがありますが、妙にイラっとするのです。 

その意味がわかりました。 


賛美されてるだけで、わたしの行いを受け入れていてくれてるわけではないということですから。 



都合の良い言葉です。 
『respect』って。 



『respect』や『wonderful』と言われるよりも『accept』と言われたほうが嬉しく感じます、わたしは。 







大きなこと 成し遂げる為に 力を与えてほしいと 神様に求めたのに 弱さを授かった


偉大なことが 出来るようにと 健康を求めたのに 良きことが出来るように 病弱与えられた


幸せになりたくて 富を求めた
でも与えられたのは 慎ましい生き方


世の人の称賛と 成功を求めたのに 得意にならぬように 失敗を授かった


人生を楽しもうと 沢山を求めたのに 人生を味わうよう シンプルさ与えられた



求めたものは 一つとして あたえられなかったけれど 全ての願いは聞き届けられていた


今 初めて気づいたの

わたしの生きた人生は 誰よりも神様に守られて 祝福されていたの


今 気づいたの

私の人生は神様に豊かに 祝福されていた

自立するためには、人に頼れる人になることが大切です。 




自分の出来ること出来ないことの線引きが出来ること。 


自分の出来ることは、誠心誠意行い それより外は人に任せる、頼ること。 



誠心誠意、というのは、集中するということです。 




人に任せられないのは、他人の力を信用していないからです。 


それは、人に対し、誠心誠意尽くしたことがないからです。


自分が誠心誠意尽くしたら、人から良い評価を受け、人を信じられるようになります。 



一生懸命やってます!と言われますが、誠心誠意やってないのです。 


思いやりの心がないのでしょう。 



一生懸命にならなくても良いので誠心誠意尽くしてください。 



メールアドバイスでは、そういうことの実践の繰り返しで教えています。 



それが自立の近道なのです。 





わたしには言葉にならない大きな想いがあって、日々、それに動かされています。 


それがたぶんたましいというものなのだろう。 


一昨日までは苦しかった〜 


想いが重すぎて、体が身動きとれなくて悲鳴をあげていました。 



同じように転生してきてめざめていない同志に対する想いがあったようです。 


これからは、電気も石油もお金にも依存し続ける生活は、終わりを告げようとしている事実を知って 自分がこれからどんな選択をして生きるのかを考えていただきたいからだと思います。


わたしが降ろす言葉は、ままのままさんの言葉です。


この地球がどうなるのか、というよりも、人間がどうやって生きていくのかを考えもらいたいからだと思います。


わたしだけが取り組むことではないのです。 


他人事ではないんだよと言いたいのです。 


これからの世の中、生きていくため、生き延びていくためには、支配されない人でいることです。 


そのためには、何をどう選択をして生きていきますかということです。 


急に、今の世界が始まったのではないですし考える時はあったのです。 



この地球で生きていきたくない魂は、命を落としていくでしょう。 


自由意思ですから。


支配されずに、生きていきたいのなら、最低限、地球への感謝の心や尊敬し合う心が必要でしょう。 


また、人それぞれ個性がありますね。 


その個性に生きていくための方向性のヒントがあります。 


自分らしさを呼び起こすことで生き延びていけるのです。 


個性を大切にと言われるのは、そういう意味なのです。 



わたしは、ままのままで、『ま』という文字は丸いとかまあるくおさめるという意味がありますが、わたし自身は全然、丸い性格ではありません。 


まとめあげる力は持ち合わせていますが、デコボコギザギザしています。 


何が言いたいかと言うと、自分自身はデコボコギザギザツンツンしていていいのですがまとめあげる力さえ持っていれば良いということです。 



自分の意見を持っていて、なおかつ、人の意見を聞き、流されることなく、まとめあげる力です。



それが統制力というものです。 


そして それが、「支配されない人」となる力の基です。 



難しく考えることはなくて、発達にしょうがいがあると言われる方々が人の意見を聞く力さえつけば、そうそう自分勝手な行動はされないですが、自由さも持ち合わしていますよね? 



要は、自分の個性、特性からくる直感と人の意見を聞く力、そして、それを統合させる力(ゆとりでもある)さえあれば、わたしたちは支配されずに生き延びていけるのです。 




長いものには巻かれろという言葉がありますが、わたしは巻かれて利用します。 



依存、支配の世界から利用の世界に舵を切るのです。 





「ありがとうございます」という言葉は、有ることが容易ではないものを頭の上に掲げて頭を下げて頂戴するということを差します。 


有ることが容易ではないということは、本来なら無いものなのです。 


本来なら無いものが有るのです。 


それってどういうことなのでしょう。


不思議なことです。 
魔法なのかしら? 


本来なら無いものが存在していて、存在しているだけでなく自分にいただけるのです。 


だからこそ「ありがとうございます」と、言葉を発して、頭を下げて『感謝』申し上げるのです。 



「ありがとうございます」 
という言葉はそんな意味があるのです。 




本来なら、有ることが難しいものだから、頭を下げて(掲げて)頂戴する。 



頂くものは、それだけ神性さがあり貴い(尊い)ものなのです。 


「ありがとうございます」と頂いて、どこかに放置して腐らせたりすることは、「ありがとうございます」の言葉に恥じる行為です。 

口先だけで 「ありがとうございます」を使っている人が多いです。 




「ありがとうございます」と頂戴したなら、その時限りでなく、美味しかったとか役立ちましたとか、言えるはずなのです。 


『感謝する』とか『感謝して生きる』ということは、そう出来て当たり前のことなのです。 


その時、「ありがとうございます」と頂いたら 次にお会いした時に、もう一度、お礼がてら報告するのは当たり前のことなのです。 



「ありがとうございます」と頂いたなら、出来て当たり前のことです。 


出来ないなら、頂かないことです。 


相手に失礼です。 





科学的に根拠がない、消費者庁が認可しないものは安全ではない。 


と、誰しも考えるのではないか? 


しかし、この世界では、そうでもないらしい。 





なぜなら、原発は液体化させて海洋放棄すれば安全なのに、それを禁止されてる。 


「安全」を禁止している世の中だから。 



これは、原発利権と石油利権が絡んでいる。 


そもそも、政府がドル発行してるわけではないのに何故、ドルが通貨となっているかと言ったら、石油はドルでないと買えないというシステムが作られているから。 


この世界は、この世界の富の99%を一握りの人たちが握っている。 


その人たちがわたしたちを石油に依存させる生活に誘導した張本人でありドルを発行している人たちである。 


石油とドルは切っても切れない関係があり、その張本人たちは石油利権と原発利権に分かれて支配している。 


わたしたちは石油に依存、電気に依存するように支配されてきたということなのです。 



先日の記事で書いた『物々交換の勧め』であるが 何故、物々交換なのかわかってもらえただろう。 


依存していては何も進まない。 



一握りの人たちは利用して支配してきた。 

ずる賢いからだとも思う。 




地球からしたら、地球にあるものだから、利用してくれればいいとの考えだろう。 

悪用させることも想定内だったと思う。 


依存、悪用ではなく、利用させていただけば良い。 

そもそも 依存しているから支配されるのだ。 


自分の足で立って自分の頭で考えていれば支配されない。 



わたしたちは支配されない人間となる必要がある。 



依存はダメだからと排除する生活ではなくて利用させていただく生活。 



電気も石油もお金も同じように利用させていただく。 

将来的には変わっていくものだから。 



お金は石油引換券でしかないのだから、いずれ紙くずになっていくものです。


だったら、物々交換でいいんじゃない? 



また 安全ではないものが認可されていきます。 


その中で必要ないものには手を出さないように。 
5Gは最たるものですね。 

だったら、テレパシーでいいんじゃない? 




その外に、依存をなくしていくためには科学の力が必要です。 

わたしたちが未来を変えていくのです。 

柔軟な頭を作りましょう。 

そのためには、まずは、人に支配されない人間になっていくのです。 


わたしの目指すところはソコです。 



人というものは、まず 自分の器を知って、それに見合ったことを続けていくことで、自身を鍛えていけるし評価もされていきます。 



しかし、知識も知恵もありながら、個人の利益のためにしか使っていない人達がいらっしゃいます。 


世のため人のために使ってこそ活かされるのに、世のため人のために活かさないため、幸せにはなれません。 



また、無知のままでは幸せ感じて生きてはいけない。 


最近では、想像力のない人は少なくありませんが、それは無知が原因ですね。 

学ぼう、知ろうという意欲がないからコレをしたらどうなるかという想像力がないのです。 


独身で生きてる分には差し障りないかもしれないですが子供がいる場合には問題になることが多いですね。 


魂的には、自身を学ばせるために子供を生む選択をするのでしょうが、そこを理解できないし知ろうとしないから始末が悪く、結果、生まれた子供を育てられなくなり放棄します。 


そんな悲惨な状況下に居る人の話を聞くのも少なくないです。 



しかし、知識も知恵もありながら、個人の利益のためにしか使っていない人達の方が無知な人よりも罪は重いと思う。


無知な人には教えることができるけど、知識も知恵もありながら、個人の利益のためにしか使っていない人達は、自覚があっても世のため人のために働こうとしないのだから、無知なことよりも大罪なのだろう。 



『自分の器を知って 自分が出来る事を粛々とする。その事に徹すること。』 



肝に命じようと思います。 



このページのトップヘ