この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

2019年08月


わたしがいつもブログで書いていることは家の中でも日常的に話しています。 


わたしは神様を身近に感じて生きていますがソレ同様に人との関係も近く垣根があるようでありません。 
昨日、書いた礼儀についても それは、親しき仲にも礼儀あり、の意味が大きく、親しい、が前提なのです。 

そうです。わたしは、親しくなったら垣根はなく、家族同様に接します。 

接しますというより接してしまいます、と言ったほうが良いかもしれません。 


それはわたしが日常的に神様事を話したり行ったりしているからかもしれません。 


制限されることに対して拒否反応を示してしまうので予め自分の正体を暴露しているのです。 



神様事のことでも原発のことでもタラタラと喋りだします。 


家の中だと、母親として過ごしていることが多いですが、何をしていても降りてきたらそのまま話すし、動き出します。 


自由です。 




人と交流を持つということは、ありのままを生きてるわたしにとって、ありのままを出せる場所を広げているだけで、もっともっと広げていきたいなあと思ってます。 

ブログを読んでいただくことで、わたしの日常を感じて欲しいです。






日本の中で広島と長崎に原爆を落とされ、被爆民となり、辛い体験を強いられてきた。 


そのため、その中で強い絆も生まれただろう。 

しかし 強い絆が他者への憎しみに変わることもあっただろう。 


そんな憎しみは簡単に癒されることはない。 


故郷を焼かれ、家族を失った痛みや苦しみは、当事者しかわからないもので、復興は果たして経済の発展は遂げたけれど、なかなか癒されるものではない。 



世界において日本という国は、自然を崇拝する国で、受け入れることを善としてきたけれど、被爆民となり、受け入れることを余儀なくされている昨今、苦しみを掘り返されている人も少なくないと思う。 



日本は被爆国ではあるけれど、被爆民は広島と長崎県民であるため、その中でも差別やいじめはあっただろう。 


戦争が終わって、早や75年が経とうとしていて、戦争の辛さが風化されてもいる中で まだまだ憎しみや痛みを持って苦しんでいる人もいるわけで、それを思ったら、簡単に 受け入れましょうとか許しましょうとは言えなくて、忘れないためには、祈り続けることしかできないものです。


祈り続けるとは、亡くなった方々に慰霊することだけではなくて、忘れずにいること。 


片時も忘れずに生活をすること。  


それが日本人としての供養ではないかなあとわたしは感じています。 




わたしは、日々の生活の中で、させていただいていることがありますが、それは哀悼の意味があることに気づきました。 


お弔いです。 



*********************************


憎しみ、争うという精神は、人を負かしたい気持ちで勝ちたい気持ちではないと、昨日読んだ本で知りました。 


そのため、どちらもが自滅するそうです。 


破壊です。 


自分が死んでも良いから相手を殺したいという気持ち。 


これが戦争に繋がります。 



最近のニュースを観ていると、特にそのような傾向が強いと感じます。 




また、世間を観ていると、共有するという精神がないように感じます。 


だから 自分本意で、公共施設が使えないのだなあとも感じます。 



日本人は、元は 自然を崇拝する民族ですが、日本人の中で力を合わせることよりも争うことが多すぎて、個人主義になり、共有という精神をなくしました。 


それが 自然の恵みの有り難さがわからないことに繋がることだと感じます。





苦しみから逃れられないから、他者を巻き込んで一緒に破滅していく。


自分だけでも助かりたいという気持ちすらなく他者を巻き込んで一緒に破滅する。 


そう望んでいる人が増えてるように感じます。 


だから、共有するという気持ちはサラサラ持ち得ないのです。 


物騒な世の中になりました。 



と、それは 地球の底辺の次元ですので、そこに意識は向けない生活を心掛けてください。


そういう世界が、あるんだなあ〜とだけ思っていれば良くて関わらないことです。 


色々なお試しがあるものです。 



注意して過ごしましょう。 






大概の人は前世から持ち越したカルマというものがあり、それを刈り取るために、今、そこに居るものです。 


だから、カルマの刈り取りが終わったら、そこに居なくてもよくなります。 

カルマがあるから、そこに居る、その選択をしているということになります。 



例えばわたしですが わたしは元々、専業主婦希望でしたが、学生のころから休みなく働いてきました。 
16歳の頃から54歳まで、ずっと約40年間、働き続けてきました。 


カルマが外れたから、今こうして、専業主婦生活をマン喫しています。


このように、今、やりたいこと!というのは、カルマと関連しています。 


そのため それを越えた先に、本当の使命が存在します。 


それは、平行してやってる方もおられます。わたしもそうでしたから。 



何が言いたいかというと 
今、やりたいことは、カルマの刈り取りのためにしなければならないことであって、本来の目的とは違うことがあるということです。 



これしかない!これが天命だ!と思ってしていることが、本来の天命とは違うことかもしれないのです。 



だから これしかない!と思わず、もっと楽な気持ちになってください。 




やりたいことをやっているはずなのに、なぜか報われない!  
自分にはもっと合ったことがあるはず!
自分は一生懸命にやってるのに! 
誰も気持ちをわかってくれない! 


そう思われてはいないでしょうか? 


カルマをさっさと終わらせて、早く、本来の目的を生きようと思いませんか? 



相談者様とお話しする中で、自分の使命に気付いた!これが天命だ!と意気込んでいる方ほど、カルマなのです。 


う〜ん、違うのになあ〜と言っても、わたしの話しは聴かないです。 

カルマの刈り取りは意気込んでやることではなくて、さっさと終わらせることなのです。 


実際、やりはじめたらすぐに終わることが多いです。 

そのため、次にやりたいことがあらわれて苦悩します。

さくさく終わらせることが目的です。 だから、そこに執着しないで、次に進みましょう。 


負の感情があると無駄に執着するので厄介です。 

そのためには、浄化ワークは必要です。 



天命に進めないのは、カルマに執着する心です。 




わたしには使命がある!のではなくて、カルマがある!のです。 




もっと謙虚になりましょう。

このページのトップヘ