この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2019年09月


頭で考えないということは、

今、自分の身に起きてることを理詰めで考えないこと。

エネルギーで降りきているものがありそれが現実化されていたり感覚ではわかっているのでしょうが、それをわざわざ言語化しないで そのまま感覚で受け取ることをしてくださいという意味。


このエネルギーはとにかく足が早いので受信だけしていれば良いです。 
いちいち言語化していたら受け取り損ねます。 

言語化できる方は余程の方なので、言語で受け取りたい方は他の方のブログを参照してください。 



わたしは言葉があまり得意じゃない💦 

頭打ちかもしれません💦




わたしたち人間は宇宙の支配下にあるため どうしても天体の影響を受けてしまいます。 
そのため 星読みが盛んに行われている昨今ですが、宇宙デビューするためには、それを越えていかねばなりません。 


そのため、星読みは参考程度に留めておくのが得策です。



論理を越えていくのです。 



論理を越えて物理、科学の世界へ入っていくのです。 





そのためには まず、何も考えず 目を養うために外の景色を観ましょう。 


目は魂に通じています。 


目を養いましょう。 






人と言うのは、誰もが人より秀でた何かがあるものです。 



しかし 否定されて育てられると、その秀でた部分が隠れてしまいます。 


そのため、自信を失ってしまうのです。 


また 否定まではされなくても、マニュアル化されてしまうことでも秀でることが出来なくなってしまいます。 

そのため、自信が育たないのです。 




人としての礼儀作法は大切ですが個性部分を押さえつける子育ては違います。 




このように、誰もが秀でた部分があるものです。 


今は見えてなくても必ず、有るのです。 


有るのだから 今、見えていないことを卑下しないで、堂々と生きていきましょう。 


堂々と生きることで、秀でた何かはスクスクと育っていくものです。

被害者意識と自意識過剰
わたしが何か書くと、 
自分のことを言われてるのではないかと被害者意識が働く方がいらっしゃいます。 



わたしはよほどでないと特定の人のことは書かないし、そんな気持ちがあるなら直接、伝えます。 


直接、伝えます。


何か書く時は、題材はありますが、そのものズバリとは書かないです。 


大概が、その題材を元に発展して書いていきます。 発展させるのです。


先日の一見さんお断りが良い例です。 




今朝も、「わたしのことを書かれているのですね?」とラインが入りました。 

違うよ♪と返信します。 

そのような方は大概が被害者意識を持ってます。 

わたしは、被害者意識を持たないので、そう言われても理解できないです。 

何をして言われるかわからない。 困るわ。ホント、困ります。 


困っても解決にならないので わたしの頭が解決に導くよう、わたしの被害者意識があった時代に記憶を遡らせます。 



記憶を遡るとあることが見えてきました。 



それは、被害者意識と自意識過剰はセットであるということです。 


自分の意識を表に出したいという想いが過剰にあるため、何かあると自分に置き換えてしまい、それが被害者意識を呼ぶように思われます。 


自意識過剰、自己主張が強い人にみられます。 


自分に関心があり過ぎるので、何かあると自分に置き換えてしまうという癖ですね。 


わたしも通ってきた道ですからわかります。 


自分に関心があることはとても良いことです。 

しかし、それが少々、過剰気味ということですね。 

それは、良い傾向です。 


自分の内側に目を向けているということなので。 

しかし 被害者意識になってしまうのは、違う。 


それは 心根が荒んでいる証拠です。 


心の姿勢の問題です。 


それは、毎日、丁寧に生活することで直せるものです。 


人に親切にする。 
分け隔てなく接する。 


それを心がけることですね。 


人にたいして選別意識をなくすことです。 




誰もが優しいし、誰もが大切な存在ですから。 





わたしは、この世界にあるすべての存在に潜む“気付いてもらいたい❗”という想いに動かされているんだなあと思います。 

と昨日、書きました。 


そして 

わたしは、埋もれていたものを丁寧に取り出しきれいにして育てることをしたいのです。




わたしは、今 メールアドバイスという毎日、日記を書いていただいて見守ることをさせていただいておりますが、それは上記以外の役割です。 



今まで霊的修行をさせていただいてきて、埋もれていたものを丁寧に取り出しきれいにして育てることが出来るだけの器と技術を得てきたから、上から任されています。 


そのため わたしが関わる人は特殊な役割の方が多いです。 


そういう特殊な方を一から育てる役割を担っているからです。 


人はひとりひとり役割がありますがその中でも特殊任務があるものです。 


そのため育てるのは、難しいです。 


一筋縄でいかない方ばかりです。 


以前、わたしは それをサーカスに例えたことがありますが、本当に個性豊かでわたしは調教師のようです。 




最初から、本来の魂の姿を見せてくれることはありません。 


それを毎日、甘やかしたり透かしたりしてわたしの指導を受け入れてくれるようにしていきます。 

ホント根気がいることです。 


わたしは、このメールアドバイスが主で動いているわけではなく、上記に書いた、この世界にあるすべての存在とのやり取りが主で動いています。 



しかし、わたしはどんな時も手を抜くことはしないです。 


でも 時にはわたしの手をすり抜けてしまうこともあります。 


そんな時はとても悲しいです。 



手塩にかけて育ててもどうにもならない事態に巻き込まれてしまうこともあるのです。 


そんな時は苦渋の選択をしなければならないことも。 



上は、わたしの手から引き離します。 

それが宇宙の法則だと言わんばかりに。 



基本、わたしは宇宙の法則の元では無力です。 


ですが、わたしには これまでに培ってきたパワーがあります。 


宇宙に逆らってでも為し遂げたい想い。。。。 


あるのです。わたしには。 




わたしは、この世界にあるすべての存在に潜む“気付いてもらいたい❗”という想いに動かされているんだなあと思います。 

この世界にあるすべての存在、神と言われている存在、宇宙の存在、人間、動物、植物、微生物等ありとあらゆる存在に潜む“気付いて欲しい”想いに、ただただ動かされているのだなあと気付きました。 



わたしが『神』と呼ぶ存在は、宇宙や自然の一部なのだと思います。 



その時々の宇宙や自然の一部の気持ちを、わたしはその時々に一番に大切にしています。


それは、一部だけ切り取ってみると、バランス崩れたことに見えるかもしれない。 
だけど 全体を見ると、ちゃんとバランス取れている。



何を見るかどこを見るかですが、わたしはわたしに繋がるすべての存在を信頼しています。 


だから わたしがどこで何をしていてもバランス取れていることと言えるでしょう。 




それがわたしのお役目と呼ばれるものなのでしょうね。



だから、24時間始動なんだわ^^ 



そして わたしは違うことは違うとハッキリと指摘します。 

想いに繋がる以上正確に伝える義務があるからです。

それ故、違うことを言ったりやったりしてる人を観ると、わざわざ、指摘しに行かされたりもしますし 誘われても観に行かないこともあります。 


麻にしても柿にしても羽二重もちにしてもその時々にわたしにスッポリ入り込んで主張します。 


翻訳機みたいな性質もあります。 




福井県にある山の崖から、見てみて〜♪と呼ばれたこともありますし 切り株に挨拶もされますし カラスにおちょくられたこともありますし不動妙王さんに駄々こねられたりイザナミさんに泣きつかれたこともありますし、、、、書き出したら止まらない〜 




わたしは、この世界にあるすべての存在の母であり代弁者であるのだなあと確信しています。 


追記:わたしが喋り出した時に話を遮られると、うるさい❗と手で払うくせがあります。





このように わたしに何かあると 最終的には、神々が判断を下してわたしを退かせます。 


それは、わたしを守ってくださるからですが、神々の判断は人にとっては時々、厳しく映るときがあります。 


そのため わたしの投稿は、敷居を高くしているのです。


わたしの記事が厳しい内容の理由がおわかりいただけたかなあと思います。 



しかし 本来のわたしは非常に人なつっこいです。 

ギャップがありすぎるのですよね〜 


だから よけいに厳しいことを書いて、敷居を高くするのです。 



間を取り持つための策ですね。 





わたしは神に遣われる身だから 神の御意思に従います。 


ただ わたしは、それに遣われるだけなのです。 


神に遣われるだけのわたしから発せられる言葉は尊いものです。 


しかし それをいい加減に扱われると憤りを感じます。 


尊いものだからです。 



わたしが憤りを感じたら、神々はそれ以上 わたしを動かさなくなります。 


神々のご意思でわたしを動かさなくなるのです。 

そうやって わたしは神々から守られています。 


媒体であるわたしを労り助け続けてくださるのです。 


ありがたいです。


媒体であるわたしの体が壊れたら神々の降りる先がなくなってしまう。 

そのため わたしは守られる。 



その想いを感じているから わたしは、また 立ち上がれるのです。 




神々との信頼関係があるからわたしは生きていけるのです。 




そうやって 神々が一見さんお断りしてくださるのは、とても心強いものです。 




人から信頼されるには、周りと調和する言葉からです。



記事への投稿しながら、お部屋の掃除をしながら、メールアドバイスしながら〜 

と いつもの同時進行スタイルです。 


この同時進行でメールアドバイスというよりも電話でアドバイスしていまして、嬉しい報告がありました! 




わたしが、こうやって言うといいよ♪とアドバイスした結果、良い報告を受けました。 


こうやって言うといいよ♪の理を延々と話し納得してくれたため、間違えることなく相手に伝えることが出来、後々、スムーズに事が進むことがお約束されたからです。 


自信もついたことでしょう。 



彼女にしてみたら わたしに言われたことをそのまま伝えたに過ぎないと思うかもしれません。 


だけど それを確実に相手に伝えたことで しっかりしたお嬢さんなど良い印象を与えることが出来たのです。 



「こういうものなんだ」と言葉にならないけれど 実感出来たかと思います。 


それを繰り返していくことで、次第に身に付いていくのです。 


最近は、わたしがしっかり付き添いますが徐々に手を離していきます。 



そうやって 信頼される人へと育てていくのです。 


わたしが教えるのは、周りと調和する一言です。




例えば、 

『主人に聞かないとわかりません』 


便利な言葉だこと^^ 




信頼関係を築くことの努力をしていない人は、信頼関係を築くことの難しさを知らない。 



わたしは常々、信頼関係を築くこと大切さを書いてきています。 


それは、努力をしてきているからです。 


だから 人との信頼関係の築き方がわかるのですが そんなに容易いことではありません。 


だって 相手はわたしと違う要素を持っているからです。 


ないものは推し量れないから、探りながら進めていきます。 


丁寧に丁寧に探りながら、察していきます。 



ひとつ間違えたら、信頼は失います。 


だから、慎重になるのです。 




そんな丁寧に接してきた人はわたしの宝物になります。 

財産になるのです。 




わたしは通りいっぺんの付き合いが出来ないタイプでめんどくさいと言われればめんどくさいかもしれません。 


仕事は神様事をしていますが人間臭い一面を持っています。 



だから、財産となった関係はわたしには誇りとなるのです。 




それを汚されることは、わたしにとっては腹に流れないことなのです。 




色んな人がいるものです。 




人間関係を築くことにおいて、紹介者が居るのといないのはまったく違うものです。 


それは、紹介者がないのは一見さんになるからだ。 



わたしが雲龍さんの笛の会に参加させていただく時は必ず、司辻さんに伝えてから行かせていただきます。 


司辻さんは、直接の紹介者ではないですが、司辻さんと雲龍さんの関係を知っているからです。 

だから、帰ってきたら必ずご報告させていただきます。 



そんな付き合い方は今では、一般的ではないのかもしれないけれど、昔はよくあったと思います。 



一見さんお断りとも言われるアレである。



逆にわたしが雲龍さんを紹介する場合は、行く前に教えてねと伝えます。 


そういうものです。 


事後報告でなく、行く前です。 



それは、お礼だったりよろしくお願いします、とのお願いだったり何か伝えたいことの伝言であったりを請け負い伝える役目を駆って出るためでもあります。 


それが紹介者にたいしての礼儀であり感謝だからです。 


それがないと、ただの一見さんで終わってしまう。 


一言、「◎◎の紹介です」という言葉だったり「◎◎がよろしくとお伝えでした」という言葉を伝えたなら、相手の方からは「聞いてますよ。楽しんでいってくださいね」と声をかけていただけるだろうに、何も言わなかったら素通りされる始末だろう。 


これは根回しとも違う粋な心配りとも言えます。 

また、勝手に紹介者があるときどっても、「聞いてないよ、おかしいなあ」とも言われてしまう。 


だから わたしが誰かに人を紹介する場合は、必ず 「わたしの紹介で来ました」と言ってね、と念押しします。 


良くしてもらいたいという姑息なものではなく、ただ わたしと信頼関係が築けている方なら、必ず 良くしてくださることを知っているからです。 



信頼を築くことの苦労や努力を共有できてるから  信頼を結べるのだと思います。 



メールアドバイスやフルネーム鑑定で直接、やり取りさせていただく方には、そんな話しも織り混ぜているのですよ。 





最近は紹介しても事前報告も事後報告もない人が多いです。 
一見さん付き合いしか知らない人にはわからないことかもしれません。 

知らない人には教えれば良いだけですが出来ていて当然と思われるお立場の人には憤りを感じずにはいられません。 


世も末かしら? 



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