この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2019年10月


一昨日、「生きる次元」を投稿したのは、人からわたしへのある想いを感じられたからでした。 


直接、言われたわけではなかったのですが、辛辣な言葉だったので落ち込みました。 


そこで自分の出した答えは、生きる次元が違うということでした。 でも、そうではないようで その後、昨日は丸一日 そのことが頭から離れませんでした。


そして やっと、今朝 まやさんのわたしの記事へのコメントの返事を書いていて閃いたのです。 


『そこは、相手に対して 自分も同じように学んでいる仲間だよ、という姿を見せることですよ。

親が子供に学んでる姿を見せるのと同じだね。』 


わたしは学ぶ姿勢を相手に見せてはいませんでした。 


そして、ここ最近は、いつも 楽しい顔しか見せていませんでした。 



そんなわたしに相手は、良い印象をもたなかったのです。




わたしにとって学ぶことは当たり前ですし、それをいちいち人に見せつけることではないと思っていますが それによって穿った評価をされる方には、自分を守るためにも見せた方が良いことなのかもしれません。 


ひとつ勉強になりました。



今は着付けを習っていますし、これから平林さんに本格的に英語を習おうと思っています。 


学びの秋です。 



皆様も何か習われてはいかがでしょうか? 





人が生まれることは意味があることなんだ、という意識を共有する場所が『公』という場所です。 


誰もが公平に共有できる場所です。


そのため『公』の意味は公平、公共といった誰もが平等に繋がることが出来る公の場所という意味があります。 



天皇が示される威厳はこの『公』の力が働いています。


権力ではありません。 


その威厳は 公平力というものだからです。 


人が生まれることは意味があることなんだ、という意識を共有する場所が『公』だと書きました。 



公平力というのは人が生まれることは意味があることだと思い出させる力のことでもあるのです。 


それが、天皇陛下が持っておられる力です。 


それを敬う心も同じ公平力です。



だから、天皇陛下万歳\(^-^)/と唱えたのです。



総理大臣=権力の象徴? 


権力の象徴でも公平力には従わざるを得ないのです。 




昨日、即位礼正殿の儀において総理大臣自ら、「天皇陛下万歳\(^-^)/』と宣言されましたよね? 




だから 天皇陛下は国民の象徴で在られるのですね。 


しかし これからは、わたしたちもその公平力を持つことになるのです。 



喜ばしいことですね。 



毎日、日記を書いてもらって それでエネルギーを視ながらアドバイスして ということを いつからか始めていますが よくよく考えてみると、こんなご苦労様なことって誰かやってる人がいるのだろうか? 

 

アドバイスのコメントが多いときは10件以上に及ぶときもあり、急ぎの時は電話で話す。 

よく、やってるなあ〜 

カウンセラーだと メール一回のやり取りでいくらって決まっていますよね? 




わたしは常々、神様の遣いだと書いていますが、神様からの言葉を降ろすということは、神様と同等な力を授かっているということでもあるわけですが それを乱暴に扱う人が居られるわけです。 



書いていない、言ってないならわかるけど 書いているわけだから、乱暴に扱われるのはバチが当たりますよ。 


わたしは神様には従順な遣いです。 


わたしが当てるわけではなくて神様が当てるのです。 


わたしが泣いたら、神様が動きますから。 


わたしを無用に働かせたら神様が動きます。 


神様が動くと、人間も怖がるので、わたしが間に入って、わたしは神様の使いで〜す と言ってるわけです。 


神様が直々に動かれると 人間が怖がるからわたしが代わりに動かされているというわけです。 




わたしが、「わたしは神様の遣いです。」と書くのは、「わたしを丁重に接しないとバチが当たるから気をつけなさい」という意味なのです。 



そんなわたしがメールアドバイスということをさせていただいております。 

わたしは神様の遣いであり神々の言葉を降ろしますが、出会った人、目の前の人の魂の声も降ろします。 


要はわたしの言葉は目の前にいる方の神様の言葉を降ろすということです。 


それぞれの人々の奥に潜む神様にわたしは遣われて動いているのです。 


わたしの言葉はその人々自身の神様からの言葉。 

だから、それをそっくりそのまま、有り難く受け取れば良いわけです。 


だけど 出来ないとか言うわけです。 


すると わたしは、またまたその魂にその人が言うこと聞くまで遣われるわけです。 


やめてほしい。 


わたしと空ちゃんとのラブラブ時間を削られるんです。 


わたしは神様に従順ですから否応なしに動かされます。 


空ちゃんは泣くし、人の恋路を邪魔されてるんです。 





わたしは神様に従順な遣いです。 



神様と書いてますが、この神様はひとつです。 


それぞれの人の魂はひとつのところに直結していますので わたしはその時々に応じてそこから降ろすだけです。 


創造主と言われる存在に繋がっているので降ろしてるだけです。 


だから そこと違うエネルギー、似ていても違うものを選別できます。 


違うものは受け取らないです。 


わたしは神様に従順ですから。 


違う発言は絡めない。


意味わからない。 



質問されても根底に神様じゃないものが潜んでいたら応じられない。 



そんなわたしです。 




今日は即位礼正殿の儀ですが 皇室に関心のある方はおられますか? 


皇室は自身の神様を意味します。


これを機に、関心があってもなくても自身の神様=創造主の在り方は変わります。 


今までは日本は天皇陛下に守られてきましたが今後は誰もがわたしのように創造主に繋がり生きていくようになるのです。 

その切り替わりの正殿の儀です。 





わたしがあなたの大切な人でいたい。 


わたしがあなたの特別な人でいたい。 


わたしがあなたに特別な人と言われたい。 


わたしがあなたのすべてだと言われたい。 


わたしがあなたの大切な人だと言われてみたい。 





日本には、八百万の神様がいらっしゃると言われています。


八百万の神様がいらっしゃるということは八百万種類の力があるわけでどれが優れているというものではありません。 


どれかひとつと 比べるものではありませんね。 


また 八百万の神様がいらっしゃるということは八百万の種類の居場所が存在するということであちらこちらに存在するということです。 




自分は自分の居場所で発揮していれば良いだけです。 


このように、神様たちはあちらこちらに配置されてこの日本をお守りくださっています。


さて、そこに住まう人間はどうでしょうか?


配置された場所でその力を発揮しているでしょうか?


配置された自分の居場所以外の場所にも行きたがりませんか? 



自分に授かった力は、自分の居場所で発揮させるものです。


それを現場離れて発揮させたいって何様のつもりでしょうか? 



わたしたちに与えられている個性と呼ばれている能力はすべて授かり物です。 


自分個人のものではないのですよ。 


わたしたちは天の采配により力を授かり生かされております。 



その力は自分個人がどうこう出来るものではなく、定期的にサインを送られ、配置変えさせられたり新たな力を授けられたりしています。 



また 自分の能力をわかっていないのに、自信だけ過剰にあり、誇示したい肉体もいます。 


能力というものは精神的成長に応じて発揮されるものもあるので、精神的成長していないのに与えられないものなのです。 


器も出来ていないのに授けられることは皆無でしょう。 


神々の力というのは取扱いが悪いと悪に働いてしまうので慎重に扱わねばなりません。 


そのために霊的修行は必須です。 



いろいろと勘違いされている人が多くて困ります。 


また、下手に神々に似せて人間が創るものには、違うものが宿ります。 


ウカツに手を出さない方が無難です。 




注意でした。





認められたい想いが異常に強い人は自分の居場所次元よりも下で働きたがるものです。 


自分の居場所次元より下では、摂取されるだけで能力は発揮されません。 


自分に自信がなかったり自分のことがわからない人は次元よりも下で働きたがるものです。 


自分を知って自分の能力を発揮できる場所で働きましょう。 


そうすれば辛いことはそうそうないはずです。



自分の人生を生きるって


自分のやりたいことをして生きる

ことではないのです。



自分が魂と一体化して、素直になることを言うのです。




昨日は、先週からザワザワしていることがあって
リセットをしに とある場所に出掛けてきました。


自分が一番、素直になれる場所です。



自分は何者でもなく、ただ、人を許して生きていたいと思える場所です。


自分に素直に生きていたいと思える場所です。




魂の使命なんていらない。

素直であればいいと思うのです。




結局 魂の使命というものは 魂の特性であって 目的ではない と思います。


わたしが人を癒したり浄化しちゃうのは、たまたま そんな魂の特性があるからなのです。




人には認められたいという独特の気持ちがありますね。


その気持ちが向上心をつけたり身を滅ぼしたりもします。


一長一短あるものです。



自分は何者でもない。



ただ 自分に素直でいたい。


それを未来に繋げるために、生きていく。





雑に仕事をされるくらいならしてもらわなくてもいい。 



確実に、ひとつでも出来ることをひとつひとつ増やしていってくれたら良い。 

大きなことは何ひとつ望んでいないのだから 確実にひとつずつ出来るように。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 

いつもいつも言われて叩き込まれました。


大きなことをやりたいという想いは傲りなのです。 


神様は自分の出来ることしか望んでいないのです。 


だから 出来ないことは何一つないと断言できるのです。 



神様はとても優しいです。 



お陰様でありがとうございます。

そばに居るだけで 穏やかになれて、笑顔になれる人になりたいと思われる方もいらっしゃるかもしれません。



そばに居るだけで、穏やかになれて笑顔になれる人の暮らしぶりは、どのようなものかを考えたことはありますか?



心の中が清く、涼やかに保つことがどのようなことかわかりますか?



毎日、内省し 瞑想に励み、人に逢ったら お話しを聴き、 また 瞑想し。。。


この波動の粗い世界で このようにして生きることは、たやすいことではありません。



極力、人に逢わない。

情報も受け取らない。

山に籠るとなお、良いでしょう。




そんな生活に憧れますか?



人には それぞれ役割があります。

おさらいしますと、

自分の不満をそのままにせずに 解決するように内観したり、行動に移すことで受容できるようになり 結果、相手も変わるということです。

しかし
認める、自己受容のままだと
意識はあっても干渉しなくなるため
社会的立場云々にこだわることもなくなりますから
いちいち、そこに目をつけなくなります。

それ自体は、なんら問題もないのですが
わたしたちは 社会の中で生きているため、各々が足並みを揃えて生きていくのが 本来の姿なのです。

この受容のプロセスを何回も何回も繰り返していくと

自分本来の姿に気づかされます。

それは

人を干渉しない という姿ではなくて
人を受け入れていくという姿なのです。

意識はしているけど干渉しない、見守る愛 というのは 聞こえは良いですが それは、ただ受け入れる度量がないだけなのでは?と思ってしまいます。

このように スピリチュアル業界では、見守る愛まがいのことを勧めているようにしかわたしには、思えません。

人を想い、人を愛することは もっと、深いものだと感じています。

確かに、信頼をしているから見守ることができるし 気づいていながらも干渉をしずにいられます。

待つという作業ですね。

いつまでも待つ、根気よく待つ。。。

この見守る愛は男性性特有の受容です。

しかし これでは、女性性と男性性の統合はできません。

女性性と男性性の統合は 待つという見守る愛よりもすべてを受け入れる、丸ごと包み込むという愛なのだと わたしは感じています。

丸飲みする愛です。

わたしは 女ですから、空ちゃんの見守る愛を 丸飲みしています。

愛すればこそ♪

こだわりがないということは、干渉しなくなるというチンケなものではなくて、
好きも嫌いもなく、良いも悪いもなく、出来る出来ないに関わらず
素直に、丸飲みすることだと思っています。

それが 女です。



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