この世界にあるすべてのものは感謝するために存在するbyままのまま

「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。 しかし現代では、その姿を保つには相当の努力が必要なことのようです。 心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。 自分の目の前に差し出されたことを真摯に受け止めてください。 出来ないことは求められないものです。 息の本体に帰ってください。 息の本体に帰り、愛となれば、望んだことは一寸の狂いもなく叶えられるもので、望みが叶えられないのは、我が身が愛でない証拠。 だから、息の本体に帰ってください。 ご自身の「根っこ」を見極めるために、父母 をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるものです。 日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきている信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。 そのために出来ることを日々、お伝えしています。

2019年10月

まず、不満を感じたら、その不満を改善しようと考えて、その答えを求め始めます。


求めれば、それに対する答えを受け取ることが出来ます。


答えを受け取れば、そこで、気づきが起こります。

気づきが起こると、反省することができるようになります。


反省できると、感謝ができるようになり、ハートが開きます。


ハートが開くと、癒しが起こります。


癒しが起こると、自分への拘り、制限が無くなります。


制限がなくなると、 そこにこだわらなくなるので、そこに干渉しなくなるのです。


ここまでが、認める、自己受容までのプロセスです。



この見守る、自己受容というものは 意識はそこにありながら干渉はしない というものになります。


しかし、スピリチュアル業界では


意識があって干渉しない
ということがわかっていないのが現状です。


意識がなくて、干渉しないのが気にならないというもので
意識があって、干渉しないというものが見守る愛というものです。


気にならないのと、見守る愛はえらい違いです。



ここまでが 自己受容であり認めるということです。



ここからが 自分の意識を上げる作業になります。


それが

相手を認めるといという作業です。


少し戻りまして


気づきが起こると、反省することができるようになります。


反省できると、感謝ができるようになり、ハートが開きますね。


そして 相手の立場になって考えることができるようになってきます。


相手は自分を映す鏡だということがわかるようになり、相手に思いやりの感情が溢れてきます。


今までの行いを悔い改めることができるようになります。


そうなると、
相手に対して学ばせていただきますと謙虚な気持ちになってきます。


すると、相手や対象物が変化してきます。


相手や対象物自体も気づきが起きてくるのです。



ここまでが受容のプロセスになります。


続きます。

社会的立場を考えられる人と考えられない人、それには 人の意識が関係していると思います。

その人の心の在り方がそれぞれ違うのですね。

意識レベルの違いです。

自分の内側を見つめ直していくと、ストレスを爆発させることなく、意識が上がるようになります。

意識レベルを上げるためには 自分の内側を見つめ直していくことが必要になります。

自分の内側の見つめ方を次に簡単に書いていくので参考にしてみてください。

また、


社会的立場を考え過ぎて、それがストレスになっている方もみられます。


その場合にも自分の社会的立場を否定しているのです。


そして そのような人は社会的立場を考えて生きていない人を否定するようになります。


自分の社会的立場を否定しているから 相手を否定するのです。


自分にないものは反応しないのです。



だから 人のそういうことを批判する人は自分の立場を否定していて不満があるということです。


相手は鏡となって、教えてくれますね。



人を批判する人は、自分に不満があるのです。



その立場だから、しなければいけないと我慢していたり、思い込もうとしているため 不満を感じるのです。



しかし そんな時は 自分の波動を上げてみると すんなり受け入れることができるようになるものです。



だけど、現代人は その不満を爆発させて ないものとしてしまう傾向があります。



不満が溜まりに溜まると、そうさせてしまいます。



そのようにならないためにも
その不満、ストレスを早めに対処、改善するとよいでしょうね。



本当は ストレス回避することよりも きっちり見つめ直すことがよいのです。



ストレスを爆発させると
自分が築き上げてきた立場もなくなってしまいますから。

人間は社会の中で生きているから 立場があって当然なのです。


でも あなたは、その社会的な立場を否定していませんか?


自分のありのままを認めてもらいたいあまりに、社会的立場を否定していませんか?



社会的立場を否定しているから、社会的立場を求められます。


否定しているから、そこを調和させようと求められ、現象化します。



親として、子供として 素直に受け入れて生きられないのは、それを自分が否定しているということではないですか?。



家族間では親子関係があります。


学校に行けば、教師と生徒、先輩と後輩という上下関係があります。


成人して社会に出れば、雇い主と従業員の関係があります。



社会というものは、そういうものです。


そこを否定していては、人との調和が保てないのです。



『どんな自分も否定しない』
というのは、そんな社会的立場を否定せずに受け入れていくことでもあるのです。




まずは、あなたの社会的立場を考えてみてくださいね。

今の世の中、スピリチュアル的なことが表面化していますが

これは、天に繋がることや宇宙に関心を持つことやエネルギーに関心を持つことだけのためではありません。


逆に、地に足をつけて生きていくために スピリチュアルなことが表面化しています。


また、安部政権の安保法案成立においては 若者たちが政治に関心を持つように仕向けた と言われており、
安保法案成立を仕向けた安部政権を高く評価している方々もいらっしゃいます。



今の安部政権が何故あるかといったら

まずは、わたしたちに 今の社会全体を観せるためにあるのです。



政治にしかりスピリチュアルな世界にしかり


今まで、関心がなかったことに目を向けることになります。


目を向ける、関心を持つことが グラウディングすることになります。



意識を上げると、四方八方が見渡せますが


今は、意識を上げなくても あちらからこちらからと 見せられることになるのです。


そうやって 関心を持たざるを得ない世の中になっているということです。



天の采配において

わたしたちは さまざまなことに関心を持たされていくのです。



関心を持つということは、グラウディングをすることになります。



それぞれの場面、場面に意識を向けることによって わたしたちは 自分本来の道に導かれていくのです。



だから そこを見ないふりをしてはいけません。


見ないふりをすればするほど、見てみて〜と迫ってきます。



グラウディングさせるために 天は動いています。


すべては天の采配です。






これは 今朝、ダウンロードしたエネルギーを言語化したものです。


言葉がうまく繋がっていません。


ごめんなさい。





そして あとひとつ



天の采配において さまざまなことに関心を持ち 意識することになってきますが そこに、執着しないで!とも言っています。

否定しない、執着しないって言っています。


否定したり執着すると、まだまだ 天の采配により 見せられてくるものが 滞るそうです。


だから

見せられたこと、関心を持ったことに意識を置くだけでいいで〜す♪




川島なおみさんがガンで亡くなられたり わたしが似ていると言われる北斗晶さんが乳ガンの手術をされたりと 芸能界からの悲報もありますが

不安になることなく、意識を置いて、お祈りしてくださいね。



意識を置く。

どの次元においてもグラウディングをする


ことが目的です。



それによって わたしたちは自分本来の道に導かれていきます。

結局、気難しい人は 自分を尊敬できないから 人に気を使われたいのだと思います。



自分のことをバカにしているんだね。


そして 人に気を使われたり認められることで、自分を満たしているんだね。



逆に、人に気を使わせない人は 自分の良さをわかっているんだと思う。


気難しい人と接するには、気を使うのではなくて 配慮が必要なのです。


認められたい、自分を大きく見せたい、バカにされたくない。。。

そんな想いをわかってあげる広い心を持つとよいでしょう。



そのためれには、何かあるから、尊敬するのではなくて
何もなくても 肩書きも立場を関係なく 人間性が尊敬できる、好きだよ と伝えることが大切です。



〇〇〇だから、好き。

〇〇〇だから、尊敬しています。


ではなくて

気難しいその人、そのままが尊敬できるんだよ と伝えることですね。




『そのままのあなたがいいんだよ』


のフレーズは、このことから来ているのですね。



でも 実際、この地球で生きているのは 親子関係、師弟関係とあります。


先日の記事『認めることと受け入れること』で、


『認める』というのは、対等な立場であって出来ること。


魂は対等ですが 人間的立場があって わたしたちは生きているのです。


と書いた通り


『そのままのあなたでいいんだよ』


という言葉は、対等な相手に使う言葉であって

目上の方に使うことは失礼になります。


その場合には

礼を尽くすのです。



礼を尽くすのは、言葉や態度、行動があります。


その基になる行動が『笑顔』なのです。


『笑顔』で感謝を表すのです。



自分のために笑顔でいるのではなくて


相手を敬うため、慈しむために笑顔でいるのです。


気難しい目上の人に対しても、笑顔で礼を尽くすのです。


決して、苦虫潰した顔で気を使わないでくださいね♪


笑顔ですよ〜

人を敬うことと、気を使うことは違います。

よくよく、世間を観ていると

人に気を使っている人はよく見掛けますが
人を敬っている人はあまり見掛けません。

敬うことは気を使うことではありません。

[敬う][他]相手を目上と考え,礼をつくしてふるまう。敬(けい)する。

[礼儀]社会生活の秩序や円滑な人間関係を保つために守るべき行動規範。特に,相手に敬意を表す作法。

けいい [敬意]尊敬する気持ち。

このように、人を敬うことは、人を尊敬する気持ちがあることが前提です。

人を尊敬する気持ちがあるならば 気を使って、肩が凝ったり 頭が痛くなることはないのです。

気持ちがよくなるはずなのです。

逆に 人に気を使われて、頭が痛くなったり肩が凝ったりされる場合は 尊敬されていないということなのです。

人に気を使われない人、尊敬される人になるように心掛けるといいと思います。


気難しい人と思われるか尊敬される人になるか、ですね。

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人が生きるために大切なことは まず、素直になること。 


次に、自分のいたらなさを認めること。 


次に、認めたら詫びること。 

詫びた後は、いたらない自分をいたらないままにせずに 努力をすることです。 





キリスト教では、詫びたら許してくださいます。 

いたらなさを認めて詫びたら、許してくださいます。 


それでは、人は成長は出来ません。


口先だけ詫びたところでいたらなさは直りません。 


いたらない自分を認めて詫びたら、努力をしなくては 人として成長は出来ません。 



よって、キリスト教は 人は成長しなくてもよいという教えなのではないのでしょうか? (これは、わたしの解釈です) 



また、覚醒する と言われますが 


覚醒するとは、 


自分のいたらなさがわかった。。。 

ということに過ぎません。


覚醒するとは 
自分がアホだとわかった というだけのことです。 


アホならアホなりに、ひっそりと生きるのか アホから脱却するのかは、自分自身に掛かっています。 



光が観たい!というのは論外です。 




そして 努力をすればするほど、人は守られている存在の壮大さに気付かされるのです。 


だから、謙虚になれるのです。 


努力がないと、ただ 自分のアホさ加減がわかっただけの人になります。


いたらない自分を見つめ、出来ないことを出来るように努めることで 人として成長すると同時に、頭が垂れていきます。 



でも、どこまでも試されるものです。 


謙虚にならなければいけない という世俗的な発想にはならなくて、自分に嘘はつけないので 頭をもたげてくることもあるのです。 



どこまでもどこまでも学びは続きます。 



ちなみに、この素直になるという段階が4次元世界の住人と言われる人です。 


また、5次元世界の住人とは、努力をして頭を垂れる人です。


4次元世界の住人のままでは、世の中を見渡すことができません。 


何故なら、5次元に必要な時空の距離が掴めないからです。 


時空を操れるだけでは所詮、4次元世界の住人なのです。 

パラレルワールドは、いくつかの時間が存在しますから、4次元です。


でも、4次元のままではいられないのです。


地球は5次元に突入しているのですから。


5次元地球の住人になるために、人間は努力が必要なのです。 


どこまでもどこまでも学ばせていただけるのが人間なのです。



有り難いなあと感じます。 




想い。。。と言うのは、計り知れないな。 


わたしのお口がまた、しゃべり出しました。 


感謝。。。 を知らない人が多いなあ。 



人は それまで、一生懸命に努力してきて そこで認められて、自信がつくと 安堵してしまうのだろうか? 
努力をしなくなる。。。


自分が周りから認められてきたから、わたしにも連絡が入るのだけど 
わたしは 滅多に、人を誉めない。


誉められたくて、認められたくて 連絡をしてきているのだけど、わたしは誉めない。 


それは その人が自分の可能性に蓋をして、そこに留まっていたり 全然、違う道を歩んでいたりするからだ。 


わたしは魂と話をする。 

だから、当然 辛口になる。


同志だからだ。 


尊敬している同志だから、あえて 辛口な返答になる。 
それか、ほかっておく。 

話しにならない、と思うとほかっておく。


すると 相手は、わたしに認めてもらいたかったのにと 不機嫌になったり ブログに書いたり わたしから離れていく。 



わたしは嘘はつかないんだ。 


嘘も方便と言うのは、相手を良くするためのもので 相手をただ、気持ちよくさせるだけの言葉は、わたしは発することはしないんだ。 

口先だけの言葉は出ないんだ。 



だけど、人は 口先だけの感謝を口にしたがる。 


わたしにありがとうという言葉はいらない。 


わたしはあなたの真実の想いがわかるから、いらない。


本当にわたしに対して感謝をしている人の言葉は、違うんだよ。 


わたしが満たされる。 


だけど 口先だけの感謝は、嫌な気分になる。 


離れたくなる。 




わたしは人の想いに敏感なのです。 




それなりに、周りから認められた人は、感謝の言葉を口にして、自分を満たしていくけれど、結局 それは、進化を止めることになる。。。


人は認められたいものだから 仕方がないとは思うけれど、そこを越えないと 真実の感謝はわからないし 本当の自分も見えてこない。 


そんな 中途半端な人がスピリチュアル指導者になって 感謝を唱えたところで 世の中は、きれいにはならない。 




わたしが 厳しい言葉が出てしまうのは、そんな理由です。 


厳しい言葉なんて、本当は言いたくない。 


いつも笑顔でいたいんだ。 


だけどね 人に認められたい想いで進化を止めているスピリチュアル指導者たち。


気づかないのかなあ。。。 



本当の感謝というものは、謙虚さとセットなんだ。 

そして この地球にお仕えさせていただきます。。。とひれ伏してしまうくらいの気づきが起こらないと、得られないものなんだ。 


ありがとうございます という言葉よりも ごめんなさい としか言えない気付きの後 得られるものなんだ。 


だから、その後は 人に対しての想いや言動も変わるものなんだよ。 



自分が宇宙の一部であると認識できるからなのかもしれない。。。


そこまで、上がってきてからこそ 指導者として活躍しても遅くはない。 


地球は、それを望んでいるし 宇宙もそれを望んでいる。 




中途半端な感謝はいらない。 



中途半端な感謝は、あなたじゃない。 



あなたの本質は、そんなちんけなものではない。 


自分を見限らないでください。 



自分がどれほどの魂かわかると、

地球は安泰だな と思うんだよ。 


自分がいるから、大丈夫だよ♪って思うんだよ。 



そうすると、お小言は出なくなるけど、 
自分の同志を見付けると、黙っていられなくて つい、漏れるんだ。。。 


想いが、漏れるんだ。 


信じてないわけではないんだ。 



ただ、遅いんだ。 


わかってるなら、働け! 



認められたいなどという人間の欲望と遊んでいないで、働けよ! 



この地球は、結局、人間の欲望と遊びたいだけの魂の遊び場なんだな。 



いつまで 遊んでいるんだろうねぇ 



ほんと、始末が悪い(-.-;) 






人の役に立とうとする前に敬う心を持ちましょう。



人は、誰かに助けてもらうと 次は自分がしてあげたいと思うようですが、
助けてもらっても十分に感謝のない人が多いですね。 



人の役に立ちたい気持ちはわかりますが、 
十分に感謝をしていないのに、人の役に立とうというのは、思い上がりも甚だしいものです。 


人の役に立とうと思うのは、十分に感謝できて敬う心が育ってからです。 



マトモに感謝出来ない人が何ができるの?


謙虚さを知らない人が何ができるの? 




人にお世話になったにもかかわらず、御礼もそこそこで、人のために働きたいとかお返ししたいとか。。。 


そんなココロモチだから繰り返すのです。 



感謝することを軽んじている人が多すぎます。 



ありがとうございますと頭を下げるのは基本的なことです。 


感謝を形にするというのは、人に与えることだけではなくて 自分の身を正して生きることです。 


まずは、自分の身を正して生きることで 感謝をあらわすことになるのです。 


身を正してこそ、人のお役に立てるのです。 



与える人間になって優越感にひたりたいですか? 


そうではないはずです。 

何も与えることをしなくても、笑顔で、皆に 謙虚に接しているだけで十分に感謝をあらわすことができることを知ってください。 



人に奉仕をすることと感謝して受け取ること、どちらを優先すべきかは、感謝して受け取ることの方なのです。 



なぜなら 

感謝して受け取るということは、お世話になった方に素直に誠実になることだからです。 


人よりも秀でたいとか自分から与えたいと思うことは悪いということではありませんが まずは、人にお世話になったのなら、礼儀を尽くして感謝することが先決です。 


そして 次に、現在の報告をして、お世話になった方に安心していただくのです。 


そして 生活が整ったのちには また、報告をさせて頂いたり、ご相談をさせて頂いて 人間関係を築いていくのです。


便りのないのは元気な証拠というのは、皮肉で、
便りのないのは、気がない証拠です。 


感謝を忘れた証拠です。


そして、また、自分勝手に事を始めると失敗します。 


相談するという、人に意見を聞くことをしないからです。 


よく失敗する人は、人に意見を聞かずに、ひとりで勝手に事を進める傾向があります。 


自分勝手で相談しない人です。 



このように 人に感謝して 自分の身を正して、お礼を述べる。
そして 近況報告をして、これからの相談をしたならば、悪いことは そうそう起こらないはずです。 


自分勝手に事を進めるから、トラブル発生するのです。 


人とトラブル起こす人は 自分勝手だからです。 



トラブル起こしてから、泣いたり悩んだりするよりも 素直に人に相談すればよいのです。



結局、人に相談させていただくという謙虚さや素直さがない人は、感謝がないから 人とトラブルを起こしやすいのです。 


そのような人が 人の役に立ちたいと自分勝手に行動を起こしたところで トラブルの元になるのです。 



だから、人の役に立とうとする前に感謝しなさいと言うのです。



心の中に素直さのない人は 外側に敵をつくります。 



人の役に立とうと思うならば、まずは 素直に謙虚に、敬う心を育てることなのです。 

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